2026-07-30:【心の処方箋】その「くすみ」、来年まで持ち越さないで

心とオーラの中間チェック

満月が静かに過ぎていき、張り詰めていた気持ちがふっと緩むのを感じていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

その一方で、九州での大きな災害のニュースに心を痛めている方もいらっしゃると思います。こういう時期だからこそ、ひっそりと気をつけていただきたいことがあるのです。

それは、「自分自身の表情が、いつの間にか重く、暗くなってしまっていないか」ということ。

普段から、周りの人と何気ないおしゃべりをして心を通わせる習慣がないと、自分の表情が曇っていることに自分自身ではなかなか気づけないものです。「私は大丈夫」と思って鏡を覗き込んでみても、自分で自分の表情を客観的に見るのには限界があります。

表情が暗く沈んでいるとき、いわゆる「オーラがくすんでいる状態」になってしまいます。この状態をそのままにしておくのは運勢的も良いことではありません。

月のリズムと、先送りのスパイラル

月の満ち欠けのリズムで言うと、満月から新月に向かうこれからの2週間は、心の中に溜まった不要なくすみをどんどん手放していく、とても大切な「デトックス」の時期にあたります。

けれど重苦しさを引きずって、手放すべきだったくすみを次の新月以降のサイクルへとそのまま持ち越してしまうと、エネルギーがさらに重くなっていく悪循環が始まるリスクが高まります。

次の新月が訪れるのは8月中旬、ちょうどお盆の頃です。
この時期は夏真っ盛りで、ただでさえ体力を消耗し疲れが出やすいタイミングです。本来なら、お盆の時期は体の負担をできるだけ減らして、ゆっくりと心身を休めるべき時。そんな時期にエネルギーの浄化ができないと、その疲れや重さは秋、冬へと引きずられ、年を越えてしまいます。そして、本来なら「新しい一年の始まり」として軽やかにスタートすべき次の春になっても、今年の夏の疲れをそのまま背負って歩き出すことになってしまいます。

気づかないうちに次のリフレッシュのタイミングが翌年、さらに翌年の春へと持ち越されていく。気づかないうちに、心と運勢の衣替えがどんどん先送りになり、何年にもわたってネガティブなサイクルに足を取られてしまう……。今、そのような分岐点に立っているとも言えそうです。

「私は順調だから大丈夫」というときこそ

「でも、私の心には今、何の不安もありません。むしろ順調で、運も向いていると感じています」

そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。
けれど、私のブログで以前もお話ししたように、「何もないから大丈夫」と思い込んでいるときこそ、実は一番油断できない「注意報」の時なのです。

自分では順調だと思って進んでいても、客観的に見ると、実は見えない沼に足が少しずつ沈み込んでいる最中だった……ということは珍しくありません。魂や運命のレベルで起きているわずかな変化や「沈み込み」は、本当に自分自身では自覚しにくいもの。

だからこそ、一人で悩みを抱えている方はもちろん、「今、私はとても順調です」と感じている方こそ、客観的なコンディションのバランスチェックをお勧めしたいです。

精神的に、孤立しないことが大事ですよ

この時代を心地よく、健やかに乗り越えていくために一番大切なこと。
それは、「精神的に孤立しないこと」です。

これは「たくさん人がいる場所に行きましょう」ということではありません。物理的に一人でいるかどうかではなく、あなたの心が「誰かとちゃんと繋がっている」と感じられているかどうかが重要なんです。

どんなに小さな不安でも、あるいは「順調です」という嬉しい報告でも、誰かに言葉として投げてみる。そうして「確認する場」を持つことで、自分の表情や、オーラの状態に初めて気づくことができます。

お盆を控える8月は「中間チェック」にぴったりの節目です。新月に向けて、今だからこそ整えられる心の準備があります。

「もしかしたら、私の心も少し重くなっているかしら」
「最近、誰とも深いおしゃべりをしていないな」

そんな風に思われたら、どうぞ一人で抱え込まずに、会いに来てくださいね。
心穏やかな新月を迎えられるよう、いつでもここでお待ちしていますね。

(原稿は100%私が書きました。AIによる推敲度50%です。)

天使たちはあなたの手を借りたいのかもしれないというお話

Generated Image July 01 2026  3 04PM 大
もしかしたら、どこかにこんな方がいらっしゃるかもしれないな……とふと思い立って、この記事を書いてみることにしました。

これからお話しすることは、私が子供の頃からずっと感じてきた、とても個人的な体験です。同じような感覚を持っている方がいらっしゃるかはわかりませんが、もしこの記事を見つけて、「あ、もしかしたら私もそうかも」とホッとしていただけたらな、と思っています。

子供の頃の私は、いつも「誰かが私を見守ってくれている」と感じていました。それは両親や家族といった現実の人ではなくて……ふと視線を感じて、空や天井を見上げてしまうような、そんな感覚です。もちろん姿は見えないし、声も聞こえないのですが、「いつも頭のずっと上の方から、何者かが私を見下ろしている」。そんな、半分妄想のような不思議な確信をずっと抱いていました。

でも、大人への階段を上るにつれて、いつの間にかその感覚を忘れてしまっていたんですよね。それが、30代の後半か40代に入った頃……「ずっと側にいてくれたのは誰だったのか」を一瞬で思い出した日があったんです。

そのことに気づいた瞬間、私の中で張り詰めていた「生きることの緊張感」が、すーっと解き放たれていきました。全身の力みがほどけていって、体の隅々にまで「ああ、もう何があっても大丈夫なんだ」という、深い安らぎが行き渡ったのを、今でも鮮明に覚えています。自分がこの世にやって来る前、どんな温かい存在と一緒に過ごしていたのかを心から確信して、本当の自分を取り戻したような、そんな衝撃的で愛に満ちた体験でした。

その時、私の中に満ちあふれてきたのは「人を導く力」でした。もちろん、私自身にそんな力があるわけではありません。ただ、私という「器」を通して、背後にいる聖なる存在が皆さんを導きたがっている……そう気づいた時から、私の本当の人生が始まりました。

生まれる前にいた世界での、聖なる存在とのつながりを取り戻し、この世界で彼らの「手」となって活動できる器を持つ方は、きっと他にもいらっしゃると思います。

私のように導く役割を担う方もいれば、知恵を授ける方、背中を押す勇気を与える方。そして「癒す力」を受け取って、傷ついた誰かに優しく手を差し伸べる資質を持った方も、少なからずいらっしゃると思うんです。

ただ、聖なる存在たちは直接言葉を届けることができません。だからこそ、その素晴らしい力に目覚めるための方法やタイミング、そして安全につながるためのコツが必要になってきます。私はこれまでの経験を通して、その大切なノウハウを受け取ってきました。

もし、この記事を読んで心が動いたり「もしかして、私のことかもしれない……」と感じる方がいたらなるべく早めに会いに来てくださいね。

私も、できるだけ長くここでお待ちしていたい気持ちはあるけれど、現実世界での時間はどうしても限られていますからね(笑)。お会いできる日を、心からのんびりとお待ちしています。
光のギフト 大

2026-06-10:愛のエネルギーの供給源

(光のレッスンのご案内記事です。これから少しずつ載せていきます。)

あなたを通して、誰かが癒されるかもしれない。
あるいは、救われるかもしれない。もしくは、幸せになれるかもしれない。

今日は、これを読んでくださっている皆さんへ、祝福の気持ちを込めてこんな言葉を贈りたいと思います。ご自身に対して、少しだけそんな目線を持ってみるのはいかがでしょうか。

誰しもが持っている愛の意識を広げたり、誰かに手を差し伸べようとその意識を高めていく方向を目指すと、見えない世界からの大きなサポートって、やっぱり受け取りやすくなるんですよね。

ただ、その時にすごく難しいことがあります。
いまの社会の常識だと、「誰かから必要とされて初めて手を差し伸べよう」という発想がメインになりがちだと思うんです。でも、本当は誰かに必要とされるかどうかを気にしたり、とらわれたりしてはいけないんですよね。
求められていようがいまいが、「自分は手を差し伸べたい」「誰かを幸せにしてあげたい」というエンジンがかかっているかどうかが大事なんです。

そして本当に難しいのは、そのエンジンをかけたまんまにしておくこと。
人に優しさを自発的に与えようというエンジンは、発電機と同じで、ガソリンが切れたらシュンと止まってしまうんですよね。
じゃあ、エンジンが止まらないように、どうやってエネルギーを供給し続けてあげられるのか。逆に言うと、その「エネルギーの供給源」を見つけることが先決なんです。

なんの見返りも求めていなくても、困っている人を支えたい、寂しい人を癒やしたい、辛い人の辛さを引き受けてあげたい。
十分な準備が整っていれば、「こうしてあげたらいいよ」という導きのようなものはどんどん降りてくるようになります。
でも、愛のエネルギーを与え続ける力を「どこから受け取り続けるのか」という部分が、一番難しいところだと思うんですよね。

これには本当に経験値が必要ですし、理屈ではありません。でも、そういうエネルギーの供給源にしっかりと繋がる仕組みが、本当にあるんです。

もしこういうお話に興味がある方は、私のサロンにいらしていただけると、「本当に可能なんだな」ということが見えてくると思います。
実際、それを実現し始めている人、つまり目覚め始めている人が少しずつ現れてきました。もう、そういう時代に入ったんだと思います。

このブログを読んでくださっている方の中にも、半分目覚めかけていて「なんかいい匂いがするな」と嗅ぎつけている方や、とっくに目覚めているけれど突破口が見つからないという方がいらっしゃるかもしれませんね。

お一人お一人の状況に合わせたサポートの準備は、もうすっかりできています。
ただ、タイミングやきっかけというものは、待っていても来ないですからね。ご自分で「えいやっ」と重い腰を上げていただくのがいいのかなと思います。

少し勇気は必要かもしれませんが、決して怖いことはありません。取って食ったりはしませんので(笑)。
優しくお話を聞いて、何をどうしたらいいか、分かりやすく具体的にお伝えしています。過去の経験値やスキルなんて全く関係ありませんので、興味がある方は、まずはお話だけ聞きに来るという感じで大丈夫ですよ。お待ちしています。

光のレッスンillust20260610

「何もないから大丈夫」は注意報

「何もないから大丈夫」って思い込んでいる状態が、じつは一番あぶないんです。
湿地帯を歩くイメージで考えてみてください。くるぶしくらいの沼なら、体力は奪われながらもなんとか進めます。でも次の一歩で膝まで沈んで、さらに両足が30センチずつ埋まったら——もう自力では抜け出せなくなっちゃうんですよね。
こういう影響って、自分ではなかなか気づけないんです。体調を崩したとか、転んだとか、そういうことなら誰でも気づけるんだけど、魂や運命のレベルで起きていることって、自覚しにくい。
だから、何もない時こそ油断しないでほしいんです。小さな出来事も「これって何かの兆しかも」って受け取る感覚、大事にしてほしいんです。それが良いサインなのか、注意サインなのかって判断が難しいからこそ、確認する場を持ってほしいと思います。

20260606 blog illust 大

宿命をリセットすると人生に歪みが生じる

魂は人生の流れを決めて生まれてきます。これを宿命といいます。
その為、苦しくても壁にぶつかっても「立ち止まらずに前進しつづける」という選択をします。宿命から逃れる方法はないからです。心身が不調をきたしてそれ以上頑張れなくなったとしても、これが本望だと。苦しくても絶望的な状況でも、そこに立ち止まり続ける。第三者からみたら不合理です。理解できないことが多いです。それでも当事者は「こうするしかないから」と思います。そこに命をかけて生きていこうとします。宿命がそうさせるのです。

そんな宿命というものをリセットせざるを得なくなった時、そこにどんな意味があるのかを考えないといけません。

「本来の宿命とはなんだったのか」を考え向き合うことが重要です。

宿命をリセット(たとえば離職、離婚など)することで人生の歪みが生じます。本来の役割から逃げることになるからです。そのような場合、悪影響が親や子の世代に波及します。どちらかといえばまず親の世代に影を落とします。そしてずっと後になって子の世代にも影を落とすことになるでしょう。それを避けるにはひたすら先祖供養が必要です。さもないと普通は運気が下がってしまい、その後は大きな苦労が伴うリスクが高くなるんです。

思い当たる節がある方は是非、心にとめておいてください。

裏方が似合う私

今日は久しぶりに、しっかりとコラムのような文章を書いています。

ブログって、誰が読んでいるか分からないので、当たり障りのないことしか書いていません。

そして、今日も、誰が読むかわからないので、できるだけ平易なことのみ、に限定します。

でも、いつもと違うのは、少しだけですが「多分、あの方やこの方も読んでいるのだろう」と、多くの方の顔を思い浮かべて書いている、ということです。

光のサロンも、あっというまに丸20年が経過しました。
何度でも書きますが、この20年を支えて下さったのは、これまでこのサロンに来てくださった方達、あるいはまだお会いすることは叶わないけれど、遠方にもかかわらず接点を持ってくださった方達。皆さんとのご縁があり、今日ここまでこれました。

本当にありがとうございます。

この言葉は、月並み過ぎて、あまり共鳴しないように思います。

なので、もう一度、気持ちを伝えたいので書きます。

本当に、ありがとう。

そう思っています。(伝わると良いな)

そして、私は今、皆さんのこれからの未来のことを考えています。
ずっと以前から考えていましたが、今日は本当に深く深く、考えています。

本当に、真剣に、皆さんの未来のことを考えているのです。

そして、自分のすべきことをしっかり見極めようとしています。

今、私はこのような気持ちでここにいます。

光のサロンは有限の時間の中で存在しています。
終わるのはいつか、まだ確定はしていませんが、終わりの日が来ることだけ確定です。私はただの人間なので有限の時間の中でしか、皆さんと接触できません。

そして、残り時間は確実に日々、減っています。しかもそれは加速しているように見えるのです。

時間が加速している。

ということを少しでもわかっていただけるなら、伝わっているのなら、どうか皆さんも「今本当にすべきことはなんなのか」ということを、少しだけでもいいですから考えてみてください。

そして、必要でしたら私にアクセスしてください。

私はまだしばらくはここにいます。
その時がくるまで。

私の時には限りがあります。

万感の思いを込めて、今日はこの記事をかいています。

どうか、届くべき人に届くように、そして気づくべき人が気づきますように。

公の場で書けるのはここまで、です。
IMG 6112

失った絆のための祈り

既に旅立ってあの世に暮らす人も、この世を生きる我々も、魂は同じ。同じ周波数で感じ、考え、悩み、学び、そして成長を遂げます。何も変わらない。

ただ肉体という殻を持っているか、いないか。

真の本体(魂)は全く変わらない、同じ器を持っています。

失ってしまった絆、懐かしい人との思い出に浸る事は誰しもある事でしょう。そして、それにとらわれ、苦しむこともあるでしょう。もし、その苦しみから逃れたいのなら、あの世も、この世も、何も変わらないということを理解し、受け入れ、自らのあるべき姿を取り戻す事です。自らのあるべき姿、というのは、私たち魂が目指すべき姿は皆、一つです。そこを目指す、という意識。そして自らの穢れをはらい清めて、そこに少しでも近く努力を始める事です。そうすれば、自ずとあるべき姿に近づきます。

あの世に旅立った人たちも、そのようにして日々精進をしています。この世にいる我々も、同じように精進をしていれば、魂は同じ周波数に近づいていく。うまくいけば、再び「あの人」と、しっかりつながっていることを感じ取れる日もちかづくことでしょう。

私たちは、時にあの世とこの世の橋渡しをします。けれど、いつでもなんどでも、そのお手伝いができるとも限らないのですから。まして、もしかすると私の方が皆さんより寿命が短いかもしれず・・。その後のことを考えると、自分自身で失った絆を取り戻してもらう方がいいのではないかな、と思うのです。

難しいと思うかもしれません。確かに簡単ではないのですが。可能だということを是非、知っておいていただきたいのです。資質は関係ありませんから。目指す事は誰にでもできるし、本来、人は皆、そうあるべきなのですから。何も特別なことをしましょうという呼びかけではありません。

あなたの大切な人を失った悲しみが一日も早く癒えますように祈ります。
https://farm66.static.flickr.com/65535/49835771246_8bf533ef69.jpg

他愛のない寓話>貧乏自慢

とある時、二人の人物が貧乏自慢を始めました。

ー自分は本当にお金に縁がない。いつもお金がない。自分ほどお金に執着がなく、お金を持たないものはない。

ー私もそうだ。私ほどお金に執着がなく、欲しいものも買わずに我慢しているものはない。

ーおお、そうですか。

ーあなたこそ。

ーで、貧乏な人生はどうですか?

ー悪くないですよ。

ー笑

ー笑

この世に似たもの同士はいるものです。貧乏自慢しあえるもの同士の出会いが良い信頼関係と絆を紡ぐのです。その後、大切にしたいご縁となったとのこと。

長月六日:親子は魂でいえば同級生プロジェクトのようなもの

親子の関係性をたくさん拝見してきました。

ほとんどの場合でいえることは、親には親としての学びがあり、子には子としての学びがあるということです。

親との関係性も学びになりますし、子供の関係性からも学べるものがあります。両方ある方はとても忙しい人生になります。そのかわり充実します。

また親子の関係は運命的なものです。避けることができない、変えることが難しいものです。

親は子に厳しかったり、優しかったり、様々な形で愛情を与えます。子供はその愛情によって育ちます。

しかしながら、親子の関係は本当に千差万別。あまり仲良くない関係もたくさんある一方ですごくフレンドリーで和気あいあいとした関係性もあります。

北海道民の場合は、あまりこってりとした関係ではなく、あっさりめの関係が多いですね。このあたりは土地柄ということもいえます。

親子の関係で多くご相談いただくのは、やはり対立、不調和でしょう。
かみあわない、わかりあえない、といった悩みが本当に多いです。そのような場合、問題を解決するコツは、その親子関係で、大事な学びのポイントはどこにあるのかを見極めることなんです。

支えるべきところはしっかり支える、スルーしてよい場合は適当に受け流す、または距離をおいて見守る感じがよい場合もある。

いわばさじ加減です。こってりが最善の場合もあれば、超あっさりでよい場合もあります。適度な加減というものがあるのですが、これを間違えると、とても辛くて苦しい日々が続いてしまいます。

親子は、生まれもった宿命的な関係性です。とても重たいです。でも、ほどよい加減がわかると、メリハリが生まれます。そこから気持ちにゆとりが持てるようになり、穏やかな関係性にシフトしやすくなります。

宿命は変えにくいけれど、向きあい方の加減を知ることで、人生の波をうまく乗り越えられるようになりますよ。

親子の関係をたとえるなら、級友同士で取り組む夏休みの自由研究プロジェクトのようなものともいえるかもしれません。といっても一生続くのですから、現実にはとても長いプロジェクトですね。
https://farm2.staticflickr.com/1919/43471514620_c298363ba0_z.jpg

欲しいものを探求する必要性

欲しいものがない、という人も世の中にはいるのだけれど、だとしても「実現したいこと」がない人は少ないのではないか。そして、その為に必要な「道具」や「人脈」や「出会い」といったものも必要になってくるはず。

なにかと成し遂げる時に「運命」が好転して、よい巡り合わせがやってくるように心がけるとよい。その為には、兆しをいつも感じるようにしてほしいのです。

なにか欲しいものを見つけたら、チェックしておく。比べてみたり、評価を確認したり。売っているところを探してみたり。心にとめておくようにすると、自然にチャンスが巡ってきます。

欲しいと思ったものがうまく手にはいるようになったら、良い巡り合わせがやってくる可能性が高まってきます。

一番、難しいのは「人とのご縁」なのです。運命が変わりますから。その巡り合わせを引き寄せるのは、日々の小さな心がけなのです。

良い巡り合わせを日々、感じられるようにしましょう。
そのために、余計なとらわれをなくして、純粋さを磨いてください。
必要なものを、ただ必要だと思うこと、願うこと、真摯に愚直にそれを求めつづけることです。

そうすれば運命を変える大きな素晴らしい巡り合わせも、いつかきっとおとずれます。
https://farm2.staticflickr.com/1730/28742378978_9cf705bc2a_z.jpg