葉月三日の雑記:それでも日は昇る(久しぶりにちょっとだけHPのメンテナンス)

空き時間に、本当に久しぶりにHPの調整をした。

細かいことですが事務局通信の最新記事がトップ画面に反映されておらず、昨年の11月以来、更新されていないように見えていました。当然、新しい記事に気づいていない方も多かったことでしょう。これは失敗でした。

(お店の店先に営業カレンダーを掲載しているのをよく見かけますが、古いカレンダーのままだと、誰もお客さんが来なくなっちゃいますよね。)

それにも関わらず、予約をいれてださる方には感謝の一言です。

このサロンはいつもこんな感じで情報発信が不十分です。HPも長い年月放置しているのですが、それでも止まらずに動いているのだから、たいしたものです。

このサロンは、気持ちはプレハブ小屋の仮営業のつもりで始めました。すべてが手作り、ゼロから試行錯誤して立ち上げました。いまだに未完成、未成熟なので、それもまた自分には似合っているような気がします。

このままプレハブ小屋で終わりまでいくのか。どうなりますやら。

とはいえHPは少なくともご覧いただいて混乱をきたすような部分は整理していこうと思っています。古い情報も多いですから、それらがはたして皆さんの参考になっているのかいないのかも確認したいところです。でもそんな暇はないから、ずっとこのままかなあ。

こんなHPなので、皆さんもどうか気長におつきあいくださいませ。

結局、本当のところ、何をやっているのか、どんな感じなのか、来ていただいて直に確かめていただくよりありません。

それにしてもこのHP、どこか不具合があるだろうなあ。作った自分でもどうなっているのかよくわからなくなりつつあります。思い出しながら、少しずつメンテナンスします。

(ブログの更新日時表示に、西暦年を追加しました。これは2007年の終わり頃には気付いていて、追加表示しないとわかりにくいぞと気になっていました。やっと改善できました。ふぅ。)

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文月十七日の雑記:未知へ〜は、時が満ちたということかもしれない

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夢のなかで私は音楽の神様にレッスンを受けている。
穏やかで心地よい時間が流れる。
いつまでもここにいたいと思う。

そして目覚めると義務感だけが残っていて、せっかく受けたレッスンの中身を覚えていない。

せっかく大切なことを教わったのに、なぜ私は形にできないのだろう、ちゃんと習った通りに弾けないのだろう。

生きているうちに、神様が納得して下さるような音楽を作ったり演奏したりするようには、きっとならないのだろう。

それならなぜ神様のレッスンを自分は受けているのだろう。自分のこの中途半端な才能に何の意味があるのだろう。

こんな思いから脱却できないまま、人生がどんどん残り少なくなってきてしまった。活動できる体力や気力も年々、限られていく。焦りというよりはもはや諦めの境地。でも何もしないよりは、少しでもできることやれることを見つけては、何だか後片付けのような残務整理のような気分で音楽に取り組んでいる。日々ほんのわずかの時間、鍵盤に向かう。それだけ。

向上するものもなく、新しく生まれてくるものもわずか。

それでも神様のレッスンをふと思い出すことがある。

そしてその向こう側にあったはずの「思い」がかいまみえる気がする。

私は「なにか」しようとして生まれてきたのではなかった。

それはけして有名になるとかグラミー賞を取るというようなことではなかったはず。もっと自分らしい、ある意味、地味で平凡で、それでいてちょっとは自分が誇らしいと思えるような方向だったのではないのかな。

ずっと以前から目の前にあるものが、もはや当たり前になってしまい、それがそこにあることの意味を見失ってしまう。人にはそんなところがある。

あるのに気づかない。持っていることがわからない。自分にしかできないことがある、そのことに気づかない。

私はまだ気づいていないのだろうか。

それとも少しぐらいは気づき始めているか、そこに一歩でも近づけているのだろうか。

いい歳して恥ずかしいという気がするが、もうあとがないからやぶれかぶれでなんでもいいから何かやってみようかという気持ちになっているのかもしれない。

そういえばSoundCloudになんか上げてあったよね・・。と掘り出してみました。

昔はネットに音楽を置いても聞いてもらいようがなかったんだよ。
でも、今はリンクはるだけで誰でもどこからでも聴けるようになったらしい。

もしかして時代が自分に追いついたのかな?

確かに。私はネットが黎明期の頃からそこにいた。でもそこにいても誰も気づいてくれる人はいなかった。自分の音楽が虚しく空回りしているだけだった。

ハッシュタグつけてSNSに投稿したら少しは広がるのかもしれない。インスタ黎明期に実験したときは、何の手応えもなかったんだけどね。確かに今、時は満ちたのかもしれない。

そなえる

心に備えておいてほしいもの

それは人を思いやる気持ち

どんなにこの世界が荒廃したとしても、けして見失っていたくないものだからです。

人を大切に思う気持ちを、みずからの心の中にいつも備えておいてください。

自分をいたわること、自分をねぎらうこと、自分を愛することができればさほど難しいことではありません。

あなたの心は神様からの大切な預かり物。

心の中を、人を思いやる暖かい気持ちで満たすことが

「神様への愛をお供えする」ことになります。

そんなあなたを神様はきっと大切に守ってくださいます。
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 ーみんながきっと幸せになりますように。

文月十日の雑記:サロンのこれから

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夏から秋にかけて。この時期に毎年思い出すのは、サロンを立ち上げた時のこと。自分はいったいどこに向かっていくのだろうか。目的が明確であるようでもあり、まったく暗中模索のようでもあり。意識の中では光に向かって突き進んでいくという明確な信念がありました。一方で現実をみると、足がすくむような思いもありました。未知というのはとても怖いものです。

怖れがあってもなくても現実にはたくさんの試練がやってきます。未知に対する恐れは、ないよりはあったほうがよい、というのが自分なりの教訓です。恐れ知らずというのは無知からくるもの。もっとも、怖いもの知らず(無知)だからこそ無謀なこともできるというもの。もう19年も前のことですが、このサロンを立ち上げたことは振り返ればただただ若かったのだな、と思います。それぐらい怖れ知らずだったようです。

経験や知恵を重ねれば重ねるほど未知に対しての怖れは強くなります。それが人間の厚みなのでしょう。

若い頃にしかできないこともたくさんあります。経験を重ねなければ到達しえない領域もあります。人生にはいろいろな時期、状況があり、歳と共に変化していく。その時々でしか体験できないこと、学べないことがたくさんあります。

今、自分はここまで辿り着いた者として、今の自分だからこそ皆さんにお伝えできることや提供できることがあります。一年前の自分にできなかったけれど、今ならしっかり支えてあげられる。そういうことがずいぶん増えてきました。

特にここ数年の日々の取り組みの中で磨きあげ、結果に結び付けてきたノウハウはかなり優れている気がします。すごく結果が出ている事実をたくさん見るようになりましたから。

今もまた新しい取り組みを開始しています。いずれ皆さんにお伝えしていくことができるようになると思います。

心身の鍛錬も怠らないようにしています。まずは体幹をしっかり整えなければ。呼吸法も基本を見直しているところです。

今の自分の取り組みは数年後に皆さんにお渡しするための種まきです。一方で現在皆さんにお渡ししているものは過去、数十年にわたる自己研鑽の集大成です。いつも最大限で最善の取り組みをお一人お一人にしっかり手渡しをしています。

そのかわり時間がかかります。しっかりお渡しをしたいので致し方ありません。時がくればちゃんとご縁がつながります。その時をお待ちになってください。そして「今がその時だ」と思う方は遠慮なくサロンを訪ねてください。遠方の方はオンラインで繋がる時代ですから。ZOOMでお会いしましょう。

残暑が厳しいようです。体調にはくれぐれもお気をつけください。
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水無月二十五日の雑記:立秋も過ぎましたね

とても空模様が不安定で、なんとなく落ち着かないこの頃です。
それでも、空がそろそろ秋っぽい。

そして、行きたいところに思うように行けない初めてのお盆でもあります。

あらゆることが勝手が違うと、見えないところでたくさんストレスが蓄積します。上手に開放して、心穏やかにすごすように心がけたいものです。

〜お知らせ〜
先ほど事務局通信に初めての方へのご案内を載せました。
来週の二日間、まだ枠が空いています。タイミングが合わずお待ちになっていた方がいらっしゃいましたら、この機会にご利用ください。

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水無月十四日:人の行いについて

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地方にいくと、ちょっとお洒落でオーガニックな野菜を盛り沢山に使った手料理を出してくれるお店があって、わざわざ行ってみたりするのですが。天気の良い休日などは混み合っていて、すごく待たされたり、売り切れてしまったりするものです。

営業時間も短い、冬季はおやすみ。対応は遅い。情報サイトにクレームが書き込まれているのを見かけるものです。
そういったお店の舞台裏はだいたいが家族経営で、毎日、土まみれで野菜を育て、その中から最小限の経費を工面して、なんとかオープンしてギリギリで運営しているのが実情のはず。

出向く方だってそれがわからないはずもない。けれど、人というのは満たされないと文句を言ってしまうものです。厳しい書き込みを見たお店の人たちがどんなに残念な気持ちになるかということを、想像することもできないのでしょう。
そんな行いをただ未熟さといって片付けてよいものか。

他人の下品な行いを批判する資格は私たちにはないのです。
人の行いに残念な面を見出すのは、全て自分の心のうちの現れです。
けして人の行いを見て、蔑(さげす)んではいけません。
蔑むのならば、あなたもまた、自らを蔑むことになるからです。
人を蔑むと、自らの品格をおとしめることにしかなりません。
考えること、思い浮かぶこと、全て品がなくなります。
結果的に、人生を満たすことがら全てが、輝きを失い、魅力的に見えないものばかりになっていくでしょう。
あなたが満たされないのは、あなたの問題。
神はあなたに「空」の器を与えたけれど、その器を「どのようなもの」で満たすのかは、あなた次第です。
自ら、品のないものばかり引き寄せ、自らの器をあふれんばかりにしておいて、なぜ神は私をもっと豊かにしてくれないのか、と嘆くことほど愚かなことはないのです。

水無月七日の雑記:糧にならない失敗はない

大きな失敗や、取り返しのつかないことをしてしまった時。
先行きがみえなくて、前向きな気持ちを持てなくなっている時。

そもそも生きているだけで、いろいろ起きるものなのに、それに加えて面倒なことが増えるばかりのご時世です。

こんな時代をどう乗り越えていけばいいのだろうか。そう思わない日はありません。

何事も糧になる。

宗教でも哲学でもなく、実際のところ、失敗も苦難も必ず糧になります。そうできるような仕組みが用意されています。

そこがわかっていると希望を見失うことはなくなります。

でも、ずっと苦しいままかもしれない閉塞感が募ると、本当に辛く、苦しくなってしまう。そうなる前に手を打つことが大事です。

ここはいさぎよく、白旗をあげましょう。降参してください。

意地も見栄もはらない。今、自分は助けが必要です、自分で自分を保てません、そう周囲に宣言しましょう。

きっと手を差し伸べてくれる人が現れます。

そうやってなんとしてでもこの苦難を乗り越える。その向こうに収穫が待っています。https://live.staticflickr.com/65535/50157090988_5cbd8289fc_z.jpg

皐月十八日の雑記:こんな時は

ぱっとしない天気が続きますね。

九州を中心に今年も災害が起きてしまい、なんともいえない気持ちになっている方の多いのではないでしょうか。

こんな時はできるだけ気分転換をはかって、とらわれないように。そして日々のなすべきことに専念してみる。

明日は必ず来るし、その日できることを精一杯取り組むだけで、それなりに良い明日になる。

足元をみて、できることからとりくみましょう。
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