2024-03-14:春の便り

お元気ですか?

私はいつもあなたのことを想っています。
いまどうしているか
いまへこんでいないか
いま希望を失ってはいないか

そして想うたびごとに、今すぐそこにいてあげられないことが
寂しく、切なく感じます

私はいつもあなたのそばにいたいのです
いつでもささえてあげられたら
いつでも元気をわけあたえられたら
ずっと希望を共に分かち合っていけたら
そう願わない日はないのです

想いはきっと伝わりますよね

私が想うほどに
あなたも私を想っていてくださることを
天に祈っています

もう春がやってきます

わだかまりがすべて溶けていくことでしょう

誰の中にも必ず春が訪れます

新しい希望の芽が芽吹くでしょう

待っています

私はいつでも待っています

その時を

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2024-03-02:誰にも必要とされない生き方

野に咲く無名の花のようであれ

ただあるがままに、咲き続ける

自分が愛されている、満たされている、
守られていることをただ味わい、感じている

思うぞんぶんに花弁を広げている

誰かに必要とされることもない

誰かに応えようと気負うこともない

ただあるがまま、ここで咲き続けるだけ

そんな自分でありたい
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(円山公園に毎年、雪の作品を発表しつづける無名の作家さんへ。いつも楽しませてもらっています、ありがとう。)

2024-02-26:命に宿る力

少しずつ春が近づいてくるのが感じられる今日この頃ですね。
そうはいっても突然の大雪の警戒はまだまだ怠れません。北国の暮らしは本当に春が来るまで気が抜けないもの。

人生も同様にうかうかしていると、思わぬことで足をすくわれるものです。風邪をひいて寝込むことは誰にでもあると思います。後遺症がしばらく尾を引く厄介な風邪もまだまだはびこっているので、本当に気が抜けません。

もっとも気が抜けないからといって、気を張ってばかりいるとかえって緊張でストレスが溜まりますから、うまくリフレッシュする工夫がすごく大事な時代だと思います。

1日1時間、自分を労う時間、気分転換をする時間がとれればおそらく長生きできると思います。
そういえば昔々ですが、1日1時間はT名人のキャッチフレーズだったような気がします。ちなみに私とT名人は同じ会社のほぼ同期なのですよ。誰にでも歴史がありますね。

さて、良い春を迎える準備を整えていきましょう。日々コツコツ積み重ねればきっとしっかりした芽がでますから。命は大切に育てれば必ず芽を出す力を備えています。

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お知らせ〜オンライン講座で光のかけらを毎月たくさんお届けしています

光のサロンでは「風のスコラ」というオンライン講座を開講しています。

サロンに令和4年以降にご来訪された方であれば、どなたでもお申し込み可能です。

令和6年、旧暦新年のお年玉として、1月配信の特別バージョンの動画を無料で試聴していただいてます。ご希望の方は個別にメール、LINEにて「風のスコラ・1月号試聴希望」という文言を入れてメッセージをお送りください。

<風のスコラ〜概要>

毎月、数本の動画を視聴していただきます。配信プラットフォームはYoutubeですので、お手元のスマホ、タブレット、PCなどで視聴可能です。

令和6年に入ってから、4次元の波動が大きく変化しつつあります。それに伴ってこの現実世界も大きく変貌を遂げようとしているかのように、あらゆる出来事が毎日のように起きています。全ての事象をどのように捉えればよいのか、これからの時代をいかに生き抜いていけばよいのか、そしてひとりひとりの本当にありかた、生き方を形にするにはどうすればよいのか。

非常に普遍的な命題を、令和6年以降の今の地球、この日本におけるあり方に現実的に落とし込む様々な「視点の持ちかた、日々の過ごし方、未来の自分らしい生き方」を引き寄せる智恵をお伝えする講座です。

<講座の概要>
●動画配信
・毎月のテーマで講和3本
・オンラインミーティングのダイジェスト
・質問への回答1本
 以上の計5本(のべ4時間以上)を毎月配信しています(変更になる場合あり)

<お申し込み条件>
・過去2年以内(令和4年、5年)に光のサロンにご来訪された方

2024-02-08:師走二十九日の雑記

だいぶ日も長くなり、暦は師走。そして新月目前。やっとひといきついた感じがします。一年がいよいよ始まる(旧暦でいえば)タイミングです。西暦の元旦から慌ただしすぎて時間の感覚も薄くなっていたようです。こんなふうに時代は私たちを容赦なく揺さぶり、どこか遠くへ連れ去ろうとするのでしょう。

これからは一日がどんどん短くなります。一年も早くなります。するとどうなるでしょう。人生は短いと思うようになります。

しかし、私たちがそう思うのなら目上の人たちはさらに強く実感するでしょう。そして若い世代の人たちだって、何かに追われているような感覚が強まっていることでしょう。子供たちだって同じかもしれません。世代に関係なく、時流は私たち皆にとって逆風が強くなりそうです。

いかに生きるか。ひとりひとりが信念を確立する、多少の逆風が吹いても折れない自立心を持っていかねばなりませんね。かといって、それを考えながら生きるのはしんどいし面倒です。なんとかならないものでしょうか。みんな同じように思っていますよね。

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2024-01-01-:霜月二十日の雑記

今日は西暦では元旦です。

私はあくまで旧暦人間なので、まだ年末モードです。そしてお正月をもう少しおめでたい気持ちで迎えられたらいいのにな、というのが正直な感想です。このような時代にお正月にしみじみと幸せをかみしめることができる人は少なくなっているかもしれませんね。

個人的に年末をしっかり感じた出来事といえば、紅白で石川さゆりさんが津軽海峡冬景色を相変わらずの張りのある歌声で披露してくれたことでしょうか。来年の大晦日もきっと津軽海峡だと思います。その翌年も。あと何回、この人の歌声を聞けるのでしょうか。

私は学生時代からずっとジャズばかり聴いていたので、懐かしさを感じる音楽のジャンルが少しずれているのかもしれません。が、石川さゆりさんの歌は心に響きます。いや、津軽海峡というフレーズが響くのかもしれません。

私の祖父母の世代が津軽海峡を渡って北海道に入植したのです。内地(本州のこと)への望郷の想いのようなものが私の中にも流れている気がします。今更、津軽や山形に帰りたいという感傷的な気持ちはないのですが、東北の文化に触れると、深いところでしっかり落ち着ける何かがあるように思います。

お正月は誰にとっても自分のルーツに立ち返るべき大切な日です。是非ずっと昔の先祖たちの故郷のことを思い出してみるのも良い先祖供養になります。それが一年間の始まりの良い縁起となるでしょう。
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(円山公園に現れた竜。あるアーティストさんの作品です。)

2023-12-27:霜月十五日の雑記〜内なる闇を光にかえる

今朝で満月を超えまして、少し緩やかな一日になりました。

今日は内なる闇を光にかえる、というお話です。

人生はいろいろあります。必ずいろいろあります。
幼児でも、若者でも、年長者でも、あらゆる年代、立場、状況それぞれで落ちて、沈んで、立ち直れない程のダメージを受けることがあります。人生とはそもそもそういうものです。

そして最後は命の炎がいつ燃え尽きるかもしれない、という最大の怖れと対峙させられます。
いつ寿命が尽きるかもしれない、という切実な状況の方からもご相談があります。

たとえ明日、力尽きるかもしれないという状況の方であっても私はいかに生き抜くか、ということが何より重要だとお伝えしています。そして、本当に生きていく上で最も大きな気づきは「内なる光」です。

内なる光ってなんだ?ですよね。

私もずっとそう思っていました。もちろん今でも心が闇で覆われる日もあります。毎日かもしれません。それでも私は内なる光を追い求め続けています。そして皆さんにもその話をお伝えします。

諦めかけていても、絶望のどん底にいても、本当のところ人は諦められないものだし、もがき続けるものです。それはなぜか、生きることに執着するというより、生きている意味を求めてやまないのが私たちの本質だからでしょう。

なぜ苦しいのか。その答えは内なる光を探し求めているからだと思います。

でもどうすれば内なる光に気づけるのか。

そのためにはある程度、内なる闇と対峙する必要があるのでしょう。辛いからこそ這い上がれるのでしょう。

辛い時期こそ内なる光に気づくチャンス到来と思います。

私たちはけしてあきらめきれない存在です。しぶといんです。そして最後には闇を超越できるはずです。

まずけしてあきらめきれない自分のしぶとさに気づきましょう。明日はないかもしれないという厳しい状況であっても明日は必ずきます。そしてしぶとく生きていこうとしているはずです。

闇があれば光はあります。
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光はあなたの内にある

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光はあなたの内にある

私はこの言葉に出会って以来、そんなことがあるんだろうか?自分の内っていったいどこ?誰の話?そう思ってきました。

私は人生で常に探し求めているものは光です。神様とはいいません。もっとシンプルで純粋で普遍的な何かです。それをいつも追い求めています。私は宗教家ではないので信心を持っていません。信仰も持っていません。ただ真理を追い求めていたいだけの人間だと思います。

生きる意味、自分が存在する意味、人間が存在する意味、そんなこと考えてもわかるはずがないけれど少しでも理解したい、そして少しでも光に近づきたい。本当にただただそれだけの思いで生きているといっても過言ではありません。

こんな時代になってすごく思うことがあるので、今日は改めて私がこのサロンを作った経緯とここまでの流れ、そして今後について本当に簡単にまとめておこうと思います。

光のサロンは2001年の12月にスタートしました。12月は私にとってこのサロンを稼働させた月でもあり一年の節目に当たります。ちょうど丸22年間、突っ走ってきたことになります。当時を思えば22年後の今が信じられません。全く先が見えず、何がどうなるのかもわからずただがむしゃらに突っ走ってきました。22年前はスピリチュアルな世界はほぼ認知されていなかったし、サロンを立ち上げて継続させていくことは現実的にはどう考えても不可能でした。私はほんの数年で終わるかもしれないと覚悟をしていました。それまで必死に働いて得た貯蓄を全て使い果たす頃が潮時だろうと。資金が底をついたら仕方がない。それまではとにかく突き進んでみようと思いました。

私は手本にしているものがなく、人のサポート、アドバイスをほぼ受け取らず(耳を貸さずとも言いますが)ただただ自分が思うままにサロンを立ち上げてしまったんです。何ができるって、ちょっとだけ音楽が作れたりヒーリングをちょっとばかり学んだり。現実的にメニューにできることといえばその2つぐらいでした。

時間がどんどん過ぎていく、毎月ずっと赤字が続く中でなぜあきらめなかったのか、なぜやめなかったのか。それはひとえに光を求めていたからです。そして私にはたった一つの光明らしきものが見えていました。それは赦し、という言葉でいえるものです。

この向こうに赦しがある。

私とっての光とは、言い換えるならまず赦しということになります。私は自分が地獄から這い上がってきた魂だと自覚があります。闇に落ちたことがある、という霊的な自覚です。それが大きな罪悪感を常に生み出していました。私はこの世界にいてはいけない、存在してはならない、人目に触れてはならない、そんな罪悪感です。そして孤独でした。あまりに孤独の闇が深過ぎました。それでも私は信仰を頼ることができませんでした。遠い昔、まだまだ若い頃、友人から連絡がありました。今日は私の大切な日だから是非⚪︎⚪︎教会にきてほしいと。一体なんだろうと出向いてみるとその日が友人の洗礼式でした。それなりに親しいと思って友人だったのですが、そこに至る経緯を知らされることもなく、ただ洗礼という儀式を目の当たりにして少々驚き、そして一人取り残された気持ちになり寂しく帰ってきました。信仰の一体何がそんなにいいんだろう?と解せない気持ちが湧いてきて、私は聖書というものを初めて手に入れて読んでみました。が、ほぼ読めないままでした。私の心に響くものではなかったんです。その聖書を手に入れてから50年ぐらい経ちます。聖書ってどうして紙質が悪くならないんでしょうね。今でも新品のように紙が真っ白でしなやかなんですよ。ちょっと不思議です(あと500年ぐらいは持ちそうな気がします)。

数週間前、その聖書を久々に手に取ってみました。あるページを少しだけめくって、ああ、もういいんだなと思い閉じました。私はもう聖書を開くことはないと思いました。

私はもう62歳になってしまいました。もう若くありません。がむしゃらに突っ走るということもできません。ただただこのサロンを守り抜いて22年間、守衛さんのようにずっとここにいます。私はこのサロンの主役でもなんでもありません。

サロンに来られた方は気づいている方もいるかもしれません。サロンを借りた時、内装工事を自分でやり壁を塗り終えた時に最初に取り付けたものがキリストの絵でした。あれ?と思うでしょうね。私は信仰は持っていません。キリストを信じてはいません。が、私ほど赦しを必要としている魂もいません。そしてその赦しを与えてくれる象徴はいうまでもなくキリストです。

私は教会に通ったことはないし家族にクリスチャンはいません。私の生い立ちの中には信仰も教会も存在しませんでした。霊的な感性が強い家系ではあっても、キリスト教とは全く無縁の家系です。でも私のなかにどうしてもキリストという存在に向かっていく心があるのです。そしてそれは非常に霊的なところから由来するものです。

今となってはなぜ私の魂が闇の底から這い上がってきたのか、経緯も知っていて客観的に理解もできています。が22年前はまだ何もわかっていませんでした。

私はある時「内なる光」ということについて考えました。

そしてそれは「確かにある」と確信しました。それはどうして確信したかというと。私のセッションを通して罪深い意識を背負っていた方が肩の荷を下ろしていかれるからです。人を傷つけた、裏切った、家族に負い目がある、自分が嫌い、などなどたくさんの心の中の闇を私は引き受けてきました。そしてみなさん、その闇をサロンに置いていきます。来るときと帰る時では表情が全く違います。本当に別人のように明るい表情になって帰っていかれるのです。それは光のなせる業です。私の力ではありません。

罪深い心を抱えた人がサロンにいらっしゃる。私はただただ話をきくだけです。そして思いつくことを淡々とお話をします。経験から学び、分析できることも増えましたので人の人生で起きる様々な苦悩、葛藤の背景がみなわかるようになりました。なぜ苦しいのか、どうすればいいのか。その本当のところを私は紐解いて導くことができるようになりました。そうこうしているうちに相談者さんの闇は消えてなくなってしまうのです。それは光の業です。赦しが起きるのです。

私は毎日のように相談者さんの闇が消えていく様を目の当たりしています。同時に私の中の罪が赦されていくのです。私の罪はまだまだ赦され続けていくのでしょう。いつ終わるともしれません。

あなたが光を受け取りに来るから、私も共に光に導かれていくことができます。

私に取ってはあなたが光であり赦しです。

あなたも私も、間違いなくそれぞれの中に内なる光を宿しています。これが私が知っている真実です。これからもこのサロンでのご縁を通して皆さんの内なる光を共に体現していきます。

読んでくださってありがとう。私がここにいる間に是非、会いにきてください。まだ見ぬあなたへ
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2023-12-05:平常心について

これからは平常心、つまり心を安定させブレを最小限に保つことが本当に大事になってきます。
自分のことをどんなに気をつけていても、身近なところで誰かがブレるとその影響を受けます。
その対処方法を学びどんなに修練を積んでいたとしても、やはりブレることがあります。
平常心を保つとは「いついかなる時でもブレない」力を鍛え、磨き、高めることではありません。
そのような考え方、価値観そのものがブレるのです。

平常心を保つことはこれからは本当に難しくなります。
難しいということをまず理解し、受け入れる。昨日よりも今日、さらに明日には更にブレやすくなります。そういう時代なのだということです。

私たちは日々試され続けていく。そんな時代なんです。

上手に対処していくにはしっかりした知恵が必要になります。毎月、たくさんの知恵と具体的な対処方法をシェアし続けています。これからも続けていきます。この時代が続く限り、私の命続く限り。

サロン主催(つまり私が一人で作っている)のオンラインセミナーでは毎月、数本の動画を見ていただき、LINEでの皆さんとのやりとりも毎月反映しています。年代や職業を問わずどなたにとってもわかりやすく、理解しやすいシンプルで普遍性の高い内容を心がけています。そんな私の講座が「風のスコラ」です。これからの時代を上手にブレなく対処するための時流を読み風に乗るための魂の処世術指南です。ご参加お待ちしてます。

2023年12月現在、風のスコラ聴講生コース受付再開しました。こちらの案内をご覧ください。