夏はもう終わりのはずが、どうしてこんなに暑いのでしょうか。
さて、けして暑さのせいではないのですが仕事がとても遅れています。いろいろな仕事が滞っていて、HPの更新やスケジュール調整にとりかかる時間がまったくとれない状況です。諸々のこと、いましばらくお待ちください。
9月7日はビジネス懇親会開催です。こちらについては幹事の皆さんのおかげで準備も順調です。ありがたいです。
夏はもう終わりのはずが、どうしてこんなに暑いのでしょうか。
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人間関係のご相談などをお伺いしていると、
つまりところ私たちの守護霊さん達は、
ゆるしてあげなさい、ということを導いてくださる。
高次元からの視点でものをみれば、すべてに納得せざるをえない事由があり、
背景をひもといていけば、仕方がない、どうしようもない、
なるべくしてそうなっているのだ、という因果がみえてくる。
幾重にもおりかさなった因果のなせる業なのだから、
お互いにあゆみよれない、わかりあえないとしても、
誰のせいでもなく、誰を責めることもできないことがわかってくるのです。
知恵を得ることで、心が真実に歩みよれ、結果的に
相手をゆるしてあげることができる。
ゆるすことができれば、魂はその因縁を手放し、
次の段階にすすめるのです。
私が自分らしい生き方をつらぬく為に、
残された時間を最大限、多くの人の為に
いかにすれば活かせるのかを考え、決断し、
行動するほかありません。
選択肢はほとんどなく、ただ為すべきことをする。
それだけです。
ただ、迷いがたったひとつあるとすれば。
このような人生を自分は本当に願ったのだろうか。
この一点につきるのです。
ツィッターは新しい文化だ。フォローしている人のつぶやきを自由にリツィートできる。リツィートは本のなかで「引用」することに相当するだろうか。そういうものだ、とわかればなんてことはないが、慣れるまではなんとも落ち着かない気分だったし、いまだに単なるリツィートはあまりしないほうだ。
いったいなにがひっかかるのだろうか。ひょっとしたら、違法コピーのことがひっかかるのかもしれない。あるニュースをみて気づいた。
作品を見たというファンからのメールに苦言を呈しているアニメ作家がいた。なぜか。海外の違法サイトで見たことを悪びれずに報告してくるファンがかなりあるらしい。なかには友人からコピーを借りた、という人もあるとか。どうやら違法なことをしているという概念がないらしい。
著作物には権利があり、ルールをやぶると著作権法違反となり検挙されることもある。ただし、それも国内に関して、だ。海外の違法サイトについてはどうしようもない。音楽、アニメ、写真、小説・・・あらゆる創作物に違法コピーがはびこっている。
知人のミュージシャンも「友人からコピーをもらって聴きました!」と感想メールが来ることがある、と嘆いていたっけ。聴いてくれること、感想を送ってくれることの有り難み、一方でそれでは自分たちは食っていけないのだ、という切実さ。なかなかめんと向かってファンに対して苦言を呈することは難しいものだが、このアニメ作家は堂々とアピールしていた。
ツイッターのリツィートは、引用という意味が明確だから問題ないのだ。もし、コピペしてつぶやいたら明らかに著作権に違反するだろう。だが140文字で違法だという証明はむずかしいかもしれない。音楽も、ときどき盗作問題が起きるが4小節以上同じ部分があると違法とされる、などという曖昧な基準がささやかれている。少し前に有名な作曲家が盗作で訴えられて敗訴するという出来事があった。それなども、全体的によく似ているが、すっかり真似て作ったかどうか、といえば微妙ではあった。ただ、構成や流れがやはりそっくりで、偶然ここまで似てしまうことがあるか、といえば音楽を作るはしくれとしては、「偶然とは言いがたい」と感じたものだ。
とにかく、人の創りだしたものは著作者の権利が大切に守られているのだから、最大の尊敬をはらう必要がある。安易に引用したり、流用などしてはいけないのだ。どうしてもそうする必要がある時は「しかるべきルールを守るべし」である。
特に私たちは作品であれ、ブログのコンテンツであれ、すべてが飯の種なのだ。ルールを守っていただけないと、とても厳しい。
※自分も実際、CDを友人に貸してもらって聴きました、とお客さんに言われたことがある。さすがに苦言をいうことはできなかった…。
日々をかさねるごとに、魂はなんらかの形で成長していくものです。時に遠回りもあり、疲れることもあるけれど、時の流れには誰もさからえない。不生不滅(生きることにも、死ぬことにもとらわれない)とはいうものの、とらわれていくのが人生というものです。
ブレスレットを作らせていただく機会が少なくありません。石は変化したりしない。かわるのは生きている私たちのほうです。時間がたつごとに、次第に石と波長があわなくなってくることもある。石も疲れるので、あまり疲労がたまるとブレスレットそのものが壊れてしまうことさえ起きうるものです。
時を経て戻ってきたブレスレット。時折り、おや?と思うことがあるのです。それは、「もうこの石はいらない、別の石が必要だ」とブレスレットが訴えてくる。幾つか石をいれかえてみると、今現在のその人の姿とぴったり一致する。要らなくなった石、あたらしく必要になった石。それぞれを見比べてみると、魂がどれぐらい成長したのかが一目でわかります。
お布施を定額にするサービスがある。特定の檀家さんをもたない僧侶を、紹介サイトや某大手の販売店が顧客サービスで定額で紹介をしているのだが、意見が2つに割れているという。
定額に反対派は「決められたお布施をはらっても弔いにならない」というし、定額サービスを行っている側は、「お布施の多寡で弔いの軽重はない」という。
仏教は真理を説く知恵の教えでもある。お布施の多寡が弔いの結果にどういう影響を与えるのか、仏教らしい真理を説いて欲しいものだ。
特定の本山に所属せず、特定の檀家ももたない僧侶は増えている。宗派にとらわれない法要を願う個人も増えている。需要と供給のバランスから考えれば、お布施がどうであるかよりも、自由な形式の弔いがもっと増えていくのは間違いない。お寺に行きたくない人もいるだろうし、相性のいいお坊さんを求めている人もいるはずだ。自由でいいのではないか。特定の宗派や団体のいいなりになる必要はないだろう。
さすがにツイッターでお経をつぶやいてくれるお坊さんはまだみかけないが、もしもいたらありがたいと思う。無色声香味触法・・・
自分にとって、いや、日本男子ならば誰しもが宿敵とみなしているに違いない。そして、誰しもがかなわない存在・・・それはGACKTさんだ。さんづけする時点で負けなのだが。
男子からみても美しいよね。野菜しか食べないんだってさ。しかも一日一食。水は毎日4l。毎日、筋トレも欠かさない。宿敵とは思っているが、勝負しようとは思わないんだよね。
少し前までこの人は本当に目があおいんだ。と思っていた世間知らずなわたくし。
#なにをどう考えようと人生は自由ですから。きっと続かないシリーズ・・・
札幌市は庁舎の9千本の蛍光管をLEDに交換したらしい。節電の為、ということなのだろう。だが、せっかくのLED型蛍光管、目には悪かったというお粗末な結果になった模様。担当者はおそらく実際の製品を試してみることなく、価格だけで購入を決めてしまったのだろう。LEDは一定方向にしか電流を流さない半導体なので、電子回路を組み込んであるのが普通だろう。回路に問題があれば、光が点滅してみえる可能性もある。昔の蛍光灯も、よくちらついていたが最近は性能がよくなってまったくちらつかない。
さて、せっかくの節電も粗悪品をつかまされた結果、かえって出費がかさむようでは本末転倒。新しい技術はもう少し安定してから導入すべきかもしれない。あるいは故障が発生するリスクもよく考えておく必要がありそうだ。
少しずつ普及してきた太陽光発電も、初期のものは故障が発生したり発電効率が落ちてくることもあるらしい。安くて壊れにくい太陽光、LED照明、電気自動車…化石燃料はあと40年といわれているのだから、多少のリスクはあってももっと普及が加速していく必要がありそうだ。LED電球のひとつやふたつ、ホームセンターでみかけたら試してみる。先進国の国民の義務だと思うが…
某所からアンケートの依頼があった。
縁のある方面からだったので、回答してあげようと思い立ち、時間を割いて設問をながめてみた。以前、HPに不備があったことが思い出されたので回答しようと思ったが、それに関する設問がない。やむを得ずにその他に記入しようと思ったが、なんだかばかばかしくなった。自分達のITスキルが不十分なのではないかなどと考えもしないのだろうと思ったからだ。少しでも危機感があればそういう設問を用意するだろうし、それ以前にHPが改善されていなければおかしい。
お骨をコンピュータ管理するお寺が破産するような時代だ。ITスキルを伸ばしたところでなんの保証もないが、時代の流れが急激に加速していることだけは間違いない。どうやったらその流れにのれるのか、考えている時点でもうアウトだろう。
あなたのそばに、ヘルプを求めている人がいる。
あなたがその気になれば、その人を援助し、人生の流れを素晴らしい方向に転換するチャレンジのきっかけを与えられる。
あなたにはその力や能力がすでに備わっている。
あと、あなたに必要なものがなんなのか。
それがいったい「誰で」「自分が具体的になにをすればいいのか」という気付きを受け取るだけなのだとすれば、なぜその気付きを受け取りにこないのですか?
(ブログの記事にご質問はなさらないでください。メールでの質問にはお答えしておりません。)