神宮の桜は、少し開花していました。
月: 2020年4月
失った絆のための祈り
既に旅立ってあの世に暮らす人も、この世を生きる我々も、魂は同じ。同じ周波数で感じ、考え、悩み、学び、そして成長を遂げます。何も変わらない。
ただ肉体という殻を持っているか、いないか。
真の本体(魂)は全く変わらない、同じ器を持っています。
失ってしまった絆、懐かしい人との思い出に浸る事は誰しもある事でしょう。そして、それにとらわれ、苦しむこともあるでしょう。もし、その苦しみから逃れたいのなら、あの世も、この世も、何も変わらないということを理解し、受け入れ、自らのあるべき姿を取り戻す事です。自らのあるべき姿、というのは、私たち魂が目指すべき姿は皆、一つです。そこを目指す、という意識。そして自らの穢れをはらい清めて、そこに少しでも近く努力を始める事です。そうすれば、自ずとあるべき姿に近づきます。
あの世に旅立った人たちも、そのようにして日々精進をしています。この世にいる我々も、同じように精進をしていれば、魂は同じ周波数に近づいていく。うまくいけば、再び「あの人」と、しっかりつながっていることを感じ取れる日もちかづくことでしょう。
私たちは、時にあの世とこの世の橋渡しをします。けれど、いつでもなんどでも、そのお手伝いができるとも限らないのですから。まして、もしかすると私の方が皆さんより寿命が短いかもしれず・・。その後のことを考えると、自分自身で失った絆を取り戻してもらう方がいいのではないかな、と思うのです。
難しいと思うかもしれません。確かに簡単ではないのですが。可能だということを是非、知っておいていただきたいのです。資質は関係ありませんから。目指す事は誰にでもできるし、本来、人は皆、そうあるべきなのですから。何も特別なことをしましょうという呼びかけではありません。
卯月一日の雑記:この春は手のひら日光浴で
もう気の早い桜が開花したようです。
それなのに雪がちらついたりしていますね。
新月も迎えたところなので、気持ちを切り替えて、といきたいところです。
だいぶ日が高くなってきました。
ですが、残念ながら外出がしにくい状況です。
そんな時におすすめは、「手のひら日光浴」です。
とっても簡単で。両手をひろげて、日光にあてるだけです。
室内でも、歩きながらでもできます。
その時のちょっとしたコツ。
手のひらの中心がじわじわっと温まるのを感じます。
それがお腹に伝わってくるのをイメージするんです。
交感神経にとてもよい感じですよ。
是非、お試しください!
ストレス発散、免疫力活性に、日光浴はとても大切です。
小さな工夫も積み重ねていけばそれなりの結果につながります。
弥生二十四日の雑記:こんな時だから
しっかり春は来ている、のだけれど気持ちがそこにない。
とても落ち着かない毎日です。
そんな時だけれど。
そんな時だからこそ、というお話。
これからどのようにして生きていくべきなのか。
根本の部分でもやもやしている自分がいる。
光のサロンには、人生の根幹の部分で悩んだり、葛藤したり、あるいは漠然とした違和感、焦燥感、コンプレックス、自己嫌悪、罪悪感を抱えている方からのご相談がとてもおおいです。
とても落ち着かない、生きづらい時代になってしまいました。
だからこそ、よりシンプルにぶれない生き方を見つけたいものです。
その為の、しっかりしたお手伝いをしています。
根本になにがあるのかを掘り下げる。
そして、どうやって乗り越えればよいか、具体的な対策をお伝えする。
あとは結果がでるまで見守る。
それが私の仕事です。
サロンは光と風でひらかれている
弥生二十一日の雑記:雲を消す
春になると、先達と修行と称した山菜採りにいったことを思い出します。
先生はやまほどタケノコを採ってくる。もはや仙人としか思えなような早業だったなあと懐かしむことがあります。
あれからもう長い歳月が過ぎましたが、いまだ先達の残した宿題で解けない難問がありました。
それは「雲を消す」ことでした。
タケノコの下処理をしながら不意に
「あの雲、消せるか?」と。
もちろん「いや、そんなこと、できません(それにやり方、教わってませんけど)」と即答。
当時の自分は雲を消すという発想そのものが驚きだったし、まして、消してみろと言われることも驚き。
ただ、なんでもお見通しの人だったので、意味のないことは言わない。
師はおそらく私ならできるはず、と思ったのでしょう。
しかしながら、不肖なあなたの弟子は、いまだに習得できずにいました。
が、先日、不意にわかったのです。雲を消す方法が。
25年もかかってしまいましたが。
あらためて空の上の恩師に感謝しました。
雲を消すこつは、心のあり方にあるのです。
この世界にあるものは、すべて意味があって存在しています。
意味あるものを消そうとしてはいけない。
あるがまま、なすがまま、の境地に至った時、
おのずと闇は消え、雲は晴れ、そこに広大無限の光が満ちた世界があります。
私は雲を消すことにとらわれていました。
が、今は、消すのではなく、
いずれ消えるのだ、ということがわかります。
そういう心の目で世界をみますと、
泥(カオス)のなかに光が見えてくるのです。
雲(闇)は消えるのを待つ。それだけでよいのです。
(あなたはこんな日がくるのをとっくにご存知だったのでしょうね。と、心のなかで呼びかけてみるのでした。)
光の羽
私が空をとべるなら、
いますぐあなたのそばにいき、その悩める心の闇を解き放ってあげられるのに
私が風になれるのなら
あなたの願いをききとどけて、神々に伝えてあげられるのに
神様は私に天使の羽を与えてはくださらなかった
私が神様から授かったもの
それはあなたを思う心ひとつ
私にはあなたの苦しみがわかる
私一人を犠牲にすることが許されるなら、
あなたの闇をすべて引き受けてあげられるのに
いまの私はたくさんの人の為に生きなければならない
けれど、私は今こそ、光の羽がほしい
その羽をまとい、あなたのもとに、いますぐかけつけ、こう伝えたい
大丈夫
わたしが守るから
あなたのことも、あなたの大切な人たちも、必ず守りとおすから
どうか安心して日々を過ごしなさい
明日は必ずやってくる
そして、青空があなたの上にどこまでも広がる未来は必ずある
だからあきらめず、へこたれず、今日を生きていこう
今を生き抜けば、明日が一日、近づいてくる
素晴らしい未来はあるのだから
だから希望をけして見失わずに生きていこう
わたしがずっとそばにいるから
あなたは大丈夫