そなえる

心に備えておいてほしいもの

それは人を思いやる気持ち

どんなにこの世界が荒廃したとしても、けして見失っていたくないものだからです。

人を大切に思う気持ちを、みずからの心の中にいつも備えておいてください。

自分をいたわること、自分をねぎらうこと、自分を愛することができればさほど難しいことではありません。

あなたの心は神様からの大切な預かり物。

心の中を、人を思いやる暖かい気持ちで満たすことが

「神様への愛をお供えする」ことになります。

そんなあなたを神様はきっと大切に守ってくださいます。
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 ーみんながきっと幸せになりますように。

文月十日の雑記:サロンのこれから

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夏から秋にかけて。この時期に毎年思い出すのは、サロンを立ち上げた時のこと。自分はいったいどこに向かっていくのだろうか。目的が明確であるようでもあり、まったく暗中模索のようでもあり。意識の中では光に向かって突き進んでいくという明確な信念がありました。一方で現実をみると、足がすくむような思いもありました。未知というのはとても怖いものです。

怖れがあってもなくても現実にはたくさんの試練がやってきます。未知に対する恐れは、ないよりはあったほうがよい、というのが自分なりの教訓です。恐れ知らずというのは無知からくるもの。もっとも、怖いもの知らず(無知)だからこそ無謀なこともできるというもの。もう19年も前のことですが、このサロンを立ち上げたことは振り返ればただただ若かったのだな、と思います。それぐらい怖れ知らずだったようです。

経験や知恵を重ねれば重ねるほど未知に対しての怖れは強くなります。それが人間の厚みなのでしょう。

若い頃にしかできないこともたくさんあります。経験を重ねなければ到達しえない領域もあります。人生にはいろいろな時期、状況があり、歳と共に変化していく。その時々でしか体験できないこと、学べないことがたくさんあります。

今、自分はここまで辿り着いた者として、今の自分だからこそ皆さんにお伝えできることや提供できることがあります。一年前の自分にできなかったけれど、今ならしっかり支えてあげられる。そういうことがずいぶん増えてきました。

特にここ数年の日々の取り組みの中で磨きあげ、結果に結び付けてきたノウハウはかなり優れている気がします。すごく結果が出ている事実をたくさん見るようになりましたから。

今もまた新しい取り組みを開始しています。いずれ皆さんにお伝えしていくことができるようになると思います。

心身の鍛錬も怠らないようにしています。まずは体幹をしっかり整えなければ。呼吸法も基本を見直しているところです。

今の自分の取り組みは数年後に皆さんにお渡しするための種まきです。一方で現在皆さんにお渡ししているものは過去、数十年にわたる自己研鑽の集大成です。いつも最大限で最善の取り組みをお一人お一人にしっかり手渡しをしています。

そのかわり時間がかかります。しっかりお渡しをしたいので致し方ありません。時がくればちゃんとご縁がつながります。その時をお待ちになってください。そして「今がその時だ」と思う方は遠慮なくサロンを訪ねてください。遠方の方はオンラインで繋がる時代ですから。ZOOMでお会いしましょう。

残暑が厳しいようです。体調にはくれぐれもお気をつけください。
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水無月二十五日の雑記:立秋も過ぎましたね

とても空模様が不安定で、なんとなく落ち着かないこの頃です。
それでも、空がそろそろ秋っぽい。

そして、行きたいところに思うように行けない初めてのお盆でもあります。

あらゆることが勝手が違うと、見えないところでたくさんストレスが蓄積します。上手に開放して、心穏やかにすごすように心がけたいものです。

〜お知らせ〜
先ほど事務局通信に初めての方へのご案内を載せました。
来週の二日間、まだ枠が空いています。タイミングが合わずお待ちになっていた方がいらっしゃいましたら、この機会にご利用ください。

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水無月十四日:人の行いについて

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地方にいくと、ちょっとお洒落でオーガニックな野菜を盛り沢山に使った手料理を出してくれるお店があって、わざわざ行ってみたりするのですが。天気の良い休日などは混み合っていて、すごく待たされたり、売り切れてしまったりするものです。

営業時間も短い、冬季はおやすみ。対応は遅い。情報サイトにクレームが書き込まれているのを見かけるものです。
そういったお店の舞台裏はだいたいが家族経営で、毎日、土まみれで野菜を育て、その中から最小限の経費を工面して、なんとかオープンしてギリギリで運営しているのが実情のはず。

出向く方だってそれがわからないはずもない。けれど、人というのは満たされないと文句を言ってしまうものです。厳しい書き込みを見たお店の人たちがどんなに残念な気持ちになるかということを、想像することもできないのでしょう。
そんな行いをただ未熟さといって片付けてよいものか。

他人の下品な行いを批判する資格は私たちにはないのです。
人の行いに残念な面を見出すのは、全て自分の心のうちの現れです。
けして人の行いを見て、蔑(さげす)んではいけません。
蔑むのならば、あなたもまた、自らを蔑むことになるからです。
人を蔑むと、自らの品格をおとしめることにしかなりません。
考えること、思い浮かぶこと、全て品がなくなります。
結果的に、人生を満たすことがら全てが、輝きを失い、魅力的に見えないものばかりになっていくでしょう。
あなたが満たされないのは、あなたの問題。
神はあなたに「空」の器を与えたけれど、その器を「どのようなもの」で満たすのかは、あなた次第です。
自ら、品のないものばかり引き寄せ、自らの器をあふれんばかりにしておいて、なぜ神は私をもっと豊かにしてくれないのか、と嘆くことほど愚かなことはないのです。