葉月四日の雑記:看取り

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お彼岸ですが天気が不安定で外出がしにくいですね。
この頃、身近なところで訃報があいつぎ、看取りということをよく考えます。もともと、看取るということが現在の役目の原体験となっているわけですから、世の中で一番、看取ることに関して至近距離にいる側だと思います。だからこそご相談をお受けすることも多いわけです。そして、やはりこのころ看取りについてのご依頼は増えていますし、より内容がすごく多様化してきていると感じます。

命あるものはいづれ死を迎えるわけですから、順番に看取りもやってきます。家族の形態も変化している現代、看取りの形式も多様化しています、同時にスピリチュアルな気づきや学びの場面として、看取りはものすごく大きな意味を持ちます。

そもそも自分自身も祖母を看取ったことが発端となり、親族の看取りの中で自分が霊的に他の人と明らかに違うということを自覚せざるを得なくなりました。

けれど、単に感じる、見える、ということだけでは人様の看取りに関わり、お手伝いをすることはできません。人間的に強くならなければならず、そのために苦労することもたくさんありました。が、なんとか今日ここまでやってこれた、そしてこれからまだまだお手伝いをさせていただく機会もあるだろうから、看取りということを自分の役目の柱にしていこうと思います。

家族が一人、この世からいなくなる。今までの日常がガラリと変わる。その変化を皆、初めて体験するのですから乗り越えるのは本当に大変です。家族の死をどう受け入れるか、そして自分の残された時間をどう過ごしていくべきか。一つ一つ紐解いていくことから始めます。そうすることで、混乱から解き放たれます。悔いや罪悪感を手放すことができます。

事情は皆違いますから、しっかりそれぞれの喪失感と向き合うところから。毎回、一から真剣に向き合います。一般論は一つもなく、アドバイスの内容もそれぞれ全く異なるお話をさせていただいています。

旅立つ魂も安らかに過ごしていただけるように。これからも生きていくご遺族もしっかりと前進していけるように。そんなお手伝いを心がけています。

近年はペットを亡くされた方のご相談も多いです。大切な家族であることは人間と変わりありません。

文月十九日:再び冥福を祈ったこと

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午前中に訃報が届いた。
私が演奏活動を開始しようとした時、一番の理解者であり支援者であると同時に、同じステージにも立ってくださった恩人であるYさんが旅立たれた。お元気なうちにもう一度お会いできると良かったのに、長くご無沙汰しているうちに遂に機会に恵まれなかった。残念で悲しくて、しばらく空を仰いで祈っていました。

共演したステージが蘇ってその時に弾いた音楽が心の中に聞こえてきました。Yさんがあの時と同じようにパフォーマンスを見せてくださった気がします。気づいたら光輝く存在に変わっていました。もう帰るべきところに戻られた気がします。

Yさんが光輝く姿を感じていたら、長らくお会いできなかった悔いや、お世話になったことへの感謝の気持ちを十分にお伝えしきれなかった無念さが癒され、心がすっと楽になりました。音楽を奏でる力を今でもこうして届けてくださっている。いつまでもこの方には感謝です。ありがたいご縁だと思います。

こうして多くの方の力に支えられて今日ここまで歩んでこれたのだということを、ひしひしと実感させられます。

この世界での絆が失われても、魂の絆は永遠不滅。そこには無限の安らぎがあります。
けれどこの世界では、失われた絆は二度と取り返せず、不安や絶望を生み出します。有限であることが苦難を作り出しています。
天上界には永遠不滅の光があるけれど、そこに至る道はとても遠いのかもしれません。少しでも近づくため、一瞬でもその光にふれる機会を作るため、私は今この時代に生を受けたのだと思っています。

みなさんにお届けできるものがある限り、続けていきます。光の道を歩んでいきます。

天の世界からの祝福がいつも皆さんに届けられますように。

(ありがとうございました、Yさん。また共演しましょう。)

文月十五日:恩人の為に冥福を祈ったこと

数日前、急に誰かの冥福を祈りたくなって読経していました。こういうことが日常茶飯事なのですが今回は特別でした。翌日、新聞のお悔やみ欄で、若い頃とてもお世話になった方の訃報を発見してしまいました。とても律儀な方だったので、わざわざご挨拶に来ていただいたのかもしれません。何にもお返しができなかったことが悔やまれます。甘えさせていただいたし、胸を貸していただいた方だった。闘病されていたことすら知らなかった。まだお若かったのに、とても残念です。

人の命は尊い。そして重い。
ありがたいご縁であればあるほど今生でもうお会いできないことを受け入れるまで年月がかかるもの。

でもね、私たちは何かを失うから、そこから大きな学びを受け取れるんです。
そして命は必ず天にお返しをしなければいけないもの。いつかその日がくる。誰もその宿命から逃れられない。

お互いに一生は一つだけ。一つと一つのご縁も一つだけ。みんな、たった一つのかけがえのないご縁で結ばれています。結ばれることもありがたく、絆が失われることもまた尊いのです。

失われた絆に感謝して、どんなにありがたいご縁だったかをしっかり受け止めることができたら、天国での再会もきっと嬉しくありがたいものになるでしょう。

さて、わが命ある限り一つ一つのご縁をありがたくいただき続けることにいたします。
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