今は飛べない鳥でも、いつか大空を飛翔できる

世の中は日進月歩なので、知識や情報を常にアップデートしておくのはとても重要です。特に最先端を担う立場の人は、皆同様に自分をいつも新しい状態にしておくことに、相当の時間や労力を割いていることと思います。

今日は古い友人が日夜研鑽を積んで努力している様子をYoutubeで見かけて、大いに励まされました。

三次元世界は時間が限られていて、使える体力もエネルギーもしれています。すべきことを見極めて、しっかり取捨選択を繰り返していく必要があります。

今日とても重要なことだと思える事でも、明日以降その確信を捨てる勇気を持つことが最も大事な心構えなのではないかと感じるこの頃です。このポイントについて少しお伝えしようと思います。

私たちの人生はほぼ全てが「カルマ」で満ちています。カルマという人生の宿題が山のようにあるのです。ないと思っている人でもあります。時流がどんどんシフトしていて、地球の波動が急激に上がっている今、かつてカルマが軽いといわれていた人たちですら相対的に波動が下がっています。

そして、そもそもカルマがどの程度あるのかは、私たちはわからないし気付けないようになっています。

ただでさえぼんやりしているとちっともカルマが減らないまま人生が終わってしまいやすいものなのに、何もしないでいるとますます波動が下がる(カルマがさらに重くなる)時代になってしまいました。

だから、これからは道標が必要なのです。

こういう体験は誰にでもある事でしょう。
私たちには、心の中で何かに対してイラついたり、腹が立ったりする時は「自分のすべきことがあるのに、邪魔されている」という感覚があるのです。

ところが自分がなぜイラついたり、腹を立ててるのかとじっと内観をしてみると、答えが見えなくなることがあります。後で考えれば、つまらないことにとらわれていたことがわかるのです。が、なぜかどうしてもとらわれてしまうことが多いものです。

これはどうしようもないことなんです。私たちには些細なこと、どうでもいいことに、とらわれる癖があります。どうしようもない悪癖です。結局、自分で自分のことがよくわかっていないのです。

ならば、自分のことが「わかる」状態とはなんでしょうか。

時間がどんどん過ぎ去ることが怖くない、悠然としていられる状態でしょう。
腹が立つことがあっても、そんな自分を笑い飛ばせる状態ともいえるでしょう。
また、自分のことがわからないことを当然だと受け入れて、しなやかな心持ちでいられることではないでしょうか。

この世の摂理に逆らっても無駄です。自分の背負っている宿題について、わからないようにできているのだから、もがいたりしない。これがカルマと向き合う時のコツともいえます。

さて、今日は朝令暮改はすべきなのだ、というお話ですから、そこにもっとフォーカスしてみます。

政治家がこんなことをしては困りますが。私たちは自分のあり方については、朝令暮改をどんどんすべきです。今日の自分をそのまま明日に持っていくのは、あまり賢いとは言えない時代になりました。

自分を日々、改めることを良しとしましょう。
これまでと一貫性がない今日の自分を許しましょう。
明日はどうなるかわからない不安定な状態を受け入れましょう。
そして定まらない自分のあり方を、決して人に対して「恥ずかしい」などと思わないようにすることです。

「人にどう思われようと気にしない、とらわれない」という考え方がすごく重要だと思います。

誰かに笑われている、誰かにダメだしをされている、この感覚は誰にでもあります(これこそがカルマがもたらす悪癖です)。この感覚にとらわないように心をしっかり保ってください。そうすれば朝令暮改がマイルールになっていくことでしょう。

日々、心の持ちようが変化していくことは、すなわち脱皮をすることに繋がります。精神的な脱皮は、発想やひらめきが増え、新しい感性をもたらします。新しい未来につながるのです。

どうか、それぞれの中に新しい光が降り注ぐことを許してください。天窓を大きく開く時がきました。開けるのはあなたなのです。神様はとうの昔からあなたの天窓に光を降り注いでいるのですから。それを大きく開けられるかどうかは、あなた次第なのです。

<補足>
ここでは考え方の基本の部分をお話しています。
概念的で具体的な指針とはいえません。
ただ何かみなさんの中に響くものがあれば、心にとどめておかれるといいと思います。

光ふり注ぐ天窓がひらけば、自由に羽ばたくイメージが湧きやすくなるでしょう。今は飛べない鳥でもいつか大空を飛翔できる時がくることでしょう。

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私たちは皆、飛べない鳥

10月は1ヶ月かけてサロンの開設準備をした思い出深い月です。床材をはって塗ったりテーブルを作ったりしているうちに、秋が深まり気づいたら冬になっていましたっけ。

何かに打ち込んで没頭している時は、時間の流れが変わります。そしてその後の人生の流れもまた変わります。

多くの人が感じていることだと思いますが、過去の3年間あっという間でした。そしてその感覚を引きずったままでこれからの年末までの70日間が過ぎていってしまいそうな気がしているでしょう。

何もしなければ、またしても今年は過ぎ去ってしまいます。そして長い冬がきて春が来‥。その繰り返しです。

このまま一年が終わってしまうんだなという漠然とした虚無感のようなものが誰の中にもあります。もし何かを変えたければ少し工夫と努力が必要です。

是非、このブログをご覧の方におすすめしたいこと、取り組んでみてほしいことがありますので、以下しっかりお読みになってください。

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私は過去21年間、このようなお節介ごとを書いたことがありません。以下のようなことをずっと思っていましたが誰にも話したことはありませんでした。このことを明確に表現することをずっと避けてきました。というより、時が来るのを待っていた、というのが本当のところです。

限られた人生の時間を大事にする方法があります。

それは「自らの魂が成長する鍵」を手にすることです。「鍵」は一つの扉に対して一つしかありません。多くの人が人生の扉を開くための鍵を持たずに生きています。(なぜそうなのかはまた別の機会にお話しするとして。)

鍵を持たなければ成長の糧につながる方法や手段が明確にならず、ずっと試行錯誤が続きます。

ところが「鍵」が手に入れば人生の成長の糧になる方法、手段を入手できるのですからスピーディに成長を遂げることが可能になってきます。

ではどうすれば「鍵」は手に入るのでしょうか。

そのためには、皆さんの中に「答え」を受け取る余白のスペースが必要になります。心の中に「まだ知らない未知の情報」をキャッチしそれを定着させるための余白をつくりましょう。

そのためには最低でも以下のような取り組みが必要です。

おすすめは白い紙に「人生の有意義が時間」を列挙して書き綴ってみることです。できるだけまっさらな紙がいいでしょう。メモの切れっ端などではなく、汎用のノートなどでもなく。ただの白い紙がベストです。
30分もあれば書けると思います。

そして書いているうちに、自分の人生がなんともお粗末な感じや、とても物足りない感じがしてくることでしょう。今までの人生で自分が有意義だったと感じる瞬間がどれほどあったのか、たった一枚の紙に書き切れてしまうのですから。

何十年も生きてきて、たった紙一枚に収まるなんて。

でも、誰しもそんなものです。

これからの地球の時間はますます短く短縮されていきます。地球全体の波動がシフトしはじめていて、今まで解決されないで放置されていたあらゆる問題が次々に浮上してくるからです。環境問題だけはなく、政治や経済もそうですし、個々の精神性においてもさまざまなネガティブな側面が揺さぶられ、洗い出され、うみ出しを迫られるようになります。これを避ける術はありません。

さて「有意義な時間」がこじんまりと紙一枚に収まったら。あとはその余白を見つめてください。じっと見つめる必要はありません。紙を見たら、心に印象づけておきましょう。そして、紙の余白にどんな体験を書き連ねていきたいのかをじっと考えるのです。(考えるといっても、ここは自由に空想するという感じです。)

すぐ思い浮かぶこともあるでしょうし、雑念に流されることも多いでしょう。あるいは虚しく時間が過ぎていくことのほうが多いはずです。

でも2ヶ月ほどこれを続けることで、きっと気づきがあるはずです。
(最低でも2ヶ月間これを実践することをおすすめします。ちょっとした瞑想的な時間になります。入浴時にぼんやり考えみるのもいいです。心の中の紙の余白を思い浮かべるだけですから、難しくはないはずです。)

こういった時間を持つように習慣づけることで、自分はどうしたいのか、何を成し遂げたいのか。そのためには「何が足りないのか」。そのことと向き合う心構えがきっとできていることでしょう。

それでもまだきっと「鍵」は手に入っていません。だとしても「自分に足りないもの」がある、という気づきがものすごく重要なのですが、多くの人がここに意識が向いていません。

私たちは異なる次元から地上という三次元世界に転生してきた存在です。本来の自分の本質と切り離され、自らの本当の姿を見失っています。さらに言えば守護霊や神様と分断され、孤立している状態です。そして日常の生活に流されて人生を送っています。魂がはっきりと目覚めている人はほとんどいません(生まれる前のこと、生まれてきた意味、生きているうちに絶対に達成したいこと、これらを常に明確にイメージできている人は稀でしょう)。

これまでの地球の時間は穏やかに淡々と流れていました。個々が歪められ押し潰されるような出来事が少なかったからです。自分を見つめる時間もありましたし、自然に気づきが得られる機会がそれなりに用意されていました。

しかしながら地球の環境は大きく変わってしまいました。皆、現実に押しつぶされようになり、その抑圧から魂が目覚めることが非常に困難になりつつあります。このままでは本当の自分の姿を取り戻すどころか、ますます見失ってしまい、大切な鍵を受け取ることから遠ざかってしまいます。

ここまで書き記したように「自分に足りないもの」をしっかりと見つめ、考え、そして答えを知ろうとする意欲を高めることで、魂の目覚めにつながります。このような意識を明確に持った瞬間、皆さんの中にある「霊性の進化をつかさどる扉」が開き始めるからです。

魂が目覚め、人生における光の扉が開く時期は、これまで個々に運命的に定められていましたので、このような情報を発信する必要がありませんでした。

しかし、いよいよ地球は大きな大転換機を迎え、個々の運命のタイミングに関わらず、2022年の秋以降、誰にとっても魂が目覚めることが重要な取り組みとなりました。

飛べないはずの鳥であっても、霊性を進化させる鍵を得ることができれば自由に羽ばたけます。

個々の状況に関係なく、これまでの経験値に関係なく、全ての人が目覚めることが可能な地球の時代に入りました。

これからこのような情報を求める人が増えていくことでしょう。この時期、このタイミングでこのブログに記すことにとても大きな意味があります。

私のブログをご覧の方は、以前から読んでいた方、今日たまたま目にした方、さまざまだと思います。しかしこれまでの経緯に関係なく、今、これを目にしたということは今日があなたの中の秘密の扉を開く、その始まりの日になります。

今日はこのへんにしておきます。また次の記事でお目にかかれますように。

この続きの記事を書くときは似たようなタイトルをつけますのですぐわかると思います。(おそらく「鳥」というキーワードが入るでしょう。)

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2022-10-19の雑記:深まる秋

日々めまぐるしく色づきが加速する森の様子を見ていると、心がすごく揺さぶられているような気がします。

葉が色づいていく様子を視覚で見て、影響を受けているのもあるでしょうが、もっと自然の影響をダイレクトに受ける感受性が、私たちの体の中にあるような気がします。

それは、備えるとか、準備するとか、そういった本能のようなものではないかという気がします。

この秋はすごく栗が食べたくなり、日々なんらかの栗関連をいただいています。こんなこともなかった気がするのです。

それだけ体が備えようとしているのかもしれません。

それにしても、いったい何に、何のために、本能はざわめているのだろう。

しかし、その答えが分かった時には遅いということになってしまいます。何かできることは今のうちにやっておくべきなのでしょう。

早めの衣替え、断捨離、終活といったあたりでしょう。

私たちはどうやら物を所有し過ぎた気がします。

<お知らせ>
ピアノライブはまだ若干、空席がありますが準備の関係もありますので、間も無く受付終了となります。まだお申し込みでない方は早めにどうぞ。
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2022-10-17の雑記:私の音楽はどこからくるのだろう

創造性はとても素敵なものです。

自由に思うがままに、内なる精神性が指先を通して外に生まれてくる。生み出したものは、そのまま現実世界に波紋を広げていく。

ある人はそれを芸術というかもしれない。センスがいいとか、面白いなんてコメントがつくかもしれない。

けれど、生み出す者は「ただ生まれ出てくるもの」をあるがままに見つめているだけではないだろうか。

人から良く思われようとか、コンテストで入賞しようと計算するのは不自然な気がする。

あるがままの自然体で、それでいてなぜか内側から生まれてきてしまったものたち。

それらに自分が愛情を持てようと持てまいと、生まれてきたものは気配を放ちます。見た人、感じた人の心や精神に響いていきます。

結果はどうあれ、生み出したものは「一人あるき」させたほうがいいのではないだろうか。

自分も演奏家の端っこにぽつんと居る者として、自分の音楽を聴きたい人なんているのかな?こんな下手な演奏で満足する人なんているのかな?今でも、こんなふうに思うことがあるけれどキリがないので考えないことにしました。

何かを生み出してしまう人は必ず「傷」があると思うのです。痛みともいえるかもしれません。

心が感じてきた痛むもの、疼くものがたくさんあります。それらを味わうことは辛く苦しいものだった。今でも日々、痛みを覚えます。それらが糧になってエネルギーとして生まれ出ようとしているのだな、と思います。

痛みをそのまま表すのではなく、光に還す、希望という別なエッセンスをまとった波動に変換することができれば本望。

多分、それもまた私のミッションなのではないかと思うのです。

演奏は拙いんだけれど、魂が奏でるのでしょうね。ちなみに全て即興演奏です。音楽的には一切の準備がありません。譜面も書きませんし(そもそも楽譜を見ながらピアノを弾くほど器用ではないし)、リズムも調性も事前に決めたりしません。IMG 3760

2022-10-14の雑記:流されない杭

今日はそれでも少し落ち着いた秋模様。観光客が少し戻ってきましたね。

しかしながら、心はどこか落ちつかない。理由もよくわからない。

そんな時流なんですね。

もう安らぐ、ということがすっかり難しくなってしまいました。けれど時は容赦なく過ぎていきます。日常を地に足つけて暮らしていかねばならない私たちにとって、心が穏やかでないものをどうにかする余裕が失われつつあるかもしれません。

現実は心がどうあるかで変化します。

ということは現実が荒れてしまったら、もう心が調和を失っているサインですし、もっといえば「少し以前からそうだった」ものが、少しずつ現実化しているともいえます。

一旦、不安定な流れが現実化してしまうと、そう簡単には元に戻りにくくなりますので、それでもなお心を穏やかに過ごそうとすると、本当に難しい。

なんという時代なんだろうと思います。

少しでも、わずかでも、皆さんの心が穏やかに過ごせるような支えになるのが私の使命なので、できるだけのことをするのみです。

どんなに厳しい状況でも、不安という濁流に流されないように、小さな杭を打つことはできます。打てる杭があれば。ほんの一時、安らぐこともできるかもしれません。風除けがあれば。

私が皆さんの杭になり、風除けになりましょう。

今月末、開催のピアノライブもひとつの小さな杭になります。まだお席がありますので必要な方にお渡しできると思います。

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2022-10-04の雑記:ピアノライブのこと

日毎に秋が深まっている時期なのですが、天候が不安定でなんとも落ち着かない日々です。知らず知らずのうちに疲れが蓄積して、うまくいくはずのことがうまくいかないことが増えます。

何事も思うようにならないのが人生ではありますが、全ての人類にこれまでの人生訓や経験則が当てはまらない未知の時代に突入しています。

どうか日々余裕を持って焦らずにお過ごしください、と言ってみたところで何の励ましにもならない状況です。

あまりにも不安だったり、こう着状態だったり、いろいろなことが多すぎる時代です。少しでもお力になれればと思い、このようなイベントを計画しました。

私の霊力を持ってしっかり皆さんをお守りさせていただきます。

今回のイベントには命をかけております。

ピアノライブの詳細はトップページからのリンクでご確認ください。

ピンとくるかとは思いますが、このイベントにはお祓い、厄払い、のような意味があります。ただ、相当なエネルギーの変化が起きることが多いので、念の為注意を書き添えてあります。繰り返しますが、どうか無理をして参加されることのないようにだけご留意ください。

定員までまだ余裕があります。

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