2022-10-17の雑記:私の音楽はどこからくるのだろう
創造性はとても素敵なものです。
自由に思うがままに、内なる精神性が指先を通して外に生まれてくる。生み出したものは、そのまま現実世界に波紋を広げていく。
ある人はそれを芸術というかもしれない。センスがいいとか、面白いなんてコメントがつくかもしれない。
けれど、生み出す者は「ただ生まれ出てくるもの」をあるがままに見つめているだけではないだろうか。
人から良く思われようとか、コンテストで入賞しようと計算するのは不自然な気がする。
あるがままの自然体で、それでいてなぜか内側から生まれてきてしまったものたち。
それらに自分が愛情を持てようと持てまいと、生まれてきたものは気配を放ちます。見た人、感じた人の心や精神に響いていきます。
結果はどうあれ、生み出したものは「一人あるき」させたほうがいいのではないだろうか。
自分も演奏家の端っこにぽつんと居る者として、自分の音楽を聴きたい人なんているのかな?こんな下手な演奏で満足する人なんているのかな?今でも、こんなふうに思うことがあるけれどキリがないので考えないことにしました。
何かを生み出してしまう人は必ず「傷」があると思うのです。痛みともいえるかもしれません。
心が感じてきた痛むもの、疼くものがたくさんあります。それらを味わうことは辛く苦しいものだった。今でも日々、痛みを覚えます。それらが糧になってエネルギーとして生まれ出ようとしているのだな、と思います。
痛みをそのまま表すのではなく、光に還す、希望という別なエッセンスをまとった波動に変換することができれば本望。
多分、それもまた私のミッションなのではないかと思うのです。
演奏は拙いんだけれど、魂が奏でるのでしょうね。ちなみに全て即興演奏です。音楽的には一切の準備がありません。譜面も書きませんし(そもそも楽譜を見ながらピアノを弾くほど器用ではないし)、リズムも調性も事前に決めたりしません。