今日の徒然

この頃、パワー不足である。自分ではなく、パソコンの話し。仕事をもっと効率よく進めるには日々リセットが必要だが簡単にスリープさせられるのでついそのまま翌日も使うことになる。が、人間の神経と同じくパソコンも完全にシャットダウンしてから再起動しなければ、様々な記憶が積み重ねられていきメモリーが圧迫され、動きが緩慢になったかと思えばシステムが破綻し、あり得ないミスをする。人間の精神とよくにている。うまく調整して使っていても、人間がいらついていると簡単にフリーズしたりもする。精密な電子回路が動いているので、なにかの拍子にシールドが弱くなって精神波動にふりまわされてトラブルが起きるのだろう。

パソコンがそうであるように、人間の精神もしっかりシャットダウンして再起動することが大切だ。この世を忘れ、別な時空に旅たつ。そんな時間を大切にしたほうがいいのだろう。

この頃、どうしてもこうも人はわかりあえないものなのか、と痛感する。お互いを必要としあっていて、求めあっていて、引きつけあっていながら、なぜか傷つけ合ってしまう。
傷つけあうのは、恐れがあるからだろう。恐れを宿した時、心はイバラのようにすさんでいく。すさんだ心は人の心を傷つける。ではなぜ私たちは恐れるのか。それは終わりを恐れているからではないか。失うこと。得られなくなること。満たされなくなること。断ち切られること。そこに苦悩を感じるから恐れる。苦しみを望む者はいない。苦しまないことを必ず望んでいる。渇望しているといっていい。だが現実にはそれは無駄なあがきである。私たちは必ずすべてを断ち切られ、失う宿命だからである。だからこそ、恐れるし、とらわれる。そこに苦悩が生まれる。そして執着がはじまる。今あるものを守ろうとするし、そこでなんとか満たされていると思いこもうとする。それ以上、望まないように工夫をする。小さく呼吸をして細く、そしてできるだけ長く生き延びようとする。それすらもかなわず、またしても煩悩の渦にとらわれ、おぼれ、あえぎ、もがき、最後は神仏をすがる。

なぜ私たちは失う宿命なのか。この問いに答えはない。なぜなら、私たちはなにも得ておらず、なにも失わないから。それなのに私たちは恐れている。最初から得ていないものを失わないように、執着をし、とらわれている。

この命題を理解し、うけいれていくことは容易ではないかもしれない。でもすべての魂はそこを目指している。だから道を求め、精進していくより他はない。大地と調和して存在しているほんのわずかな種族をのぞいては…。私たちは皆、学びの過程にあり、その学びは「真理」に到達するまで終わることはないだろう。

小さなつぶやき。

昨年あたりから、不動産の鑑定が本格的にはじまり、法人からの相談も増加。財運鑑定などは風水の応用なので、これはリアルに結果がでます。同時に潜在的に運勢鑑定の能力をもった人も現れてきたのでトレーニングの方法を体系化していきたい。方位が鑑定できるようになれば土地とそこに住み、活動する人の運気が読めるようになる。財運や健康もさることながら恋愛や家庭運もダイナミックに向上させる可能性が飛躍的に高まる。

これまではスピリチュアルな分野にかなり比重を割いていたが、ここ数年は不妊治療で悩む人達の相談依頼があいつぎ、たくさんの子宝を授かることができた。これからは財運などの運気アップの分野で結果をどんどんだして、リアルでダイナミックな運勢鑑定の技法を確立させて、トレーニングメニューに加えていくのが目標です。

新しいことに取り組むと、なにかができなくなる。でもこれまでのご依頼をお断りするのではなく、信頼できるネットワークをつくって行き場のない人を許容することなく、応援していただいた皆さんの便宜をパーフェクトに図りつつ、私自身は更に新しい分野を開拓していく。そんなマニフェストをしっかりと携えて2010年、ますますの飛躍の1年に絶対にしてやるぞ。

と、心のなかで小さくつぶやいた2010年、最初の新月でした。

懺悔すること。

許すことがどんなに大切なことかを考えた日でした。裁くなかれ、とはよく言われることです。そんなつもりがなくても結果的に裁いてしまっていることはあるかもしれない。人は人を裁いてはいけない、というのは霊的な世界では完全な法があり秩序があり、私たちのエゴを手放してすべて委ねていくだけで、罪は裁かれ業は因果応報として背負わされるからです。

でも許しがたいと思うこと、感じることは日々あります。エゴといえばエゴなのかもしれません。でもエゴのない人間は存在しませんから、私たちはどこかで知らず知らずのうちに、結局は裁いてしまうのでしょう。それは多かれ少なかれ罪になります。そんな自分を許せるかどうか、罪深き自分を天の光にむかって懺悔できるのかどうか。心のうちでそれぞれが行うべきことではありますが、今日はおおいにそのことを考えてしまいました。そして自分がどんな業火に焼かれるかもしれない、ということを覚悟もしました。