去年、今年にかけて原子力についてずいぶん、学ばされました。原発のリスクをすべての人が我が事として考えたと思います。そして、仕方のないことですが電気料金は値上がりする方向がみえてきた。消費税も上がる。切実ですね。
お金のことで不安になる。これは人間だから仕方のないこと。でも、子供はお金がないということで不安にならない。なぜって、お金の意味を理解していないからです。でも、お金があればとても便利であることを学びます。好きなものを買える、ということを。コンビニで100円玉ひとつで好きな駄菓子がいつくか買える。それが買えなくなるのは嫌だから、お金がないのは困ると思います。誰でも、その人のなかでお金を通して享受してきたメリットがあるので、それが奪われるかもしれない、減ってしまうかもしれない、と思うと嫌な気持ちになります。
でも、お金を通して受け取っていた、例えば娯楽、快楽といったようなものは普遍性はありません。一時的なものだし、いくらあっても足りるということはない。また、娯楽商品、サービスというのは次々に変化し、私たちをとらえて離さない。でも、それは誰かがそれらを創りだしているからです。
私もかつて「ゲーム」というものを作っていました。面白いもの、ひと目をひくもの、プレイして楽しいもの、子供のお小遣いにしては高額な買い物だけれど、それを上回る「良い買い物をした」と思わせるような、ありとあらゆる工夫をもりこんで商品開発をしたものです。世の中には残念ながら粗悪な商品もあります。一方で、ものすごく内容の濃い、洗練された商品もあります。お金の価値に換算したら、何十倍も中身の濃さが違う。いわゆるピンキリ、という感じでした。ひとつのタイトルは少なくとも十万本の単位で売れました。とにかく発売さえすればいい、という考え方のメーカーもあったのでしょう。ゲーム機が出始めた頃、インターネットも普及してませんでしたから、雑誌である程度の情報を得た子どもたちは、クリスマスやお正月に、おもちゃ屋の店頭で発売された新しいゲームをあまり内容を確認せずに買っていたようにみえました。完全に作る側の都合で商品が提供されていた時代です。
おそらく、今でも世の中の娯楽というのは提供する側から創りだされ、非常に一方的な流れになっている。利用者の意見が反映されるということはまずない世界です。そして、そこには膨大なお金が動いている。
どうも、私たちは娯楽というものに支配されている面も多々あるように思います。インテリア、ファッション、生活用品、そのすべてに支配されている要素があるのではないでしょうか。通販カタログは、購買欲をそそるようにつくられている。なぜ、同じ機能性のフリースを毎年買い換える必要があるのか?理解しがたい。でも、ニューカラー、ニューデザインのものを着てみたくなる。それが人間らしさかな。
私は20年前に買ったフリースをまだ着ています。当時はまだフリースという言葉が存在しておらず、そんな素材があることも誰も知らなかった。すごく暖かい新素材のウェアがアメリカで出まわっているというのをアウトドア雑誌で知りました。冬山に登る人たちが使いはじめたんですね。さっそく個人輸入して取り寄せました。高価でしたがとても品質がよくて今でも着られます。多分一生着られるんじゃないかな…。しっかり作れば、モノは一生使える。そういうモノがある一方で、大量に消費されていく商品のなんと多いことか。リサイクルされないもののほうがはるかに多いでしょう。その為に、消費しているエネルギーのほとんどを私たちの国は原子力で作っていたのですね。
この世の中のあらゆる経済の仕組みが私たちが本能的に持っている「欲」を高め、追求し、そこでお金が循環するようにコントロールされているように思えて仕方がありません。
でも、一人一人が意識を変える。いいものを、大切に長く使っていく。そういう価値観を大切にすることで、地球との共存が可能になっていくのではないでしょうか。資源は有限です。使い果たしてしまったらどうするんでしょう。そういう心配は多いにしたほうがよいと思うけれど、電気料金や消費税が上がることへの不安や怖れというのは本当はどうでもいいことなのだと思います。いったい、自分の人生において、本当に追求すべきもの、大切にすべきもの、守るべきものはなんなのか。各自が答えをしっかりと見つけ、携え、そして次世代に伝えていくようにしたいものです。