大切な方を亡くされた皆様へ

大切なご親族を亡くされた皆様へ

人の命は必ず滅び土に還ります。
命は自然に還りますが霊魂は再び永遠の姿となりあるべき世界へと昇天します。

しかしながら大切な絆が奪われた心の痛みは簡単に癒えません。
私たちは、皆様がお互いに思いを残すことなく、再び、天と地それぞれのあるべき世界で前へ進んでいけるよう最善のお手伝いをさせていただいています。

何か心残りがあったのではないか。
何か言いたかったことがあったのではないか。
もっと何かしてあげらたのではないか。

ご遺族のお気持ちに長年の努力で磨いてきたアンテナを駆使してお応えできます。

四十九日過ぎを目安に、お気持ちを整理しにお運びください。

どうしても早めにという強いご希望があればこの限りではありませんが、できるだけ四十九日を過ぎてからご来訪されることをおすすめしています。

また、何年経過していてもお亡くなりになられた当日前後の思いを紐解くことも可能です。ご命日、お盆などの節目にどうぞお運びください。

追記:ご親族がご病気等で、言葉のやり取りが難しい状態になった場合でも同様にお手伝いが可能です。
image

ふと風が吹いた時が吉日

閏月(うるう)って、なんとなく得した気がしますが、のんびりしているとあっというまに今年も後半、あと半分。のんびりしたいけれど、そうも言っていられない。人生は決して長くはないのだ。

さて、カウンセリングを受けるべきタイミング、というのは特に決まりはないのですが。
「なんとなく」を大事にしてください。

そんな気がする、ふと思い立つ。

そういう時はとても深いセッションになるのです。

私という媒体を通してあなたの魂が輝く導きが降りてきます。

ご活用ください。
image

親には親の、子には子の葛藤がある

春休みで実家に帰省中の大学生が親御さんに連れられてご来訪になられた。親元を離れて一人暮らしをはじめるうちに、少しずつ人生について深く考えるようになったのだという。そして漠然とした不安にもかられると。

その子にはこれからの20年がどんな人生になるかを説明し、なぜそういう流れが用意されていたのか、なにを心がければよいのかを説明してあげた。その子にとっての人生の調和とはなにかをできるだけ具体的な例を取り上げたり、注意すべき項目を箇条書きにしたりして1時間しっかりレクチャーしてあげられたと思う。おそらくもうこの子は少なくともこれからの10年はぶれることなく生きていけるだろう。そこから先、また迷ったりすることがあれば…その時はまだ再会することになるのかもしれない。あるいは就活の時期にまた連絡があるかもしれない。

帰り際、親御さんともちょっと立ち話をした。いろいろご不安もあったようだけれど、なんの心配もないということを強調しておいたので、だいぶ安心していただけたのではないだろうか。

親は親で子を心配し続けるものだ。そして子は子でそんな親の気持ちをどう受け止めていいのか迷うもの。いずれわかることではあるけれど、わかってしまえば楽になれることもあるから。そこをお伝えできた時はよかったと思う。
R0013632

20年分も未来を透視してどうなの?はずれたりしないの?とご心配くださる方もいらっしゃるかもしれないけれど。こういう情報をお伝えすることについて私のなかにはなんの不安も怖れもない。だってこの力は私のものではなく、神様の愛だから。みんな愛されている。ただそれだけのことだから。お伝えできてよかったと心から思うし、ご相談者の未来が充実するように、共に見守っていきたいと思う。ただそれだけです。

癒えるには時がある

IMG 7661
長くヒーリングとカウンセリングを行っていて、最近では過去数十年にも渡る心の抑圧を解放するような取り組みができるようになってきました。そこに至るには、長い時間のカウンセリングのみならず、レイキの技法を用いながら独自のアプローチでヒーリングを行い、ご本人にも自主的にいろいろな取組みをしてもらうことで、最終的には自然に癒えていきます。

心は目にみえないものですが、感覚を磨いてくると手にとるようにわかるようになります。が、癒しには段階がありますのでけして急かすことはできない。だから、一律これこれこういう技法で何回のヒーリング(あるいはカウンセリング)で、過去のトラウマは確実に治りますよ、という言い方はけしてできません。その人の内面から自然に解放が起きていくものなので、その時々のタイミングにあわせた最適な取り組み方を提供していくだけです。

こういう自分の仕事をふと「樹医」さんのようだな、と感じることがあります。弱った樹木の土壌や環境を変えたりしながら自然に回復するのを何年もかけて待つように、人の人生には大きな流れがあり、そこから枝葉末節に細かく分岐していきます。でも大局を見ていないと、癒える力をうまく引き出すことができないことでしょう。

これまでたくさんの癒しの技法を垣間見たり学んでみたりしてきました。がいずれも断片的なもので、大局的にその人のあり方を根っこから治癒させる方向付けをもったセラピーに出会ったことがありません。おそらく、ひとつの技術だけでは無理なのでしょう。幾つものアプローチと技術とを駆使しながら、あとはタイミングを見計らってヒーリングを行ったりしていくと良い結果が自ずと導きだされます。

タイミングは宇宙との共鳴もありますので暦を星の運行の影響も考えながら読み取るようにしています。そうしていくなかで、人生では起こるべくして様々な出来事があるのですが、それらひとつひとつの答えを導きだしながら、過去の癒しにも取り組んでいく。

人生は過去からの流れが未来につながっていきます。未来をより上向いた方向にシフトさせたい場合は、過去からの悪影響を正すことも必要なんです。でも、人生には運命的に定められたイベント(出来事)も用意されているので、それを変えることはできない。けれど最善の準備をすることはできます。なにが起きるとしても最善であれば、きっと良い結果がでると思います。過去をリセットできれば、かなり人生の流れは上向いていくと思います。

私達は、日々多くの試練に向き合わざるを得ません。試練のない人生はないことでしょう。でも、向き合うべき試練と、向き合っても無意味なものもあります。過去の影響が、よく無駄な試練を引き寄せることがあるので、余計な枝葉は切り落としてしまったほうがよい。それだけでも前に進む速度が加速したりするものです。

皆さんに最善の癒しがもたらされますように、私なりに積み上げた技術と経験をすべて活かしてお手伝いさせていただければと願っています。

看取りに際して

IMG 7629
「看取り」を通して受け取れる糧はすごく大きいと思います。人の命は重いですから。人生を終える時、魂は数十年の人生の決算をむかえます。地上を離脱する本人にとっても、大きな節目であることは間違いないのですが、看取る側にとっても大切な時です。

私はふりかえってみると、あの世にかえった魂との関わりは多数あったし、看取りに関わる機会も人よりは多いほうだったような気がします。そして、今では看取りに関連する様々なご相談をお受けするようになりました。もとより、あの世に帰った魂との交信役としてカウンセリングの世界に足を踏み入れたわけです。でも、実際に蓋をあけてみると、ご相談者は、看取りを終えた方よりも、これから看取るという方や、まさに看取りの最中の人達が多いのです。命の炎が燃え尽きた後は新しい時が流れ始めるのですが、看取りの間というのは時間の流れが止まります。どうしてこうなってしまったのかという悔いや、受け止めきれない感情があふれ、自分を保つことが難しくなるものです。

いままで看取りに関連するご相談のなかで、多くの「昏睡状態」にある患者さんの魂と交信をさせていただきました。まだ肉体は呼吸をしているのだけれど、ほとんど意識がない、脳波も振れていないという状態の方とでもコンタクトはできます。肉体から離脱しているわけではないのだけれど、かといって体を通して意思を表示することはない状態であっても、魂はその状況のなかでなにかを感じたり考えたりしていることもあります。そんな状況でご親族ができることはすごく限られていますが、横たわっている人が「本当はどういう状態なのか」がわかると、心の整理もつきやすいようで、今できることはなんだろうか、と考えられるようになります。

私たちは生きていれば必ず近しい人達を順番に看取っていかなければなりません。そんな節目に迷った際には、どうぞご相談にいらしてください。

人の限界をみないこと。

人は誰しも絶望するものです。なぜかわからないけれど、誰にでも絶望感というのはあるのではないでしょうか。

私もよく絶望します。
ああ、もうダメだな、とか。これが限界なのだな、と。そう思うことがしばしばあります。
自分のことならまだしも、人のあり方をみて、そう感じることもあります。
たとえば政治や行政をみていて、あまり期待しても仕方がないな、と考えてしまったりすることがあります。
スポーツ中継をみていて、もう絶対に逆転はできないだろう状況では、わりとすぐに応援をあきらめてしまうこともあります。

でもそんな時こそ、思いなおしてみるのです。
もしかしたらこの政策は案外うまくいくかもしれない。
もしかしたらこの試合、最後の大逆転があるかもしれない。

そう考えるだけで、ちょっとわくわくしてきます。
わくわくすることができると、自然に自分のなかに前向きなエネルギーが湧いてくる。

うまくいっていない流れをみたり、あまり期待できそうにない人の行いをみて、あきらめてしまうのは私達の習慣のような気がします。
そうするように洗脳されてしまったのかもしれません。

でも、どんな絶望的な場面も、わくわくできればきっと乗り越えられるでしょう。

先日、昏睡状態になってしまったご家族についてのご相談をいただきました。
呼びかけにもまったく反応がないという状況でした。
それでも私は「まだしてあげられることがある」というお話をしたのです。
ご相談者様も少し前向きな気持ちになっていただけたようでした。

人という存在には限界はないと思います。
たとえ自由を奪われても。自活できないとしても。命の炎が燃え尽きようとしていても。
人は変化し続けていくものです。

魂は不滅だから。

今お伝えしたいこと:おそれと向き合うこと

「おそれ」を克服する、乗り越える。このテーマについては、何度か書いているかと思いますが。あらためて「おそれ」について。特に「自分の本質を探求することへのおそれ」について。

何年も悩んで悩みぬいて、いよいよ煮詰まってご相談にいらっしゃる方がたくさんいます。その内容は皆それぞれ違います。でも共通しているのは、その根底に「魂が持って生まれた命題」が隠されていることです。人はみな、無意識領域でかなり深く、ものごとを考えています。自分では考えているつもりはなく「自然にどうしてもそういう考え方をしてしまう」という感覚があります。もともと私達はかなり、偏った考え方のパターンを持っています。これは無意識領域で、魂がいつも考えているから起こる現象です。それ故に、すごくがんばってしまう、背負ってしまう、歯を食いしばってしまう、本音を押し隠してしまう、流されてしまう、孤立してしまう…などの様々な精神的な葛藤がうまれます。そしてそのことを「人にわかってもらえない」と感じます。また「人に言えることじゃない」とも考えてしまいます。なぜか自然に「そうなるべくしてなってしまう」のです。

人は何かと苦しみます。葛藤が増していきます。でも、どこかで「こんな人生嫌だな」と考えたり「もっと楽に生きたい」と考えます。そんな葛藤をもつことはストレスになり、他者にたいして嫉妬や羨望を持つことになり、時に感情の爆発につながってしまう。そんな時は罪悪感や自己嫌悪に苦しみ、自己存在の否定につながり、消えてしまいたいとも思うようになります。

苦しみから開放されたい、楽になりたい、と思うことはごく自然なことなのに。なにかがブレーキをかけて、それでも苦しい選択をし続けてしまうことがあるのです。その背後には魂の意思が隠されています。

こういった内面の葛藤を人に打ち明けるのは勇気がいります。そして、打ち明けた結果、自分を否定されることをものすごくおそれます。もう精神的にはぎりぎりのところでがんばっているのですから。もっとがんばれとか、あなたが悪いと言われたら、もう立ち直れませんし自我が崩壊してしまうかもしれません。そんなおそれを抱くことが時にあるものです。

けれど、ものごとには限界があるのです。特に私達の心には、もうこれ以上無理、というボーダーラインがあって、それを越えてまで自分に無理強いをすると、心は崩壊してバランスを失います。そうなってしまっては自分を立て直すことができず、家族や社会のお荷物になってしまいます。そうならない為に、もはや選択の余地はなくなっていきます。

おそれとむきあい、自分自身のあり方について、真偽を問うのです。

自分という存在はなにものなのか、なにを目指しているのか、どう生きるべきなのか。答えを知りたいと願うことからはじめてみてはどうでしょうか。望むことがまず知りたい答えに近づく第一歩です。

モノ言わぬ人々(2)

モノ言わぬ人々は、なぜ言葉で語らないのか。

それは言葉がとても不完全だということを知っているから。
言葉が持っている意味は人によって違う。誤解が生じる。そして、どちらかが、あるいはお互いが傷つく。

モノ言わぬ人々は、以心伝心、テレパシーで他人の心を読み取れる。だから、自分の言葉でもし相手が傷ついてしまうと、その刹那、罪悪感を感じ、もう会話を続けられなくなる。なんとかその場を収束する為に、自らが悪役を引き受けることになる。罪のない罪を認めてしまえば、それ以上誰も傷つかなくなる。その場をとりつくろったり、みえすいた嘘を言ってしまう。それは「そうするのが最善だ」という感覚がある。選択することができず、ただそうするしかない。もの言わぬ人々はそうやって生きている。

人の心は読めても、自分の心を読んでくれる人がほとんどいない。だから、とても孤独だ。

でも、もうすぐ…彼らの時代がやってくる。もうすぐ…(でも、それは何年、何十年、いや、もっと先なのかもしれないが…)

モノ言わぬ人々

ここ最近、とても増えた相談ごとというのが、「相手の考えていることがわからない」というもの。
この場合の相談者は女性。逆はほとんどない。

女性が、パートナーである男性(夫婦であったり、恋人であったり、恋人未満だったり関係性は様々)の考えが理解できなくて、どうすれば関係性が改善するのかとご相談にみえる。こういう場合の対応はたったひとつ。黙々と、男性側の考えていることを説明する。

長年の修行と経験の積み重ねの成果で、モノ言わぬ人達の内面になにがあるか、手にとるようにわかる。ただ、感情や価値観だけならまだしも…。こうと決め、けして人には見せないと定め持ったものがある。そこを説明して、受け止められる女性もいれば、そんなはずはないと否定してしまう方もあり…関係性がそこからどう発展するのかしないのか。実に様々。

ただ、ふと思うのだ。

そういう男性は以前からたくさんいたはず。なぜ最近、こういう相談が増えたのだろうか?

推測するに、女性側の意識が変わってきたのではないだろうか。言葉のない言葉を読みとり、感じ取ってあげたい。そこまでして歩み寄り、支えていきたいと考える女性が現れるようになった。そういうことだろう。

モノ言わぬ男性たちにとっては良い流れ。だが、モノ言わぬ男性の心に、どう歩み寄ればよいのか。試行錯誤がはじまった女性にしてみれば、苦難の時代のはじまりなのか? あるいは、心と心が言葉を超越して絆を深められる、波動の時代になったのか。

私達の未来の子孫は、もはや言葉を超越し、波動で会話する時代になるのだろう。それができるようになる人、いつまでもできない人で、住まう国家や地域を選ぶことになっていくのかもしれない。さて、日本はどちらにすすむのか。

時代は移りかわりゆく

時な流れ、時代は変わりゆく。
でも、私たちはそれぞれ自分の時を生きていく。
すると、自分が置かれている時の流れと、周囲の時代の流れがいっしょくたになり、
果たして自分は時代に取り残されていはしないか、と言いようのない不安におちいる。

でも、時代に乗れたらから、乗れないからといって、自分らしくなくなるわけでなし、
いったい時代の流れと自分の人生と、そもそもなんの関係があるのか。

考え始めるとキリがありません。

でも、それぞれの「魂」はもともと個別の存在。ひとりひとりがユニークな、
たったひとつの魂。他の誰でもない自分という確立した自己を持っている。
自分らしい時の流れを生きるべくして存在しているのです。

ところが、私たちの体は集団のなかでしか生きられないように設計されている。
もともと魂が個の存在であるのに比べ、肉体は集団生活が前提。
その魂が、肉体とくっついている状態が、私たちの実態。

時代が変わりゆく流れを、あるがままに感じながら、
そのなかで魂は自分を磨いていくのです。

この時代を選んだのは、私たちひとりひとりの意思のようです。
でも、この自我は、そのことを自覚できません。
だから、ものすごく流されているような気がする。
自分を見失いそうになります。

いったいぜんたい、自分はなにをしているのか。
自分のしていること、やろうとしていることは正しいのか、
はたまた崩壊に向かっているのではないかと不安にかられる。

不安にかられてあたりまえ。誰しも、不自由な体を通して、
よく見えない目で世の中をみているのですから。

魂の感覚(=スピリチュアルな意識)を確立できれば、そのゆらぎは消えます。
このすさまじい定まらない時代であっても生きやすくなります。
自然体で生きたい、あるがまま自分らしさを保って生きたい、
そういう方は、スピリチュアルな感性を活性化し、目覚めさせる必要がありそうです。

私はそんな皆さんを応援するガイド。
幸い、私には皆さんの魂の本当の姿がみえますから。
お役に立てると思っています。