金子みすず

ここ数日、以前、ご縁のあった人達の名前をあいついで見かける。さほど深いつながりではなかった人達だけれど、皆個性的で光かがやいていた。ずっと昔に縁が遠のいたきりの人もいれば、今でも人を介して近しい人もある。その人達の名前を、あるメディア上で、あるいは知人からのメールでそれぞれに知ったここ数日だった。詳細は言うまい。ひとつはとても残念なお知らせだった。もうひとつも、とても悲しいお知らせだった。かろうじてもうひとつは、祝福すべきお知らせだったことは幸い。

人生はさまざまである。でも、この人達はこれまでも、そしてこれからもきっと多くの人にたくさんの影響を与え続けるだろう。そしてその人達の名前は歴史の記録のなかにけして埋もれてしまうことはなく、永遠に刻まれていくことは間違いない。大きな航跡をえがいて輝く存在感をはなつ生き方をもつ人達。

そんな人達の生き様をみるにつけ、人の人生には本当にたくさんの可能性があることを改めて実感する。ものの大小は重要ではない。発展がすべてなのだと思う。人と比べないで、自分らしい歩みを止めないことだ。

みんな、たまには「金子みすず」をじっくり読もうよ。おいしいお茶の香りでも楽しみながら・・・。

過去を思い、未来を想う

日本にも津波が押し寄せた地球の裏側の大地震で、NASAによれば地球の地軸や自転の速度がわずかに変化したのだそうです。地球も長い年月をかけて確実に変化していくことは、過去の歴史を振り返っても間違いのない流れなのでしょう。札幌近郊に財政破綻で有名になってしまった小さな市がありますが、中心部に山があります。夏場、登ってみると道端にたくさん貝の化石が落ちています。そこが昔、海だったということです。反対に、今、海の底に沈んでいる大陸に、遠い昔にいったいどんな文明が栄えたのかと空想してみるのも時に楽しいものです。さて、私たちの時代は未来人が思い出してくれるほど伝説のような素晴らしい栄えある文明にたどりつけるのでしょうか・・・。

今日の徒然

この頃、パワー不足である。自分ではなく、パソコンの話し。仕事をもっと効率よく進めるには日々リセットが必要だが簡単にスリープさせられるのでついそのまま翌日も使うことになる。が、人間の神経と同じくパソコンも完全にシャットダウンしてから再起動しなければ、様々な記憶が積み重ねられていきメモリーが圧迫され、動きが緩慢になったかと思えばシステムが破綻し、あり得ないミスをする。人間の精神とよくにている。うまく調整して使っていても、人間がいらついていると簡単にフリーズしたりもする。精密な電子回路が動いているので、なにかの拍子にシールドが弱くなって精神波動にふりまわされてトラブルが起きるのだろう。

パソコンがそうであるように、人間の精神もしっかりシャットダウンして再起動することが大切だ。この世を忘れ、別な時空に旅たつ。そんな時間を大切にしたほうがいいのだろう。

この頃、どうしてもこうも人はわかりあえないものなのか、と痛感する。お互いを必要としあっていて、求めあっていて、引きつけあっていながら、なぜか傷つけ合ってしまう。
傷つけあうのは、恐れがあるからだろう。恐れを宿した時、心はイバラのようにすさんでいく。すさんだ心は人の心を傷つける。ではなぜ私たちは恐れるのか。それは終わりを恐れているからではないか。失うこと。得られなくなること。満たされなくなること。断ち切られること。そこに苦悩を感じるから恐れる。苦しみを望む者はいない。苦しまないことを必ず望んでいる。渇望しているといっていい。だが現実にはそれは無駄なあがきである。私たちは必ずすべてを断ち切られ、失う宿命だからである。だからこそ、恐れるし、とらわれる。そこに苦悩が生まれる。そして執着がはじまる。今あるものを守ろうとするし、そこでなんとか満たされていると思いこもうとする。それ以上、望まないように工夫をする。小さく呼吸をして細く、そしてできるだけ長く生き延びようとする。それすらもかなわず、またしても煩悩の渦にとらわれ、おぼれ、あえぎ、もがき、最後は神仏をすがる。

なぜ私たちは失う宿命なのか。この問いに答えはない。なぜなら、私たちはなにも得ておらず、なにも失わないから。それなのに私たちは恐れている。最初から得ていないものを失わないように、執着をし、とらわれている。

この命題を理解し、うけいれていくことは容易ではないかもしれない。でもすべての魂はそこを目指している。だから道を求め、精進していくより他はない。大地と調和して存在しているほんのわずかな種族をのぞいては…。私たちは皆、学びの過程にあり、その学びは「真理」に到達するまで終わることはないだろう。

就職活動

就職活動中の学生さんからの相談をお受けすることもあります。積み重ねてきた学業との兼ね合いもふくめて、これからの展望がどう開けるのかいろいろなことが気にかかる時期です。北海道は今、経済的にはとても厳しく学生さんにとっても思うように内定がもらえず苦労している方も多いようです。がんばってほしいところです。もし道内にこだわらないのであれば、一度道外に出てみることも強くおすすめします。

自分の場合は社会に出てから在籍したのは一社だけ(そこに18年居続けました)。丁度バブルをはさんでその前後、一番波の高低差があるダイナミックな時期を思い切り味わいました。上向いていくにせよ、低迷するにせよ、かなり大きな動きでしたのでそれはそれで思う存分やり尽くしたという感があり悔いは残っていません。自分の仕事に関していえば大ヒット作も作ったけれど、大赤字も出しました。両方あってご破算で終えたというところでしょうか。会社には大きな恩もありましたがその分、本当に必死で働いたので貸しも作ったと感じていました。でも最後に赤字をだして丁度相殺されて貸し借りゼロになった気がします。全国に支社もあったので東京にもしばらく在籍しました。札幌に戻ってからも業務上の打ち合わせ(自分の場合は音楽ディレクターだったので作曲家や制作プロダクションとのミーティングがほとんどでした)も多く、パニック障害をもっていたので乗り物は本当に辛かったのに月2〜3回東京に出張が続く時期もありました。調子は悪かったとはいえ、若さ故でしょう、体力だけはあったのかもしれません。年に1〜2度激しい腰痛になったり風邪をひくことも多々。お腹もよくこわしたし今からおもえば実に不健康でした。30代後半はスポーツを心がけていたのに…それでも心身のバランスはすごく悪かったんです。基本的にすごく無理をして暮らしていたのだと思います(翌朝通常出勤なのに午前4時に帰宅、なんて日々が続いた事も…)。それだけ取り組みがいのあるいつも緊張感がただよう職場だったので、忙しくても辛くても大変でも、それに見合う達成感は得られていました。いい仲間にも恵まれて幸せでした。海外でのレコーディングも実現できたし、本当に悔いの残らない走り抜けた20〜30代でした。

東京で人に会うとよく自分が勤めている会社について、北海道についての評判をきかされたものです。一言でいえば、とても羨ましがられたんです。北海道来たことのない人は是非行きたいといいました。来たことのある人は北海道に住めてこうして東京に不便なく出向いてこれる仕事ができるなんて素晴らしいと称賛されました。札幌から東京に出向く時は自宅から空港まで車で行きます(高速だと1時間ほど)。午前の便に乗れば午後いちの打ち合わせには間に合います。午後からミーティングをこなして、たいていは目黒に泊まって(そこでよく友人と落ち合って飲んだものです)翌日も仕事をこなして羽田から夕方の便に乗ると2時間半後には自宅です。PDの症状は離陸時に出やすかったので、そこさえ乗り切ればなんとかなったんです。そんな東京までの通勤事情も嫉妬の対象になっていたようです。東京の通勤ラッシュや住宅事情(マンション事情)からすれば、北海道のそれは天地ほどの差があります。どちらがいいということではないにせよ、羨ましいなぁと口をつく要素はたしかに多いでしょう。

東京では北海道では出会えない業界の人達や、さまざまな場所に出向くことができました。プレステの仕事もあったのでソニーにも行きました。オフィスも働いている人もかっこよくて、憧れましたね(笑)。でも札幌に帰ってくると、やっぱりここがいいな、と毎回必ず思いました。東京には魅力がいっぱいあるし、素敵な人達も、憧れる企業も無数にある。でもやっぱりそこに居続けたいとは思わない。千歳空港について飛行機からでた時のひんやりとしてさわかやな空気を吸うたびに帰ってこれてよかったと思うんです。なにがあってもこの土地でがんばっていこう。何年も繰り返してもその気持ちは変わらなかったし、その意識が今ではすっかり定着してしまいました。この土地から出なくても暮らしていけるんならそれでも十分。実家は函館の津軽海峡を見渡せる高台にあります。最近は見通しが悪くなりましたが自分が住んでいたころは、窓から海峡に浮ぶいさり火が見えました。手前側の灯のずっと向こうにも白い光が点々とみえる。遠いほうは青森のいか釣り船の灯なんです。いつも海をへだてて本州の灯を見つめていたので「内地(北海道用語で本州)」に対する漠然とした憧れを持って育ったのかもしれません。

東京支社に在籍していた頃は体調はおもわしくなかったし、友達もお金もなかったので(楽器のローンがわんさか残っていて…)、なにもすることもなく、ただ生きていくだけで精一杯でぎりぎりで暮らしていました。でも、少しずつ人の輪ができていって、休みの日に遊びに連れていってもらえることもありました。でもほとんどは寝て過ごしたり、吉祥寺までぶらっと歩いていって井の頭公園を一周して駅前で思い切ってトンカツを食べたら最高の贅沢な休日でしたっけ。それでも、北海道にはない空気や人や食べ物や土地や風景に触れて自分の感性はすごく磨かれたと思います。そしてますます北海道が好きになっていったんです。

外にでて見えるものもたくさんあるし、やっぱり経済の中心は東京だったり関西だったり内地のそこかしこにあります。北海道は経済のバイブレーションでいえばいまだ国に庇護されなければ自立できない地方でしかない。国に借りがあるということは日本中の人に借りがあるようなもの。これからはお返しをしていくような気持ちをもってこの土地を盛り上げ、独立国家をつくりあげるぐらいの勢いが必要。それだけの意気込みをもっている若者だったらこの土地の神様も強く応援してくださると思うのです。

よく学生さんには大志を抱け、とげきをとばします。大志とは、この土地を愛し、人を愛し、そして自分を磨き、土地の人達とともに自立して大きくなれ、という意味での大志です。稼ぐ為には人間の器をできるだけ大きく磨き上げる必要があります。学業も大事ですが、若いうちに外にでて一番レベルの高い土地でテンションの高い人達にもまれる体験も不可欠ではないでしょうか。もしそんな機会が得られるなら強く求めてつかみとって欲しいんです。目先の安定や保証など求めないでほしい。よもや定年まで居られたら、などと夢の無い気持ちで企業面接に出向いて欲しくないんです。希望の種は自分でまいて育てましょう。私たちの先人の苦労を思いだし、フロンティア精神を復活させ、勇気をふりしぼって新しい未来へつきすすんで欲しいんです。