報われない人生

人一倍努力をし、結果もしっかり出してきた。それなのに報われない。徒労感に襲われてしまう。そんな人生もあります。でも、心のなかに「むなしさ」が宿り始めると、もうそれ以上はがんばれなくなるもの。それでも自分をむち打って努力を続けていくと…心がすりきれて、がんばるどころか日常のこともできなくなってしまうかもしれません。

もし、心や体が病におかされてしまったら…そのことで周囲にすごく迷惑をかけてしまったら、それまでの努力も水泡に帰してしまうかもしれません。だからそうなる前に、その「むなしさ」がどこからくるのか。なぜ報われないのか。どう生きていけばいいのか。そのことについて考えてみるべき「時」というものがあるものです。

もしかしたら自分の人生で「今がその時」なのではないか、もうこれ以上、報われない生き方を続けていくことは誰の為にもならないのではないかと感じていらっしゃるのでしたら…あなたの魂はこれからの人生の進路をどこにむけてかじを切りたいと思っているのかを、ひもといてみませんか。
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シャーマンの記憶

久しぶりにメディスンカードをつかった。
この日のクライアントさんは、以前から自然霊との対話についてアドバイスをしてきたのだが、今回がある意味、本格的なコミニュケーションがはじまる最初のきっかけになったようだ。龍神を感じられる方にはたいてい大きな役割がある。ものすごい力を持っている神様なので選ばられた人しかつながることはない。準備が順調にすすむことを祈りたい。
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龍神がそばにいる時は、メディスンカードは磁力をもったかのようだ。カードが動きださんばかりにエネルギーが宿り、私達に非常にパワフルにメッセージを伝えてくる。すっかり忘れていたが感覚は眠っていなかった。せっかく授かった自然神とのコミニュケーション能力をもう少し使えるように磨いていきたいものだ。もっとも、シャーマンとしての力を発揮すべきタイミングは自分にとっても今まであまりなかったように思う。果たしてその時はくるのだろうか。まだその気配はない。

誰にでも開花の可能性はある

ヒーリングとか、カウンセリングとか、チャネリングとか、リーディング等々を行う人を「セラピスト、ヒーラー、カウンセラー、チャネラー」といったりする。なんでもいいけれど、とにかく「見えない世界のこと」とか「スピリチュアルなこと」を仕事にする人は、これまでは普通の人ではない、といわれていた。

だから、僕は普通の人間じゃないのかもしれないなぁと絶望的な気持ちになったことがあって、そんな心持ちでは生きるのが辛い。だから長い間、能力を隠してきた。でも、能力ってあっても使わないと伸びないし、伸ばして鍛えないとプロにはなれないもの。

じゃあ能力とか資質ってどれぐらい必要なのだろうか。

音楽でいえば、ミュージシャンになるとか、作曲家になるとか、音楽の世界で食べていけるようになるってどれぐらい才能が必要なのかということと話は似ている。

かつて才能も経験も学識も備わっている大先生や超有名ミュージシャンの人達となぜか接点があって、とにかくあの人達は凄かった。やはり偉大な人は違うな、と思ったものです。ただ偉大過ぎるとたちうちできないから、もう少し敷居の低い先生のほうがいい。で、自分にとって一番大変だったが、命がけてくらいついた作曲家の先生といえば田中公平先生。ある時なぜか共作で仕事をするハメになってしまった。むこうは百戦錬磨の達人だしプロ中のプロなわけですし業界では最高に有名人だし、実際ものすごいレベルの高い仕事をなさる。一方の自分はといえば経験も浅くて引き出しが少ないから、すぐに煮詰まってしまう。この圧倒的な力量の差の前でひたすら無力感でした。

でも付き合っていくとわかってくるのですが…先生はそれだけ努力してるんですよね。そこはプロの意地ということもあるし、それに見合うだけの下積みもある。そういった部分は一般の人からみえないのですが、同じ土俵にたってみるとみえてくるものが多々ある。だからいっきに同じレベルのことはできるはずもないし、そこで立ち止まってはいけない。思い返せば田中先生と共作してた時は毎日、眠れなくて。文字通り食事も喉を通らない日々。しまいには譜面に追いかけられる悪夢をみました。辛かった…。あちらはバークリー音楽院出身で、かたや自分は作曲法なんて独学ですしプロとしての経験ゼロだったんですから。横綱に小学生(いや小人かな)が挑むようなものでまるで次元が違う。その時に感じた圧倒的なコンプレックス。これが実はいい薬になりました。自分が未熟であることをとことん実感する。後で思うと、その後自分が作曲で伸びていく一番の糧になっていたと思います。だってその数年後に海外レコーディングをやっちゃったわけですから。あくまでサウンドトラック担当という枠ではあったけれど自分の名前でメジャーからCDも幾つかだしました(とっくに廃番ですが)。

そうやって音楽の仕事を一流の人達と肩をならべてこなしていく流れのなかで理解できたことは天才なんていないってことです。生まれ持った奇才、天才の類の人は業界にはほとんどいなかった。三枝成彰先生と仕事をした時に、先生がいった言葉が印象的だった。作曲は技術だって。その時に自分はとてもびっくりしたんです。え?作曲って才能じゃないんですか、と。それまで自分は音楽の才能がないと思い込んでいました。だって音感なかったですし、楽器もろくに弾けないし。音楽の仕事で伸びる要素は自分にはないと決めつけていたのです。三枝先生の言葉をきいてちょっと意識が変わりました。

音楽を作るには、たくさんの人と共同作業をしないといけません。発注する人がいて、受注する人がいる。そこから各担当者に仕事が割り振られる。楽譜を書いただけでは、なんにも形にならないのです。一般的な工程数でいえば作曲家が楽譜を書くのは100分の1ぐらいの比率じゃないでしょうか。残り99%の工程はいろいろな人が関わって完結する。

ヒーリングでもカウンセリングでも、なんでもそうですが天賦の才能なんて必要ありません。そりゃあったほうがいいけれど、たとえあったとしても伸ばす努力がなければ活かされません。しっかり勉強して学んで修得して磨いていけば、多くの人にはその可能性の芽がでます。あとは周囲がその人を活かすでしょう。なんにせよ一人で独学でやっていてはうまくいきません。認めてくれる人も必要、世に出るきっかけを作る人も必要。音楽とか芸術の世界であればオーディション的なものに応募するとかでチャンスもあるかもしれない。ある程度の独学もいい。けれど、実際に開花させようとする際には一人のちからでは無理です。

スピリチュアルな世界もやっぱり同じ。ほとんど(いや全てといっていい)は技術なんです。だから、きちんと学び、研鑽を積んで努力をする。ある程度、技が磨かれたら社会との関わりのなかで実践的に挑んでみる。そこまでの流れを一人でつくりだすことは不可能です。スピリチュアルな世界に限らず、なにか夢を持っていてそれをかなえたいならどこかに入門することです。あるいは、いろいろな経験者と接触をしてさまざまな体験を積むことです。先生は何人いてもいいと思う。でも、ある程度の期間はみっちり修行もすべきだし、世にでるきっかけや流れを作ってくれる人達との関わりを求めていく必要があります。

才能があるとかないとかで、けして悩まないで欲しい。逆にすこしばかり才能があるからなんとかなるとも思わないでほしい。しっかり学びましょう。地に足つけて時間をかけて積み重ねていきましょう。そういう人に社会は期待をするのです。ローマは一日にしてならずです。でも地道に積みさ重ねていけば自分の王国はかならず作れるのです。

だから、なんでも一人で考えこまないで相談するところからはじめましょう。そして学ぶ機会を求めること、磨く努力をすること。そうすれば人から頼られる人になれます。更にがんばればプロにだってなれます。

応援します。あなたにも必ずその機会は与えられますよ。がんばって!

今日の徒然:亡き人の思いを読み解く

ご家族を亡くしたご遺族からのご相談もよくあります。もっと生きていて欲しかったという思いは皆さん共通。失った痛みに耐えることもそうですが、残された側が日々どう生きるべきか。死者の思いを問うことは、なかなかむずかしい。

先日、遺品をお持ちになられた方がいらっしゃいました。ひとつひとつに、旅立たれた方のメッセージがこめられていました。

ものにこめられた亡き人の思い。それを解読するのが自分の使命だと思っています。

それにしてもなぜかこういったご相談が以前よりも増えたように思います。

スピリチュアルな情報の適齢期。

よくお母さんの紹介でお子さんがおみえになります。そうすると十代の若い方だったりします。いったいぜんたい、自分の魂の由来だとか、もって産まれた気質や人生の命題など、何歳ぐらいからアドバイスが可能なのか。

明確な答えがあるわけではないのですが、早ければ16歳ぐらいで大丈夫だと思います。実際には15歳の子と話したことがありますが普通、中3の子は受験で忙しいので進路が定まってからのほうがいいでしょう。

また、12歳ぐらいから自分の心と向き合うようになりますので、そういった年代の子にはお母さんから伝えていただくようにしています。お母さんにとっても、我が子の魂の個性は理解しておいたほうが子育ては楽になりますし、自分の関わり方を否定しなくて済むようになります。魂の個性は3歳ぐらから形になりはじめます。ご両親が我が子の性質を理解するという意味で速すぎるということはないので、それこそ受胎して間もなくききにくる方もいます。一般的には安定期に入ってから〜臨月まであれば産まれてくるお子さんの由来についてはお話できます(あまり早すぎると話せることが限られます)。誕生して1年ぐらいはお母さんはひたすら忙しいので、1歳以降になりましたらゆっくり鑑定して、今度の子育てについての指針は提示できます。

いよいよ具体的にあれこれ注意事項がでてくるのはやはり3〜4歳以降です。7〜8歳で精神的な成熟が始まりますので、その時期も変化のピークがあります。その次が12歳前後。16歳を過ぎるともう内面的には大人です。現実とのギャップをどう受け止めていくか、本人もだんだん難しく感じるようになります。そういう時期になったら親御さんとしても、かなり客観的な関わり方が必要になってきます。

心を読み解く

いったいいつ頃から、自分はこんなに人の心を読み解く事に興味を持つようになったのだろうか。ふとそんな記憶をたどってみた。

大学に籍をおいた3年間は人生の暗黒時代で未来への展望がなにもなかった。そんな折り、図書室で心理学の本をなにげなく手にとって読んでみたのだが、そのなかに夢をとおして抑圧された意識をひもといていくという事例が載っていて、非常に興味をひかれたことを今でも鮮明に覚えている。

他も多くの事例が本には載っていた。自分が興味をひかれたのは「いったいどうすれば夢に隠された憎しみを読み解けるのだろうか?」という点だった。結局のところ自分が知りたい核心については、どこにも書かれていなかった。その後、大学に見切りをつけ、ついでに実家も飛び出して札幌に一人移住した。拾ってもらった会社で必死に働きながら衝撃的な体験をする。もう誰も彼の事は覚えていないかもしれないが、数ヶ月の間一緒に働いたT君だ。本州出身の彼は、気持ちの優しい青年ですぐに打ち解けた。引越しを手伝ってくれたり、一緒にご飯を食べにいったり、締め切り前はよく一緒に徹夜もした。だがほどなく彼は統合失調症らしいことが判明し、通院して投薬を受けてがんばったがやむをえず退職していった。最初に内科を受診し、脳波検査を受け、安定剤を飲むようになり、やがて症状が悪化していく様子を、一番間近で向き合ったのは自分だった。思えばあの体験が人の心の闇に意識を向ける、大きなきっかけになったと思う。

一番、症状がひどい時のT君には別の名前があった。まったく普段とは別のY君という人格に入れ替わってしまう。その後は深い昏睡状態になる。目覚めるといつものT君に戻っているのだが、その時に彼はもう一人の自分のことをまったく覚えていなかった。もう一人の人格であるY君とは、彼の部屋で何度か話したし、ふらふらとさまよっている場面を見つけて追いかけて見失ったりした。いったん、行方がわからなくなると何日も部屋に帰らなかったが、数日すると消耗しきって暗い部屋のなかでうずくまってひたすら眠っていた。

隠れた人格のY君は、ひたすらなにかに怯え逃げまわっているようにみえた。親身になってささえたいと思った。もっと話して欲しいと思ったが、Y君はけして心を開いてはくれなかった。簡単な会話に数回、応じてくれただけ。とても虚しく、そして残念だった。

症状が悪化して勤め続けることは無理ということでT君は去っていった。

心が完全に分裂して、二人の人格が同居することがある。それぞれは自分の名前をもっていて、別々のことを考えたり、悩んだりしていた。ただ、現実を生きている友人だったT君とは違い、過去の体験のなにかに怯えてつづけているY君とは知り合いにもなれなかった。

人は表の顔を裏の顔を持っている。その後も、たくさんの本を読んだがY君がいったい誰だったのか、どうして彼らは分離してひとつの心を共有することになったのか答えを見つけることはできなかった。幼少期になにかあったのかもしれない。大きなトラウマを抱えていたのかもしれない。繊細でナイーブな気質を持っていた彼が、誰かを傷つけてしまった罪の意識を受け止めきれず抑圧した結果なのかもしれない。

もしもう一度会えたら、なにか解決する為の方法論の一つも教えてやりたいと当時の自分は心のどこかで願った。30年近い歳月を経た今の自分ならT君の力になれると思う。そしてY君とも対話ができると思う。それだけの能力を磨き、経験を積み、技術も得た。神様はその機会を与えてくれるだろうか。

魂のインタビュー

カウンセリングにみえる方のなかには(特に初めていらっしゃる方)人生の大問題と向きあっている方もたくさんいます。完全に八方塞がり、どん底、誰も頼れない、運も尽きた。そこまで追い込まれて初めて真剣に誰かの力を借りて、この窮状から這い上がりたい、逃れたい、楽になりたい、復活したい、そう考える時人は素晴らしいチャンスに遭遇しているように思うのです。

なぜか人は楽に暮らしている時は悩みません。人生の命題があっても、そこから目を逸らしてしまいます。向き合うべきだと、どこかでわかっていても、なんだか面倒になるのです。そんなことしなくても、十分に楽しくて幸せ。だったらそれでいいじゃないか。

そう考えてしまうのが人間の特質でもあり弱点でもあるようです。魂は「楽をする為ばかりに生まれてくるのではない」ので、煩悩おおき人生をまっすぐに生きようとします。その葛藤のなかで壁にぶつかる。その時に「自分が変われる」ことを知っているようなのです。こころのなかでは(魂は知っていても、こちとらそんなことは知ったこっちゃない)と考えていても、魂はわかっているのだから、どうしようもない…。葛藤のどん底で、魂は変化の波にのれるチャンスをつかもうとします。

変わるべき方向にシフトできれば(流れをつかめれば)同じ葛藤を二度味わう必要はなくなります。魂は「次の更なるステップアップ」を願うので、どんどん次に進もうとします。流れにのり、変化を確実なものにして、より更なる高みを目指します。そこでたくさん結果をだそうとする人もいれば、より内容を充実させようとする人もいます。虎視眈々と「その時期」がくるのを待つ人もいます。いずれにしても「煩悩」の渦からは解き放たれて、明確なビジョンにむかって進んでいくサイクルがやってきます。

壁にぶつかる→内面的な変化をひきよせる→魂が望んだ方向にシフトアップする→新しい流れにのる

結局、魂が人間になってなにをしようとしているのかというと、こういう方程式は存在するのだと思います。

どういう変化を望んでいるのか。どのタイミングで新しい流れをつかもうとしているのか。どこまで結果をひきよせようとしているのか。魂へのインタビューができれば、いろいろなことがみえてくると思います。

私たちはいかに生きるべきか

私たちはなんのために生きているのだろうか。真実はさほどむずかしくない。ものごとの本質は結局はとてもシンプルだったりする。

「愛を学ぶため」に魂ははるばる遠くから地上に生まれ変わってやってくる。そして死んで、また生まれてくる。嫌になっても、もういいと思っても、やっぱり懲りずに生まれ変わってくる。もういいや、と思っても(そんなふうに時間をぼんやり無駄にしている人ほど)ほぼ間違いなく生まれ変わってくる。そう簡単に転生のサイクルから解脱できるものではない。そもそも解脱したいなんて思っている時点でちょっと「目的」を見失っている可能性すらあるから要注意。

もう一度。

「愛を学ぶため」に私たちは生まれ変わってくる。

つまり、「生きる」ということは「愛を学ぶ為の体験学習」ともいえる。学習だから、楽じゃない。楽する為の人生じゃない。

よく「なんでこんなに辛いんだ、苦しいことばかりなんだ」となげく人がいる。なげき続けていてもなかなか人生は好転しない。

でも、あまりにも苦しいことがあると、ちょっとこれはないだろうと思うことがある。身近な人を亡くしたり、あまりにも生きることの代償が大きすぎる時はさすがに「こんなひどいこと」を通して、いったいぜんたいどうやって愛を学べばいいのか、と思うことはたしかにある。

それでもやはり「愛を学ぶほかに生きる道はない」と思う。

辛いことがあった時、どうしようもないことがあった時、そんな時こそ私たちは絶好のチャンスをむかえている。そこで「なにを学べばいいのだろう?」と考え、試行錯誤する人とそうでない人では来世がかわる。

私たちの人生の目標は今生で楽をすることではない。だからといって日々、楽しみを糧に生きることを放棄すべきでないし、人並みにエンジョイしようとすることは罪ではない。でもけして目指すべき本質ではないのはたしかだ。

学ぶ為には気力も体力も必要だからね。しっかり充電しないと学びようもないし、吸収もできない。魂が修行をするには「それなりの環境」が整っていることが、とても大事な要素だ。だから現実の日常が豊かであることも「よい学習」には必要な条件になる。

「厳しい現実的な問題」と向きあう時、そこに「愛を学ぶべき課題」がストレートに隠されていることもあれば、ひとまず現状の体力づくりの為に「充電に入るべき時期」であるという隠されたサインである場合もある。もし前者なら、善は急げだ。もし後者ならじっくり長期戦で体力回復に務めるべしだ。見極めができれば人生をより有意義に生きられる。

(※光のサロンでは、魂がいかに愛をまなぶべきか、という命題を前提に「現実の諸問題との向き合い方」を鑑定できるので、些細なトラブルでもどんどん利用して欲しいと思います。動くべきか、休むべきか。その判断ができるだけでも運勢は自分により有利に変化しやすくなります。)

なんとなく、を信じよう

特に困ったことがあるわけでもなく、なにか悩みがあるわけでもない。
そういう場合、予約を申込むことに躊躇するかたもいらっしゃると思います。でも「なんとなく」という動機はとても大切にしてほしいです。それがきっかけで、すごく大切なアドバイスを受け取る方も多いです。

ただ、ひとつだけ約束をしてください。
「なんとなくなんですけど、申し込んでいいですか?」という質問メールは送らないように。

ご自分で決断なさってお申込みいただければお断りすることはありません。その「なんとなく…」をあなたの心につくりだしているのは、きっとあなたの魂のガイド達なのです。でも自分で決められないのなら違うと思います。