「すいしょうの目」

ある山奥の小さな村に、少年が住んでいました。

少年は、祖父と二人暮らしです。祖父は鷹(たか)を飼う鷹匠でした。少年も、一羽の若い鷹の訓練に毎日はげんでいました。

「よくしつけた鷹は高く売れる。しっかり訓練するんだぞ。」
祖父は、熱心に鷹の訓練に励む少年を優しく見守りながら育てていました。

村のはずれの粉挽き小屋に、美しい少女が通ってきます。 少年は、その少女がやってくる頃合いを見計らって、鷹をつれて山の訓練場へと出向くのでした。時に少女とすれ違うことがあっても声をかけるわけでもなく、近くを通り過ぎるだけでした。 それでも、少女を見かけると少年の心臓はどきどきと高鳴り、鼓動の音があまりにも大きく感じられるものだから、誰かに気づかれやしないかと胸をおさえながら急ぎ足で少女の前を通り過ぎるのが常でした。

ある日、ちょうど粉挽き小屋から少女が出てくるところに少年はでくわしました。
少女は少年のほうに振り返ると、にこっと微笑み、両手に抱えたカゴを持って、どんどん村のほうへと去っていってしまいました。

少年は喉がつまるような息苦しさを感じて、むせながら山のほうへ思い切り走りました。もう誰もみていないところまでくると、肩をゆらしながら思い切りぜぃぜぃと息をきらしていました。

あまりにも息がきれたので、湧き水をみつけ喉を潤していると・・・ カラカラと音が聞こえます。
「はっ?」として周りをみますと誰もいない。また水をごくごくと飲んでいると、またしても「カラカラ」と音がするのです。

いったい誰だろう?といぶかしくあたりを伺っていると、そのカラカラという音は湧き水の側に建っている地蔵堂から聴こえてくるようです。

「お地蔵さん?」 不思議に思いながら少年がそうっと地蔵堂を覗きこむと、たしかにその「カラカラ」という声らしき音は、お地蔵さんの口もとあたりから聞こえるのでした。

「うわぁ~、お地蔵様が笑ってらっしゃる~」
少年は驚いてしりもちをついてしまいました。

「こりゃぁ不思議なお地蔵様だ。ありがたやありがたや。」
純真な少年は、ありがたくてひたすら手を合わせてお地蔵さんを拝んでおりました。すると不思議なことに頭のなかに声がきこえてくるのです。

「これ少年よ。お前、なにか願い事があるのではないか?」
頭の中に声が響くので、びっくりして、つまりながら少年はかろうじて答えました。
「は、はは、はい。あのぉ、ひとつだけございます。」
「ほぉ、ひとつだけとは。それはどんな願いごとかな?」
「はは、はい。あのぉ、心の声を聞けるようになりたいのでございます。」
「心の声とな。ふぅむ。面白い。よろしい、ではその願いをかなえてしんぜよう。」
「え?!ほ、本当でございますか?かなえていただけるんでございますか?」
「うむ、もちろんじゃ。だがな、それには条件があるのじゃ。」
「は、はい、それはもうどんな条件でもきっと受入れてみたいと思います。」

少年は即答しました。
お地蔵さんは、少年にその条件を伝えました。少年は満面の笑顔でこっくりと頷いたのでした。ふとみると少年の手には、小さな水晶の玉が握られていました。

次の日。
少年は、いつものように粉挽き小屋のそばを通りがかり、あの少女の姿を探しましたが、その日少女は現れませんでした。次の日もまた少女は現れなかったのです。そして三日目。少年が粉挽き小屋を通りかかると、ちょうど折よく少女がカゴを抱えて出てくるところでした。

少女は少年をみつけと、くりっとした目を輝かせました。その瞬間、少年には、少女の心の声がはっきり聞こえたのです。
「この子は鷹匠のおじいさんとこの子ね?いつも熱心に鷹を訓練している、まじめな子だわ。名前はなんていうのかしら?お友達になりたいな。鷹の飼い方をちょっと教われたら楽しそうだなあ…」

少年の心の中に、少女の思いがはっきりと伝わってきたのでした。少年の心臓は、どきどきと高鳴り、今にも止まってしまうのではないかと思われるほどでした。少年の頬は紅潮してしまいました。

けれど少年はなにも言わずに、少女に小さな会釈をして、鷹を連れて山へ急ぎ足で歩いていってしまいました。
「照れ屋さんなのかな。いつかお話できるかな・・・」
少女の心の声が少年のなかで響いていたのです。

息を整えると、少年は左手に握っていた水晶玉を革袋に戻しました。少年がお地蔵様からもらった水晶玉は、少女の心の声をきく為のものでした。

では、お地蔵さんが少年に耳うちした、その条件とはいったいなんだったのでしょう。

時は流れ、少年は立派な青年になっていました。おじいさんは前の年、亡くなってしまいましたが、青年は腕のいい鷹匠として寡黙でまじめな仕事ぶりで評判がよく、村中の適齢期の娘をもつ親たちから見合いの申込みが後を絶ちませんでした。

粉挽き小屋で出会う、あの少女も素敵な女性に成長していました。彼女は鷹匠の青年にひそかに恋心を抱いていました。できれば青年のところに嫁ぎたいと願っていました。青年が通りかかる頃をみはからっては、粉挽き小屋に出向くようになりました。毎日のように青年が通りかかる。青年は彼女がいる小屋の前に差し掛かるとき、革袋のなかからなにかを取り出して左手のなかに握っていました。

彼女は青年が通りがかるのをいつも待っていました。二人の目が会うと、彼女の心の声が青年の心のなかに伝わってくる。
「いつも顔を合わせているのに話しかけてくれないのね」「私に興味をもってくださらないんだわ」

青年はいつも彼女の心の声をきいていました。でも話しかけることはありませんでした。彼女の前では、けして口をきくことができなかったのです。それがお地蔵様の与えた条件だったからです。青年は心の声がきこえる水晶の玉を授かるかわりに、心の声を聞いた者とは、生涯、口をきくことができないという条件を受け入れてしまったのです。

ある日、再び青年が粉挽き小屋の前で、彼女とすれ違うと、そのとき彼女の心はこうつぶやいたのです。
「私、もうすぐお嫁入りが決まりそうなのよ。とても優しくて大切にしてくれる方よ。」
「でもね、相手のご両親が婚姻の贈り物に、よくしつけた鷹を求めているの。」
「私の家は貧乏だから、とても鷹なんて高価なもの買えないわ。」 「このままお嫁にいけないで、どんどん歳をとってしまうのかしら。」
「あなたはいつも私と目を合わせてくださるけど、名前も教えてくださらないし、けして話しかけてもくださらない。私はとってもお慕いしているのに。やはり私に興味をもってくださらないのね。」
「私の両親が鷹を買えなかったら、私はどうなってしまうのかしら。とても不安よ。」
「お地蔵様によくお願いしてみたら、きっとなんとかなるかしら・・」

そう心のなかでつぶやきおわると彼女は去っていきました。

彼女の背中をみつめながら、青年はすこし緊張して、頬がこわばり口をきっとむすんでいました。二の腕をがっしりつかんでいる鷹が、一度、大きく羽ばきました。 青年はやさしく鷹の羽をなで、そして鷹をそっと抱き抱えて、なにか言い聞かせたのでした。

女性の家はとても貧しかった。結納の贈り物を交換する期限が明日にせまり、いよいよ高価な鷹が手配できないことが明らかになって女性はとても沈んだ暗い顔をしていました。
「やっぱり両親は結納の贈り物を用意できなかった。この結婚はあきらめなければいけないのね。鷹匠の彼とも縁がなかったのだもの。もうどこにもお嫁にいくあてがないわ。」悲しみの涙が次々にあふれ、彼女の瞳を波のように洗いました。すると窓の外からバサバサと大きな音が聞こえるではありませんか。家人が外を調べますと、りっぱな飾りを着せられた、みるからによく鍛えられた鷹が置かれておりました。家人は「これはどなたかのありがたい贈り物。遠慮なく頂戴するとしよう。これで、明日は無事に結納を交わせる、よかったな、よかったな。」
娘は安堵して頬をあからめて、にっこりと笑顔を取り戻したのでした。

その夜、鷹匠の青年は、お地蔵様の前に座っていました。革の袋から水晶玉を取り出すと、うやうやしくお地蔵様にお返しをするようにして、そっとおきました。すると水晶玉はころりところがって、足元の湧き水のなかにぽちゃんと沈んだのです。水晶玉は水のなかに落ちたとたん光の粒子になって溶けてしまいました。光の粒がちりばめられた美しい水に青年はうっとりみとれていました。青年は、その水をそっとひとすくい飲み込んだのでした。青年は胸がす~っと浄められるような気がしました。
「あ~、なんておいしい水なんだろう。この世に、こんなに甘くておいしい水があったのか。あぁ、もう身も心も透明になったようだ。あたりの風景も皆、水晶でできているかのように透明にみえる。すべてを光の粒子がおおっている。ああ、なんて美しいのだろう。この世のすべてが美しく輝いているではないか。」

それから幾歲月が過ぎました。
村はとても平和な生活で満たされていました。この村では貧乏な家には、きっと何年かに一度、それはそれは素晴らしい贈り物が届けられたからです。時には、暖かい羊毛の毛布でした。時には象牙の髪飾りでした。時には、あのときの女性のように結納の為の高価な贈り物でした。それらが、家の者の心を誰かが読み取ったかのように、きっと願いがかない、与えられるのでした。

村人はこの村には神様が住んでいるのだと信じていました。いつも心に強く念じていれば、それが必ずかなったからです。

村はずれに住んでいるあの青年は、もうだいぶ老いていました。祖父が元気だった頃と同じ姿になっていました。老人は、いつの頃からかまったく口がきけなくなっていました。そのかわり、老人の目はそれはそれは美しい水晶の玉のようでありました。

老人は、とても長生きをしましたが、死ぬまで一人ぐらしでした。

老人がひっそりと亡くなった時、村人が集まってお墓を掘って埋めました。老人の墓標には鷹匠の道具がかけられていました。

その墓標を見守るかのように、村の上空を一羽の鷹が螺旋をえがきながら、いつも悠々と飛んでいるのでした。