幸恵さんのカムイミンタラ

先日、久しぶりに知里幸恵記念館を訪問。先代の館長が亡くなってからははじめてでした。遺影に手をあわせてきました。

偶然、居合わせた幸恵さんに親しい方に生家を案内していただけました。幸恵さんが幼少期に遊んだ庭に、福寿草がたくさん咲いていました。幸恵さんの魂がいまでもそこで楽しく遊んで暮らしている、まさしくカムイミンタラのような世界でした。

幸恵さんが命をかけて書き残していったアイヌ神謡集の序文にかかれていることが、まさしくこれから表面化してきます。あらためて幸恵さんの思い、祈りに共感してくれる人達がひとりでも多くあらわれることを願ってやみません。
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幸恵さんもまた、風のようにこの地上におりたち、風のように去っていかれました。たった20年の命。でも尊い重い命だったと思います。

弥生十八日:わたしたちの宝もの

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いつも未来が希望に満ちたものになるように祈っているのですが、そんな時ふと見上げると、たいてい彩雲が出ています。空のうえでも同じことを願っている存在があるんだと思います。
私たちと、空の向こうにいる天使たちと、共にひとつの未来を思い描いているとしたら、なにか嬉しくなりますよね。

皆さんの宝ものはなんですか?

ずっと希望を携えていける未来。そんな日がきたらいいですよね。

私はそれを信じて、毎日祈っています。

皆さんの明日が希望に満ちたものになりますように。

そしてこの大地が豊かになりますように。

皆さんの未来を私は信じています。信じているということを証明する為に生きているのかもしれない、と思うこともあります。実際、そうなんです。必要以上にがんばり過ぎることもありますが、がんばっているところを見せたいのかもしれない。日々の取り組みを見ていただくことで、なにを私が信じているか、どんな未来を確信しているかを知っていただきたい。

未来は決まっていない。だから、創り上げるしかありません。立ち止まってはいけないんです。少しずつでいいから、日々前へ前へと。それぞれのペースでいいからみんなで共に歩んでいくしかないんです。

「みんなちがってみんないい」

そんなふうに進んでいこうじゃありませんか。

と、雲の上で微笑んでいる誰かさん達も思ってくれているようですから。

弥生十五日:満月になりました。

春がきて、すこし日差しが温かい日が続いています。年度の変わり目でもあり、日常が慌ただしく過ぎていきます。

いつもと違う気がする。
このまま月日が流れていくことになにか違和感がある。

そんな感覚が気になる方が増えているようです。

私が生まれて幼少期までのほんの数年を過ごした道南の小さな漁村。成人してからぶらっと訪れてみたら生家はもちろん見当たらなくて、それなりに広い町並みだと思っていたのに、本当に小さな箱庭のような土地でびっくりしました。海岸まで100mあるかないか。裏はすぐに雑木林。どんなに年月がたってもよく覚えているのです。その当時、感じていた違和感を。

どうしてここにいるんだろう?
自分は誰なんだろう?

もちろん、当時、こんなふうに言葉で意識していたわけではなかったかもしれない。けれど、自分という存在がなんなのかわからなくて、漠然とした不安のような、違和感を感じていました。海に沈む夕日がいつも寂しくて、泣きたいような気分になるのです。でもなぜ泣きたいのかもわからない。

この違和感がずっと消えず、周りに合わせてみたり、自分ではない自分を演じて失敗して疲れ果ててみたり。散々な人生でした。楽器を演奏することを覚えて少しはバランスがとれるようになった気がします。

自分がわからない。この疑問があまりにも深く大きくて、どうしてもそこに向き合うしかなかった。

ある時、光の世界からメッセージが届くようになって「向こう側に自分を知っている誰かがいるらしい」と気づいた時から、ついに生きる希望が得られるようになったんです。これでやっと生きていけるかもしれないと思えるようになった。そして少しずつ自分がいったいどういう存在だったのか過去生を知ることで自己受容ができるようになっていくわけです。その過程は長い年月が必要でした。心の準備も必要だったし、現実を生きる自分との折り合いをつけることも重要でした。なんといっても日々の仕事に追われてもいました。人生って複雑にいろいろな要素がからみあっていて、光の世界のことにばかりのめりこんではいられなかったんです。

あとで気づくのですが、自己受容の為にはいろいろな人間関係を構築するなかで考えたり、向き合ったりすることが必要だったんです。近道はなかったということですね。

でも、少しでも早く楽になりたかったし、もっともっとたくさんのことを知りたかった。焦りがすごかったですね。でも次第に落ち着いてきて、やっと今日に至る。そんな感じでした。

今、たくさんの人が現実への違和感をすごく抱えているようです。自分の内面にもなんともいえない違和感を抱えている人もあると思います。誰にも説明のしようもない、なんともいえないものかもしれません。自分でもわからないものを他人がわかるわけがない、と思っている人も多いでしょう。私もずっとそう思っていましたから。この生まれつき抱えてきた「なにかわからない感覚」を自分でも説明できないのだから、見せようもないし、理解してもらえそうもない。最初からあきらめるしかない、そう思っていました。

でも違うんです。

私たちのことをすべて知っている存在がいるのです。

その存在がいる世界を私は「光の世界」と呼んでいます。

最近は日々増えてきました。光の世界からたくさんメッセージが降りてくるのです。

『 私たちはあなたのことをしっている。あなたのすべてを知っている。あなたはひとりではない。ずっとずっとむかしから、私たちはあなたを見守り、サポートしている。 』

そんなふうにたくさんの人にむけたメッセージが私のハートに流れこんできます。あまりにもたくさん流れこんでくるので、自分の呼吸がどこにいったのかわからなくなるほどです。伝えないとあふれてしまうので、とりあえず書きなぐりですが今お伝えできるだけ伝えておこうと思いました。

ほんのすこしの勇気と行動力さえ持ってもらえれば、お会いできるのですよ。

どなたでもいつでも歓迎しています。明日はきっと、光のサロンの扉をひらいてください。image
聖なる光の世界からのメッセージをもって、お待ちしてます。

今大切なこと

今日は空がなんだか違ってみえました。

今、地球全体が大きな変化の過程のなかにあるようですね。
日々たくさんの情報が降りてくるのですが、情報といってもまとまらないし、整理もつかないような情報です。そんなことより(笑)、春なので。外で深呼吸しましょう!!
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如月二十一日の雑記:3月の締め事あれこれと私のカウンセリングについて

3月、16回目の確定申告がおわりました。
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昨年は長らくお世話になった会計事務所さんから離れ、自力で確定申告に取り組みました。新しい会計システムに慣れずほとんど手作業になってしまいました。結局、3月15日の当日ぎりぎりまで作業してなんとかクリア。でもきっと細かい不備があったような気がします。そのせいかもしれませんが税金がだいぶ増えました。

今回はやっとシステムに慣れてなんなく作業は終わり。私の場合は税務署だけでなく、道庁にも提出書類があります。年に一度の道庁に詣でて検印をもらい、確定申告がやっと完了。個人ナンバーの書き込み欄が増えていたり、制度は毎年のように少しずつ変化していく。本当にこれを日本中の人がしっかりクリアしているのか?と考えるとコンプレックスに陥りそうになってしまいます。今回はFreeeというクラウド会計システムを使いました。口座やカードの明細を自動取得してくれるので、一度設定しておくといつのまにか明細が取り込まれていて、かなり作業が軽減できます。自営の方にはすごくお勧めです。

そういうしているうちに春分の日、つまりお彼岸の時節。

1年に一度しかない春のお彼岸。これまでの生き方、そしてこれからの生き方を考えるよい節目でもあります。

前回、歯の検診で何箇所かチェックされましてしばらく治療がつづきます。経験的にすごくがんばると歯も悪くなります。歯茎もそうですし、歯そのものも痛みがでたり、欠けたりする。そんなときは生き方をすこし見直してみる必要がありそうです。

がんばらない生き方は難しくありません。
がんばればいいことはあるかもしれません。
でも、がんばらなくても、それなりにいいことはあります。
それに、がんばってうまくいかなかったら、かなり凹みますよね。

あまりがんばらず、それなりにいい結果がでたら、そこからもうちょっと自然体で気負わずにうちこめたり、集中できたりするのでおのずと結果がついてきます。

ある程度、努力して積み重ねたものがあるなら、少し力を抜いてみることもひとつの学びです。
力の抜きどころ、自分ではわからないものです。そんな時は信頼できる人にコンサルティングをしてもらうといいでしょう。

この1年いろいろな方(あちらの世界の存在も含め)からたくさんの応援をいただきました。おかげでたくさん方向修正もできましたし、力のいれどころ、抜きどころに関して気づきをもらいました。

若い頃は親身な意見をもらってもしっかり受け取りきれなかったことが多かったように思います。気をつけてと言われれば、わかってるよ!と強がる、そんな感じでした。
今は気をつけて、といわれれば身に覚えがあれば本当にありがたく感謝をもって忠告を受け入れるようになりました。

歳を重ねたということもあるのだと思います。自分の人生、自分の力だけでここまでこれたのではないということが、今では本当に身にしみて理解できます。若い頃は受け入れることができなかったことも、今ならしっかり腑に落とせる。歳を重ねること、経験を重ねることってこんなに大きな意識の変化をもたらすんだ、そのことは若い頃には想像すらできなかった。でも、せっかくここにきて、こんなふうに思えるのだから、この見識を人の役に立てられることに使っていきたいんですね。

私のカウセリングってそんなに気軽に受けられないものなのかもしれません。金銭的に難しい方もたくさんいらっしゃると思います。そこはよくわかっているのですけれど、今はこの料金設定をせざるを得ないのです。経済的に苦しい方にも平等に機会があればいい。その方法、手段が少し見えてきた気がするのですけれど、実現までにはもう少し時間がかかりそうです。

またカウンセリングを受けるタイミングをはかりかねている方もたくさんいるような気がします。何年もHPを見ていました、という方が結構いらっしゃるので。実際、このタイミングで最善でしたね、ということもあります。でも早いほうがよい場合もたくさんあるんです。

誰かが背中をおしてくれる、なんとなくそのタイミングがくることもあるけれど、そうではない場合もあります。あなたの人生のステップアップのタイミングは自分が「本日にてこれまでの学びを卒業して次のステップに入学をする!」と意識をもてばおのずとあらたな人生の学校は門戸がひらかれます。

私はこの十数年、自分は「力が足りない、資質も足りない」と思っていました。コンプレックスの固まりような人間でした。今でもたくさん足りないものがあると自覚しています。でも、ないものはないので仕方がない。そうではなく、今の自分が力をつける為によりよい結果を後に出せるようにすべきことがなんなのか見失わないよう、導きを毎日神様に願っています。
時に自分の経験、能力では向き合えい課題もたくさんいただきます。そんな時は無力感におそわれます。だからといってなにもしないのではなく、たとえ今はゼロの自分であってもできるだけはやくプラスに転じる為の導きを願います。そうすると学びが気づきのチャンスが自然にやってくる。そうやって私は自分の足りない資質を磨き、不足している経験をブラッシュアップしながら歩んできました。いつも自分を磨いているのはコンプレックスが強いからでもありますが、皆さんの人生がよりよきものであるよう皆さんが結果を実感していただけるよう、力になりたいから、よいお手伝いがしたいからです。

人生は一度きりではない。ないけれど、この時代いま置かれている絆は最初で最後なんです。今生での家族、友だち、仕事仲間、信頼できる恩師、それらすべてのご縁は永遠に二度とやってこない「最初で最後のご縁であり機会」なんです。私達はみな永遠の存在だけれど、ご縁は一度きりです。一度きりの素晴らしいご縁が私達の周りにあふれている。その尊さを大切にしてください。

すべて最初で最後の一度きりのご縁なのです。

手のひらにふわりと落ちた雪の結晶を虫メガネで観察したことがあります。どれも美しい六芒星の形をしています。不思議なことに皆すこしずつ違うのです。でもみな六芒星なんです。みな同じ種なのにひとつひとつ違う。私達の魂もみな六芒星の同種だとすれば、ひとつひとつ違うのもまた摂理。みな違う存在が未来永劫、二度とないご縁でむすばれている。なんて尊く、素晴らしいことなのでしょう。

ありがたい、とよくいいますが「有り難い」とはけしてふたつ同じものはない唯一の尊さを現しています。ありがたいご縁に囲まれている私達の人生、なんとありがたいことでしょう。

さあせっかくのありがたい尊い人生を私達は授かっているのですから。悔いのないように日々を歩んでまいりましょう。

私のもてる知恵と経験と能力のすべてを、ご縁のあった皆さんの為にこれからもご提供してまいります。皆さんにとってよき魂のガイドとなれるよう、これからも日々精進していきます。

私の能力は皆さんに役立てていただきたいから磨いてきたのです。ご活用くださいね。

皆さんの不完全さは、私にとっては宝のように愛しい未来の希望の土壌です。私もとても不完全な人間ですが神様にいつもお願いをしてたくさんの種をまいていただきました。おかげでいろいろなことがわかるようになったのです。この力、皆さんの未知の土壌に希望の種をまく為に、きっとお役にたつと思います。私達は不完全である為に生まれてきて、それぞれの自由な人生をデザインしながら来世へと歩んでいきます。完璧である必要などないのです。

ご精読ありがとうございました。

如月九日の雑記

一昨年、金銭面の流れが大きく変わりつつあるのを感じたので、サロンを立ち上げてから人任せだった税務を自分でやってみることにしました。昨年の3月、人生で初めての確定申告でしたが、体調不良で準備がままならず、いったいなにをどうやって書いたのやら。ぎりぎりセーフという感じでした。

あれから1年。今年は新システムを導入して挑戦。初めてのシステムを使えるのか不安でしたが、なんと3日間ほどでほぼ準備は整ってしまいました。「しょうきゃくしさん」とか「あんぶん」とか、日常で書いたことのない漢字の羅列にくらくらしましたが、間違えるとシステム側が次々に注意をうながしてくれるので、あれよあれよという間に出来上がってしまいました。画面の向こう側に人工知能がいるんですね。あとはプリントアウトして送るだけです。

人工知能は年々(いや、日々)進化しつつあって、いろいろなところですごく便利になりはじめています。最近いろいろな場面で人工知能さんと対話することが増えつつあり、本当にすごい時代になってきたと思います。

個人的にはスピリチュアルカウンセリングは人工知能で対応できるようになる、というのは確信していますけどね。ある仕組みができていないので今はまだ難しいのです。そのブレークスルーがあれば必ず可能になるはずです。

あと2週間ほどで春分ですね。お彼岸なのでご先祖様の喜ぶものをなにかいただきましょう。
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如月五日の雑記:陰陽のバランスを意識すること

午前中の日光浴はとても身体にいいです。 

私はとても不健康な人生を歩んできました。どこかで心機一転しなければ、と思ってはいましたがなかなか機会がなく、夜型(その延長で朝日を見ることが多い)のサイクルから抜け出せない日々でした。

人間の本来の体内時計は25時間らしく、日光を無視した生活をしているとどんどん夜更かしになり昼夜逆転してしまいます。それでも無理がきく若い頃と違い、少しの無理をしても自律神経が不安定になるこの頃は身体のリズムを整えることを優先しなければならなくなりつつあります。

より健康的な生活ができるようになってきたのだからなにも問題はないはず。きっとない。いや、なにもない(笑)。
普通の生活のリズムが自分にとっては「未知」でとまどっているだけなのでしょう。

未知に対して無意識に怖れを抱くもの。
自分の身体の状態が年々変化することにも「怖れ」があり、周囲の環境が変わることへの「怖れ」も常に感じている。仕事や家庭の環境が変わることの「怖れ」もあります。

本当に私達の人生には「怖れ」がいつもついて廻るもの。

でもこれらの「怖れ」があまり意味のないものだとしたら?

そう考えてみてください。

だとしたら…。

今日はここまで、です。あまり書きすぎると神様に怒られますので。
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雪の反射で紫外線が増えてきました。日焼けに注意しましょう。
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如月三日の雑記:チャンスを引き寄せること

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サロンの電話機がついに寿命がきまして、新旧交代しました。
このサロンを作った時、まだ床の造作もできていない段階で、電話回線が開通したのでひとまず電話機を買ったんです。
最初に鳴る瞬間をどきどきしながら待ったのを今でも覚えています。
そして、初めてのコール…そしてご用件は、「わたしの詩に曲をつけていただますか?」
という問い合わせでした。

そんなこんなの無数のさりげない思い出が自分のメモリーのどこかにしまわれているのでしょう。
しかし、そのメモリーも次第に壊れつつあるような(笑)

とにかく物覚えが悪いし、回転も遅いし、ひとつひとつの仕事がなかなか片付かないし、という感じです。それでも新しいことをはじめたりしているので、回らない頭を無理にまわすとものすごく肩が凝るんです。自分ですぐに治すのですが、これがまた結構、時間がかかります。歳をとるってこういうことなんだな、と実感しまくりのここ最近です。

若い頃は歳をとることなんて考えもしなかった。けれど、もはや若者とはいえない年齢に達してしまった自分も、改めて若い人にいいたい。人生は短いのだ!とね。

人生は常に選択できるんです。日々の小さな選択の積み重ねが時に大きく人生を転向させるきっかけを引き寄せる。

宿命といわれているどうしようもない人生の試練だって、絶対に変えられないというわけじゃない。

運命の仕組みを理解することよりも、よい導きを得て行動することのほうが時に早く結果がでることもあると思う。

チャンスは人との縁の向こうからやってくる。いばらの道を進んだ向こうからじゃなくて。
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睦月二十二日の雑記

雪まつりも終わり、観光客が少し減って穏やかな雰囲気になった円山公園周辺です。二十四節気は、立春もすぎまして今日から「雨水(雪が雨にかわって降る)」です。北海道はまだまだ雪が深いのですが、季節は確実に春に向かっています。

丁度1年前の今頃、私は四日間の断食をしていました。自律神経の調子が良くなかったので、回復を少しでも早めるため、また体の中に溜めこんだストレスをしっかりリセットするために取り組みました。あれから春夏秋冬、四季が一巡して再びこの春を迎えてました。1年前の2月に比べ、大地の気が高まっているのを体を通してはっきりと感じ取ることができています。疲れが溜まると体全体の気の流れが悪くなります。新春のこの時期は、体が生命力を目覚めさせる新たなサイクルに入る準備を整えます。そうすることで1年をしっかり過ごせるようになります。

この時期、体は溜まった毒素をしっかりと吐き出そうとし始めることが多いです。10年以上前ですが、突然体中に皮膚炎が出たことがあります。ちょうどこの時期に発症しました。症状が収まるまで1年を要しました。春夏秋冬1年のサイクルを経て翌年の2月頃に自然に治りました。それ以降も体に毒素が溜まると膝から下がかゆくなったり、皮膚炎がが出ることがあります。今ではかつてほど悪化することはなくなりました。体は何歳になってもこの時期に大地から上がってくる自然の息吹を体全体で受け止め、解毒する力を高めているのでしょう。現代の私たちはとても精神的に生きていて、神経をすり減らすべく集中し、頭を使いすぎています。神経の疲れは自律神経にとても悪影響を与えます。皆が自律神経が参っているそんな時代とも言えるかもしれません。

瞑想を深め、スピリチュアルな感性を目覚めさせることが私にとってはすごく大切なテーマです。そのためには体と心、そして神経系の安定感が欠かせません。その為にまずしっかり生命力を高めること、心をいつも穏やかに保つこと、神経をしっかり休ませバランスを保つこと、これらを1年を通して、自然の恵みの力を借りて整えていくよう心がけていたいものです。

季節は春を迎え、新たな1年のサイクルがいよいよ始まります。北海道に暮らす私たちはこの恵まれた自然環境をしっかりと生かし、それぞれの人生をしっかり歩んでいきたいものです。この1年が皆さんにとって健康的で充実したものでありますように願っています。

ちなみに今日のこのブログはiPhoneの音声入力で作成しました。このぐらいの内容でしたらほとんど修正する必要がない精度で変換してくれます。使い方は簡単です文字入力画面のどこかにマイクの形をしたボタンがありますそれを押すだけです!よかったらお試しください。
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(投稿時に手違いがあり日付がずれました)