今日のInori

いつもなにも考えずに書き出すのですが、なんとか今日も間に合いました。

Inoriというのを、まったくなにも考えず、本当に心も頭も空っぽにしたら人間にはいったいなにが残るのでしょう。

今日、ラジオで九ちゃんの「上をむいて歩こう」が流れていました。何十年たっても素晴らしい名曲です。この曲を作曲した中村八大先生のお弟子さんだった人と、しばらく一緒に仕事をしましたが、途方もなく情熱的な人で押されまくりでした。そんなお弟子さんを惹きつける先生だったのでしょうね。心に熱いものを持っていらしたのではないかと思います。

音楽は、いろいろなメッセージを時空をこえて伝えてきます。素晴らしい名曲を歌ってくれた九ちゃんが、なぜあんな不幸な最後を遂げなければならなかったのか。この世にはわけのわからないことだらけ。どうして?と思うことが多すぎます。どうしても答えを知りたい、なんでもわかるようになりたい、という「いったいどこからどうしてそんな欲求がやってくるのか」自分でもよくわからない知りたがりは幼少期からずっと変わりません。

とにかくなんでも問い詰めるので、よく両親が答えに詰まっていたなぁ、ということだけは覚えています。好奇心も旺盛で外出先で行方不明になることもあって、幼児だった頃、捜索願を出されたことがあります。家族は誘拐でもされたか、事故にでもあったか、と気がきではなかったことでしょう。(その時、自分は夜の街灯りが綺麗でどこまでも一人でふらふらまっすぐ歩きつづけてしまったんですね…で、交番の前でちゃっかり保護されました、とさ)。保護された後、どこにいっていた、なにをしていた?と問いただされましたが、幼児だった自分には「街灯りが綺麗だったから」と説明する言葉はなかったですね、すみませんでした、交番の方、親戚のみなさん。

言葉をかわさなくても、心が通じ合えたらどんなに楽だろう。
怒っていても本当は怒ってなんかいない、とわかったら簡単に許せる。
誰も殺意なんか持っていない、ただ怖いだけなんだとわかったら、歩みよってあげられる。

そんな時代がきたら、どんなにみんなが楽に生きられるだろう。

言葉がなくても、わかりあえたら。
そう願っていたら、神様は私達にもうひとつの言葉を与えてくれるだろうか。

皆が仲良く暮らせますように。
憎み合わず、対立せず、お互いを許しあえる世界が生まれますように。

そして、たくさんの愛が美しい音楽をかなでますように。

(ひろしま被曝ピアノ、到着しました。順次発送準備しますね。)

今日の徒然:昭和の時代

いろいろなご縁で、学生さんにも時々お会いします。親御さんに連れられてくる方もいます。ご本人がいらっしゃなくても、親御さんにメッセージを託すことがあります。それでもきっとなにか共感してくださるように感じています。

年齢がお若い方に、直接メッセージをお渡しする機会はこれからどれほどあるのか、ないのかわかりません。頼まれれば小中学校で講演をしてもいいのですが、教員の皆さんには全員退席していただけないと話せない気がします、なんてことを書くともう絶対にチャンスないですね。仕方ないです。

20歳の時に、中学校に教育実習に行きました。なにか期待するでもなく、かといってなにか変化や気づきを望まないわけでもなく、恥ずかしいような照れくさいような、いろいろな感情がいりまじっていて、一言でいえば心は完全にしどろもどろでした。ただ、授業はかなり上手にこなしたので担当教官の方には評価していただけたような気がします(実は実習の評価表を見ることもせずに、その後すぐに大学は退学してしまいました…)。

当時の自分にとって、中学生の生徒さん達は、あまりにも年齢が近すぎてちょっと前の自分を見ているようでした。あれから30年。少しは語る言葉を持てるようになった気がします。でも、もう二度と教壇に立つこともないでしょう。

中学、高校というジェネレーションは本当に大切な時期で、注意していただきたいことが多く、当人にも親御さんにも教育現場の皆さんにもいろいろお伝えしたいと思っていますが、残念ながらまだそこまでの余裕が持てない状況です。もっと伝えるべきことを伝えられる自分になれるように、と願っています。まだまだ力の足りない自分です。いったいどれだけ成長できたのか…。実はあまり変わってないのかもしれない、とも思ったりするのです。

当時はですね、授業で配布する資料を作るのにガリ切り、というのがありましたよ。もう通じませんよね、今の人には(笑)。パソコンも携帯もない時代だった、というのがおそろしく遠い過去のように感じさせます。まったく「昭和」でした。それにあの頃は、とてもハンサムボーイだったですね。通学バスでよく乗り合わせる女子高生に手紙をもらって困ったりしました。人生、いろいろあるもので…。

今日のInori

長い歴史のなかで、人々が最もInoriを捧げた時期があるとすれば(そういう統計があったとすれば)遠くは宗教戦争の頃だろうか。とにかく、多くの人が社会に絶望し、圧政や対立に苦しみ、それこそ救世主の到来を待ち望むような空気が満ちている時。

そして近くはせまりくる敵国を、死を覚悟しつつも暗い洞窟の奥で息を潜めていた沖縄南部での悲惨な戦い。ポーランドの悲しみも忘れてはいけない。そして今でも遠い国々で砲弾の恐怖や、飢え死にの恐怖から逃れられない人々の苦しみも忘れてはいけない。

でも、私達に今、遠い過去の記憶を癒す為のInoriがあるだろうか。遠い国の人達の平和を願う為の強い確固たるInoriがあるのだろうか。

正直、今は私達自身の社会を立て直すことにとらわれすぎている。残念ながら、今日本には余裕というものがないように思える。でも、私たちはくじけない。大和の国をけして見捨てはしない。

皆が未来を信じて祈ること。

人々が一致団結して、ふたたび東にジパングあり、と声高らかに栄光を勝ち取る日がくることを。

ただ、ひとりひとりが小さきInoriを今日も捧げ、天に届きますように。

明日のわれらにも、泥沼から這い上がる力が与えられますように。

どんなにとらわれても、何度転んでも、再び立ち上がる死力を尽くす決意をもてますように。

今日の徒然:とらわれること

とうとう携帯電話で放射線を測定できる時代になってしまった、というより放射線量を気にして生きていかなければならない時代になったということだろう。

常時、なにかを気にして生きていくことを、とても生きにくいとか、せちがらいと思う人もいるかもしれないし、それに慣れてしまって無感覚になっている人もいるだろう。街なかで、本当にたくさんの人が携帯の画面とにらめっこをしている。電車のなか、公園のベンチ、カフェで、歩道を歩きながら、なかには自転車に乗りながら、買い物袋を下げて往来で立ち尽くして凝視している女性…少し前はそれらも奇異に思われたのに、もうなにも感じなくなってしまった。案外、人は「なにかにとらわれ続けていたい」ものなのかもしれない。

中学生になって腕時計を買ってもらった。それは安物だったのですぐに壊れてしまった。数年して、もう少し高級なものを買ってもらった。どちらの時計も、用もないのに始終ながめていた。時間を気にする必要はさほどなかったにも関わらず。自宅にも教室にも塾にも、町中のいたるところに時計はあるのだから、おそらく無くても支障はなかっただろう。でもあの頃はいつも時計を気にしていた。

おそらく当時はそうすることが必要だった。時計がなければ空想癖のある自分は、今が何時でさっきから何分、何時間経過したのは、すぐわからなくなってしまっただろう。現実の時を刻むものがあれば、5分たったことがわかる。1時間もぼんやり過ごしてしまったこともわかる。ぼんやりしすぎないことで周囲と調和したり、家族に心配をかけないように自分なりに抑制しようとしていたのだろうか…。

音楽を聴いたり自己流でピアノを弾くようになってからはもう一つの時計が頭のなかに生まれた。ウォークマンを買ったのは、ずっとずっと後だったので、曲は覚えて頭のなかで繰り返す習慣が身についてしまった。好きな音楽を頭のなかでプレイバックする。そうすると、◯◯ソナタは5分ぐらいとか時間の幅が測れるようになる。でも、想像のプレイヤーは速度が自在なので、早回しになったりスローになったりするので誤差も大きい。が、ないよりはマシ。通学のバスの中では、よく覚えたての曲を頭のなかで聴いていたものだった。

最近は瞑想をしていても時間の幅が大きくブレることも少なくなってきた。身体感覚で1時間とか、2時間とか測れるようになってきた。こういったことは経験のなせる技なのだろう。

なにを言いたいのかわからなくなったが、人はなにかに気をとられたいもの、ということをきっと言いたいんだろう。

今日のInori

光かがやく未来を共に祈り、強く願ってはいても、
この世には様々な出来事がやってきます。
私達の人生は平坦ということはけしてなく、
様々な試練という一見すると困難な荒波にもまれるもの。

なぜ神様はこのような厳しい世の中を私達に与えたのか。
どうやってそれらを克服していけばいいのか。

考えても悩んでも、なかなか活路が開けることはありません。

それでも祈りをやめることなく、続けていこう。
明日は必ずやってくる。

終わりは始まり。始まりは終わり。
ものごとは必ず移り変わっていく。

今、試練の時だとすれば耐えてさえいれば必ずそれは終わります。

だからなにがあってもけしてあきらめず、ひるまず、
ひたすらに耐える時はしっかり耐えていかなければなりません。

それでも辛い時は、もうだめだとあきらめてしまう人がいます。

でも、本当に、最後の最後であきらめてしまう前に。
真剣に祈りましょう。なにもかも神様にすがる気持ちで必死で祈ってみましょう。

あきらめるのなら、祈ってからでも遅くない。

だから、最後の最後まで祈ることをどうかお忘れなく。

皆さんの祈りが、けして絶えることなく限りなくどこまでも
広がり続けますように。

今日のInori

あなたの内なる創造力がたかまり、
素敵な作品となってこの世に現れますように。

インスピレーションは無限の広がり、
どこまでも発展していく向上するエナジーの源泉。

あなたの内なる光が螺旋の渦をえがいて、
どこまでも高く、飛翔していきますように。

そして、共に祈り、願い、希望をみがきあっていく
たくさんの同士達と出会えますように。

あなた達のハイアーセルフと共に、
いつも祈っています。

今日の徒然:図太い弁護士さん

IBMはSiri*を使用禁止にしたらしい。機密情報が漏れるかもしれない、というのが理由だそうだ。大企業ならたとえ漏れて被害がでても法廷に持ち込むこともできるだろう。

人間な便利なものが好きだし、役所にSiriのような音声ガイドシステムが用意されたらどれほど便利だろうか。Appleの技術と知性に頼ったほうが、よりよい行政のサービスが実現するかもしれない(かなり本気のジョークです)。自分が厚生労働大臣だったらすべてのコンピューターシステムの構築をAppleに委託しちゃうだろうな。もっとも引き受けてはくれまい(その前に影の利権者につぶされるかな)。いずれにしてもSiriのようなあまりにも便利なサービスを利用して日常を生きていく世代が、行政のトップに立つ時代まであと20年ほど。その時にはごく自然に便利な先端技術を導入する流れになっている。

おそらく個人のプライバシーがネットの向こう側で好ましくない形で流用されたり、時に漏れてしまったりすることだろう。そんな時に誰が守ってくれるのか? 法律もゆっくりではあっても整備されていくだろう。やはりそんな時には弁護士がしっかりと、個人のプライバシーを守ってくれる風潮になっていて欲しい。時代の流れを読み、庶民の味方としての法のエキスパートさん達が増えてくれると民間人は多いに助かる。

あまりにも日本人は物言わなすぎるから、民主主義と憲法が正しくすべての国民に成される為に、法をただしく行なってくれる人達の力がこれからは頼りだ。たとえ相手が国であってもどんと弁護を受けてくれる肝っ玉の太い人、望む。

*Siri:iPhone4Sで使える音声アシスト。話しかけた内容を分析して的確な回答を返してくれるので知性をもったコンピューターと対話している気分にさせられる。Appleのサーバー内で分析されているので話しかけた内容が記録されると疑念を持たれるのも当然かもしれない。

今日のInori

この頃、20年から30年先の注意事項をお伝えすることが増えてきた。それはつまり、自分の同世代の方の最後の過ごし方についてだ。ほとんどが健康状態に関する予見。ほんの少し前まで人生ってなんて長いんだろうと思っていた。それは万里の長城か、というぐらい無限に続くかのようにみえたのに、この頃の自分は「最後の綺麗な終わり方」のアドバイスをしている。これが人生の長れなんだな。

皆さんが、人生の最後の日まで健やかで穏やかな日を重ねていけますように。

今日のInori

いっきに気温が高くなってきました。
身体が自然のリズムに慣れるまで、少しスローペースで。
日曜はおもいきって安息日に。

心は瞑想で。
身体はゆっくり過ごして。

そして、週明けの地道にひたむきに前進する大きくゆったりした時の流れに
のまれないように。

どなたも、靴の紐にほころびがないかどうかだけ、確かめて…。

皆さんの安全をお祈りします。

今日の徒然と今日のInori

今日からエンジェルカードワークショップがはじまります。

誰でも知ってる(?)エンジェルカード。親しみやすいエンジェルカード。とっても綺麗なエンジェルカード。?なにを言いたいんだろう。ま、いいや。

ドリーンさんはどうしてこんなに次から次へとカードを発売するんだろうか。博士のカードはどれも綺麗で素敵だけれど、本も(残念ながら翻訳がでていないようですが)素敵な内容なので、英語が読める方は読んでみてほしい。天使や精霊たちとどうやってコミニュケーションがはじまったのか、とてもわくわくする内容です。

僕は見えない存在達と物心ついた時からずっと一緒に生きてきたので、怖いものでさえなければなんでも大歓迎です。怖くない、とわかった時から親しめるようになりましたね。でも、怖いものもあるので注意が必要なんです。それぐらいですかね、気をつけたほうがいいのは。

今日からのWSは間違いなく楽しい講座になります。なぜって…たくさん天使や精霊達が共に集って応援してくれるからです。

ご連絡:
今日で高橋全さんのCD注文を締め切りますので、お忘れなく。「ひろしま被曝ピアノ」は個人の小さな試みですので存在を知らない方がほとんどです。どうか、一家に一枚、永久保存版にしてください。そして次の世代の人達にバトンタッチしてください。たとえピアノが朽ち果てても音楽は永遠に残りますから。彼の平和への祈りの楽曲はきっと天からの授かりものだと思います。皆さんの音楽を愛する、慈しみのエネルギーで平和への祈りを形にして、次世代に譲り渡していきましょう。
素晴らしい音色とともに祈ることは、自分自身が神と一体になれる瞬間です。音楽がその橋渡しをしてくれます。

皆さんの祈りが天に届きますように。皆さんの明日が光に満ちたものでありますように。