気を使うと余計な気を使うなと怒られ、気を使わないと態度が冷たいと怒られること。

もうどうすればいいの、という板挟み状態(ダブルバインド)。
あらゆる人間関係のみならず、ペットとの間でもよくある図式。

これを回避するには、ひたすら与えること。
関わる対象(人、ペット)を、可憐に咲く美しい花のように大切に扱い、さらに美しくみえるようにいけてあげる。
華道においては、枯れ木や刺のある茎すら、みな美しい素材になる。心込めて慈しみの思いをむければ、この世にあるあらゆる存在のなかに仏性がみえてくる。

日本人が昔から大切にしている文化や精神性には、無償の愛を形にするための術(智慧)がたくさん残されていると思います。

華道、いいですよ。

そのうち、生け花を通して心をみがくセミナーを開催するかもしれません。

従順とされている犬がなぜ人にかみつく事件がおきるのか。

私自身、従順なはずのラブラドールにかみつかれたことがあります。もっとも、そのときはこちらも油断したかな、という状況だったので自業自得ではありましたが、しばらく傷が痛みました。

時折り、犬に人がかまれたニュースが流れているのをみるにつけ、犬も人間も精神構造はさほど変わらないのだろうな、と考えてしまいます。とても物静かな人が豹変して、とんでもない事件を引き起こす、ということは人類の歴史においてはさほど珍しくないのですから。

ものごとには常に二面性があって、良い面もあるけれど、真逆の面もあるだろうと思います。従順で温厚であるということは、その真逆の側面もあるに違いない。日本人は元来が勤勉でまじめです。でも過去、アジア全域で多くの人を苦しめてきたという闇の歴史をもつ民族でもある。それは私達の祖父母の世代においておきたことなのだから、今の私達もさほど精神構造は変わっていないでしょう。時代は表面上は平和にみえる。秩序も保たれているように思える。でも、本当にそうなのか。私達の心の表情をみつめるのならば、闇の時代でもあるのでしょう。

ここ最近、理由のよくわからない残念な事件が頻発して少なからず心が重いのは私だけではないでしょう。状況が明らかになっても尚、なぜ?という疑問は残ってしまうのかもしれません。

私達は過去に思った以上に影響を受けます。そこが犬族とは違うところです。だから、犬が人にかみつく理由は解明できるとしても、人間が人間を傷つける心の闇はもっと深いだろうし、くわえて過去の因縁もあるのなら簡単に解き明かすことはできないでしょう。

私は北海道に生まれ、育ててもらい、こうして活動できることの意味を非常に重く、そしてありがたく感じるのは、こういう観点で世の中をいつもみているからかもしれません。この土地でしかできないことがたくさんあると感じています。だから今回の人生はとても意味がある。そう思って日々の取り組みを大切にしています。そう簡単には、この土地にもう一度生まれかわってくることはできないだろうから。

5月も終わりに近づき、6月に入る前に考えておきたい事などあれこれ。

この頃、タイトルが長くなる傾向がありますね。
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前回の記事は、なぜか何人もの人から「同じことを考えていた」とか、「うちの子もそのような事を言っていた」などのコメントをいただくことがあり、不思議なシンクロを感じます。もっとも、すべての事象はつながって同時多発的に起きる傾向があるので、別段、特別と思いません。もっと大きなシンクロが起きる時は起きたりします。

で、前回の記事を書いた直後から「自分はいかにありたいのか」ということについて「ある意識」が高まってきました。といってもあれから2日しか経っていないのですね。でも48時間もあれば十分に人生は変わりますから。

その「ある意識」のお話をする為にちょっと前置きを。

私は函館の某私立高校に通っていました。カトリック系だったので英語の授業はカナダ系のブラザーが担当です。彼らは数年毎に交代に日本に赴任してきているので日本語をほとんど理解しません。ですから、授業も日常のやりとりも全て英語。もっとも彼らはフランス語とバイリンガルなので、プライベートではフランス語を使っていましたね。それもあってかなりフランス語も勉強しましたが話せるレベルには至らず。フランス語の知識は使う機会は今後もないでしょうけれど、意外とフランス語って日常生活に入り込んできているのです。なぜかパン屋、ケーキ屋さんの店名にたくさん使われてます。フランス語はローマ字読みで読めず発音もできないのに。ある流行っているパン屋さんの店名がフランス語なのに「カナ」がふられていない。だから多くのお客さんは「店名の正確な発音を知らない」のだと思うんです。お友達に紹介する時も「◯◯の1Fにあるパン屋」で通ってしまうのでしょうか。

読めない、発音できない、意味もわからない言葉が看板としてまかりとおる。そんなところが日本って不思議だなと思います。なぜ気にならないのかな?と個人的には思います。たとえばフランス語の「1,2,3」は「アン、ドゥ、トロワ」といった発音になるのですが、特にこの「3(トロワ)」は実際の耳にきこえる発音は「トゥゴワ」に近いんです。もっといえば「トゥグゥファ」に近いかも。日本人は聞き取れないし、どのみち表記することもできないので強引に「トロワ」と書いてしまう。

日本はこれでいいんだと思います。雰囲気で楽しんでしまう。柔軟に日本語のなかに取り入れてしまう。カナ表記に変えた時点で、本来の言葉の発音も意味も遠のいていくのですが、だとしても新しい意味や力を与えていく。そんな日本文化の柔軟さが、これからの未来を作っていくのでしょう。

精神はいつも柔軟でなければならない、と思います。硬直化するときっと崩壊しますから。だから、自己否定が生まれてもいい。虚無に襲われてもいい。柔軟でさえいれば、新しい意識が芽生えるから。

ところで、そんな英語漬けのブラザー達の授業を受けていて、すごく印象に残っている記憶があります。試験の成績がいいと「Excellent」とコメントが付くんです。英語の試験ではよく使われる表現なんでしょう。けれど、なぜかその言葉がすごく心に響いて英語の授業がどんどん好きになりました。

で、突然「ある意識」の話にもどりますが。この数日ですごく高まってきたのは、この記憶なんです。つまり「Excellent」でありたい、という自分の意識です。いったい自分にとって「Excellent」でありたいことってなんだろう。それはカウンセリングなんです。

たとえば、ある日の私のスケジュールは、カウンセリング、ヒーリング、レイキのトレーニング、などというように混然一体です。カウンセリングが数件の日もあれば、ヒーリングやレイキの講習ばかりの日もある。終日、瞑想ばかりしている日もあるし、講座だけの日などは何時間もしゃべりっぱなしでレクチャーをすることもあります。本当になんでもあり、という感じになっています。飲食店でいえばメニューが何百とある食堂みたいな感じ(壁中メニューの張り紙だらけの店が稀にありますよね)。

カウンセリングについては、HPにもあらゆるキーワードが網羅してありますが、平均して1時間少々の時間枠のなかで「子育てや夫婦や親子関係など家族のご相談、健康管理、友人との関係性、仕事の方向性、新規事業について、運気について、開運について、おみくじの鑑定(この組み合わせはほんの一例)」など、時には10項目以上の多岐にわたる事項について、的確な鑑定とアドバイスをこなしています。解剖学、生理学ももかなり学んだので、体調にかんしては体のどの部分にどのように負担がかかっているのか、症状を予見することもできるし、自然療法の範囲でのアドバイスもできるようになってきました。霊視だけでは適切な答えはでないので、知識や経験に基づいたアドバイスをこころがけます。仮に90分で10項目の鑑定をこなしたとしたら、1つにつき9分で答えを出しているわけです。こんなスピードで鑑定とアドバイスができるカウンセリングを実践している人は、滅多にいないことでしょう。

私が目指しているのは、そこなのだと思います。「Excellent」なカウンセリングです。適当な日本語訳がないのですが、あえていえば卓越、という表現が一番近いかもしれません。今はまだまだExcellentとはいえないかもしれない。もっと上がある。だから、そこを目指してもっと進化していこうと思っています。昨年よりも、より鑑定のスピードが早くなりました。ここ数ヶ月でもかなり進化しています。自画自賛ではなく、結果として日々のカウンセリングのなかで、短い時間で集約的に多岐にわたる項目について、ひとつひとつけして手抜きではなく、正確で、緻密な鑑定とアドバイスができている、のです。けしておごりではありません。

もちろん、今でも非常に難しいと感じる事例もあります。でも、いかなる命題であっても、私なりの明確な鑑定とアドバイスをお伝えできています。ここ数年は、わからない、お預かりしてよく調べておきます、といった事例は、本当に数えるほどでした。最近では、その場で答えられなかった事例はないと思います。

世のカウンセラーの中には、答えられないのはプライドが許さないので、なんでも「決めつけてしまう」人がいるようなのですが、私は自分が納得できない事は言えないので、誠実であること(人に対してではなく、自分の良心に対して)は大切だと考えています。自分が未熟であるという自覚は常にあります。ご相談者と対等であろうと思っているし、実際に対等です。どちらかといえば自分のほうが小さいな、とコンプレックスを感じることはあっても、自分のほうが偉いとか、大きいと思うことはないです。

さて、このExcellentなカウンセリングをもっと磨く為に、もっと仕事をしなければいけませんね。壁いっぱいのメニューのひとつひとつが味は高級レストランのそれに匹敵するような、それでいて気軽にはいれる食堂を目指します。最高の食材を最高の調理で、気軽に誰でも味わえる、そんなふうにアドバイスを届けたいのです。だって北海道はそういう土地柄なんだもの。それが自然。六本木や西麻布のようにはしない。

みんなの未来の為に。明日の北海道の為に。この土地でこれからの人生がはじまっていく人達の為に(すっかり口癖になってしまいましたが)。

6月にはいってしまうので、どんなセミナーを開催するか計画を具体化しなければなりません。もう少し考えて、募集をはじめたいと思います。

8月は小さい規模でピアノコンサートを開きます。定員が小さいので完全予約制になってしまいますが魅力的な内容にします。7月のどこかで告知して受付開始します。

8月は「魂のリトリート」というテーマで合宿セミナーを企画します。こちらも定員が少ないのですが、準備でき次第、告知したいと思います。

演奏会は年内にできればもうひとつかふたつ、企画して、どこかで皆さんに私の音楽をお届けできるように考えていますので8月に聴いていただけなくてもがっかりなさらないでくださいね。

私らしく、今年後半を生きる為に今考えていることは…

時代がかわってきたな、と思います。根底からあらゆる仕組みも価値観も変貌していくようです。政治もかわるでしょう。でも、私達の生活環境はそう簡単には変わらないのですね。毎日、会う顔ぶれもめったに入れ替わることはない。私達は今の時代を生きながら魂を磨いていくのです。どのように? それは「自分らしく」です。

私は「自分がなにものか」を長い年月、探し求めてきました。自分がわからない、という感覚が幼少期からずっとあった。ふとそういう考えが浮かんでくるのです。自分が自分であって自分ではないことがはっきりとわかるのです。本当の自分ではないだろう、という感覚です。じゃあいったい何者なのか、がさっぱりわからない。そもそも、そんなことを考えること自体に違和感もあったし自分が普通ではないような気がしていました。ぼんやりしていると周囲を心配させるので、考えていることを忘れる為に、自分らしくない事に無理をして取り組んでみることが多かったのです。その副作用は虚無感。虚無が心をおおうと、うつ状態になってしまいます。

私のように極端でなくとも、誰しもが「自分はいったい本当はどんな存在なのか」と考えたことはあることでしょう。でも、考えてもわかるわけがない、と投げやってきたのではないでしょうか。

本当の自分らしさ意識のなかに眠っているのです。スピリチュアルな表現で「目覚める」とか「覚醒する」というのは、魂感覚が目覚める、ということです。魂感覚は、すっかり眠っている人もいるけれど、ほとんど目覚めかけている人もいます。でも、目覚めたところで、それがどうした、ということになってしまいます。なぜなら、魂感覚と現実感覚は、ものすごくギャップがあるのです。それを埋めるのは容易ではないどころか、うかつに「急速に覚醒してしまうと現実とのギャップが嫌になって、生きる意欲を喪失してしまう」という、とてもこわい副作用があるのです。

私もなんども現実がみえなくなるという副作用に悩まされました。魂が思うほどに現実はうまくいかないものだから。空を飛ぶオオワシと、地をはうリクガメの歩みは比べようもないのと同じぐらい、魂感覚は、現実と大きなギャップがあります。

けれど、そこを上手にうめながら魂感覚を呼び覚ましていくことができれば、少しずつであっても確実に「覚醒」できます。

私は自分がもうすっかり目覚めたなんて思っていない。今でも日々、自分探しを続けています。でも、ずっとそうやって生きてきたから、自分探しの為の手段をたくさん知っています。そして副作用についても十分に経験があるので、けして苦しまないように目覚めをうながすことができるようになりました。

魂を目覚めさせるとどんなことが起きるのか。知りたい方も多いかと思います。

丁度、新月のサイクルにはいったので今年後半のセミナーを企画しているところです。皆さんが学びたいこと、知りたいことを是非、気軽にリクエストしてください。そうはいっても気軽にメールをくださる方はなかなかいないのですけれどね。敷居がたかいなどといわずメッセージを送ってくださいな。

毎月、定期的に開催するセミナー、講座をいくつか考えたいと思っているところです。たくさんはできないからよく考えて決めないとね。でも企画倒れになっても仕方がないので、できるだけ参加したい人がいる内容にしぼっていきたいです。

今の段階で来月以降で考えていることは、
・合宿セミナーは8月に開催しようかと思っていて、今回は誰でも参加できるようにします。

・6月は異業種交流会を再度、こじんまりやります。交流会は年内はもうできないかもしれません。

・秋以降は演奏会を企画したいので、その為に少し時間をとられることになるかと。

そんなこんなで2014年も終わっていくのでしょうか。人生、いきられるうちに、できるだけたくさんのことを形にしていきたいものです。

他にも水面下で進行しているプロジェクトが幾つかありますが形になりましたらオープンにしたいと思います。

さて、リクエスト幾ついただけるかな。ゼロじゃありませんように(笑)

10代のお子様をもつ親御さんへ

現代の学生さんは今という時代を大きな不安を抱えて生きています。親としてどう応援してやればいいのか。子を持つ親なら共通の悩みでしょう。

親が担える責任を超えて子を導くことはとても難しい。かといって学校の先生や親戚や近所の知人を頼りにできる人は少ないことでしょう。

最近、親御さんからお子さんに私のカウンセリングを薦めてくださるケースが少しずつ増えてきました。どういう流れになるのか、簡単にご説明をしますね。

明確な悩みがあって打ち明けてくれる子もいます。でも、人生を十数年しか生きていない若者は、まだまだ視野も狭いし、理解できる事象も限られている。そんな彼ら彼女たちの心の悩みというのは、大人からみればスケールが小さいのです。けれど本人にしてみれば死活問題です。そのスケールの違いを理解しながら話をきいてあげたり、アドバイスをするのは、大人には非常に難しいと思います。思春期の子達は大人と同じように、あらゆる命題で悩みます。それでいて進学、進路選択のストレスにさらされていたり、クラスのなかで孤立しているとか、ひきこもりがちなどの問題をかかえていれば、心も精神も二重、三重の重荷でがんじがらめの状態になりがち。

まだ若い彼らは自分の気持ちを上手に説明することができません。だから、言いたいことを言わせようとしたり、じっくり耳をかたむけるようなやり方がよいとも限りません。

私のセッションでは、本人の悩みや問題についてもしっかりと受け止めていきます。その他に、本人が今、どういう状態にあるのか、肉体面、心理面、そして魂がもってうまれた人生の方向性を前提に、大きく、そして細かく、トータルでバランスよくリーディングを元にした情報を伝えていきます。彼らが受け止められる範囲で、適切に、自分自身を客観的に受け止めるお手伝いをしていきます。
おおむね10年ぐらい先まで未来の流れをふまえたアドバイスをします。成人してから社会にで当面の間、参考にしていただけることと思います。

所要時間は1時間で十分です。10代のお子さんについては、お母さんからの代理予約でOKです。

この記事では16〜20歳までのお子さんを想定しています。個人差もありますが15歳以下でも対応できることがあります。成人すると本人の意思を尊重することが大切になるので、ご本人自らいらしていただいたほうがいい場合もでてきます。このようなセッションが自分の子に適しているかどうかご不安な場合、保護者の方からメールでご連絡ください。お子さんの年齢、生活の状況をお伺いしてセッションが適切かどうかアドバイスを致します。

子育て支援を考えたいと思っています。

日々、本当にたくさんの「あらゆる」ご相談をいただいているのですが、そのなかでも子育てで苦労しているお母さん達が支えあう仕組みが不足していることを、いつも痛感します。

幸い、光のサロンと個々のお母さん達とのつながりはできつつあるのですが。あとはネットワークを作る労力を担ってくださる人がいれば、形にしていけるのではないかと思っています。中心軸になってくださる人が現れることを願っています。

お手伝いを申し出てくださる方はきっとたくさんいらっしゃると思うのですが。私自身はもう手一杯です。中心になって動いてくれる人がまずは一人、必要なんです。今でなくとも。いつか動き出したいです。今年無理でも。数年のうちには。

カードがきづかせてくれた自分の姿。

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カードはその人の心からのメッセージ。時に優しい、そして時にするどい気付きを与えてくれます。

私は自分がなにものなのかを知っている
私は自分がどこに向かおうとしているのか知っている
生きることが苦しいのではなく、自分らしさを見つけ出すのにほんのすこし手間取っているだけに過ぎない
私は弱く、小さい存在だと思われているのかもしれないけれど、
本当のわたしはとても自然だし、あるがままに存在している
時はけして私に優しくはない。厳しくて、せちがらくて、おいたてるように流れる。
けれど、私はけして時に流されてはいない。
遠い昔から、私は自分らしい生き方だけを追いかけてきたから
こういう生き方には本当は慣れている。
だから同情されたいとも思わない
時に心は寂しくてしおれるけれど、私は大丈夫。

カードはこうして私の本当の姿をみせてくれた。
だからもう私は大丈夫、自分らしく生きられる。

森で体を整えること。

なるべく自然のなかで過ごす時間を意識的に持つようにしています。それはもちろん気分転換やリフレッシュの為、でもあるのですが。なによりも体の為にはとてもいいことなんです。自然のなかには、さまざまなエネルギースポットがある。ぶらぶら散歩していると、自然に足がむく場所があってそこでしばらく過ごしていると、体の内側でゆっくりと変化が起きるんです。そうやって体はちゃんと自然の力を借りて調整してくれているんですね。素晴らしい体を授かったことにただありがたいと思います。
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時にすなおにありがとう、と思うこと。

ウォーキングの途中の風景。
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この風景を神様はどんな気持ちでみているのかなぁとぼんやり考えていましたら、なんとなく神様の気持ちがわかったような気がしました。そして、ただ「すてきなプレゼントをありがとう」とお礼を言いました。