長月十七日の雑記:人生の筋書きを読み取る(リーディング)

10月も満月を過ぎて、月の暦は折り返しです。秋も日々深まっていきます。そろそろ寒い季節をむかえる準備がはじまっています。森の木々は葉が色づきはじめ、実も葉も落としはじめているところ。

人の心も体も自然の一部なので、この時期は衣替えです。見えないところで調整したり準備したり、となにかと忙しいのです。あまり無理せず、体力を温存して次の季節をむかえる準備をこころがけましょう。

さて、今日は私達はいったいどのような存在に導かれているのか、というお話を少ししましょう。

私の学生時代は本当に閉塞感でいっぱいでした。先がみえない、生きている意味がわからない、人とのつながりが希薄な感じ、それでいてなにかしっかりとした生きがいを求めていました。気の合う仲間と遅くまで遊んでみたり。音楽に打ち込んでみたり。もがいていた感じでしたね。

一方で直感、ひらめきは大切にしていました。これは、と感じたことがあれば、ねばり強く行動して引き寄せました。それらは単に自分の好奇心の赴くままという感じでした。パソコン、音楽、オカルト。いま思えば、なんとも奇妙な組み合わせ。でも、私の人生はこの3つのキーワードを軸に展開し、今でもその流れの延長線上にいます。

日々なんのために生きているのかわからないとぼやきながらパソコン雑誌を精読し、バイトで貯めた資金でパソコンを入手して、学業はそっちのけで独学でプログラミングを習得しました。

音楽はジャズにのめり込んでいたので、ジャズ理論は独学で勉強しました。これは後に作曲の仕事をする時にとても役にたったのです。

オカルトに興味をもったのは自分の身に起きる霊現象の答えを知りたかったから。その分野のあらゆる文献を読み漁っていました。

これらはどうも生まれもった傾向だったようで、誰に感化されるでもなく自然にそういう方向に興味が向いたのです。苦労したのは情報が少なかったこと。詳しい人が周囲にいなかったり。孤立感のなかで自分なりに勉強していたことなので、将来それがどのように人生に役立つのかどうか、まったく想定できませんでした。

なにをやっても、きちんと形にならない。すべてが中途半端。若いころの自分にはコンプレックスしかなく、ずっとこのまま人並みになれない、抜きん出ることはできないというとらわれが強かったのです。かといって負け犬はいや。ただ、いったい何にたいして負けたくないのか、なにに意地になっているのか、わかりませんでした。

社会に対してのコンプレックスはさほど感じなかったほうです。人は人、自分は自分でいいやと割り切っていたほうだと思います。

今ふりかえると、この負けん気は魂がもってうまれた感覚だったのですね。

自分がきめた目標があって、それを無意識領域では覚えているのです。それを達成した、実現したい、そうでなければあきらめきれない。そういう感覚なんですね。

はっきり具体的に「○○になる」とか「○○を実現する」という感じではなく、漠然と「なんとなくこんな感じで生きていきたい」という感覚。それがかなり若い頃から意識の奥に芽生えていて、そこから五感に指示が行き渡る。すると、日常、目にとまるもの、興味をひくものが、次第に絞り込まれていくようになります。

自分の魂が生まれもった方向性は、そう簡単に自覚できないものなのです。それがわかれば楽なのかもしれません。

私達は運命というものを持ってうまれてきます。

運命の筋書き、というのはけして神様に勝手に定められたものではなく、その多くの部分は自分自身の魂が望み、自由意思で選択してきたものです。

自分の意思で決めてきたことは、意地があるから、簡単にあきらめられないのです。だから執着が生まれます。そこから長い年月、地道に引き寄せがはじまり、人生の流れが次第に形づくられていきます。

人によって皆、違う運命のシナリオ。

そう簡単には紐解くことができません。

余計な情報を知ってしまうと、未来に影響を与えるので、本人が望むまで情報はロックアウトされます。まして第三者が勝手にのぞき見ることはありえないものです。

魂の方向性を読み取るのは、あくまで本人が望んだ場合。そして本人をサポートする魂のガイドが、よいタイミングを選び、必要な情報を選択して、ダウンロードできるようにしてくれます。

私達は、正確に情報をダウンロードできるように日夜、訓練してその感覚を磨いています。みなさんのガイドさんが許可を出した時、人生の筋書きをきちんと読み取ってお伝えします。

これがスピリチュアルカウンセラーの大切な役目のひとつです。
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