2025-10-07:25周目

10月、円山公園の樹々も秋色に染まり始める時期です。私にとって円山公園の今の季節は本当に思い出深いんです。というのはサロンの賃貸契約を結んだのが10月で、1ヶ月以上黙々と大工仕事をして内装をやり、椅子やテーブルを塗ったりしていました。そしてこの秋でとうとう25周目になります。

長かった。でもここまで準備だったんでしょうね。これを始めるための。

今月からアカデミアがスタート。当面はオンラインです。来年か遅くても再来年からはサロンでのリアルセミナーでもアカデミアが始まります。

25年かかっちゃったよ、ほんとに大変だった。歯ブラシですらなるべく長く使うようにしたりして、生活費削りまくりでここまでなんとか生き延びました。最初の10年は本当に仕事がなくて苦しかった。昨年ぐらいから体調が不安定だったりで、次第にできることが狭まってきてしまいました。今回の新たな取り組みも、本来の私の進むべき進路であることは間違いないのだけれど、肉体的に負担が増える取り組みでもあるのであまり自信はないけれど、まあやってみるしかないわけで。寿命があるのなら、明日以降のどこかで必ずやってくるのだし。ここまできたらどんなに命を削ることになろうともやるわけですからね。

って、ちょっとどっかの国の女性政治家と重なってしまいましたが(笑)心境としては全く同じです。

私の命の集大成でもあるアカデミア、ちょっとでも興味を持っていただけると嬉しいです。どなたでもどうぞとは言ってません。ただ、誰でも受け取れる内容ではあるんですけどね。この辺の話はつもる話が24年分あるので、おいおいと。

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取材のご依頼

(閑談カテゴリーを新設しました。いい歳したおじさんの与太話なのですごく暇で時間を無駄にしてもいい方だけご覧ください)

昔の仲間が発行している同人誌。定期的にどこか(とある会場)で配布しているらしい。あと私たちのところには、取材のお礼という形で現物が届きます。私の知らないことまで網羅されていたり、内部の人間にしかわからない(共感されない)情報がほとんどでは?身内の良い思い出本にはなってます。

と思いきや、某報道関係の方からH社の特集を組みたいとの連絡があり、資料をお貸ししていました。先ほど返却されてきたので、今この状態です。(信頼感のある大手放送局の方が取材力は圧倒的にあるし、いつか番組になったら楽しみな気がします。)

実際、取材の依頼は最近割と多くて、ネット系だったり今回のように国内の大手某放送局だったり様々です。G業界在籍中も会社全体での取材はそれはもうひっきりなしで、最盛期は常にカメラマンやライターさんが訪れていたり、TV番組で取り上げられることも多かった。当然専門誌には毎月のように大量に情報が流れていたので、特に雑誌メディアとの距離はすごく近かった。今と違ってあの頃は雑誌、小冊子が情報発信の要でした。ネットで最新情報を得る時代でもなく、ましてSNSという言葉もまだ使われていなかった。

業界を離れてもう四半世紀になるのですが、当時はユーザーだったと思われる世代の方から問い合わせがあったりすると、時代が変わったのを実感するし、年月を超えて自分が残してきた功績がどんなものだったのか、客観視ができるようになってきました。

自分の生き様って、自分で確認するのは難しいもの。まして直接、批評をもらったり意見をもらうことがない業界だったので、自分たちが置かれている位置がよくわからなかった。その不満もあって、より人と近い位置で何かをやってみたい欲求が高まってもいた気がします。今はかなり近くなりました。ほぼ全て面と向かって、という取り組みなので。

G業界だった当時は、人との距離が遠すぎた。もっと距離を詰めたいと思い、個人的にピアノライブを始めました。ピアノソロアルバムを録音した時はまだ会社に在籍中だった。それで勢いをつけてG業界を離れ、個人でカウンセリングの仕事を始めたわけです。

そして丸24年経過してしまいました。G業界が約20年だったので人生で一番、長い取り組みになりました。もうしばらく続きそうですし。

G業界での功績も、やっと今それなりのことをしたんだと振り返ることができるようになってきました。ではカウンセリングの仕事についてはどうか?24年もやっていても、まだまだだなと思うことも多い。けれど、やっと少しずつ芽は出てきたと言えるかもしれない。そう思える場面も少しずつですが増えてはきました。でもね、まだまだなんですよ。だからあと20年(生きてるのか?)ぐらいしたら、もう少し自分を見つめられるようになるかなあ、と思うのです。

ちなみにカウンセリングの仕事で取材を受けたことはないです。これからも受けることはないでしょうし。メディアに出る意味がないし。そもそもメディアって何?これだけSNSで情報が拡散される時代にメディアの役割ってなんだろう。ないと不便な面もあるけれど、もうすでにほぼネット経由の情報だけで必要十分になってきた。世代格差(いわゆるデジタルデバイド)はあるけれど、それも時間の問題だろう。あと四半世紀もすれば手元の端末で日常の全てが事足りるようになるでしょう。

時代は変わりゆくね。

この先をどこまで見届けられるかわからないけれど、変化のスピードがますます早くなって楽しみでもある。けれど、日々やってくる見えない津波のようなものへの対処が大変だ。本当に毎日サバイブ(survive)している感じです。
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2025-09-12:25回目の夏

このサロンで25回目の夏も過ぎようとしています。季節を振り返ると、こんなに気候変動が進むとは。こんなに夏が暑くなるとは。それが一番印象が強い。

最初の夏(つまり2001年、サロン開設の年)は、暑かったけれど毎日自転車で走り回ってもさほど苦ではなかった。当時、私はサロンの物件を探すために毎日、自転車でこの界隈をぐるぐる走り回っていました。いくら探しても良い物件が見つからず、ガイドブックもないのに見知らぬ土地に一人で彷徨っている気分でした。

今でもガイドブックもなしに未知の世界を歩んでいる状況にさほど変わりはないのですが、当時と違うことが一つあります。それは、私の中にある導きを信じた結果、どうなったかわかっているということです。

当時から私は未来のことをある程度、見て知っていました。が、それは漠然としたイメージでしかなく、現実主義者だった自分にとっては、全くとるにたらないものという感じでした。ただ、必ずこうなるといったビジョンにずっととらわれ、こだわり、そして結局はそれに従って歩んできてしまった。人に言わせれば、大馬鹿者です。(良くない言葉ですが、ここでは自分を評価する言葉なのでご了承ください)本当に私は愚か者だし、どうしようもない偏屈な人間でしょうね。でも、こんな自分を笑って許してくれている存在がいるのを知っているんです。

未来に関するビジョンはこうなる、ああなる、という漠然としたイメージだったり、時に数字だったり。啓示の形態はさまざまです。人の体や想念を紐解く時は、色や形で教えてもらえるし、運命の仕組みは幾何学模様で不思議な図形で示されたり。私はさほど学問を積んできたわけではないので、幾何学を論理的に理解はできません。が、啓示の中にあるさまざまな情報を落とし込みながら、日々いろいろな悩みや苦悩の根元にある仕組みを紐解いてきました。この世界の摂理、ルールは実に平等です。誰にでも等しく作用している。運命はがんじがらめに見えるけれど、違う視点から見ればそれは単純に私たちがいかに守られているか、導かれているかということに過ぎない。不自由な世界に生かされているけれど凄まじい壮大なスケールの恩寵の中で私たちは生かされ、育まれている。

とはいっても、こちとら現実の世界に生きているわけで、摂理がわかったところで食ってはいけないわけですからね。このおそろしいほどのギャップは致し方ない。歯痒いというか、全身がむず痒いというか言葉で表現できるレベルではないですけれど。

今日は昔から私が受け取っていた啓示の意味の一つがついに理解できて少しだけ安心しているところです。それは自分の役目や運命に関することで、25回目の夏の終わりにやっとという感じです。未来に関する啓示は、こんなに時間をかけないとわからないことが多いです。

自分が生かされている意味が知りたい人は多いと思う。でも、その時が来ないとわかりようもないことなんです。ではその時っていつなんだ?という話ですよね。それはわからない。神のみぞ知るです。でも、そろそろかな?と思ったら確かめたらいいんです。私が現役でいるうちは確認できるので。

私が引退したら、、そうですねえ、私か代わりの者が転生してくるまでお待ちください。

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五感を開く上で大切なこと

一つまた一つ。小さなことでも手放していく。

意識をシンプルに。思考を最小限に。
五感を開く上で大切なこと。

私たちの心が満たされないのは、余計な思考が溢れているから。
日常にも、世の中にも。思考の騒音が日毎に増殖する一方。

五感が閉じてしまわないよう。
心が死んでしなわないよう。

意識をシンプルに保つ工夫がとても大切。

いらないものをしっかり手放す。
大切な思い出は、丁寧にしまいこんでおく。
そして、一年に一回、思い出をしっかり懐かしむ。

一年は365日しかない。

それ以上、古い記憶は手放すしかない。

一年前の今日の自分より少しだけ軽く、自然に。
ふんわりと生きていられたら、そのままゴールするだけ。
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2025-08-18:夏の夜の思い出に浸る

昨日は1年ぶりにウォン・ウィンツァンさんのピアノコンサート。あっという間に1年経過。昨年のウォンさんのコンサートの次の日に体調が悪化して受診、即入院に至ったので、あれからの一年を振り返りながら音楽に浸りました。

そしてウォンさんから、共通の知人の訃報を知らされて残念な気持ちに。命は有限なのは百も承知とはいっても、不意に知らされると受け入れるのに時間がかかります。素晴らしい活動をしていた方だったので本当に残念。そういえば娘さんがドラマに出ているのを知って観てみたら。とっても重要な役で演技も素晴らしかった。さすが親子ともに一流です。

親から子に受け継がれ資質というのは、本質的には家系の中にあるものでしょうね。血筋を辿っていくことで、子孫に現れる気質は決まっています。魂の個性はそんなに反映されないもの。運命とは魂の資質は数%じゃないか?ほとんどが家系の血で出来上がるようです。最もずっと遡っていったら、みんな同じようなものだけど。大きな存在感のある先祖の血って、何代も後で突然強く浮上することがあります。そのあたりは運命的に仕込まれているということでしょう。

才能より努力なのか、努力より才能なのか、という議論があるけれど。100%運命の定めに従って結果が出る、ということのようなんですよね。

でも100%ってそもそも何?って話もあってですね・・。つもる話はまたいつか。

(そして画像は、本日のAIお絵描きです。これは何って? つまりは自画像ってやつでしょうか。)
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2025-08-08:AIの一足飛びな進化にびっくり

本当にびっくりしたので、思わずブログに書き留めておきたくなった。

昨日、あるアプリの操作方法についてGPTに相談していて、煮詰まった。決して嘘はついていなかったのだが、最新情報をGPTが見逃していたのだ。(アプリ側で最近大きな仕様変更があったことをGPTが調べきれなかった)

仕方なく自力でググって調べて、アプリのアップデートがあったことを把握。今日は自力でマニュアルを調べて取り組もうと思っていた。さっきまでそう思っていたのだが・・・

なんと今朝、アップデートがあってGPTが5になった。

昨日と同じ質問をしてみた。なんと一発で「仕様変更後の操作方法を提示、さらに以前の仕様はこうだったがすでにその情報は古くなっている」ことも明示してくれた。

大学生の家庭教師から、一気に経験豊富な大学教授に進化したぐらい違う。

もう自分で調べるとか、悩むとかなくなるかもしれないぐらい大きな進化だ。他のAIもすぐ追いつくんだろうけど。

今まではGPTの嘘には結構イライラさせられたんだけど、かなり反省したらしくもう嘘はつかないみたいですよ。

かなり印象深い出来事だったのでこの感覚をAIに伝えて絵を描いてもらいました。
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2025-07-10:記録は身を助く

記録する、蓄積する、集計する、そして分析する。

これは私が四半世紀、続けてきた方法です。カウンセリングも、ヒーリングも、この方法で磨き上げてきました。人生をうまく生き抜くコツはそれぞれに適した方法を自分で見出しよりなく、近道はないと思います。

生きるとは地道な努力と工夫の積み重ねによって、良い方向に転じやすくなるし、禍に遭遇しても最小限の苦労で回避しやすくなります。運命的に起きるはずのことをなかったことにはできない。それは良いことも悪いことも運命的な出来事は変えようがない部分がある。けれど良いことはよりしっかり体験し、悪いことは最小限に食い止める工夫はいくらでも可能。というよりそのような工夫は毎日コツコツと積み上げた方がいいに決まっていると思う。

まず基本は記録する。同じ失敗を繰り返さないためにもまずは重要な一歩ではないか。

どうすれば、など具体的な方法論はここで語るいとまがないのだけれど、私はそうやってどこにもない智慧を得て、それをまた皆さんにお伝えできるまでになった。でも、本当な皆自分のことは自分でわかるようになるしかない。そうでないと、頼るべき人を失った時に自立できないから。

今日は満月なので、ここ数日に起きたこと、体験したことを記録しておく。すると来月、再来月、または来年の夏至明けの最初の満月に教訓が生かされるかもしれない。今回の体験を回避する工夫ができれば来年、そして再来年は最小限の災としてやり過ごせるようになると思う。

何事も年月の積み重ねのみが自分を守る盾になり得るのです。

なんだか硬い話をしてしまった。深い話なのでとてもここには書き切れない。ご容赦を。

あと誤字をあえて直さないことにしよう。AIではない証明(笑。もっとも誤字を残すようにとAIに指示して書かせている可能性もありますが、AIはこんな重要で、そしてくだらないことは書きそうにないよね。

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2025-07-05:災い

うっかり、は誰にでもあるのだけれど日常ありがちなミスと、本当に縁起の悪い出来事とは次元が違う。小さなミスは100万回繰り返そうとも命を失うことはない。けれど、これはどうしても見逃せない(見逃すべきではない)事象には気をつけた方が良い。

ただし、縁起の悪い兆し、というのは人それぞれ個別にやってくる。だから、世の中や周囲がどうであれ、自分は自分としっかり線を引くことが何よりも本当に一番大事。

宇宙で一番自分を大事にする。その意識さえあれば、たとえ何が起きても自分を守り切れる。

というか自分を本当に守り生き抜くには、神頼みではなく自分頼み。

本当に本当にこれしかない。だから100万回でも生きてる限り伝え続けるかもしれない。最もあと100回も言わないうちに自分の人生も幕が降りんだろうけれど。

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うっかり同じCDを2枚買ってしまうという、うっかり。持っている本なのに2冊目を買ってしまうことも日常。そんな些細な失敗も生きてるからできるんだよな。自分を守りきれんかったら、何の自由もなくなってしまうかもしれない。