今日はタイミングについての話を少し書いておこうと思います。
この世界ではタイミングはすべて「図られて」います。計画されている、または定められていると言ったほうが理解しやすいかもしれません。
何かしようとするときに、うまくいくタイミングがあります。それ以外のタイミングではいかなる努力をしても、うまくいきません。しかしながら、タイミングが正しければなんの苦労もなくすんなり事が運びます。
これは運命がそうさせるのです。そのタイミング以外には、事が起きないようになっているわけです。
なぜならば、霊的成長のためです。理由はほぼこの一点に集約されます。
逆にいえば霊的成長の糧になる出来事は最善のタイミングを見極めることで自ずと魂はすくすくと育っていきます。そして十分に充実した人生を終えることができることになっています。
ここで難しいのが、運命で決められたタイミングがすんなりわかるわけではない、ということです。それから、そのタイミングで「素晴らしいこと」が起きるとも限りません。なんと言っても人生は修行の場なので、霊的成長のためにかなり苦しい体験が用意されている場合がほとんどです。なので、そのタイミングが来たら半ば強制的に事は起きてしまいます。
自分一人で淡々とマイペースで生きている人であれば、このタイミングはなかなか見えてこないかもしれません。何か研究をしているとか、本を書いている、作品を作っているという事ならひたすら淡々と作業を重ねることがすでに運命的なので、タイミングはあまり関係ない、という人生のパターンもあります。
が、多くの場合は「その時」は人生の中で何度かやってきます。そして、逃れ難い宿命という課題と向き合うことになるわけです。
できれば、大きな課題がやってくる前に、できるだけスムーズに宿命という課題をクリアできるように心構えを持っておきたいものです。
霊的な成長の決定的な糧になる体験はタイミングがすでに決まっているので、それを動かすことはできません。ほとんどの場合、事前に察知することも許可が出ないようです(知ってしまうことでかえってタイミングを逃すことがあるからです)。
最大の試練がいつやってくるか、知ることができないとしても、心構えを学び身につけておく方がベターです。そうすることでタイミングを逃さず、最小限の苦労で重要な命題をクリアしやすくなりますから。
決定的な体験がいつ起こるのか。そのタイミングはわからない。
けれど、そのための準備となるような学びはいつでも引き寄せ、積み重ね、備えておくほうがいいと思います。
時代がどんどん変わって、目にみえる世界は混沌としていきます。誰も答えを持たず、進むべき方向性も示すことができません。どう生きるべきか、そのヒントや生き延びる知恵が必要です。それをお伝えするのが私の使命です。
ブログに書けることはまだまだ限られているのですが、可能な範囲で少しずつ公開記事を書いていきます。
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