心理学

臨床心理の本は学生の頃にむさぼるように読んだ。もう大学にはいってしまった後だったので、こんなに面白い世界があるなんて…と気づくのが遅かった事にかなり後悔したほど。ただ、その時点で方向転換を考えなかったのは、やはり自分にとっての適性ではないと感じていたからだったのだろうと思う。人の心が学問としてひもとかれていく、その奥深さ、面白さにぐいぐいのめりこんでしまった。よく講義をさぼって図書館にひきこもっていたものだった。

最近、さまざまな立場の人に出会う。そのなかには心理学の専門家の方もいる。自分は今、ある程度スピリチュアルな視点で社会と関わっていてそれなりの年月を重ねてきた。まだまだ駆け出しではあるが、垣根をこえて別な立場から「人の心」に関わっている人と意見交換できるまでになった。お互いに持っている手段は違うが、目的はひとつだと感じる。ジャンルの違う専門家が手をとりあって連携していけば、もっと多くの人をしっかりと支えていける。そんな時代がやってくる。新しい時代の潮流を自分達の手で生み出せる。そんな希望を少しずつ持てるようになってきた。

もうひとりじゃなんにもできそうにない。連帯だ、ネットワークだ。これからは横のつながりがすべてだ。それぞれが自立して活躍しているけれど、見えない横のつながりでしっかりと支え合っている。そんな未来の絵が見える。

ほっとする発見

よく読んでいるIT系のブログに、「人間関係がねじれていくのは自分が原因である。」また、「自分の性格や価値観は簡単には変えられないが、行いは努力で変えていける。」こんなことが書いてあった。

自分の身に起こることの原因は自分にある。この考え方は、最近引き寄せの法則という言葉がはやっているらしくすこしずつ浸透してきたようだ。スピリチュアルな世界ではカルマの法則として普遍的に語られてきたことだ。また仏教には因果応報という考え方があって、仏教圏の私たちにはさほど目新しい概念ではないと思う。が、本当に自分の日常に、人生に、この法則は厳密にあらゆる事象に完全な影響を与えているのだということまでは、なかなか理解されていない。それは「じゃぁどうすればいいのよ?」という誰しもが感じる疑問に明確な解が得られないからだろう。

ネットのそこここで、こんなふうに「自分の行いを努力で変えていけば人間関係はうわむくのだ」という言葉をみかけるのは、すこしほっとする気がする。要するにどうすれば?という問いに対するこれもまた普遍的な解は「努力」なのだ。結局、スピリチュアルをひもといていくと、昔からじいちゃんばあちゃん、おやじやおふくろが口うるさく言い聞かせてくれていた言葉につながっていく。

人生はわからないことだらけ

人生は、どうしていいかわからないこと、わりきれないこと、納得いかないこと…だらけ。

もし、人様の人生と向きあおうとする時に、わからないことだらけの人生の命題にどう向きあってあげればいいのか。
カウンセラーとして(というより、人ならばだれでも)その答を模索していることでしょう。

今日のヒーラースクールでは、カウンセリングを実習しました。
人生でよく出会う幾つかのケースを魂のロールプレイを体験し、実際に参加者に味わってもらいながら
答えあわせをしました。

参加者の皆さんにとっては衝撃的な体験だったかもしれないけれど、大きな心の糧になっていくでしょう。
それぞれの持場にもどって、しっかりと人の心を支える役割をになっていってくれることを願っています。