文月十八日の雑記:混沌から生まれる明日

もう77年、でもまだ77年。

沖縄戦で。シベリア抑留で。私の先祖が一人ずつ亡くなっています。

先祖といっても母の世代は共に暮らした記憶がある人たちですから。さほど遠い昔ともいえません。亡くなった先祖の写真も残っています。

が、骨はもちろん返ってきませんでしたし、亡くなった時の詳しい事情もわからないままです。

何もわからないのも不憫だと思い、外務省経由で入ってくるロシアの新しい資料を精査して、亡くなった地名を発見したのはほんの数年前のことでした。

ロシアの役所にも、日本人遺族のことを考えて、地道に資料を保存、整理し、わかりにくい日本人の名前をローマ字で注意深くパソコンに打ち込んでくれた人がいるってことなんです。

戦争はお互いが敵同士になってしまう。でも、必ず和解し、共存し合える時期がきます。

けれど一方で新たな火種が勃発してしまう。人類は延々と同じことを繰り返しているようにみえます。

でも、どうでしょう。こんなにも私たちの人生観や生きることの価値観が揺さぶられる時代もなかったのではないでしょうか。

当時は生きるか否か。究極の二択を迫られた時代でした。

でも、今はただ生きることではなく、自分らしく生きられるかどうかが重要な時代になってきたと思います。

物事の価値観が根底から覆されることが増えました。そのたびに私たちは、生まれてきた意味を問われていくことでしょう。

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