「口のきけないお坊さん」

ある時代、ある国に、若い僧侶がいた。
彼はとても聡明であらゆる経文に通じていた。一字一句をそらんじることができた。すきとおった青い瞳をもった美しい若者だった。

だが彼には致命的な欠点があった。それは口がきけないということ。生まれつき、彼は読み書きには長けていたけれど、話すことができないのだった。

年月、修行をかさねてすっかり一人前の年齢には達したが、托鉢にでて、ただ人の厚意にすがって生きるしかない。そんな自分という存在を若い僧は深く恥じていた。口さえきければお経を唱えてあげたり説法をしてあげることができるのに…。

心のなかで彼は一心に観音様に祈り、どうか人の役にたてるようにと願いをたてた。毎日、毎日、願いつづけるうちに10年の歳月が流れた。

ある日、彼のなかに啓示がおりた。
「河原へいって石を拾いあつめ、それを磨いて売りなさい」

河原の石をみがいてどうなるのか、ましてそれを売ってどうなるというのか。けして自分はお金が欲しいわけではないのに…。10年の歳月をへて、自分が受けた啓示がはたして本当に観音様のお導きなのだろうか。彼は悩みに悩みぬいた。そうこうしているうちにまた10年の歳月が流れた。だがその後、新たな啓示はなかった。

これほどまでに悩みぬいてもなんのお示しもないのだから、やるだけやってみよう。ついにそう思いたち、彼は河原にいって石を集め始めた。だがいざとなると、これはという石がなかなかない。売れるようなものなどひとつもない。あれもだめこれもだめと石を選んでいるうちに、またしても10年の歳月が過ぎてしまった。

若かった彼もいつのまにか老いてしまった。最近は目も耳も悪くなってきて、このままではなにも成し遂げられずに寿命が尽きてしまう。やむをえず彼は河原の石を少し拾って、簡単に磨き、それを売ってみることにした。

道路のわきにぽつねんと座り、石を並べておく。誰も見向きもしない。

そのうち興味本位で近づいてきた子供たちが石を欲しがるようになった。だが子供たちは石を放り投げたりして遊んでいるうちに、すっかり失くしてしまい、幾らでも持っていってしまうのだった。仕方なくまた石をひろい、磨き、並べておく。もとより値打ちのあるものではないのだから簡単に売れようはずもなかった。

ある時、盲目の浮浪者がやってきて老いた僧侶の前に立ち止まった。あなたはここでなにをしているのか、と僧侶は問われたが口がきけない。やむをえず石をひとつ浮浪者に手渡した。浮浪者は目がみえないが、その手触りのよい丸い石の感触を確かめると「これはきっとご利益のあるお守りに違いない」そうつぶやいて立ち去った。

やがて病人をもつ家の者が僧侶のもとを訪ねてくるようになった。
「石をひとつわけていただきとうございます」
僧侶はだまって手渡した。かれらは頭をさげ、そして幾ばくかのお金を置いていくのだった。石は日にひとつは売れるようになった。

やがて遠くからも僧侶のもとに石をもらいにやってくる者が現れるようになった。なかには親の分も、子の分も、親族の分もといって、あるだけの石を持っていく者もある。僧侶は毎日のように河原にいって石を拾わなければならなくなった。それでも石はすぐに足りなくなるほど人が集まるようになった。

とうとう石を拾う暇もないほどに、人々がやってきては僧侶の前に集うになった。だがその時、彼の手元には少しばかりの資金ができていたので、仕事のない浮浪者を雇い、石を拾いにいかせることができた。やがて石を刻む者が現れ、石に経文を刻むようになった。いつしか人々の間には、僧侶の手から石を受け取ると病気が癒えるという信仰が広がっていった。

僧侶が寿命を終えた後、その地には立派な寺院がたてられ観音像がまつられた。経文を書きつけた石はよく売れ続けた。巡礼者が遠くから訪れるようになり、やがて小さな町ができた。土地の人達は巡礼者の為に宿をつくり、よくねぎらった。働く者の多くは体の不自由な者達であった。