ある時、大地の上で奇跡を行なうものがあった。
多くの民がその奇跡に歓喜し、これこそが神の業であると言った。
しかし、鳥たちは一羽も鳴きもせず、喜びのダンスを舞うこともなかった。
また、別の時代に神殿の傍らで癒しを行なうものがあった。
多くの民がその癒しに驚愕し、我も我もと癒しを求め押し寄せた。
しかし、一時の宴のあと、癒されなかった者たちの怒りと罵声だけが
深い谷に響き渡った。
動物達は一匹たりととも人々の行ないに目もくれなかった。
そして、今の時代に人々の住む街で導きを示すものがあった。
多くの人々がその言葉に魅かれ、ひらめきを得る者、
出会いを得る者、癒しを得る者が続出した。
が、その招待状を得られない者たちからはいつも
不満の声がもれきこえた。
空の聖霊達は届けたくとも届けられない招待状の山を前に
寂しそうにしていた。
いつの時代も、時を待たない者は時によって滅ぼされた。
実が熟さぬうちに収穫したものは、未熟な実に毒され、
病に伏した。
さまよい歩く苦しみに一時、耐え切れないばかりに
さらに迷いの迷路の奥深くに迷い込み、魔のささやきに
耳をかたむけ、頭上の天使達の声に気付くことはなかった。
が、一方で時を待つもの達のもとには必ず聖なる導きが
届けられた。
聖霊達は時の扉の向こうからやってくる。
そして、みえないメッセージを届ける。
届けられたメッセージは、ゆっくりと、
静かに受けとった者の聖なる杯を満たし、
やがて歓喜の声となって響き渡る。
鳥や獣たちも、共に歓喜のダンスを踊り、
喜びの天使達が空に祝福の虹をかける。
時を待つものは幸いである。
祈りを忘れないものは永遠である。
時の扉がひらかれるものは、神の光により
その聖なる杯が満たされるのである。