道新のコラムが気になりました

道新にかなり気になるコラムが載っていました。
アイヌ語が多方面で使われ始めているが、そのことがアイヌ民族の活動に制約をおよぼすのではないか、と懸念する内容でした。日本人が商標をとりまくっていったら、アイヌ語はシンプルな言語ですからアイヌ民族は本当にがんじがらめになってしまうかもしれません。

そもそもアイヌ語はアイヌ民族のものであって、いい加減に使っていいとは思わないんです。使うなら礼を尽くすべきでしょう。どうすればいいか、当然ながらググっても答えが出てくるわけもありません。どうすべきなのか、日本人ひとりひとりが答えを出すべきテーマではないでしょうか。特に道民は同じ大地で暮らしている隣人のことなのだし、それなりの配慮をしてしかるべきと感じます。

自分にはアイヌの血もはいっていないし、精神的にもなんら受け継いでいるものもありません。が、彼らを同胞だと思っています。彼らの大切なものが失われないように、自分にできる限りのことをしていきたいなと思います。

アイヌ語のタイトルをつけた曲をコンサートで何度か演奏したことがあります。その曲を演奏する時は、自分なりにカムイノミを行わせていただく気持ちで弾きました。この大地に感謝し、すべての命が祝福されるようにと、アイヌの神様にお祈りをさせていただきました。弾かせていただくだけで、魂が浄められる気がしました。

この10年

先日、ランディさんの「ぐるぐる日記」のことを書いたが、この本に僕とランディさんが出会ったいきさつがかいつまんで書いてある。1999年11月9日(火)の日記だ。ランディさんが二風谷のアシリ・レラさんに連絡をとった日。僕はその橋渡しをした。その月にランディさんは北海道にきた。前後して僕は九州にピアノコンサートで出向いた。ランディさんが知人の福岡在住の宮司さんに僕のコンサートのことを知らせてくれた。そしてその宮司さんの神社は僕のコンサート会場となったお寺の目と鼻の先だった。宮司さんご本人もわざわざご挨拶にきてくださった。北海道と九州でお互いのツテがつながるなんて、日本はなんて狭いのだろうとお互いに驚いたものだった。このぐるぐる日記を読んで僕のことを探しあててカウンセリングを受けにきてくださった方も少なくない。縁とは本当に不思議なもの…。あれから丸10年だ。その間にランディさんは押しも押されぬ著名人になってしまった。

90年代半ばに僕はアイヌ語を学び、アイヌ文化と彼らの精神性に深く傾倒して2年間ほどアイヌに没頭して彼らの世界に密着体験させてもらった。僕の精神は一時期半分以上をアイヌで占められていたし、魂の半分をアイヌに帰依したようなものだ。そこから修験道を学び日本人としての精神的なアイデンティティを確立しつつ、霊的な修業を積み重ねてきた。カウンセリングの勉強をしたりしながら仕事にも打ち込み成功した。ピアノソロで演奏活動をはじめたりで、本当にメチャクチャに忙しくそして人間的にも内面が激変した90年代だったのだ。そんな90年代の最後のしめくくりがランディさんとの接点だった。その翌年にはレイキを修得して、激変した揚げ句にさらに人生がひっくり返り、そのまま今に至る。この10年は本当に怒濤のような日々だった。まぁ、でもこれがほんのさわり。本番はこれからかな、という気がするのです。いったいどうなるんだろう…。