ご感想メール

最近、レイキや瞑想のトレーニングを受けてくださった方からご感想をいただきました。
受講後に感じてくださった事、日々実践するなかであらわれた効果について…。自然体で楽しみながらとりくんでいただいている様子が目に浮かびました。どんな贈り物にも勝るうれしいメッセージでした。このサロンで学んでくださったことがそれぞれの生活の糧になっていくことが私自身でも実感できてこんなに嬉しいことはありませんし、とても励みになります。

ご感想をお寄せくださった方、ありがとうございました。

これからも精進します。

昨年からの流れ

昨年ぐらいから、ご相談のテーマに転職、開業が増えてきました。これまでも転職に関する相談はありましたが、ご依頼いただく方の年代が上がってきたということ、それから自営業、役員の方からのご相談をいただくようになりました。幹部候補で抜擢されるような方からのご依頼はその方が担うであろう生活や仕事の波及効果を考えると、大変な決断です。それをお任せいただけることは、とても嬉しい反面、心がすくむような緊張をおぼえます。私は学歴に関しても自分という人間に関しても根本的なところで大きなコンプレックスがありました。今でもすっかり消えてなくなったわけではないのです。でも、自分のもてる力が誰かのお役にたてるなら、怖れたりひるんだりしている場合ではない、とも考えるようになりました。答えがあまりにもはっきり見えてしまう時は、迷いも恐れも、どこか遠くへいってしまいます。常にではないにせよ、未来がありありと見える時もあるので…。予知や霊視を非現実ととらえて、あざ笑ったり、拒絶することはどんな時代にもありました。でも私は結果がでればそれでいいじゃないか、と割り切っています。本当は科学的に実証したい。自分だけのひとりよがりではなく、ある程度の能力を備えた人であれば同じ予知や霊視ができるはず。そう信じて、可能性のある人には技術指導もしています。霊感を科学的に証明できる時代はいつかくると信じたいし、そのために今はまず信仰やトリックを完全に払拭して、ガラス張りのカウンセリングを続けていきたいと思うのです。

コンプレックス

私は私なりに、つよいコンプレックスをもっていて、それが邪魔をして心のバランスを失うことも多いです。ひとさまの人生のさまざまな葛藤と向き合わせていただく、ということは私自身の内面の至らなさ、弱さ、未熟さを見せつけられることでもあり、とても苦しい。でも自分も苦しいけれど、もっと苦しい人が目の前にいる時にどうにかがんばれる。自分が弱音をはかずにいられる。神様が力を貸してくださるのでなければとても人のお役になんか立てないような気がします。なんて未熟なんだろう、なんて力がないんだろうという気持ちをどうにかこうにか抑えて、自分を否定ばかりせずに生き長らえてこれたのは、こんな私でも必要としてくださる方がいて、その人達からありがとうという感謝の言葉を返していただけたからなんです。ありがとう、という言葉には本当に不思議な力がやどっているのだなぁと思います。相手に感謝をすることによって、その人のどんなにネガティブな感情であっても解放してしまう。ありがとう、という言葉のなかには神様の愛が宿っているのではないでしょうか。

今日はサロンでわりとゆっくりブレスレットを作ったり、メールの返事を書いたり、いろいろと仕事をこなしています。あいにくと天気も崩れてきて風も冷たくなってきました。暖房をつけている方もいるかもしれません。そんな肌寒い日ですが、この仕事をさせてもらえて自分はほんとうに幸せものだな、と思います。これからも一生懸命みなさんの人生の歩みを応援させていただきたいと願っています。あるがまま、自然体でいこう。怖れず、騒がず、自分のペースでしっかりと歩みつづけていければ本望、と改めて思いました。

未来のために

どうか日々を大切にしてほしい。

こういうことを最近、つくづく感じています。小さいことでも日々積み重ねていくことで、どんなにおおきな城壁にもまさる堅固な現実を生み出す力になりますから…。恋愛でも、仕事でも、同じです。思いやりを尽くすこと。いつも最善の自分でいられるようにすること。無理せず、疲れたら休み、眠りたい時は眠る。そして明るい日は元気よく外へ飛び出してがんばって汗をながす。あたりまえのことを自然体であるがままに続けていけばそれでいい。でも、志をもてなければ思いは伝わりにくいことがあります。これからの1〜2年の流れを大切にすることで未来が大きくかわっていく人が多いと感じます。ひとりひとりの時間をどうか大切にしてほしいと、切にねがっています。みんなのために。この地球(ほし)の未来(あす)のために。

霊媒として生きること

神様から授かった資質であり、みっちり修業して磨き上げたこともあり、それなりの年月を重ねてひとまずはほどほどの霊媒になれたかな、プロとしてある程度の実績は得られたかなという段階にあるかと思います。今おもえばよくここまでこれたな、という気持ちです。10年前の今頃はまさかここまでこれるとは思ってもいなかったのです。当時は人にみえないものがみえる、といってもまだ経験不足でしたから、いったいどれだけの結果をだせるのか本当に未知でした。多くの人達に、そして天上界のガイド達に導いてもらうことがなかったら、とてもここまで来ることはできませんでした。また、自分の可能性について明確に見極めてくれる人が恩師のなかにいなかった事もあって本当に試行錯誤でした。こういう未知の資質は、トレーナーやコーチがいて、どういうトレーニングをつめばどこまで能力が伸ばせるか、明確に指針を得られないと力を発揮することは本当に難しいと思います。私の場合はまったくいきあたりばったりで瞑想を学んだり、座禅を組んだり、滝に打たれたり、ヒーリング、カウンセリングを学んだり…。いわば昔ながらの修業のスタイルだったのですね。恩師は無口で余計な助言は一切ありませんでしたが、いずれなにかが起きるという予言だけははっきりもらっていたので、それなら取り組んでみようと思いました。いつか自分になにかが起きるのなら、どうしてもそれを確かめないままにはいられませんでした。乗りかかった船という感じでした。そうでもしないと、どうしてこんなに苦しい思いをして修業をしているのか、自分の人生に絶対になっとくすることができなかったのです。結果的に、霊界のことがリアルにわかるようになり、前世もはっきり見えるようになり、今では苦手だった病気の可能性についても予見できるようになりました。

霊感がアンバランスで、やむをえず修業を重ねていた時代は本当に苦しかったので、同じような霊媒体質の人に出会うと心から同情してしまいます。同類だから非常にピンとくるものです。多くの霊媒の資質を持つ方にお会いしましたが、その方の可能性、発展性についてはできるだけ明確な助言を心がけてきました。すでに活動をはじめた人もいますし、しばらく待機をしている方もいます。いまだに方針が定まらない方もいらっしゃいますが、そういう方はまだ本人からご相談をお受けしていないのです。こちらは一見してぱっと分かりますが、本人が口を開かない限り、私のほうから余計なおせっかいはしません。逆に自分には霊的な感覚があると勘違いしている方も時々いらっしゃいます。たとえ資質があっても、それを人の為に役立てられるように伸ばすことは本当に大変で難しい。人の何倍も努力をしなければなりませんし、よい指導者を探す必要もあります。安易におすすめできる生き方ではありません。が、これからの時代はより多くの霊媒が活躍していくことになります。潜在的な多くの能力がこれから開花していくでしょう。そんな方はある日ある時、背中をおされることになっています。

私はふりかえらない

「前世のことは知りたいとは思わない」ときっぱりおっしゃった方があって、なにかすがすがしい気持ちになりました。何年も前からのおつき合いのある方ですし、今でも定期的にご来訪いただいていますが、たしかに前世のことやオーラの色をお尋ねになったことがありません。自分のケアの方法や、瞑想のトレーニング、現実の生活のこと、自分自身をしっかり保つ為に必要なことをしっかり学んでいかれます。前を進むことを大切にしたいという明確な意志をはっきり感じられました。

私たちは輪廻転生を繰り返している、そのまっただなかにある存在です。学生にたとえれば小学生3年生かもしれないし、高校1年かもしれない。浪人中かもしれないし、大学院に残っているのかもしれない。前回の時代をさだかに覚えていない、ということは例えていえば友達と折り合いが悪かったことも、同級生に恋して破れたことも、先生にこっぴどく怒られたことも、部活で失敗したこともひきずらなくて済むようなものですから、悪いことばかりではないでしょう。それよりも、今という時代にあっての自分の課題をしっかりみつめ、自分が納得できる生き方を目指したい。そう考えることはとても素直なことに思います。

今の自分はなぜこんなに苦しいのだろう、ということをお尋ねになる方はとても多いです。でもこの苦しみから自分はなにを学び取るべきなのでしょうか、とお尋ねになる方は多くはありません。でも、今の自分に足りないものを学びとっていこうという姿勢を見失わないで欲しいのです。私たちは魂の学生なのですから。一生かけてなにかを目指しつづけていくべきなのです。

前世のことを知って納得できることがあれば、それはそれでいいでしょう。自分をより肯定して受け止められるようになるかもしれません。自分の性癖についてあまり悩まなくても済むかもしれません。そこから今生の課題もみえてきますから、とても参考になる場合も多いです。でも、過去の蓄積があって「今の自分」があるのですから、「今、そしてこれからの課題」を明確にするだけも、前世を知る以上に「めざすべきもの」ははっきり浮上することでしょう。

私自身も、チャネラーを介して自分の前世や自分の由来について、そしてまた自分の方向性についての情報を得た経験を持っています。その時は非常に心が揺さぶられました。非現実感のなかに唐突にほおり出されたような感覚でした。ありのままに受け入れることはとても難しかったのです。納得するまでに時間がかかりました。肯定したい気持ちと、本当にそうなのだろうか、という気持ちのはざまでしばらくはゆれ動きました。それから「なぜ、私の守護霊は前世の情報を与えてくださったのだろう」と考えましたし、自分の前世の情報からいったいなにに気づくべきなのかということについて、かなり長い年月悩みました。結局、私にとっての前世の情報は、今の自分を肯定する為に非常に参考になりましたし、実際のところ絶対に必須でした。そうでなければ今の自分のありかたをすべて肯定することもかなわなったでしょうし、自分のマスター(魂の指導者)が誰であるか理解し、受け入れることは無理だったことでしょう。でも、非現実の情報は消化して糧にできるまでに時間を要することもあります。そういったことも守護霊は計算しつくしていて、タイミングをみはからってスピリチュアルなメッセージを与えてくれます。ですから前世をきくためだけに当サロンに予約を取ろうとすると、どうしてもうまくいかない事もあります。それはその時期ではないと守護霊さんが教えているのですね。ということは、今の自分に必要なアドバイスだけを最小限に求めようと考えてみる。そうするといつでも予約がとれます。気持ちはすっと前にでるようになるはずなんです。そんな時は守護霊さんも、それなら大丈夫だからきいてごらん、とうながしているのです。

ほとんどの方は無意識領域で守護霊とコミニュケーションができます。ですから、どうしても私のような霊媒に会うことができない、タイミングが合わない、ということで悶々とするのではなく、なぜ足がむかないのかということを自分の守護霊さんにむかって心のなかでよく問いかけてみるといいでしょう。どんな質問、どんな問いかけをすると天(そら)が応えてくれるのか。そのコツがわかってくると、スピリチュアルな世界はあなたの頭上におおきく開けていきます。最初はちょっとだけかみあわなくて、むずかしく感じるかもしれませんけれど。

最近は高校生の方もお母さんにすすめられて来られます。年齢層が本当に幅広くなりました。

虚無と意地。

ランディさんが今日のブログで書きつづけることの不安と虚無感について書いているのを読んで少なからずはっとしました。

ゲーム業界で仕事をしていた頃、とにかくゲームを作ることが好きでした。ビデオゲームの世界はファンタジーだったんです。映画もそうでしょう。でも、ゲームの世界も映像の奥に不思議な世界が繰り広げられる…アニメやSFやファンタジーの世界そのものが広がっていた。それを自分の手で生み出せるのですから、どこまでも探求し続けていきたいという欲求がそう簡単には消えませんでした。が、どんなにものづくりを続けても、誰もめんとむかって褒めてくれないどころか日々クレームばかり。よりよいものをしかも商品として売れるものを作らなければいけないのですから当然なんですが、自分の作りたいものと、求められるものが一致するとも限らない。納得できないものを作っても、そこそこ売れてしまうこともある。マーケットというものがよくわからなかったし、ユーザーが本当に楽しんでくれているのかどうかも、結局のところいまいちピンとこなかったんです。だからmixiで自分の作品のファンの方がいて、コメントをたくさん残してくれたことが本当に嬉しくてトロフィーをもらったような気分でいます。

ゲーム作りの現役だった頃はいつも不安で、どこかしら虚無感をいだいていました。自分の場合はそれがある時期にひっくりかえっちゃったような気がするんです。ゲームの世界も大きなプロジェクトを組まないと作れないほど規模が肥大化して、個人のクリエイターの意見はあまり通らなくなってしまいましたし。自分のようなタイプは古いんですね。天才だったらまだまだがんばれたのかもしれませんが。凡人なので虚無感に負けちゃいました。それでゲームの仕事は最前線から身をひいて、コンサート活動を始めたんです。音楽を通して自分が必要としてもらえることをどうにかして、確かめたかったのだと思います。本業のかたわら(当時はまだ会社員だったので)会場をさがし、チケットを売って小規模ながら演奏会をひらき、CDも作って数年間活動をしました。でも自分がどれほど必要とされているのか、まだまだつかみとれなくて不安ばかりでした。加えて自分のスピリチュアルな能力を磨きたいという欲求も高まっていって、ヒーリングに傾倒していったわけです。同時にカウンセリングも始めるようになっていました。

いつも不安や虚無感におされ、負かされ、一方で好奇心にひきこまれてここまできたようなものです。

でも、今の自分はどうなんだろうと考えた時に、お伝えしているアドバイスがほんとうに皆さんのお役にたっているのかどうか、これからもこんなことを続けて食べていけるのだろうか、という不安を覚えない日はないんです。面とむかって話をしているので、帰り際の皆さんの表情で伝わってくるものがたくさんあります。でもメールや手紙でアドバイスを書いた時は、すごく虚無感が残ることがあります。電話ですら虚無感は少なくないんです。ですから、今はなるべくお会いできる方か、一度お会いした方とのご縁をなるべく大切にしていこうと考えています。そうでないと、不安で続けられなくなってしまうんです。

音楽活動をずっとしていないのですが、どうしてモチベーションがあがらないのかというと、コンサートという形式だと距離がありすぎるんです。自分の場合はすべて直感を感じながら、その場で即興演奏をするのですが、自分でもいったいなにを感じて、なにを弾いているのか本当のところよくわからないんです。頭のなかはほとんど空っぽで、手がかってに動いている感じ。どういう方向の演奏になるか、最初の一音を奏ではじめたらもう止めることができません。録音を聞き返すこともほとんどありません。ライブは、その時、その場にいる人の為の一度きりのメッセージだと思っているので。でも、コンサートの感想を寄せてくださる方はさほど多くないんです。あんな演奏でほんとうによかったのかな、という不安でライブのあとは何日か眠れなくなってしまい、次につなげていくだけの力を再び得るまでに何年もかかってしまいます。運営も告知もすべて自分ひとりでやっていますから、虚無感を乗り越えて前へ進み続けるだけの力を産み出すことがなかなかできないまま、今日に至っているという状況なんです。

でも、1人でも、あなたの音楽を多くの人が必要としてくれている、と言ってくれる人がいるだけでがんばれるんです。やってみようと思える。音楽家なんて単純なものですね。どんなに不安や虚無におしつぶされそうになっても、誰かが聴いてくれるかもしれないと思うだけで弾きたくなっちゃう。それがたとえ一生に1人でも、また誰か自分の音楽を求めてくれるんじゃないのか、という幻想を追い求めすがって生きていこうとするのが音楽家のサガなのでしょうね。

ランディさんには、ばななさんがいてくれてよかったな。僕にはランディさんがいてくれて本当によかった。音楽を作ったり、奏でることの意地と根性を今、鍛え直しているところです。もう少し時間がかかるかもしれませんが。

私のなかの知恵

私はけしてあなた達を愛しているとはいわない。
けれど、あなた達が愛されていることを知っている。
だから私のあなた達への愛はけしてゆらがない。

前世の情報をうけとるには

ご来訪になられる方の性別は男性が少ないのですが、最初に奥さんがご相談にみえて、その後ですすめられてご主人もいらっしゃる場合があります。家庭や仕事があって比較的社会的に立場のある方ですと、人に相談するということも慣れていらっしゃらないし、さほど相談しなければならないほどの事情があるわけでもないとなると、足が向かないかと思います。奥さんにすすめられるままにこられる男性の場合は「なにが前世をしることが参考になるのであれば」というわりと軽い感覚でおいでになられるので、ご本人の総合的な性質や人生の方向性、注意事項、より納得できる人生をおくるためのコツなどを、できるだけ分かりやすくお伝えするようにしています。ご家族との向きあい方、健康、財運、仕事運についてもひととおりコメントします。また前世からひきついだ特質がなんであるか、どういう方向で今生はそれを生かすべきなのかも紐解いていくので、今生の指針として参考にしていただけるようです。

カウンセリングという形式なので、問題や葛藤がなければ相談してはいけないのでは、と誤解なさっている方もいらっしゃるかもしれませんが。私は情報を受けとる媒体でしかありません。うまく利用していただくことによって、ご本人がより前向きな人生を生きられるのであれば、それが本望なのです。人の人生にとやかくいえる立場ではありませんし、まして運命を変えることはできません。辛い厳しい状況の方には、できるだけ励ましてさしあげたいと思いますが限られた時間のなかでお伝えすべき情報を紐解きますと、気配りをかけてあげられる時間も限られます。自分なりにできるだけのことをさせていただく、カウンセリング中はその思いだけで全神経を高次元からもたらされる情報に向け、受けとったものをできるだけ正確にお伝えし続けています。

何度かお会いして懇意になっても、なかなか前世のことをお話しする機会に恵まれないこともあります。たとえ分かったとしてもこちらから一方的にお伝えするわけにもいかず、残念に思うことがないわけでもありません。でもご本人が知ろうとしてくださらないと情報は届けられないので…私がどんなに願っても、なにも形にすることはかなわないのです。前世の情報を受けとるかどうか、結局はご本人次第なのです。

#追記
どうすれば前世の情報を受けとれますか、と尋ねられることがあります。その問いに対する答えはありません。問いかけのようでいて、ただ許可を求めている場合は誰にもどうすることもできません。前世の情報は「単なる情報」にしか過ぎないのです。それをひも解けるのは「本人」だけなのです。自分の心の中でそれを強く求める、という作業を始めないと宇宙はあなたの問いかけに呼応はしません。

私のなかの罪悪感

罪悪感。

生きていることにすら罪悪を感じるようになったのはいったいいつの事だったでしょうか。
理由はわからないのに、自分の存在、行い、思考などあらゆるものが罪悪感の対象でした。けしてそれがすべての理由ではないけれど、人と関わることが怖い。怖いくせに寂しくてわかってもらいたいと渇望もしている。本当に自分の性格がややこしく、扱いにくく、そしてめんどうでした。

そして、ある時期からその罪悪感と向きあう知恵のようなものがこの世には存在しているかもしれない、と光明を探し求めるようになりました。記憶をたどると定かではありませんがたぶん14〜5歳ぐらいから、そんなふうに考えるようになったと思います。丁度その頃、友人にさそわれて一度だけ教会に足を運んだことがあります。洗礼をみて、ひどく衝撃を受けたのをよく覚えています。なぜあんなに洗礼の儀礼がショックだったのか…がてんがいくまでそれから長い月日がかかりました。過去世で自分自身が洗礼に関わっていたからだったんですね。前世の記憶がよみがえるとわけもわからないなにかが、自分の細胞のなかでいっせいに騒ぎ出すような感覚になります。そしてそのインパクトは永遠に忘れられない。だからいつでもずっと探しつづけている感じになってしまうのでしょう。

いろいろな意味で教会で洗礼の儀礼を目撃した瞬間、というのが自分の今生での「魂が目覚める」最初のきっかけになったことは間違いないようです。それから聖書を何年かに一度ひもとくようになりました。縁あってカトリック系の高校に進み、授業で新約には触れることになりました。聖書の内容にはさほど感銘も受けず、共感もできませんでしたし、信仰には近づく気持ちにすらなれなかったけれど教会や信仰に関わる人達の存在感には、嫌悪感よりは共感するもののほうが多かったかもしれません。

自分にとって聖書はさほど救いにはなりませんでした。というより信仰のなかになにかを求めていくという動機は最初からなかったのです。三浦綾子さんの作品やエッセイは随分読みましたが、敬虔な信仰をもつ人達を尊敬することはあっても仲間入りはできない自分であることは、どういうわけか最初からわかっていました。自分の場合は信仰を持っても救いはないのではないか…。でもなにか「その方向性で探し当てられるものがあるのではないだろうか」とはかんがえていました。信仰ではなく、たとえば信仰を持つ人達が行なう所作、そのなかで積み重ねていく経験や知識、そういったもののなかに「なにか」見出せないのだろうかと思い、宗教的なものや神学的なもの全般にとても興味をもち、たくさんの本を読むようになっていったのです。

ほんとうに乱読といった読み方だったと思います。どんどん本が溜まるのですが理解できない本も多くて、買ってもよまなかったり何年も放置したままだったり。そんなことを長いこと繰り返していました。

最終的に、文字から得られる知識や情報には限界があると悟り、瞑想の世界にヒントを求めるようになったのです。結局、今でこそはっきりわかるのですが自分はチャネリングをしたかったのです。この地上に答えがないのであれば高次元の意識と対話するほかはないだろう、と。それはあさはかな考えだったかもしれません。無謀だったようにも思う。けれど、もうそれしか求め得るものが残っていないせっぱ詰まった状況でもあったのです。淡々と上辺だけの人生を生きながら、罪悪感から逃れたいという自分の潜在的な(けして誰にも見せられない)内なる渇望は止むことがなかったのですから…。

おりしもチャネラーと呼ばれる人達が活動をしていることがわずかながら情報としては得られました。が、会いにいくことはかないませんでした。また、遠くにわざわざ求めていくこともなにか違うような気がしましたし、正直な気持ちとして「外人」のチャネラーに会いたいとは思わなかったのです。なぜか自分は「神道」に強く魅かれていました。修験道の行を積んでいましたから密教の方向でもよかったのですが、どうしても自分にとっては「神道」の枠がはずせなかったのです。それで「神道」にかかわる人達のなかで「神様の言葉」を話せる人を探していたのです。

求めつづければ出会うものなのでしょう。

結果的に、私は「神道」の世界を通じて神々の意識と通じることができました。何年も何年もかけて、最初は人を通じてしか言葉を受けとることはできませんでした。が、ついに自分で対話することができるようになったのです。

私自身がものごころついた頃から抱きつづけてきた罪悪感の意味や、それと向きあう知恵を授かった今、迷いがないといえば嘘になります。悟ったかどうかなどという大それたことを言えるほど偉い人間になったつもりは毛頭ありません。ただ、本当に素晴らしい知恵を持っている「高次元の存在」というのは実在します。見ることも声をきくことも残念ながらできないのですが、私は感じとることができるようになりました。そして私という人間のもつ精神のなかで彼らから伝わってくるメッセージをわかりやすい言葉に(ときに音楽に)翻訳して皆さんに伝えることができるのです。

もし、これが自分が望んだ役目だとすれば(今はそう信じています)、できるだけ多くの人に「光のことば」を伝えていきたいと願っています。

すべては私のなかに組み込まれた「罪悪感」からはじまったのでした…。