弥生二日の雑記:身体中の呪縛を外さないといけない

すごく天気が悪くて、こんな日は沼の底に沈んでいるかのような気分になります。

こんな天気の時、いつもこんな気分だったのだろうか。
ふと思い返す。
きっと子供時代は、田舎の漁村暮らしだったので、風の音、波の音、列車の音がちょっと耳を澄ませばしっかり聞こえていたし、天気が良くても悪くても、その日その日で何かしら、やるべきことを見つけては、没頭できていたような気がする。読みかけの本の続きだったり、飼っているアリがどこまで巣を広げたか確認することだったり。新聞折り込みの裏面が白い広告の紙いっぱいに、グルグル幾何学模様を書きなぐることだったり、ここに自分がいない感覚に没頭して違う次元にワープできていた。

天気が悪いぐらいで、何でこんなに目の前のことに打ち込めないのだろう。いつの間に、身体中に見えない電極を繋げられっぱなしで、外界の雑音がチリチリと電磁波のように侵入してくるような状態になってしまったんだろうか。この見えない電気ケーブルを片っぱしから、抜いていかないと、どんどん見えない沼にハマって、身動きとれそうにない感じになりそうだ。

これじゃいけないから、なんとかしよう

というような意識を持つことがまずは大事かな、と思うのです。

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如月十八日の雑記:黄砂ふる日に思うこと

春先ならではの空模様です。
光がくすんで、なんとなく落ち着かないものですね。
さて今日は人生の流れを変えることについての短いお話です。

煮詰まった時、どうするか。あるいは、かなりやっかいな問題に直面して、突破口がみつからない時、どうするか。

もがいても、工夫しても、努力しても、どうしようもないことが人生には時折りあります。人生とは、厄介な迷路なのです。迷路の中で迷ってしまった時、疲れて消耗しすぎると絶望という闇に襲われます。そうなる前に、進路を変える必要があります。

が、迷路の中にいては進路変更が難しい。そんな時は誰かに違う視点から、新たな進路を指し示してもらう必要があります。

人生という迷路を、全て自らの力で向き合い、乗り越えていくのは大変に難しいものです。それはほぼ不可能だと思います。なぜなら、運命というのはさほど柔軟に作られていない。それほど私たちの意識、心、そして時流というものにしなやかに寄り添ってくれはしないのです。

その理由は、私たちの意識のあり方にあります。時流は4次元的なものなので、刻々と変化していきます。その流れをつかむには「直感力」がとても重要です。が、直感という曖昧な情報に従って人生を変えるのは大きなリスクがあるので、意識はそれを怖れるのです。

しかし、どこかで私たちは「直感」を感じ取っていますから、なんとなくこのままでは先行きが見えない不安が募ります。直感がこのままではまずい、と黄色信号を出しているわけです。その感覚を大事にした方がいい場面があります。そんな時は、早めにその信号が正しいのかどうかを確認した方がいいと思います。

人生を変えるなんて、大袈裟に思うかもしれませんが、自分より少し先を歩んでいる人、少し視野の広い人に、出会い、当座のヒントを求めるだけのことで大きく流れを変えられることがあります。

どうも、時流は今、大きなうねりの中に入ったようですから、今日の天気のような「なんともスッキリしない」いまひとつな感覚がしばらく続くようです。あまり煮詰まってしまわないうちに、人生の迷宮に疲れ切ってしまわぬうちに、次なる人生のヒントを受け取っておくのがいいようです。

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睦月九日の雑記:春に向けての準備開始です

今日はこんなに春めいた陽気でいいのだろうか?と戸惑うほどの暖かさ。
雪解けが一気に進んで、そこここに水溜りができて歩きにくくなってしまいました。

あと何度か、雪が降っては積もりますが、もうカウントダウンです。
やっと冬が過ぎ去っていこうとしている。

この冬はちょっと長かったように感じます。

さて、春を迎える準備を始めるとしましょう。
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