『宮島トモ子・霊感相談室』【幸せの分岐点】

 純子がいつになく沈んだ表情をしているのがトモ子には気になっていた。ここ数日、そんな気配があったのだがいよいよ今日はそれがしっかりと態度にも表われている。声をかけてもうかない返事だし、いつも必ず一つつまみ食いをするクッキーの箱にも手を出していない。そればかりか、整頓好きな純子が上着と帽子を事務机のうえにほうりだしたままなのだから…。これはよほどなにかあったのだろうとトモ子は推測していたが。若い頃は、いろいろなことがあるものだ。本人が言いだすまではなにも気づかないフリを通してやろうと心にきめていた。

 今日も何人かの相談者が帰って、事務所も閉める時間がきた。通常は午後9時すぎには最後のお客も帰るので遅くとも十時にはトモ子も純子も自分の部屋に帰っている。週末は予定がなければ二人で外食をするか、トモ子の部屋で簡単な食事を一緒にとることもある。
「今日は金曜日だけど…。よかったらうちで食べていかない?」
「うん。あたしはどっちでもいいよ。」いつもははっきり意志表示をする純子が「どっちでもいい」なんていうのは、相当である。あまりにもわかりやすいサインである。その点はまだまだ子供なのだ。
「じゃあ、つきあってくれると助かるな。冷蔵庫に期限がきれそうな食材がわんさかつまってるのよ」「しょうがないね、女のしがない一人暮らしに、たまには若い女の色気で花をそえてさしあげるわ」純子も、すっかり甘えっ子モードである。

 地下鉄に十五分乗り、マンションに向かう途中で缶ビールを仕入れた。台所にたつと、手早く調理をして夕食を調えた。
「乾杯!」「おつかれさまー」
「なんだ、煮込みうどんかー。期限きれの食材って、うどんのことだったのね。高級な牛肉でもでるのかと思ったわよ。」純子のくったくない不平は嫌みがなくてトモ子は好ましく思うのだった。不思議と純子には母心をいつも抱いてしまう。すっかり空腹がみたされて、二人ならんで皿を洗ったりしていると「親子」のような空気がすっかりできあがってしまう。
「トモ子姉さんとこうしていると、なんだかほんとの親子みたいだなー」純子は、生母と幼い頃に別れてしまったので、母親の愛情には十分みたされているとはいえない子だった。本人はあっけらかんと言うのだが、そんなセリフにもトモ子はどきっとすることがある。

 身近な身内の心は簡単に読めない。こうして今、二人で過ごす時間がおおいことをかんがえると、自分たちの魂がそう浅い縁でないことは容易に想像ができた。いまだトモ子は二人の関係を霊視したことはないし、これからもそれはしないだろうと思っていたが、純子の心が痛みを覚えているのでは?と感じるたびに、もしもそれを本当に必要とされる時がきたら、自分はきっと最優先で自分の霊能力をこの子の為に惜しげなく用いるだろうと確信をもっていた。

 そんなことをぼんやり思っていた矢先である。
「ねぇ、トモ子姉さん、あたし観てほしい人がいるんだけど。頼めないかしら…」純子らしからぬ態度だった。いつもはトモ子の顔をまっすぐに見て話す純子が、目線を下におとしてつぶやくような声で言ったのだった。トモ子もさすがに純子のそんな様子を初めてみるように感じ、すくなからず気持ちがゆれ動いた。だが、すぐに気持ちをたてなおして冷静さを装っていった。「あら、誰かきになる人でもいるのかしら。それとも、プロポーズでもされたとか?」
「いやあね。そんなんじゃないのよ。でもね、すごく気になることがあるの。だから観てもらえないかと思って。」
「うん、純ちゃんのたっての願いなら、一肌脱ごうじゃないの。」

 純子が神妙なおももちで語ったのは、次ぎのような内容だった。
 大学の学友でF子という友人がいる。その子とはゼミは違うのだが、友人を通じて知り合い何度か会っているうちに気心が通い合うようになった。純子も、他の子にはない繊細な面をもつF子とは、ちょっと特別な親しみを覚えるようになっていった。普段はなにげない関係ではあるが、ある時F子の秘密を明かされたのだ。その話はまだ若い純子にとっては衝撃であり、現実にそのような体験を背負って生きている存在と向き合うことは相当に重荷になったのだ。
 F子の体験というのは幼い頃に、実の父親に性的な虐待を加えられていたというのだ。F子自身はその記憶を封印していたせいか、今日までその葛藤が浮上することはなかったという。中学生になった時に両親は離婚した。それ以来、実父とは会っていない。だが、大学生になって異性と交流する機会が増えてきたこの頃、F子の心に大きな闇の領域ができ上がってしまい、それが次第に大きく広がってきていた。
 F子は地味だが、外見はかわいらしくて男性の目をひくことも多かった。純子がF子の幼い頃の心の傷跡をみせられることになったのも、F子がボーイフレンドとうまくいかないと相談されたことが始まりだった。

 純子は当初、F子がただ男性経験が少なくて単純に奥手なタイプなのだ、と考えていた。「彼となかなかうまくいかなくて…」と自信なげに語るF子の言葉には、いつもおうむがえしに「マイペースでやればいいじゃない。そのうちうまくいくわよ」とさりげなく応援の言葉をかけていた。だが、F子の本音は「その秘密」を打ち明けたい、誰かにわかってもらいたい、と芽ばえていた依存心を満たしてくれる相手を求めていたのだった。やがて純子は、F子に打ち明けられた。
 F子は記憶を封印していた、と言った。だが、純子は具体的にその状況を聞かされた。話している時のF子は自分が話していることにすら心を閉ざしている様子でまったく無表情で淡々と語るのだった。それゆえ、状況描写はあまりにもリアルで純子はなんども鳥肌がたち、そして胃の奥からあらゆるものがこみあげてきそうな不快感に何度もかられ、どこかのトイレにかけこもうかと冷や汗を我慢しなければならないほどだった。

 トモ子は冷静だった。純子が聞かされた一部始終をしっかり受け止めていた。話終わった純子がすっかり落ち着くまで待って、その日はそのまま泊まらせることにした。
「明日の朝、少し早く起きなくちゃいけないけど。今日はここで眠っていくといいわ。」「うん…」いつになく純子は素直だった。

 一夜あけ、なにもなかったかのように純子はすっきりした表情をしていた。少しの間、トモ子はF子のことを尋ねた。
「純ちゃん、F子さんになにか言ったの?」
「ううん。なんにも。だって、私にはどうしようもないことだもの。なんにも言葉にできるものがなかったわ。普段はメールしなければすれ違うこともないし。週末、会う予定もないし。」
「そう。それなら、今夜にでもまた寄るといいわ。」
「うん。そうする。」

 純子を見送った後、トモ子は純子のオーラを霊視して、どんなダメージを受けているかを確かめた。「そうか…やっぱり…」続いて、F子という友人について、純子は聖霊からアドバイスを受け取ってみることにした。純子の学びになる範囲で霊視をしてもいいかどうか、導きを得る為だった。「今夜、話す方向が決まればよし、と。純ちゃんも随分成長したのね。」方向が定まればあとは話すだけである。今日の予定をこなしてから、今夜の為に純子の為にちょっと奮発しておいしい手料理をふるまってやろうと思った。

 その夜、午後9時をまわってからトモ子のマンションで女二人の遅い宴がはじまった。トモ子の手料理を堪能した純子はすっかり元気を取り戻していた。お腹も満たされ、ひとしきり雑談が終わると、静かな時間がやってきた。
 トモ子はテーブルにキャンドルをいくつかともして純子の気持ちが落ち着くようにした。純子は無言でそれを見守り、トモ子が話しだすのをそっと待っていた。

「なんでも言っていいわよ。」
「うん。じゃあ、話すわね。これはね、純ちゃん、あなたにとってはとってもいい勉強になったはずなのね。それでF子さんのことは少しだけ霊視してもいいってお許しが出たから、教えてあげる。ただね、このことは絶対にF子さんには伝えてはいけないし、あなたの心ひとつに収めていかなければならなくなるの。それが守れるかしら?」「はい。」普段はためぐちの純子がはい、と答える時は、その意志がかたく揺らぎないものであることを現わしていた。トモ子は安心して言葉を続けた。
「あのね、F子さんが実の父親に虐待を受けたことには、どうしてもある事情をひもとかなければその理由がわからないの。それから、そのことをF子さんはまだ気づく時期ではなく、これから先の未来の彼女の人生に関わることでもあるのね。」
 トモ子が霊視しながら語ったF子の前世、そしてこれからの未来というのはこういうものであった。

(※この物語はすべてフィクションであり、実在する人物をモデルとしてはおりません。)