見栄っ張りな私たち
私たちの中にはたくさんの虚栄心があります。いわゆる見栄っ張りな自分。
人によく思われたい、褒められたい、尊敬されたい、慕われたい、感謝されたい。とにかく「相手にとって自分が善でありたい」という強い欲求があります。これは誰にでもあるものだし、逆にないと困ります。これがあるから私たちは人間らしく生きられる。そして人生が、なかなか厄介で面倒になるけれど、その代わりに生きる意味を味わうことができます。人生にはなくてはならない、かなり辛いスパイスになっています。
スコラ(風、光のどちらも)では、内面と向き合うという心理学的なワークはあまり取り上げません。なぜなら、不要なものは自ずと浄化されていくから、放っておいても良いというスタンスです。どうしても内面の不調和が浮上した場合は、個人レッスンを受けてもらうことで対応しています。
でも、この見栄っ張りな自分がスコラを受講してもらっている中で邪魔をすることがあるのです。
スコラはグループの勉強会なので、人前で「自分の考え」を話す場面があります。その時に、多くの人が「話そうと思ってたくさんメモしてきたんだけれど、もうどうでも良くなった」ということを言います。つまり、本当に話したいことが最初は見つからない。でも、事前に書いてみることで実は「不要な意識」が取り払われるのです。そしてスコラ当日、自分の時間がきた時に実際に話したくなることとは「その瞬間、刹那、自分の中にあるもの」が浮上します。これがとても面白いのです。事前にたくさん書けば書くほど、当日は心が軽くなっていますから、本当の自分の内側にある普段は眠っている領域が目ざまめます。そうすると、自分でも思ってもいないような考えが出てくるものです。
また、LINEで意見や感想を提出するという場面もあります。この場合「事前に書く」という工程がないので、何を書いて提出しようか考えながら書くことになります。そうすると、本当は書きたいことがカモフラージュされてしまうものです。レベルが低いと思われないか、変な人と思われないか、常識がないと思われないか、など、とにかく「相手がどう思うか」が優先します。これが見栄です。見栄は誰にでもあります。でも、これを取り払っていかないとなかなか自分の本心に近づけない。するとどうすればいいか。とにかく書いてみる。先生に伝えてみる。そしてどんな反応が返ってくるか確かめる。そしてその時の自分の心の納得度合いを計るのです。思うような回答は戻ってこないものです。意外な部分を指摘されます。その結果、違和感を感じたり、モヤモヤしたりもします。それでいいのです。そうしているうちに、自分の見栄をコントロールできるようになります。これはたくさん練習が必要なんです。見栄は長い年月の習慣で作り上げられてしまったものなので、これを溶かしていくには年月かかるのが当たり前。でも、少しずつ変えていくことができます。そのうち、自分の内側から未知の自分が浮上します。そんな自分を対面することができれば、人生は大きく変貌していくでしょう。誰にでもある未知の可能性、これを開花させる取り組みがスコラの大切な方向性です。