2023-05-08:あるがままでいい

あるがまま、不完全、中途半端でもいい。

そう言われて、ほっとする。

次の刹那、でもやはり中途半端は嫌だ、と思う。

自分なんて何にもできない、中途半端だ、なんて言ってる人に限ってすごく大きなことを形にしていたりする。ずっと遠くの人ならさほど気にならないが、割と身近にそんな立派な生き方を実践している人がいたりすると、自分の中途半端さがあまりにも小さく思えてくる。

所詮、自分のスケールは他人を物差しにして測っているに過ぎない。

今、文明のない時代にワープしたら、紙飛行機をおって飛ばすだけで「神通力だ、魔力だ」と騒がれて神様扱いされるか、逆に怖いものとして忌み嫌われるかだ。

私たちは、自分の中に「自分らしさ」という物差しを最初から持たされずに生まれてきているようだ。

それならば・・・。

中途半端が嫌ならば、その向こう側に突き抜けてやろうじゃないか、などと見栄を張りたくもなる。

話は変わる。

私はこのサロンを作る以前ぼちぼちと音楽を作っていた。自分との対話をしつつ音にしてみた。そういう試行錯誤の時代があった。それより他に、自分と繋がる方法を持っていなかった頃だった。内なる自分との対話はしばらく続き、CDを三枚作った。とっくにどこかにいってしまったが。存在を知る人も、もう少ない。そのある意味で本当の自分の処女作のような一枚目のアルバムを今月の光のスコラではBGMに使っている。

私はこの「光の涙」というアルバムが大嫌いだった。自主制作という形で作り、本当にわずかばかりの枚数を販売した。ただ、最初から私の中では「異端児」であり「生まれてきてほしくない子供」のような音楽だった。

あれから23年も経って、やっと客観的に聞けるようになった。今、この時代に自分が主催しているスコラでさりげなく空間の色付けのようにして使っている。効果は絶大だ。聖なる世界からもたらされた波動が込められていたのだろう。本当の自分らしさに気づくには、良い好転反応が出そうだ。しばらくスコラで使っていくことになりそうだ。
(問い合わせがあるといけないので、書いておきますが、このCDは再販は考えていないです。なぜかというと好転反応が出過ぎて、一人で聴いてもらうにはリスクがありすぎるので。今という時代はこういう光の波動の原液のような代物は注意深く扱わないといけません。)

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