光のスコラについて(初投稿)
ブログに初めて書きます。
「光のスコラ」は毎月開催している勉強会です。テーマは「時流」を生き抜く知恵を受け取り、実践し、豊かな未来を引き寄せる。そのために必要な神秘的な知恵や技法を学び、実践し、また各自の日常に起きるあらゆる変化を皆で支え合い、苦労を分かち合いながら前進する糧を受け取れるような流れを作っています。
サロンも長い歴史があります。個人レッスンと小さな不定期のセミナーを続けていましたが、次第に毎月のように人が集まるようになり、気づけば「光のスコラ」という呼び名もつきました。この4月からは、クラス分けがなくなり参加者全員が一様に同じ立ち位置で参加する流れに変えました。(これまでは参加履歴によって3クラスに分かれていました)
なぜ、クラス分けが必要なくなったかというと、天は人を分け隔てしないからです。そもそも私たちにはうえも下もありません。確かに聖なる神秘的な知恵もテクニックも、理解するのも実践するのも難易度が高いです。かといって初心者が受け取れない、というのもおかしな話です。一番、新しい人でもずいぶんな年数になりましたので、一度ここらでクラスを廃してみようと思いました。それで問題があればまた見直せばいい。
このスコラにはさまざまな人が参加しています。決して特別な人はいません。本当にごく普通の人たちです(普通という言葉をあまり使いたくはないですが、特殊な人の集まりではないというニュアンスです)。例えば、霊的に研ぎ澄まされた感性を持っているとか、スピリチュアルなことに詳しいとか、そういうカテゴリーの人はどちらかというと少ないような気がします。あえていえば、ごく自然にサロンに来るようになり、何か機会があれば集いに参加したい、という自然体の人がほとんどです。一方で、私がお伝えできることは聖霊から授かった知恵や言葉、考え方だったり日々取り組んでもらいたいことだったりです。これしかできませんから。私なりにこれまで会得してきた技術をお伝えする、そして日々をしっかり生き抜いてもらいたいと思います。時流がこれからどうなっていくのか、人はどうあるべきなのか、という答えもお伝えはしていますが、決して洗脳ということはありません。束縛は一歳無しです。だから、いつ辞めてもいい。それでも毎月のように皆さんいらっしゃるので、いつまで続けるの?と逆に問いかけたくなることがあります。でも、来る人がある限り、私はこの光のスコラを続けます。最後のひとりになるまで続けるでしょう。
今月、受講生だけの連絡網に「私がこの世にいなくなったら、この精神を受け継いでそれぞれが行いの中に反映されていく。それでこれらの知恵は後世に伝わっていくでしょう」というようなことを書きました。それぐらい私は普遍的なことを伝えています。これらの知恵は一体、どこからきたのか。私はルーツは古代のチベット、つまりヒマラヤの奥地だと思っています。古来から聖地であり聖人たちが修行して、さまざまな真理を会得した地です。
私は2001年にこのサロンを設立した時、今のサロンのあるこの場所の賃貸契約をしました。あれからもう21年が経過しました。最初にやったことは内装です。自分で壁を塗り、床板をはりました。床にはレッドシダーの無垢材を敷き詰めました。業者さんは1Fのテラスまでしか木材を運んでくれないので、全ての材料を階段で3Fまで運び上げました。敷き詰め終わってから、アマニ油由来の塗料を塗りました。だから今でも床を水拭きすると雑巾がアマニ油色に染まってしまいます。内装が終わって、最初にキリストの肖像を貼りました。サロンに最初に届いた郵便物はチェコからの贈り物、キリストや聖母マリアの肖像でした。私はクリスチャンではないけれど、ここまでの人生で導きを感じていたのはやはりキリストでしたから。
次に取り組んだのはヒマラヤ水晶を買い集めることでした。とにかく水晶を集めました。それもヒマラヤ産だけを。何十キロと買い集めました。それから、空間を清め、建物を清めました。ずいぶん時間がかかりましたが、やっと聖地の周波数に近づいたと思います。
だから、このサロンに来るだけで、ここにしばらくいるだけで、体の状態がリセットされます。霊的なエネルギーが安定するのです。もはや、私が何かしているというより、私を通して何らかの力が働いているとしか思えませんし、間違いなくそうでしょう。
光のスコラはある意味、単なる口実です。ただサロンに集うための口実。受講費用はサロンを維持するためのカンパのようなもの。私のなかでこのサロンはボランティア運営です。営利を追及したことは一度もありません。それでも潰れずに今日まで維持できているのは、この場、この空間に集うことで生きる糧を受け取れている人がいることの証なのだと思います。
スコラの内容を公開することはこれからもないと思います。
神秘的な技法は、秘伝です。古来から。これからも。
しかしながら、それは誰にでも開かれているものです。ではなぜ秘伝なのか。非公開なのか。そういう問いもあるかもしれません。が、それに答える必要はありません。秘伝として古来から大切に伝えられてきたものを、一人ひとりに手渡しで伝える。そうやってこれまでも受け継がれてきて、うまくいっているのです。それを変える必要など一つもないのです。
光のスコラへの扉はいつでも、誰にでも開かれています。しかしながら、安易に考えないでください。秘伝を受け取る準備が必要です。その準備の段取りは個別に違います。必ず個人レッスンから、が順当な道だと思います。