生まれ持った喪失感ありきの人生について
私たちは、根本的な「喪失感」を持って産まれてくるので、欠落したその「なにか」を一生かけて探し求めているといってもいいでしょう。ただ、その「なにか」は寿命が尽きた時におのずと取り戻すことができるものだと思います。私も、実際にはまだ死んではいないのだけれど、命の炎が燃え尽きた直後に起きる体験については、一度リアルにそれを味わっています。だから死に対する心構えができてしまっているようなところがあり、だからこそ生きてこそとも思うようになりました。それは言葉にするとあまりに貧弱でまったく違うニュアンスになるのですが、それでもわりと知られている言葉で「至高体験」と表記しましょうか。
至高体験といっても、主観的なものであって、自分でそう思い込んでいるだけという可能性だってありますけれど。今のところ確信はしています。それ以上の幸福感や完全に満たされている感覚は、この世には存在しないだろうという体験です。それはあまりにも素晴らしすぎて、そしてあまりにも完璧すぎて、私はもう一生分の光をいただきました。それを味わう前は、そんなことでもなければ生きている甲斐もない、などと嘆くような気持ちがありましたが、その直後からはもう生きている間は結構です、という気持ちになり、それが十数年続いていますので、おそらく私はもうそんな体験はせずともこの人生は精神的には喪失感に悩まされることはなくて済むと思っています。どんなに辛いことがあっても、苦しくても、私の意識のなかに「光ありき」という感覚がすっかり定着してしまっていて、闇に落ちることがないんです。
これは非常にスピリチュアルな体験に違いありません。その後は霊感がさらに研ぎ澄まされてゆきましたし、ゆらぎもなくなりました。様々な情報をキャッチする感受性も安定して、霊的な能力については十分に覚醒しきった感がありました。が…。
その反動で、体調を崩しやすくなりました。風邪をひいたり、お腹をこわしたり、自律神経の不安定さから集中力を失って、何日も仕事ができない状況にもなりました。長年、さまざまな薬を服用していた為、解毒も必要になり、肉体レベルの浄化が休むことなく連日のように起き続けました。数年間はそんな状態が続き、一時は全身にひどいアトピーがでたこともあります。
いかに精神的に満たされているといっても、私たちの肉体は、日々の休息と充電が必要です。神経回路も肉体に属しているのですから、肉体が活性化しなければ、いくら精神を鍛え、霊的な回路が安定したところで、現実は前進することはできません。それからは、できるだけ体を休めることや、体(五感)を喜ばせる為の充電も心がけるようになりました。
霊的な至高体験は一生に一度で済むようですが、どうも肉体は一定期間毎にしっかりと高揚感を与え、充電をしつづけなければならないようです。肉体にも至高体験に近いものがあるのでしょうが、私はまだその部分では最高の体験には至っていない気がします。スカイダイビングなんかすさまじい高揚感を体験できそうで、憧れなくもないのですが。小さな飛行機に乗って、また発作が起きるのも怖い(笑)。深い海も恐怖心があるので潜るほうもだめ。お酒もあまり飲めないし。あ、あとは音楽がありましたね。素晴らしいステージが体験できれば、相当高揚感を味わえるのでしょう。ただ、それはそこにいたるまでの準備と努力も必要になりそうで容易ではありません。それに、そんなにノリノリのステージは私の持ち場ではないですしね。というわけで、今のところは近所の温泉に出向くぐらいが手頃なところ。でも、この肉体面の充足方法については、体力のあるうちにもう少し探求していければいいなと思います。山歩きか、川下りを改めて掘り下げるのもいいかな。ただちょっと危ないこともあるのでリスクは避けたい。でもリスクがあるアクティビティって高揚感がすごいんです。だからやめられないのでしょう。
体を通して最高の至高体験というものを味わうことができれば、すべての細胞が活性化して若返ることもできそうです。五感が研ぎ澄まされ、五感と精神の調和を通して霊的な覚醒がうながされる場合もあるでしょう。まだまだ開花できるものが、私自身の肉体と五感のなかにもたくさん残っているような気がします。
神様が設計して創りあげた肉体には、無限の可能性が秘められているはず。上手に活性化できれば、精神との調和も、霊的な感性との融合も、加速させることができると思います。スピリチュアリズムだけでなく、生命科学や東洋医学、ネイティブな人達の叡智と融合していくことで、人間の霊的な本質は、この地上でもっと素晴らしい発展を遂げることができるはずだと私は信じています。人間がどんなふうに変化を遂げていくのか、これからの未来が本当に楽しみ。自分の命があるうちはできるだけ見届けたいし、そう遠くない来世にその後の進化を確認しに地上に降りてきたいものです。