
秋も深まってきたと思ったら、もう立冬。
森はすっかり冬支度。
皆さんも脱ぎ捨てるものが残っていないか、再確認を。
土地とのご縁をいただくにはとても時間がかかります。
特にそこに以前、住んでいた方がある場合、建物が残っている場合など、長く土地に関わる人々の歴史があればあるほど背景が深く、重くなります。また周辺地域との関係性がどうか、住む方の体質、気質との相性など、鑑定項目は多岐に渡ります。
必要があれば土地の神様にご挨拶に出向きます。以前住まわれていた方の思いがまだ残っている場合などはお祓いをすることもあります。
今年は何度となく現地に出向いて鑑定をする機会に多く恵まれました。時間はかかりましたがいづれも良いご縁をいただくことができホッとしています。あとはそれぞれの日々の暮らしが末長く、月日が重ねられていくことを願うばかりです。
土地とのご縁をいただくのは簡単ではありませんが、地道に努力を重ねていると順番に機会は巡ってくるもの。焦らずじっくりと取り組みたいものです。
北海道は広いとはいえ、札幌圏に関してはかなり開発が進んでしまい、利便性の高いところにはもうあまり空き地がありません。が、空き家は年々増える傾向にあります。制度も改善され、住み替えもしやすくなりそうです。限られた土地は所有するものではなく、ほんのいっとき神様からお借りするもの。ご縁をひたすら願う気持ちをまっすぐ持っていれば、きっと繋いで頂けます。

日々、あっという間に木々の葉が色濃くなり、日没がどんどん早くなります。体にも自然のダイナミックな変化に適応すべく、忙しくなってきました。こんな時期は、生活のリズムの乱れはかなり体にはストレスになりますので、いつもより少しだけ余裕を持って過ごされますように。
今、いろいろなことが変化し始めています。
一人一人の中で。私たちを見守る空の上で。神々の世界で。あらゆる次元で同時に変化が起き始めています。もはや変化のないところがないぐらい。
穏やかに保つのが難しくなってきたので、バランスを整えるために使う時間が増えてきました。
皆さんもどうぞ、受け取るもの、感じるものを少し抑え気味にされますように。あまり刺激的な情報はしばらく遠ざけた方がいいかもしれませんね。
誰にとっても少しずつ時の流れが早くなっていくような気がします。
だからこそ皆さんに幸多かれと祈らずにいられません。
忙しい方も、今は心穏やかに過ごすことが難しい方も、体調が優れない方も、物事には必ず波があるので、少しでも風向きが変わったらできるだけ休息をとってタイミングをはかりなおしてみてください。多くの方が焦りが強く出ていると思います。
自分という器をいつも空にさえしておけば、ちゃんとそれぞれに最善のタイミングは向こうからやってきます。自分にとって良くなタイミングでは何をしても良い結果に繋がりにくいものです。

お彼岸ですが天気が不安定で外出がしにくいですね。
この頃、身近なところで訃報があいつぎ、看取りということをよく考えます。もともと、看取るということが現在の役目の原体験となっているわけですから、世の中で一番、看取ることに関して至近距離にいる側だと思います。だからこそご相談をお受けすることも多いわけです。そして、やはりこのころ看取りについてのご依頼は増えていますし、より内容がすごく多様化してきていると感じます。
命あるものはいづれ死を迎えるわけですから、順番に看取りもやってきます。家族の形態も変化している現代、看取りの形式も多様化しています、同時にスピリチュアルな気づきや学びの場面として、看取りはものすごく大きな意味を持ちます。
そもそも自分自身も祖母を看取ったことが発端となり、親族の看取りの中で自分が霊的に他の人と明らかに違うということを自覚せざるを得なくなりました。
けれど、単に感じる、見える、ということだけでは人様の看取りに関わり、お手伝いをすることはできません。人間的に強くならなければならず、そのために苦労することもたくさんありました。が、なんとか今日ここまでやってこれた、そしてこれからまだまだお手伝いをさせていただく機会もあるだろうから、看取りということを自分の役目の柱にしていこうと思います。
家族が一人、この世からいなくなる。今までの日常がガラリと変わる。その変化を皆、初めて体験するのですから乗り越えるのは本当に大変です。家族の死をどう受け入れるか、そして自分の残された時間をどう過ごしていくべきか。一つ一つ紐解いていくことから始めます。そうすることで、混乱から解き放たれます。悔いや罪悪感を手放すことができます。
事情は皆違いますから、しっかりそれぞれの喪失感と向き合うところから。毎回、一から真剣に向き合います。一般論は一つもなく、アドバイスの内容もそれぞれ全く異なるお話をさせていただいています。
旅立つ魂も安らかに過ごしていただけるように。これからも生きていくご遺族もしっかりと前進していけるように。そんなお手伝いを心がけています。
近年はペットを亡くされた方のご相談も多いです。大切な家族であることは人間と変わりありません。

午前中に訃報が届いた。
私が演奏活動を開始しようとした時、一番の理解者であり支援者であると同時に、同じステージにも立ってくださった恩人であるYさんが旅立たれた。お元気なうちにもう一度お会いできると良かったのに、長くご無沙汰しているうちに遂に機会に恵まれなかった。残念で悲しくて、しばらく空を仰いで祈っていました。
共演したステージが蘇ってその時に弾いた音楽が心の中に聞こえてきました。Yさんがあの時と同じようにパフォーマンスを見せてくださった気がします。気づいたら光輝く存在に変わっていました。もう帰るべきところに戻られた気がします。
Yさんが光輝く姿を感じていたら、長らくお会いできなかった悔いや、お世話になったことへの感謝の気持ちを十分にお伝えしきれなかった無念さが癒され、心がすっと楽になりました。音楽を奏でる力を今でもこうして届けてくださっている。いつまでもこの方には感謝です。ありがたいご縁だと思います。
こうして多くの方の力に支えられて今日ここまで歩んでこれたのだということを、ひしひしと実感させられます。
この世界での絆が失われても、魂の絆は永遠不滅。そこには無限の安らぎがあります。
けれどこの世界では、失われた絆は二度と取り返せず、不安や絶望を生み出します。有限であることが苦難を作り出しています。
天上界には永遠不滅の光があるけれど、そこに至る道はとても遠いのかもしれません。少しでも近づくため、一瞬でもその光にふれる機会を作るため、私は今この時代に生を受けたのだと思っています。
みなさんにお届けできるものがある限り、続けていきます。光の道を歩んでいきます。
天の世界からの祝福がいつも皆さんに届けられますように。
(ありがとうございました、Yさん。また共演しましょう。)
数日前、急に誰かの冥福を祈りたくなって読経していました。こういうことが日常茶飯事なのですが今回は特別でした。翌日、新聞のお悔やみ欄で、若い頃とてもお世話になった方の訃報を発見してしまいました。とても律儀な方だったので、わざわざご挨拶に来ていただいたのかもしれません。何にもお返しができなかったことが悔やまれます。甘えさせていただいたし、胸を貸していただいた方だった。闘病されていたことすら知らなかった。まだお若かったのに、とても残念です。
人の命は尊い。そして重い。
ありがたいご縁であればあるほど今生でもうお会いできないことを受け入れるまで年月がかかるもの。
でもね、私たちは何かを失うから、そこから大きな学びを受け取れるんです。
そして命は必ず天にお返しをしなければいけないもの。いつかその日がくる。誰もその宿命から逃れられない。
お互いに一生は一つだけ。一つと一つのご縁も一つだけ。みんな、たった一つのかけがえのないご縁で結ばれています。結ばれることもありがたく、絆が失われることもまた尊いのです。
失われた絆に感謝して、どんなにありがたいご縁だったかをしっかり受け止めることができたら、天国での再会もきっと嬉しくありがたいものになるでしょう。
一雨ごとに、風が季節の変わり目を告げるようになってきました。年々、一年の通り過ぎるのが早くなります。
サロンのあり方も毎年、見直そうと思っていてなかなか手をつけられないでいたことがたくさんたまっています。
秋になって過ごしやすくなってきたこともあり、ずっとずっと溜め込んでいた思いを一つでも形にしようと準備をしています。学びの秋でもありますしね。新しい講座をスタートします。近日中に告知をしますので、そろそろサロンに出向きたいなあと待ってくださっていたみなさん、どうぞお楽しみになさってください。
ご来歴のある方ならどなたでも参加できるものと、レイキ受講者の方限定のものと、それぞれ用意します。もし、それをご覧になって講座に参加したいからカウンセリングを受けるとか、レイキを受講するとか、そういう動機はすごく歓迎なので遠慮なくお運びください。
カウンセリングに来られる方で、時々「さほど悩みはないのですが‥」と切り出される方がいらっしゃいますが、悩みがなくて素晴らしいじゃないですか。そういう場合でも、よりよい人生を生きるための方法をたくさんお伝えします。お任せいただければ1時間一方的にお話させていただきます。何にも知らない初対面の人に、どこからそんなに情報が降りてくるのか?とみなさんびっくりされますが、これが仕事なのです。お役に立てましたらこの上ない光栄です。

壊れてしまった絆についてのご相談がすごくたくさんあります。
別離、離婚、不仲。理由は様々。関係性も様々。夫婦、親子、仕事仲間、友人、ソウルメイト。
直面している本人と周囲の人たちはとても大変です。人生って学びだ、修行だといいますが、だとしたらこんなに過酷な試練がどうして必要なのか?と神様にクレームを入れたいぐらい、辛い厳しい局面に遭遇される方もたくさんいます。
心が張り裂けそうになる、抜け殻のようになってしまう、もうなんの希望も持てなくなる、明日が不安でとても辛い、過去を振り返って後悔ばかりしている、こんなに努力したのにあまりにも切なくて辛い結果になって残念で悲しくてどうしようもない、、、
言葉にしきれないほどたくさんの不安、絶望、悲しみ、喪失感と向き合ってきました。
私には支える力は何もないけれど、ただ確信していることが一つだけあります。
それは、私たちは孤立無援ではないということ。
いつも大切に見守られている。そして無限といっていいほどの成長と気づきのチャンスを受け取っています。
辛い試練には必ず隠された意味があります。その意味を紐解く智恵を神様は私たちに与えてくれます。理解できれば救われることがたくさんあるのです。
それからもう一つ、是非皆さんにわかっていただきたいことがあります。
それは私たちの人生は、私たちが想像している以上に深遠でスケールが大きく、そして終わりがないということです。
もちろんこの人生は一度きりです。でも、私たちは生まれる前にも存在していました。
そして、この人生を閉じてもなお、存在し続けるのです。
だから、今の学びにフォーカスしてステップアップするチャンスをつかめれば、試練は必ず糧と為すことができます。
すごく苦しくて辛い思いをしたのなら、元を取って取り返して欲しいんです。そして、神様の深い愛と思いやりに気づいていただきたいのです。
全力でお手伝いしていきます。どんなに人に言えないお話でも、大切に、きちんと受け止めますから、安心していらしてください。
雑記は、時系列で、その日のタイミングで感じたことや、さほど重要ではないことを書きなぐっている感じです。もっとも、自分にとってはさほど重要ではなくても、どこかで誰かのために何か参考になればいいな、との思いをこめています。実に不定期更新で、気まぐれですがどうか気長におつきあいください。
私はブログという名前が世間に知れ渡るずっと前から「それらしきもの」を書いてました。インターネット黎明期の経緯も詳しく知っているし、常にどっぷり浸ってきています。が、ずっと前からあるように思うけれど、実はとっても新しいメディアです。スマホだって、すっかり定着しているけれど10年前にはスマホという言葉も当然なく、画面を触って操作するなんて一部のマニアしか飛びつかなかったんですから。
でも人は便利を体験すると、そこから先、もう手放せなくなります。
そして、その便利さの根幹にインターネットがあります。全てこのインフラありき、その上で世界は大きく動いて変化しているわけです。お金というものが使われるようになって経済が発展したわけですが、今となってはお金が存在しない時代のことを誰も意識しません。インターネットも「ネット」と略されるようになり、検索も誰でもできるようになった。そのこと自体がすでに「革命的」なのですが。誰も革命だとは思っていないところが時代の流れというものなのでしょう。
私は「ネット」は最終的には不要になると思っていて、早くそうならないかなぁと期待しています(次元上昇すればいらなくなるから)。ただ、一度はネットが地球上の全てを結びつける段階に到達するのも必至なので、今はそこに至ることと、更に時代が成熟することを見守っている感じでしょうか。
ネットが普及するのをずっとずっと心待ちにして生きてきました。そして、しっかり定着したところで、使いこなすのは容易ではないなぁと改めて痛感。まだまだネットを使うことに人類は慣れていない。便利だから依存してしまう。そして振り回される。
今日もかなりネットが遅くなっていました。「遅い」ことの意味をピンとこない方は、いつもスムーズみられる動画がすぐ見れない」とか、メールの返信が遅いとか、サイトの表示が遅いとか、そんな感じです。待たされるとそこで立ち止まってしまう。そんなこともあるさ、と受け流せなくなっているんです。
スマホを手にうつむいて歩いている人もいて、結構危ないです。交差点の途中で立ち止まりそうになっている歩行者もいます。ネットが止まって、そこで立ち止まって事故に合わないように注意していただきたいです。
ネットは遅くなることもあるし、止まることもある。そもそも停電で充電できなくなったらネットに繋げられない。パソコンやスマホは故障することもあるし、紛失するリスクだってある。
便利すぎるから、使えなくなった時のリスクを考えないで、どんどん使いこんでいく。もし消失したらどんなに大変か、想定しきれない。
以前、遺品のスマホに保存されている写真を見れないかという相談を受けたことがあります。今、誰でもそれなりにスマホで写真を撮ったりしますから多分何か残っているだろうと思われましたが、残念ながら本人が亡くなってしまうとスマホの中を見るのはとても難しいんです。
今時、誰もフィルムカメラを使わないから、昔みたいに遺品整理で大量の写真とネガと格闘する必要もなくなってしまった。でも、万が一の時、大切な思い出を遺族の手元に残せないかもしれない。
この10年、時代は大きく変わりました。でも、こんなものじゃない。まだまだこれから劇的にどんどん変わっていくでしょう。良くなっていくものもたくさんあるはず。でも、ますます不慣れで振り回される人も増えるかもしれませんね。 時代の変化がとても早いけれど、新しい技術を使いこなせなくてもいいから、少しずつ慣れるのが一番じゃないかなと、個人的には思っています。
さて、秋は恒例のiPhoneの新機種発表があります。また更に進化するらしいです。技術の進化は止まらない。

ちなみに、私は当然ながら10年間iPhoneを使い続けています(笑)。で、落としたり、壊れたりしたら、どうするか。どうもしません。無くしても、壊れても、別に困らないように使っているので。もちろん一時的には不自由するかもしれませんが、もともと携帯電話はほとんど必要としない生活ですし、スマホは万が一の時でも困らないように心がけているので大丈夫です。
とは言ってもね、もし無くしたら必死に探しますが(笑)。