今日の徒然:夢の話

もう関西ではサクラが開花したようですが、今日の北海道は雪。今夜は吹雪になるかもしれません。冬と春の交代劇、バトンリレーでいえばタッチでミスをしたのでしょうか。

冬場はよく雪道を走っている夢をみます。たいてい、車に乗っています。スタックしたり、雪山につっこんだり、車がひっくりかえったり。現実なら大事故です。夢ですから自分はいつもぴんぴんしています。

夢のなかに現れる「車」は、多くの場合、現実社会と自分の人生が向かっていく方向との関係性を現しています。渋滞に合うとか、事故にあう、車がひっくりかえる、などという状況は社会の状況と、自分の取り組みがかみ合っていないことを意味します。季節感のある夢、というのは「今に限る」ということなので、時がたてば自然に解決する、ということです。多くの場合、夢は理性を超越した領域で、自分の周囲に起きていることを俯瞰して見つめている冷静な意識が見せています。心をしずめて、よくよく考えてみるとほとんどの場合は理解できるようになります。

まずはどういう意味だろう、と考える思考を停止することです。いつも考える思考回路で気付けないから夢でみるのですから。まず思考する頭を空っぽにしてみます。すると、自然にそこに答えが浮上してきます。

空っぽになる、ということを難しく考えてはいけません。日本人はまじめなのですぐに「禅?」と思うのかも。ミルキーを試してください。ひとつぶ口にいれみてみて。それでも空っぽになりませんか?

体調不良の理由

外因がなければ、答えは内にある。もしかすると、「治らないほうがいい」と思っている意識が心のなかに潜んでいるのかもしれない。

表面上は「治したい」と考え、行動している。一般的な治療をうけ、自分でも日々回復に務めている。それなのに、心のどこかに「治らないほうがいい」という意識があり、それが決定的な回復につながる鍵を隠している。

であれば、「なぜ」を問いかけなければならない。自分はなぜ「回復」を願わないのか。

なぜを追求するには「完全に復調した自分」を思い描くことだ。その姿が実現した時に、いったいなにがデメリットになるのか。それをリストアップしていく。その感情と向き合ってみる。もしかするともう一人の自分の言い分がわかるかもしれない。

経営者の運気アップ

若い頃はワーカーホリックだった。望んでそうなったのだから後悔はしていない。後に身体の不調でどんなに苦しんだとしても、自ら蒔いた種でしかない。

だが、中堅となり後輩達を見守り、勤務評定をつけ、給与査定すら任せられる立場になった(役員でもない中間管理職に給与査定を任せること自体そもそも間違いだったと思うが)頃から、ワーカーホリックを見逃すわけにはいかなくなった。健康管理を優先すべし、ということを自分の部下に対しては徹底していた。ただ、自分自身はワーカーホリックの傾向は改善できず、最後にプレステのゲームを監修した時は、プログラマーと一緒に朝帰りする日々がほぼ1年続いた。朝帰りはしても定時出社だから、身体はきつかった。ただ、人生で一番体力が高まっていた時だったのでなんとか風邪もひかずに乗り越えることができた。

社員をワーカーホリックにしてはいけないし、極端な残業を強いてもいけない。

あの頃は残業はあまりにも常態化していた。締め切りを守ることは「お国のために労働奉仕は国民の義務」的な空気になってしまう。良く言えば連帯感。悪く言えば人権蹂躙。問題にならなかったのは、似た者同士の寄り合いだったからかもしれない。しかし家族経営なら許されるが、ほどほどの規模の会社になると、従業員に甘えはゆるされない。そこをしっかり見つめていかないと経営者の運気は下がる一方となる。

従業員にとって、望ましくない生活環境を職場が強いるとどうなるか。残業もそうだが、休憩をしっかり取れない、なんらかのハラスメントがあるなど精神的なストレスが多い場合も同義。人にはそれぞれ守護霊団がついていて、健康を害する要因に対して警告を発している。サッカーの試合でいえばレフェリーみたいなものだ。反則をする選手にはイエローカードが渡される。霊的な世界からみれば、人はみな平等で、経営者も労働者も同じ「ひとりの選手」でしかないので他者の健康を害するものにはどんどんイエローカードが渡される。

従業員の健康(肉体的、精神的両面において)を考慮しないと、経営者の運気はどんどん下がる。経営者の運気=会社の運気だ。

社員が皆、元気であれば会社も必ず元気になる。規模によって会社の運気の変動は1年で結果がでたり、時に10年かかってゆっくり変化することもある。100人規模を超えるあたりから3年〜5年というスパンで業績に運気ははねかえってくる。この1〜2年の業績は数年さかのぼった時期の社員の健康状態が反映している結果かもしれない。もし、そこに要因を見いだせれば改善の余地はある。特に問題がないのなら景気の影響かもしれない。経営方針の誤りかもしれない。今を起点にして計画を練り直せばよい。

大きな変革が無理でも、ちょっとした福利厚生を実現するだけでも運気はよくなる。この時期花粉症の人にはマスクを支給したり、コーヒーの粉をおいしいブランドに変えるとか。社長はポケットマネーを有効利用してほしい。

地道に。

いっきに好転させる方法というのは、ないのではないかなぁ。
やはり地道に積み重ねていくことにより、安定感にまさるものはない、と思います。

特に瞑想に関しては、ひっそりと地道になさっている方は、年数を重ねていくと歴然と結果を出していかれるなぁと実感します。地道さを重ねるだけの動機が必要になりますが、それぞれの人生の意味や命題があるわけですから、なんでも瞑想で解決するとは思いません。それはそれ、でも瞑想してる人の人生の流れは、なにか違ってくることは間違いないと思います。そのことを証明するのはタイムマシンを作るより難しいでしょうけれど…。

お金を落とすと運がつく

財布をおとす、現金を失う。普通は「不運」と考えます。

が、それがきっかけになって運気が上向くこともよくあります。そこのところが気づきになって、運気停滞の理由が見えてくることも…

ネガティブな結果は、実は隠された宝物のありかを示す地図なのかもしれません。

小さい器

人間は皆、小さい。その器の小ささ故に限界があり、その限界があるがゆえにジタバタする。ジタバタするが故にボロがでる。ボロがでるが故に批判を受ける。批判を受けるが故に反省ができる。反省ができ、なんとか方向修正ができ、小さな器のなかで、ちんまりと収まることができる。もし、器がもっと大きかったら一生かかっても、一区切りつかないことだろう…。

苦しい時はどうぞ遠慮なく・・・

我慢強い人、意思の強い人、責任感の強い人、自立心の強い人、思いやりの豊かな人、向上心のある人、優しい人、相手を傷つけたくない人、みんなの為によかれと思う人、親の気持ちを汲む人、みんなが苦しいのだからと思う人、神様に嫌われたくない人・・・

それでいて、腰が痛い、背中が重い、肩が凝る、眠れない、おいしく食べられない、楽しくない、希望がもてない、なんの為に生きているのかわからない。そんなふうに感じているとすれば、心も身体も疲れているのです。

我慢しないでください。あなたのガイド達はとても心配をしていて「無理しないで」と言っています。

心のどこかで、とても苦しいと思ったらどうぞ遠慮なく相談してください。一緒に問題に取り組んでいきましょう。

日々の「問題」やたくさんの「課題」は、解決すべきものというよりは、取り組み方を工夫すべきものだと思います。なんとかするのだ!という考え方は疲れるから、あまり気負わないでほしいです。

大地と共に生きること。

ずいぶん年を重ねてきたものですが、寅年の自分にとっては、というよりも2001年からサロンを始めた自分にとっては2011年、そして2012年という年は、どうしてもそこまでたどり着きたいと願っていた悲願の年でもありました。ひとつのピークというか、峠というか。とにかくそこまで行って、そこから先のことはその時点で判断したい、と。そんな思いが強かった。

まだ2012年ははじまったばかりですが、非常に緊張しています。心身共に、です。

というのは身体が異様な変化の匂いを感じているからです。

振り返れば2005年から2006年頃にも大きな変調がきて、あの時期もとても苦しかったのですが、自分の人生を振り返れば体調が激変して、生きていることだけで大変という時期が何度かあるんですね。ただ、以前は自分のことも周囲のことも理解が浅く、また体調管理も甘かったのですべての原因は自分にあると思い込んでいました。ただ、いろいろなことを学び、考え、自分なりに理解を深めてきた今、すべてがシンクロしているという観点から、自分の感じることをもっと伝えていく必要があるんだとわかってきました。

今年に入ってから非常に特殊な瞑想をするようになりました。それは大地と共鳴をする、という一種のトレーニングです。それをはじめた途端、とんでもない夢をみるようになりました。自分の夢診断はなんなくこなせるのですが、今年にはいってからみた幾つかの夢は、必ず大地と共鳴する瞑想をした直後にみています。いったいその情報がどこからくるのか…。まだよく理解できていません。そういう瞑想をするようになったから、見るのか。それが始まったから見るようになったのか。両方かもしれません。とにかく非常に重要な意味があることが身体を通して伝わってきます。

ずいぶんグランディング、ということを教えてきましたが、その方法を少しアレンジし始めています。まだ自分で試しているだけですが、ひょっとすると去年までのグランディング方法ではうまくいかない、と感じている方もいるのではないでしょうか? もしいたら、是非アピールしてください。大地を感じる瞑想や新しいグランディングの方法を考案して伝えていく必要があるかもしれません。また、グランディングはエネルギーを伝授することでうまくできるようになる場合があります。この伝授をずっと前はやっていましたが、必要性があるかどうか判断しきれず、近年は封印していました。必要があれば再開します。

が、まずは自分がしっかりグランディングできるようにしなければいけません。調整と瞑想を繰り返しながら、最善の技法とエネルギーをお伝えできるように準備しています。

グランディングがうまくいかなくなると、身体に様々な変調をきたします。その出方は個々にまったく違うのですが、理由のない不安感は共通の症状です。この不安感は理由がまったくないので、もし小さい子が感じると恐怖感につながる怖れがあります。もし、理由もなくなにかを怖がったりしている子が周りにいたら、理由を問いただしたりしないほうがいいでしょう。本人もきっとわからないのです。大人は不安にも恐怖にも免疫があるのですが、普段からストレスが多い方はまず腰痛がでます。肩こりもひどくなります。続いて内蔵の血行が悪くなりますから、消化器系や腎機能、泌尿器などが調子が悪くなります。女性は生理痛などがひどくなります。

加えて足腰の冷えがでます。そこからくる、足元のトラブル(怪我、交通に関する変調)も注意が必要です。それがもとで運気が下がって金銭トラブルや人間関係のトラブルや契約上(取引、売買)での抗争につながることもあります。

本当にグランディングは基本であり、日々積み重ねるべきものであり、大切なことです。これが失われると呼吸が乱れやすくなりますから、非常に周囲の状況に流されやすくなり、自分のペースが乱れます。集中もできなくなり、神経を使う仕事をしている人は辛いかもしれません。もっとも影響を受けるのはおそらくクリエイターです。創作活動をしている人は、思うようにアイデアが出なくなるかもしれません。

調理場にたつお母さん、飲食業の人も注意が必要です。味が毎日、定まらない感覚があると、とても困りますよね。足元をしっかり浄めてから仕事をしてください。それで大分、落ち着きます(厨房の床を塩で浄めると大丈夫です)。

大地との共鳴はとても大事な基本中の基本です。光のサロンでは、レイキの指導の際になによりも大地を感じること、呼吸をしっかりすることを最初からずっと繰り返し繰り返し伝えています。皆さんもどうか大事にしてください。

こういったお話はいくら話しても尽きることがないのですが、セミナーではいつも話していることです。本でも書けばいいのですが、そんな時間があるでしょうか。それよりも今年はセミナーに来てくださる方にとにかくたくさん教えていこうと思っていますので。参加できる方は参加してください。言葉では伝えられないものが多すぎるのです。身体で、技術として学んでもらい、それを伝えて欲しいというのが一番です。それを補う為に、言葉が必要であれば本を書く時間を神様が与えてくれるかもしれません。それはもっと後でもいいと思っています。まずは、手から手へと伝えるべきものがありますから。それを優先する一年にします。

今年はおそらく今までより皆さんには塩でしっかり足元を浄めていただく必要があると感じます。浄めてからグランディングをやってください。そうしないとうまくいかない事が多いと思います。

※グランディングの方法はスピリチュアルコラムに載っているのでご参照ください。

2012年最初の合宿

今回の合宿は例年と違うペースでの開催のタイミングになってしまいました。昨年は大きな変動の年でありましたからやむを得ません。暦の上でもなかなか日取りが合わず苦心しました。
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1月のニドムの森はとても静かでした。丁度、旧暦の大晦日と新年を森のなかでひっそりと迎えることになりました。偶然ではなかったのでしょう。この時期、森の静けさにとっぷりと浸ってみるのも、とてもいいものです。

こんな静かな場所に二泊もしていると、いったい自分がどこにいるのかわからなくなります。現実感がなくなっていくんですね。
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でも、よくよく考えてみれば自然のなかにいるほうが本来は現実の全てであって、そこで非現実感を感じるということは、いったいぜんたい私達は日常をどこでなにをしているのだろう? そんな気がしてしまいます。合宿から日常に戻ると、いつも思うのは「また戻ってきてしまった」という感覚。それは正直なところ、あまり嬉しい感じとは言い難いわけです。現実は誰にとっても大変ですから。

日常とは違う世界に行って、戻ってくる感覚。これは魂感覚をゆさぶる、とてもいい刺激になるんです。だって、この世とあの世は別次元で、そして地上はとても大変な世界だからです。どんな魂だって生まれ落ちた時は「大変だな、これから始まるんだな」と武者震いして産まれてきます。そして、天に召される時は「やっと元の世界にかえれるんだな」と完全な安らぎのなかに戻っていきます。

私達が産まれたばかりの赤ちゃんの可愛い安らかな寝顔をみて、なぜか安心するのは天上界の静寂や調和をふと思い出せるからなのかもしれません。

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今回の合宿では、魂の目覚めというテーマですごくたくさんのワークをこなしました。どれも難しいワークではありませんでした。でも、一生の間でそうそう体験することのない内容ばかり。とても濃い内容になりました。素晴らしいセミナーになったと思います。参加してくださった人たちにとっても、一生の良い思い出になることでしょう。「魂の目覚め」というテーマも、時を経るごとに実感していただけるだろうなと思っています。

心を読み解く

いったいいつ頃から、自分はこんなに人の心を読み解く事に興味を持つようになったのだろうか。ふとそんな記憶をたどってみた。

大学に籍をおいた3年間は人生の暗黒時代で未来への展望がなにもなかった。そんな折り、図書室で心理学の本をなにげなく手にとって読んでみたのだが、そのなかに夢をとおして抑圧された意識をひもといていくという事例が載っていて、非常に興味をひかれたことを今でも鮮明に覚えている。

他も多くの事例が本には載っていた。自分が興味をひかれたのは「いったいどうすれば夢に隠された憎しみを読み解けるのだろうか?」という点だった。結局のところ自分が知りたい核心については、どこにも書かれていなかった。その後、大学に見切りをつけ、ついでに実家も飛び出して札幌に一人移住した。拾ってもらった会社で必死に働きながら衝撃的な体験をする。もう誰も彼の事は覚えていないかもしれないが、数ヶ月の間一緒に働いたT君だ。本州出身の彼は、気持ちの優しい青年ですぐに打ち解けた。引越しを手伝ってくれたり、一緒にご飯を食べにいったり、締め切り前はよく一緒に徹夜もした。だがほどなく彼は統合失調症らしいことが判明し、通院して投薬を受けてがんばったがやむをえず退職していった。最初に内科を受診し、脳波検査を受け、安定剤を飲むようになり、やがて症状が悪化していく様子を、一番間近で向き合ったのは自分だった。思えばあの体験が人の心の闇に意識を向ける、大きなきっかけになったと思う。

一番、症状がひどい時のT君には別の名前があった。まったく普段とは別のY君という人格に入れ替わってしまう。その後は深い昏睡状態になる。目覚めるといつものT君に戻っているのだが、その時に彼はもう一人の自分のことをまったく覚えていなかった。もう一人の人格であるY君とは、彼の部屋で何度か話したし、ふらふらとさまよっている場面を見つけて追いかけて見失ったりした。いったん、行方がわからなくなると何日も部屋に帰らなかったが、数日すると消耗しきって暗い部屋のなかでうずくまってひたすら眠っていた。

隠れた人格のY君は、ひたすらなにかに怯え逃げまわっているようにみえた。親身になってささえたいと思った。もっと話して欲しいと思ったが、Y君はけして心を開いてはくれなかった。簡単な会話に数回、応じてくれただけ。とても虚しく、そして残念だった。

症状が悪化して勤め続けることは無理ということでT君は去っていった。

心が完全に分裂して、二人の人格が同居することがある。それぞれは自分の名前をもっていて、別々のことを考えたり、悩んだりしていた。ただ、現実を生きている友人だったT君とは違い、過去の体験のなにかに怯えてつづけているY君とは知り合いにもなれなかった。

人は表の顔を裏の顔を持っている。その後も、たくさんの本を読んだがY君がいったい誰だったのか、どうして彼らは分離してひとつの心を共有することになったのか答えを見つけることはできなかった。幼少期になにかあったのかもしれない。大きなトラウマを抱えていたのかもしれない。繊細でナイーブな気質を持っていた彼が、誰かを傷つけてしまった罪の意識を受け止めきれず抑圧した結果なのかもしれない。

もしもう一度会えたら、なにか解決する為の方法論の一つも教えてやりたいと当時の自分は心のどこかで願った。30年近い歳月を経た今の自分ならT君の力になれると思う。そしてY君とも対話ができると思う。それだけの能力を磨き、経験を積み、技術も得た。神様はその機会を与えてくれるだろうか。