昨日の自分を打ち砕く勇気を持とうよ

自分が決めたことにとらわれて苦しいなら、そんな意地っぱりな自分を見切る勇気も必要かもしれない。
人は誰でも意地がある。こうと決めたことを貫いていこうとする。
でも、よく考えてみてほしい。
いったい誰の為にそうするのか? なんの為にそうしたいのか?
それがもしも100%自分の為だと言い切れないのなら、あなたはひとりでがんばっているのではないことになる。
自分の為にだけがんばる。そうすればきっと自分にかえってくる。
でも、自分の為じゃないのなら、いくらがんばっても苦しいだけで終わってしまうかもしれない。

自分がなんの為にがんばっていて、どれだけ苦しいのか、気づいてあげられるのはあなただけ。
そんな苦しい自分を楽にしてあげられるのもあなただけ。

昨日の自分を打ち砕いてしまえれば、今日は楽になれる。
それでたとえ足元がおぼつかないことになったとしても、
明日のあなたは新しい人生をはじめられるかもしれない。

今日はなんよう日? 生きよう日。

毎週、かならず月曜がやってくる。また一週間がはじまると思う。
毎週、なんとか土曜日がやってくる。ほんのひといき休めるかもしれないと思う。
毎週、日曜日がやってきて、あなたの一週間は終わる。

そんな一週間を52回繰り返す。そんな一年をあと数十回繰り返す。それで人生は終わる。

月曜日は生きよう日。今日も人生を生きられるはじまりの日。
火曜日は生きよう日。がんばって苦しくてちょっとうれしい日。
水曜日は生きよう日。すこし疲れてがんばれなくてそれでも前にすすめた日。
木曜日は生きよう日。人生っていろんなことがあるなとおもう日。
金曜日は生きよう日。自分をはげまして生きている意味をかみしめる日。
土曜日は生きよう日。あまり感謝できなくて自分がなさけなくて天をあおぐ日。

あなたの毎日の生きよう日が、充実したものでありますように。
◯万◯千回の生きよう日があなたの人生のいしずえとなりますように。
日曜日は祈りの安息日。

みなが安らかでありますように。

いつかかなえたい夢を追うよりも、今幸せな気分になれることを追いかけることの大切さ

ヒーリングの勉強会でよくお伝えするのが、過去に体験したストレスは「現在形でエネルギーとして体内に存在している」ので、それを見つけ出して浄化すれば、過去のとらわれは消滅させられる、ということなんです。私達の脳は、過去のできごとを「何年ぐらい前のできごと」として、過去のアルバムに整理することができます。でも、実際には過去に味わった感情は、ある程度沈静化はしますが、特に整理されることなくそのまま体のなかに残っていて、ちょっとした刺激ですぐに活性化します。やっかいないのは、それが活性化した時に「脳はすでにそのことを忘れている」ので、いったいなぜ自分が落ち込んでいるのか理解できなくなることです。このようにして、私達は押し殺した過去の感情に気づかないうちに振り回されているものなのです。

いつか願いや夢がかなうといいな、と強く念じていて日々を送っているつもりでも、全身のエネルギーがその願いに向かって前進している状態なのかどうか、自分では正確に判断は難しいかもしれません。もしかすると後退していることだってあり得ます。いつか遠い未来のことを念じている時、忘れさったはずの過去に影響を受けているかもしれません。

いつか遠い未来のことより、今すぐ少しでも幸せな気分にひたれることがあるのなら、すぐに実践してみてほしい。散歩でもいい、おやつを買いにコンビニにいくのでもいい。いつでも誰にでもすぐに実践可能なちょっと幸せな気分になれることを、いますぐに行動にうつせない理由はないはずなのです。自分の為になることを少しでも行動にうつして実践できたなら、少しずつ大きな幸せにひたることを実践していく。そうしているうちに本当にかなえたい大きな願い事の障害になっていることがなんなのか、見つけ出すこともできるでしょう。

※私達の感情も想念もすべてエネルギーであり、その強さや周波数の他に、体のどの部分でどのように発現しているかを分析すれば、その人の人生の傾向がわかります。また過去に蓄積してきた経験値はもとより、解決できていない葛藤やトラウマもエネルギーとして現在形で体内に存在します。それらを分析し、調整することができれば問題は解決できるはずです。エネルギーヒーリングはこれから少しずつ科学的に検証され、誰でも客観的に感情やトラウマを理解でき、改善することができるようになるでしょう。そうなれば人間は科学の力によって「悩まない」力を習得し、対立することもなくなるでしょう。科学がいわゆる悟りを私達に与えてくれる。そういう時代は…いつかきっとやってくる。そんな気がしています。

※過去の辛い苦しいできごとは、消すことができる。記憶から消すのではなく、そのエネルギーを消すことができる。記憶は消す必要はないし、消えるものではない。思い出しても辛くなくなる、その状態がエネルギーとしてその苦しみは体のなかから消え去ったのであり、二度とよみがえることはない状態です。本当のエネルギーヒーリングというのはそこまで過去の感情にアクセスし、浄化することができるものです。

愛とはなんだろう、と考えること。

自分は人を愛することはできそうにないな…ということを、私は思春期にはいった頃からずっと考えていて、基本的に今もその感覚はあまり変わっていないような気がします。つまるところ「愛する」ことの定義を知りたかった。思考が理屈っぽいというか、愛すらも科学的な原理を探求しようとするところがあり、だから哲学や心理学には非常に興味を持ったものです。愛という言葉があるところには、常に引き寄せられていった気がします。

言葉で理解したり納得できることは少なくて、結局、個人的に「愛」というものを一番、実感してきたのは音楽だったり、自然だったり、あるいは純粋無垢な幼年期の子どもとのふれあいを通してだったりしました。年々、愛について少しずつ自分なりの理解が深まってはきていると思います。人は愛に悩み、愛にもがき苦しみ、そして愛にふれ歓喜を味わう。それは単なるドーパミンによる神経学的な事象でしかないのか、すべて神がつくられた崇高な原理なのか。

答えはなんにせよ、人間が変化成長する最大の鍵であり、動機であり、エネルギーになっているのではないかと思うのです。愛が私達を育て、生きる目標を与えてくれているのだとすれば、人類の歴史を創りあげる根源的なパワーであることは間違いないでしょう。

ひとりひとりの愛のあり方は、皆違います。愛を見失っている人、探し求めている人も多いかもしれません。愛あるがゆえに苦悩し、さまよっている人もいるでしょう。愛に絶望し、愛に見放された気持ちになっている人もいるでしょう。愛をつかみはじめ、いきいきと前進し始めた人もいるでしょう。それぞれがどんなステップにあるにせよ、季節はとまることなく巡っていきます。一年は365日しかありません。人生はそれほど長くはありません。現実を生きられる時間の枠のなかに、すべての人は押し込められている。その枠のなかで、それぞれの愛と向き合っていくよりないのですね。できるだけ効率よく生きる工夫をしましょう。そして貴重な一回きりの人生という素晴らしいチャンスを大切にしたいものです。

子供は所詮、子供?

子供は幾つになっても親離れできない面を持っています。実年齢が進んで、社会的にはもうとっくに成人していても尚、親の庇護のもとで暮らしている人もいます。親御さんからすれば、いつ親離れしてくれるのか、自立してくれるのか。自分の目の黒いうちはいいけれど、老いて守ってやれなくなったらこの子はどうなってしまうのか。年を重ねても尚、やきもきし続けている親御さんもいらっしゃいます。親に対する子の内面には、一生かけても成熟しきれない未熟さがあります。それは親子という関係性があるからなので、親は親で頼られてこそ、という自負がある。けれど、あまり頼られすぎても困る。子の側だけの問題ではなく、親子というのは与える側と甘える側の関係性ですから、当事者同士でしかわからない引力が生涯、働き続けるものです。

子が小さいうちは、親としては守るのは当然だし、子も甘えるのが普通。子の実年齢が成人してから先は、現実の関係性はどんどん変化して、はたから見れば自立しているように見えるけれど、心の内側では親子の因果関係はさほど変化していなかったりもします。どれだけあっさりなのか、どっぷりなのかは、すべての親子でまったく違います。まったく親を頼りにしない子もいますし、真逆の場合もあり、本当に様々です。

子供は意外と大人?

子供の気持ちを汲み取るのは、親でも難しいことがあります。子供ってなにを考えているんだろうか? その態度や表情だけでは読み取れない内面性を持っているものです。よくあるのが、親に対する気配り、思いやりを表している場合です。小さな子供でも、親を大切にしたい、孝行したい、そういう意識はしっかり持っているものです。それが強い子は、なんらかの表現をします。ただ、それを上手に表現する術をなにも持たないですし、どうやったら喜んでもらえるのか知っているわけでもありません。だから、結局はひとりよがりな表現で終わってしまうものなのです。親からすれば、なにを言いたいのかな? もしかしたら、なにか不満があるのかな? 勘違いをしてしまうのです。

子供にも、大人とかわらない思いやる気持ちが備わっているというお話でした。

人生の全て

Awesomized by toshisasgawa
じっと空を感じてみよう
そうすれば地球の方角がわかる
体内コンパスを目覚めさせよう
そうすれば一年のカレンダーを体は理解できる

私達の一年は地球の上にいる自分の体ありき
一年という周期を数十回繰り返す
それが人生の全て。

今お伝えしたいこと:おそれと向き合うこと

「おそれ」を克服する、乗り越える。このテーマについては、何度か書いているかと思いますが。あらためて「おそれ」について。特に「自分の本質を探求することへのおそれ」について。

何年も悩んで悩みぬいて、いよいよ煮詰まってご相談にいらっしゃる方がたくさんいます。その内容は皆それぞれ違います。でも共通しているのは、その根底に「魂が持って生まれた命題」が隠されていることです。人はみな、無意識領域でかなり深く、ものごとを考えています。自分では考えているつもりはなく「自然にどうしてもそういう考え方をしてしまう」という感覚があります。もともと私達はかなり、偏った考え方のパターンを持っています。これは無意識領域で、魂がいつも考えているから起こる現象です。それ故に、すごくがんばってしまう、背負ってしまう、歯を食いしばってしまう、本音を押し隠してしまう、流されてしまう、孤立してしまう…などの様々な精神的な葛藤がうまれます。そしてそのことを「人にわかってもらえない」と感じます。また「人に言えることじゃない」とも考えてしまいます。なぜか自然に「そうなるべくしてなってしまう」のです。

人は何かと苦しみます。葛藤が増していきます。でも、どこかで「こんな人生嫌だな」と考えたり「もっと楽に生きたい」と考えます。そんな葛藤をもつことはストレスになり、他者にたいして嫉妬や羨望を持つことになり、時に感情の爆発につながってしまう。そんな時は罪悪感や自己嫌悪に苦しみ、自己存在の否定につながり、消えてしまいたいとも思うようになります。

苦しみから開放されたい、楽になりたい、と思うことはごく自然なことなのに。なにかがブレーキをかけて、それでも苦しい選択をし続けてしまうことがあるのです。その背後には魂の意思が隠されています。

こういった内面の葛藤を人に打ち明けるのは勇気がいります。そして、打ち明けた結果、自分を否定されることをものすごくおそれます。もう精神的にはぎりぎりのところでがんばっているのですから。もっとがんばれとか、あなたが悪いと言われたら、もう立ち直れませんし自我が崩壊してしまうかもしれません。そんなおそれを抱くことが時にあるものです。

けれど、ものごとには限界があるのです。特に私達の心には、もうこれ以上無理、というボーダーラインがあって、それを越えてまで自分に無理強いをすると、心は崩壊してバランスを失います。そうなってしまっては自分を立て直すことができず、家族や社会のお荷物になってしまいます。そうならない為に、もはや選択の余地はなくなっていきます。

おそれとむきあい、自分自身のあり方について、真偽を問うのです。

自分という存在はなにものなのか、なにを目指しているのか、どう生きるべきなのか。答えを知りたいと願うことからはじめてみてはどうでしょうか。望むことがまず知りたい答えに近づく第一歩です。

今、抱えている大問題は、魂が取り組むべき大切な命題とは違うかもしれない

これは長年の経験から申し上げたいのですが。
人は生きていると、様々な葛藤にぶつかります。仕事や人間関係、健康、金銭問題、心の不調和、実に現実的で様々で、それでいて「泥沼のごとくはまって抜け出せない」苦しみというのがやってきます。

しかしながら、そういったおおきな苦しみ、悩み、葛藤の種というのは過ぎてしまえばそれまで。一時的なものにしか過ぎないことが多く、耐え忍んでいるうちは、神頼みもするし、楽になれるならどんな努力でも厭わないと思っているのに。いったん、問題が遠のいて少しゆとりができると…。だらしないいつもの自分に戻ってしまいます。

人間は本当にエゴのかたまりでできています。いくらちゃんと努力しよう、人間を磨こう、魂を愛や光の波動で満たそうとしても、煩悩に勝つことは簡単ではありません。

これはとても厳しい言い方になりますが。どんなに苦しい時でも、悩める時でも、それにとらわれず「自分が産まれてきた本当の意味」について考え、あるべき方向を見失わないでいることは、人としてとても大切なことなんです。

辛い、苦しい、と訴えた時に「それがどうした」と切って捨ててくれる人こそが、あなたに必要な本当の霊的な指導者である可能性が高いと思います。依存したい時に、いくらでもさせてくれる人も、たしかに欲しいのですが(誰だってそんな人が必要です)。それだけでは、魂は磨かれないのかもしれません。

今世から来世にむかって、よりレベルアップを果たす為に必要な心がけはなんなのか

さきの記事で、「より深い鑑定をはじめる」という主旨のことを書きました。それなら、なぜ最初からしっかり掘り下げたアドバイス(鑑定)をしてくれないのだろう?という声もきこえる気がします。

それは、ひとつにはほとんどの方は、とても苦しく、悩んだ上でご相談にみえるので「すべてを一度に受け止める心のゆとりが持てる方は少ない」という事情があります。ひとまず、当座の葛藤や問題を乗り越え、すこし気持ちにゆとりが持てるようになる時期を待つ必要があります。

また、これは非常に絶対的な理由でもあるのですが「その方が受け止め切れない情報を伝えることは、守護霊様から禁止されている」のです。この掟をやぶることはできません。そもそも、ご本人の為にならないのです。時と場合によっては、本当に厳しく厳命される場合もあります。人それぞれ前世が違い、今生の因縁の強さも違いますから、ひとりとして同じ事例はありません。なにをどう伝えるべきか、というのは、その都度、その時のタイミング、その方のお気持ちの状態、さまざまな要因を総合的に判断し、その特の最善のアドバイス(鑑定)としてお伝えしています。

それなら、改めて相談に出向いても、深い鑑定結果にならないかもしれなじゃないか。

その通りです。改めて深く鑑定しても、なにも出てこないかもしれません。でも、上辺だけのお気持ちでご来訪になられたらやはり、準備が整っていないと、情報が止められてしまうかもしれません。結局、私達は前世から、今世、そして来世へと連続した流れのなかに存在しているので、さほど今すぐなにかをしなければ!という切迫した事態に遭遇している確率は低いのです。

それでも、ここ一番、この方は、あるカルマ解消、あるいは因縁解消の取り組みをすることで、大きく人生が好転していかれるだろうな、と感じる場面があるのです。「ものごとには最善のタイミング」が存在します。その時を逃すと、来世に持ち越しになるでしょう。その時は、今なのか、もう少し先なのか、今生ではもうこないのか。そういった流れを俯瞰して見つめるような鑑定から入ります。自分がいま、どのあたりにいるのか、という感触はつかむことができるでしょう。

もう時代はとてもスピリチュアルなことにオープンになってきました。

単に、前世はなんだったのか?というご相談にとどまらず、その先、つまり今生から来世にむかって、よりよいレベルアップを果たす為に、必要な心がけはなんなのか。こういった問いかけをお持ちになっていらしてください。

心からお待ち申し上げております。