2025-09-12:25回目の夏

このサロンで25回目の夏も過ぎようとしています。季節を振り返ると、こんなに気候変動が進むとは。こんなに夏が暑くなるとは。それが一番印象が強い。

最初の夏(つまり2001年、サロン開設の年)は、暑かったけれど毎日自転車で走り回ってもさほど苦ではなかった。当時、私はサロンの物件を探すために毎日、自転車でこの界隈をぐるぐる走り回っていました。いくら探しても良い物件が見つからず、ガイドブックもないのに見知らぬ土地に一人で彷徨っている気分でした。

今でもガイドブックもなしに未知の世界を歩んでいる状況にさほど変わりはないのですが、当時と違うことが一つあります。それは、私の中にある導きを信じた結果、どうなったかわかっているということです。

当時から私は未来のことをある程度、見て知っていました。が、それは漠然としたイメージでしかなく、現実主義者だった自分にとっては、全くとるにたらないものという感じでした。ただ、必ずこうなるといったビジョンにずっととらわれ、こだわり、そして結局はそれに従って歩んできてしまった。人に言わせれば、大馬鹿者です。(良くない言葉ですが、ここでは自分を評価する言葉なのでご了承ください)本当に私は愚か者だし、どうしようもない偏屈な人間でしょうね。でも、こんな自分を笑って許してくれている存在がいるのを知っているんです。

未来に関するビジョンはこうなる、ああなる、という漠然としたイメージだったり、時に数字だったり。啓示の形態はさまざまです。人の体や想念を紐解く時は、色や形で教えてもらえるし、運命の仕組みは幾何学模様で不思議な図形で示されたり。私はさほど学問を積んできたわけではないので、幾何学を論理的に理解はできません。が、啓示の中にあるさまざまな情報を落とし込みながら、日々いろいろな悩みや苦悩の根元にある仕組みを紐解いてきました。この世界の摂理、ルールは実に平等です。誰にでも等しく作用している。運命はがんじがらめに見えるけれど、違う視点から見ればそれは単純に私たちがいかに守られているか、導かれているかということに過ぎない。不自由な世界に生かされているけれど凄まじい壮大なスケールの恩寵の中で私たちは生かされ、育まれている。

とはいっても、こちとら現実の世界に生きているわけで、摂理がわかったところで食ってはいけないわけですからね。このおそろしいほどのギャップは致し方ない。歯痒いというか、全身がむず痒いというか言葉で表現できるレベルではないですけれど。

今日は昔から私が受け取っていた啓示の意味の一つがついに理解できて少しだけ安心しているところです。それは自分の役目や運命に関することで、25回目の夏の終わりにやっとという感じです。未来に関する啓示は、こんなに時間をかけないとわからないことが多いです。

自分が生かされている意味が知りたい人は多いと思う。でも、その時が来ないとわかりようもないことなんです。ではその時っていつなんだ?という話ですよね。それはわからない。神のみぞ知るです。でも、そろそろかな?と思ったら確かめたらいいんです。私が現役でいるうちは確認できるので。

私が引退したら、、そうですねえ、私か代わりの者が転生してくるまでお待ちください。

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