ひとりごと:自分のなかのなぜ?

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科学技術の進化は夢があって素敵です。この技術があれば、クリスタルの結晶に情報を記録できるようになるかもしれないそうです。ホログラフィックメモリー…まだ実現していない技術なのに、そういえばそんなのがどっかにあったな、とか、どっかに埋めといたはず、と思うのはなぜだろう?

マイコプラズマ肺炎

マイコプラズマ肺炎が流行しているようです。免疫が低下することでも発症するようですから、体力や気力の低下と共に「咳」がはじまり長引くようであれば、注意したほうがいいかもしれません。今年はいままでの薬が一層効きにくくなっているとのこと。

ちょっといい話。

これは私自身のとってもプライベートな「いい話」でして、読む方にとってはあまり共感していただける話題ではなさそうです。と一応、おことわりをしておきましょうか。

先日ある方との間での、禅問答みたいな他愛のない会話です。
「いい瞑想ができないのです。」
とおっしゃる方がありましたので、「もう瞑想はしなくていいでしょう。」とお答えしました。

その人はもう瞑想を卒業すべきだったから、そのようにお伝えしました。
瞑想をしてなんぼ、積み重ねてこそ得られるものがある。それもまた真実ですが。
瞑想なんてくそくらえ、てな方向でどんどん違うことで前進していかれたほうがいい方もいらっしゃる。

この世に生れてくる全ての人は、みなそれぞれ自分自身のたったひとつだけのオーダーメードな人生を生きています。
そうすると、人それぞれに課題もさまざま。みんなそれぞれまったく違う問題集をかかえて人生という学びに取り組んでいるのですが、そう簡単に解ける問題ではない。すると、どうしても他人の回答が気になる。そこは人情というものでしょう。けして楽をしたい人ばかりではないけれど、一生腕組みをし、しかめっつらを続けていられるほど忍耐強い人もいない。誰だってやはり自分がかわいいから、できるだけ前進したいと思う。まして人生は有限、そして日々なにがしかノルマもあり、食っていかなければならない。となるとどうしたって先回りできるものならしたくなる、というものでしょう。

ところが、この人生の命題というものはけして先回りしたり、人の答えをまねて結果オーライというのはないのです。それでは不公平ですから、ちゃんと各自の課題は自分で乗り越えなければいけない。そういうルールが宇宙にはあって、誰も特別に楽をできる人はいないのですね。

前述の瞑想の話…。続きがあります。
更に、「瞑想を積み重ねずして、よい瞑想の指導者にはなれないのではないでしょうか。」
と問われましたので、「誰も瞑想をただしく指導できる者などこの世にはいないし、良い指導者など必要ないのではないでしょうか。」とお答えしました。

これは正直なところ、私自身がいつも思っていることを率直にお伝えしたのです。
どういうわけか、人は「学ぶこと」にとらわれる面をもっています。特に、レイキもそうですし、瞑想も同様、見えない世界にかかわる人達が行なっていることをすべからく「特別な素質、才能をもった人だけが関われる不思議な世界」というように、ひとくくりにして自分と距離を置いてしまっている。でも、瞑想なんて誰でもできるのです。ご飯をたべた後は誰だって満たされてぼうっとするものです。トイレで用を足した後の瞬間なども妙にほっとして、安心な心もちになったりする。そんな時になんとなく普段は考えないことが脳裏をよぎったりする。よく瞑想は「心を無にする」などといいますが、いったいぜんたい「心が無になる」ことなどあるものでしょうか。心が無になったら死んでいるか、昏睡しているかでしょう。たしかに「心が落ち着かない」ということは日々、誰しも起きていることでしょう。でも、いったいぜんたい「無」までいかずとも「限りなく無に近い状態」があるとして、なにがどうなるというのでしょうか。

瞑想というのは、心や精神の掃除のようなものだと思います。きれいにしていれば、新しいことも思いつきやすい。前向きに取り組む気持ちにもなりやすい。でも掃除ができていなくたって、楽しく元気に前向きになれる人だっているんです。

私の場合は若い頃、とにかく瞑想ばかりしている日々がありましたが、そんな時代にいったいなにを求めていたのかな、とふりかえると瞑想をしたくてしていたわけではないのです。「わけのわからない霊的な悪影響と喧嘩をしていた」のです。いってみれば、私はその頃、なんの因果かわからない「目にみえない自分をとらえて離さないもの」に対してすごく腹をたてていて、戦おうとしていました。向こうは姿形がないのですから、それならばこっちから出向いてやろうではないか…。ということで一心に瞑想…というよりは、いわゆる霊的な世界の入り口を必死で探し、やみくもにかけずり回って「姿のない敵」と戦ってやろうとしていたわけです。考えてみれば、幼稚でいささか危なっかしいことをしていたものです。でも、あれは瞑想というものではなかった。自分自身が怨念の阿修羅のような姿になっていたかもしれません。

今、こうして瞑想の指導をずいぶんさせてもらっていますが、これといって定まった瞑想のメソッドを確立したとはいえない。しかしながら、心をどんどん静めていく、という事についてのテクニックはかなり深めていますし、自信をもって教えています。人それぞれが瞑想をどのように解釈し、いかに各自の人生の課題を解くことに応用していくのか。それは個々にまったく方法論が違ってしかるべきかと思っています。

私がとにかくマンツーマンの指導にこだわっているのは、個々に使うべきテクニックも向かうべき方向も違うから当然のことなのです。そして、瞑想に関するセミナーやトレーニングのメニューについて内容の詳細をけして公にしないのは、公にすべきものがほとんどないからなのです。多くの人にとって参考になるものがあればどんどん広めていこうと思います。が、そこまで不特定多数の人にとって公共性の高い技法というものをいまだ確立し得ない。より多くの人、ということなら個別指導の内容を広めていくのではなく、最初から多くの人の為に役立つ「なにか」を開発し、告知していく方向にむけて努力しているでしょう。もちろん、そういった活動も考えています。これから少しずつ広げていけるのではないかと思っていますよ。ただ、すごく時間がかかるのでは…ということもあるので、なんともお約束もしにくいのです。

お題をちょっといい話、としたのはこんなふうに瞑想について一生懸命にとりくんでくださっている生徒さんが増えてきた、ということがただシンプルにそのことが私にとってはとても嬉しいことだったから。。。

ご感想メール

最近、レイキや瞑想のトレーニングを受けてくださった方からご感想をいただきました。
受講後に感じてくださった事、日々実践するなかであらわれた効果について…。自然体で楽しみながらとりくんでいただいている様子が目に浮かびました。どんな贈り物にも勝るうれしいメッセージでした。このサロンで学んでくださったことがそれぞれの生活の糧になっていくことが私自身でも実感できてこんなに嬉しいことはありませんし、とても励みになります。

ご感想をお寄せくださった方、ありがとうございました。

これからも精進します。

人のふり見て我がふり直せ

人のふり見て我がふり直せ、とことわざにあります。
当人の問題でないことでも、ご夫婦、親子、恋人、仕事といったご自身に直接利害関係がある場合は間接的なご相談でもお受けしています。周囲の人間関係とどう向き合えばよいのか、というご依頼はかなりの数にのぼります。身内の問題については、ほとんどが本人が気づきをうながされているのです。親子の問題にせよ、夫婦の問題にせよ、相手の悪いところを取り上げてどうしたら直せるのか、という問いかけの場合、ご本人が向き合うべき自分の問題から目をそむけている場合がほとんどです。
あなたが誰かのふるまいをみて「この人はどうしてこうなんだろう、どうしたらよくなるんだろう」と考えるとき、神様もあなたを同じ気持ちでみているのかもしれませんよ。

自分の親の事であれば、一線をひいて考えることはさほど難しくないかもしれない。自分の妻や夫のことであれば、お互い様なのだからやはり自分にも改善すべき点があるかもしれないと考えることは簡単ではなくてもできるかもしれない。もし、自分の子供に対する気持ちであれば、親としてかばったり守ろうとするのは当然なので自分が変わるべきだとはなかなか考えにくいかもしれません。でも、子供は自分の鏡でもあるのです。子育てを通じて親もまた成長していかなければなりません。親として世間人並みなことをしていればそれでよい、というわけでもないのです。人それぞれ到達すべき人生の目標地点は違うのですから。

昨年からの流れ

昨年ぐらいから、ご相談のテーマに転職、開業が増えてきました。これまでも転職に関する相談はありましたが、ご依頼いただく方の年代が上がってきたということ、それから自営業、役員の方からのご相談をいただくようになりました。幹部候補で抜擢されるような方からのご依頼はその方が担うであろう生活や仕事の波及効果を考えると、大変な決断です。それをお任せいただけることは、とても嬉しい反面、心がすくむような緊張をおぼえます。私は学歴に関しても自分という人間に関しても根本的なところで大きなコンプレックスがありました。今でもすっかり消えてなくなったわけではないのです。でも、自分のもてる力が誰かのお役にたてるなら、怖れたりひるんだりしている場合ではない、とも考えるようになりました。答えがあまりにもはっきり見えてしまう時は、迷いも恐れも、どこか遠くへいってしまいます。常にではないにせよ、未来がありありと見える時もあるので…。予知や霊視を非現実ととらえて、あざ笑ったり、拒絶することはどんな時代にもありました。でも私は結果がでればそれでいいじゃないか、と割り切っています。本当は科学的に実証したい。自分だけのひとりよがりではなく、ある程度の能力を備えた人であれば同じ予知や霊視ができるはず。そう信じて、可能性のある人には技術指導もしています。霊感を科学的に証明できる時代はいつかくると信じたいし、そのために今はまず信仰やトリックを完全に払拭して、ガラス張りのカウンセリングを続けていきたいと思うのです。

コンプレックス

私は私なりに、つよいコンプレックスをもっていて、それが邪魔をして心のバランスを失うことも多いです。ひとさまの人生のさまざまな葛藤と向き合わせていただく、ということは私自身の内面の至らなさ、弱さ、未熟さを見せつけられることでもあり、とても苦しい。でも自分も苦しいけれど、もっと苦しい人が目の前にいる時にどうにかがんばれる。自分が弱音をはかずにいられる。神様が力を貸してくださるのでなければとても人のお役になんか立てないような気がします。なんて未熟なんだろう、なんて力がないんだろうという気持ちをどうにかこうにか抑えて、自分を否定ばかりせずに生き長らえてこれたのは、こんな私でも必要としてくださる方がいて、その人達からありがとうという感謝の言葉を返していただけたからなんです。ありがとう、という言葉には本当に不思議な力がやどっているのだなぁと思います。相手に感謝をすることによって、その人のどんなにネガティブな感情であっても解放してしまう。ありがとう、という言葉のなかには神様の愛が宿っているのではないでしょうか。

今日はサロンでわりとゆっくりブレスレットを作ったり、メールの返事を書いたり、いろいろと仕事をこなしています。あいにくと天気も崩れてきて風も冷たくなってきました。暖房をつけている方もいるかもしれません。そんな肌寒い日ですが、この仕事をさせてもらえて自分はほんとうに幸せものだな、と思います。これからも一生懸命みなさんの人生の歩みを応援させていただきたいと願っています。あるがまま、自然体でいこう。怖れず、騒がず、自分のペースでしっかりと歩みつづけていければ本望、と改めて思いました。

未来のために

どうか日々を大切にしてほしい。

こういうことを最近、つくづく感じています。小さいことでも日々積み重ねていくことで、どんなにおおきな城壁にもまさる堅固な現実を生み出す力になりますから…。恋愛でも、仕事でも、同じです。思いやりを尽くすこと。いつも最善の自分でいられるようにすること。無理せず、疲れたら休み、眠りたい時は眠る。そして明るい日は元気よく外へ飛び出してがんばって汗をながす。あたりまえのことを自然体であるがままに続けていけばそれでいい。でも、志をもてなければ思いは伝わりにくいことがあります。これからの1〜2年の流れを大切にすることで未来が大きくかわっていく人が多いと感じます。ひとりひとりの時間をどうか大切にしてほしいと、切にねがっています。みんなのために。この地球(ほし)の未来(あす)のために。

霊媒として生きること

神様から授かった資質であり、みっちり修業して磨き上げたこともあり、それなりの年月を重ねてひとまずはほどほどの霊媒になれたかな、プロとしてある程度の実績は得られたかなという段階にあるかと思います。今おもえばよくここまでこれたな、という気持ちです。10年前の今頃はまさかここまでこれるとは思ってもいなかったのです。当時は人にみえないものがみえる、といってもまだ経験不足でしたから、いったいどれだけの結果をだせるのか本当に未知でした。多くの人達に、そして天上界のガイド達に導いてもらうことがなかったら、とてもここまで来ることはできませんでした。また、自分の可能性について明確に見極めてくれる人が恩師のなかにいなかった事もあって本当に試行錯誤でした。こういう未知の資質は、トレーナーやコーチがいて、どういうトレーニングをつめばどこまで能力が伸ばせるか、明確に指針を得られないと力を発揮することは本当に難しいと思います。私の場合はまったくいきあたりばったりで瞑想を学んだり、座禅を組んだり、滝に打たれたり、ヒーリング、カウンセリングを学んだり…。いわば昔ながらの修業のスタイルだったのですね。恩師は無口で余計な助言は一切ありませんでしたが、いずれなにかが起きるという予言だけははっきりもらっていたので、それなら取り組んでみようと思いました。いつか自分になにかが起きるのなら、どうしてもそれを確かめないままにはいられませんでした。乗りかかった船という感じでした。そうでもしないと、どうしてこんなに苦しい思いをして修業をしているのか、自分の人生に絶対になっとくすることができなかったのです。結果的に、霊界のことがリアルにわかるようになり、前世もはっきり見えるようになり、今では苦手だった病気の可能性についても予見できるようになりました。

霊感がアンバランスで、やむをえず修業を重ねていた時代は本当に苦しかったので、同じような霊媒体質の人に出会うと心から同情してしまいます。同類だから非常にピンとくるものです。多くの霊媒の資質を持つ方にお会いしましたが、その方の可能性、発展性についてはできるだけ明確な助言を心がけてきました。すでに活動をはじめた人もいますし、しばらく待機をしている方もいます。いまだに方針が定まらない方もいらっしゃいますが、そういう方はまだ本人からご相談をお受けしていないのです。こちらは一見してぱっと分かりますが、本人が口を開かない限り、私のほうから余計なおせっかいはしません。逆に自分には霊的な感覚があると勘違いしている方も時々いらっしゃいます。たとえ資質があっても、それを人の為に役立てられるように伸ばすことは本当に大変で難しい。人の何倍も努力をしなければなりませんし、よい指導者を探す必要もあります。安易におすすめできる生き方ではありません。が、これからの時代はより多くの霊媒が活躍していくことになります。潜在的な多くの能力がこれから開花していくでしょう。そんな方はある日ある時、背中をおされることになっています。

私はふりかえらない

「前世のことは知りたいとは思わない」ときっぱりおっしゃった方があって、なにかすがすがしい気持ちになりました。何年も前からのおつき合いのある方ですし、今でも定期的にご来訪いただいていますが、たしかに前世のことやオーラの色をお尋ねになったことがありません。自分のケアの方法や、瞑想のトレーニング、現実の生活のこと、自分自身をしっかり保つ為に必要なことをしっかり学んでいかれます。前を進むことを大切にしたいという明確な意志をはっきり感じられました。

私たちは輪廻転生を繰り返している、そのまっただなかにある存在です。学生にたとえれば小学生3年生かもしれないし、高校1年かもしれない。浪人中かもしれないし、大学院に残っているのかもしれない。前回の時代をさだかに覚えていない、ということは例えていえば友達と折り合いが悪かったことも、同級生に恋して破れたことも、先生にこっぴどく怒られたことも、部活で失敗したこともひきずらなくて済むようなものですから、悪いことばかりではないでしょう。それよりも、今という時代にあっての自分の課題をしっかりみつめ、自分が納得できる生き方を目指したい。そう考えることはとても素直なことに思います。

今の自分はなぜこんなに苦しいのだろう、ということをお尋ねになる方はとても多いです。でもこの苦しみから自分はなにを学び取るべきなのでしょうか、とお尋ねになる方は多くはありません。でも、今の自分に足りないものを学びとっていこうという姿勢を見失わないで欲しいのです。私たちは魂の学生なのですから。一生かけてなにかを目指しつづけていくべきなのです。

前世のことを知って納得できることがあれば、それはそれでいいでしょう。自分をより肯定して受け止められるようになるかもしれません。自分の性癖についてあまり悩まなくても済むかもしれません。そこから今生の課題もみえてきますから、とても参考になる場合も多いです。でも、過去の蓄積があって「今の自分」があるのですから、「今、そしてこれからの課題」を明確にするだけも、前世を知る以上に「めざすべきもの」ははっきり浮上することでしょう。

私自身も、チャネラーを介して自分の前世や自分の由来について、そしてまた自分の方向性についての情報を得た経験を持っています。その時は非常に心が揺さぶられました。非現実感のなかに唐突にほおり出されたような感覚でした。ありのままに受け入れることはとても難しかったのです。納得するまでに時間がかかりました。肯定したい気持ちと、本当にそうなのだろうか、という気持ちのはざまでしばらくはゆれ動きました。それから「なぜ、私の守護霊は前世の情報を与えてくださったのだろう」と考えましたし、自分の前世の情報からいったいなにに気づくべきなのかということについて、かなり長い年月悩みました。結局、私にとっての前世の情報は、今の自分を肯定する為に非常に参考になりましたし、実際のところ絶対に必須でした。そうでなければ今の自分のありかたをすべて肯定することもかなわなったでしょうし、自分のマスター(魂の指導者)が誰であるか理解し、受け入れることは無理だったことでしょう。でも、非現実の情報は消化して糧にできるまでに時間を要することもあります。そういったことも守護霊は計算しつくしていて、タイミングをみはからってスピリチュアルなメッセージを与えてくれます。ですから前世をきくためだけに当サロンに予約を取ろうとすると、どうしてもうまくいかない事もあります。それはその時期ではないと守護霊さんが教えているのですね。ということは、今の自分に必要なアドバイスだけを最小限に求めようと考えてみる。そうするといつでも予約がとれます。気持ちはすっと前にでるようになるはずなんです。そんな時は守護霊さんも、それなら大丈夫だからきいてごらん、とうながしているのです。

ほとんどの方は無意識領域で守護霊とコミニュケーションができます。ですから、どうしても私のような霊媒に会うことができない、タイミングが合わない、ということで悶々とするのではなく、なぜ足がむかないのかということを自分の守護霊さんにむかって心のなかでよく問いかけてみるといいでしょう。どんな質問、どんな問いかけをすると天(そら)が応えてくれるのか。そのコツがわかってくると、スピリチュアルな世界はあなたの頭上におおきく開けていきます。最初はちょっとだけかみあわなくて、むずかしく感じるかもしれませんけれど。

最近は高校生の方もお母さんにすすめられて来られます。年齢層が本当に幅広くなりました。