2026-08-10:ガンとケイシー療法

私は治療家と言えるほど病気を治してきたわけではないですが、相談の流れの中でご本人、ご家族含めて病気になった経緯を伺うことが多いです。そして最近、何らかの病気を発症してしまう人が急に増えてきたことを実感します。

最近のご相談の中で本当に増えているのが残念ながらガンです。私のようなところでも増えているのですから、医療の現場ではもっと大変な状況なのだろうと推察されます。

私は健康法としてケイシー療法をお勧めしていますが、本来のケイシー療法は積極的に深刻な疾患の治癒を導くようなリーディングが多かった。けれどもその知見が実際の医療現場で応用されることはあまりありませんでした。

でも少しずつでも医療の現場でケイシー療法が積極的に取り入れられはじめていることを知って、良い時代になったと思います。

誰でも家庭内で実践できる方法もたくさんあるので、ケイシー療法に触れたことがない方でも、まずできるところから試してみるのもいいと思います。今は健康であっても、予備知識として持っておくだけでも価値があると思います。いつ体にどんな変調が起きるかどうかは、予測がつかないですから。

私も最近、幾つもあるケイシー療法の一つを試しはじめているところです。どんな変化があるか楽しみに取り組んでいます。

そして、こちらの記事がとても興味深かったので紹介しておきます。膵臓癌が改善する例もあるようなので、諦めていた方には大きな福音になりそうです。
ケイシーのガン治療とフラーレン体験

2026-07-29:災い転じて福となす

昨日、熊本で大きな地震がありました。被災地の皆さんには心からお見舞い申し上げます。今も救助活動が続いていると思いますが、遠くから見守りたいと思います。

2016年の熊本地震があった年、私はピアノを弾きました。ゲストで知人を招いて数十名の方の前で、復興への祈りの音楽を披露させていただきました。

皆さんは祈りますか?

どうしようもないことが起きてしまった時
自分が無力で小さくて絶望してしまった時

そんな時、私は祈るしかないと思って生きてきました。

自分の身にも震災の被害が降ってきたこともあります。身近でも体験し、遠くから同胞の痛みをなん度も味わってきました。本当に日本は自然災害の多い国だと思いますが、もはや近隣諸国もさほど変わらないのだということも見えてきました。

歳を重ねたから見えてくるものもあるでしょうが、それ以上に時代が変化していく、地球全体が大きく動いていく、と言わざるを得ません。

私のオンライン勉強会で、先日、日本は一つの意識体であるというお話をしたばかりなのですが。今回の地震でも私は強いメッセージを感じます。ブログで公開するような内容ではないと思いますが、でも知りたい人や知るべき人には伝えたい思いもあります。ネットで(一般公開)の発信を私は基本的にしていないのです。変えるべきだろうか?と思い悩むこの頃です。

今、お伝えしたいことを一つだけ。
災い転じて福となす、という言葉あります。
英語ではBlessing in disguiseと置き換えられます。訳すと同じような意味ですが。ニュアンスがだいぶ違う気がするのです。

日本語の持つニュアンスは、自分の視点を変えましょう、考え方を切り替えましょう、ではないかと。私はそう感じるのです。つまり「あなた次第でどうにでも受け止められますよ」と。もっと言えば「どんな苦境でもめげずに、へこたれずに力強く前進し続けましょう」とも聞こえます。

本当にそんなことを言い続けていられるでしょうか。私自身の中にはもうそんな気力が残っていない気がします。自分が無力すぎます。そして無力であるということに逆らえる気がしません。

でも英語の「Blessing」には希望を感じます。

エンジェルカードでもよく私はこの「Blessing」のキーワードを引き寄せます。日本語で一番、近い言葉はなんでしょうか。一般的には「祝福」というのかも。でも、今、私が訳すなら「委ねる」です。

「天の意思に委ねなさい」です。

これからも災いはやまないと思います。安心して暮らせる時代はもう戻ってこないかもしれません。であるならば「天に委ねる」という気持ちを持ちながら生きるしかないような気がしています。

祈りも天に委ねる、です。委ねる、は祈るよりもさらに「お天道様任せ」のニュアンスが強いです。何もかも委ねる、です。そうすれば「祈ることすらできないほど絶望していても、希望が受け取れる」気がするのです。

何があっても希望を受け取りましょう。そういう時代なんだと思います。
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2026-07-16:円山公園の紫陽花

円山公園の片隅に誰の目にも留まることなく、ひっそりと咲いている額紫陽花を見かけました。

数日前、ピアニストのウォン・ウィンツァンさんが札幌でのコンサートにいらして、1年ぶりにお話しする機会がありました。相変わらずのウォンさん。30年前から一貫して表現者としてのあり方を淡々と貫き続けている、本当に素晴らしい大先輩。私の音楽表現の出発点のような存在です。あとはできるだけ長く活動を続けていただきたいです。

ウォンさんの音楽に出会った当時の私(30代後半)は、自分の作った音楽が世に出ても実感が湧かず、「自分は何者なのか」と日々もがいていました。あれから月日が流れ、今の私には「人と比べること」はもう意味を持たなくなりました。世の中には凄い才能を持つ人が次々と現れます。そこと競うのではなく、自分の中にある比較の心を徹底的に削ぎ落としたとき、最後に残るのは「ただ感じるもの」だし、それを音楽で表していくだけなんだよねと。この歳になってようやく心から気付いた次第。遅すぎかもしれないけどね。

ただ、不思議なもので。私にとって音楽がない世界は考えられないのに、実はもう何年も人前でピアノを弾いていません。決してスランプというわけでもない。ただ「ピアノを弾きたい」という欲求が今の私にはほとんどないようです。音楽を表したいという確信はあるけれど、「どうしてもピアノじゃなきゃ」というわけでもない。鍵盤楽器という括りでいうならピアノ以外の音色も無数にあるのだし。ピアノの音色にさほど固執していないだけ、ということでしょう。

ひっそりと咲く花のように、これからの私がどんな音色で表現していくのか。大先輩との再会を機に、新しい模索をつらつらと楽しんでいるところです。
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2026-05-22:桜の見納め

開花してから一月もかからず今年のシーズンも終了しつつあります。今年は特になんとも名残惜しい気がするのは、もしかしたら歳のせい?ってやつなんでしょうか。だとしたらちょっと嫌だなあ(笑)

⚪︎⚪︎歳以上割引の掲示を見かけると、抗いたい気持ちとこっそり戦ってますね。だって精神的にはさほど成長してないですし。体だけ歳とったからって言われてもね。

反抗したい年齢になったということで。

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