この夏のシメにピアノコンサートなど企画してみましたよ。

RIMG0055
8月31日(日)の午後、ピアノコンサートを開きます。
会場は芸森スタジオ。一般の人は一生に一度も足を踏み入れることがまずない、レコーディングスタジオのなかでコンサートをひらきます。いろんなレコーディングスタジオで仕事をしてきましたが、ゆっくりくつろげて、自然に囲まれていて、アクセスもまぁまぁという環境は世界でも稀といっていい施設です。こんな施設が札幌にあることすら今となっては不思議なのですが、そこにはさまざまなドラマがありまして…それはさておき。

今回は前日から「魂のリトリート」と題して合宿をやっています。その流れで、2日目の午後はこじんまりランチパーティを楽しみ、そのあとでじっくりピアノを聴いていただこうという、なかなか盛りだくさんな企画です。

森のなかでリトリート。そんな休日の一日をランチと音楽で楽しんでいただければと思っています。心が疲れている方、是非、お運びください。

今回は定員があるので、ご希望の方はどうぞお早めにお申込みをお願い致します。
詳細はこちらでご確認ください。

日本人でプライドを保って生きることの難しさ

プライド(誇り)を保てないのならばハラを切ったのが日本の武士道だったようです。
魂はプライドを磨く為に存在しているともいえます。

人生はプライドを感じながら更に高めていくもの。ただ、その高め方がこれまた千差万別。ご飯をつくってあげたり、なにかを指導したり、祈ったり、瞑想したり、ありとあらゆるプライドの磨き方があるものです。皆、一様でなくそれぞれのスタイルをもっていますが、向かうところはひとつ。自分を磨く、ということに尽きるようです。

プライドは磨きがかかればかかるほど、これまた傷つきやすくなります。だんだん生きることが難しくなるのです。他人にプライドを折られることに耐えられないこともあります。その時、魂は撤退を余儀なくされるのです。撤退といっても実際の手段もこれまた千差万別です。関係性を遠ざける程度なら軽いほうで、精神的に閉じこもってしまったり、肉体的に存在を消そうとすることもあります。

時代が時代ならもうこれ以上いかようにもプライドを保ちようがない場合に、そこで人生を閉じる。そういう選択を昔の日本人は実際に行っていたのです。ただそれは一部の階級の人に限られたことで、一般庶民にはそれも容易ではなかった。

日本という国で過去をいきた魂の多くは、けして上位の階級ではなかったのでプライドを保つことは難しかったことでしょう。それを保つ為の選択がある、という考え方を持つこともなかったでしょう。

なんにせよ、私たちがこの地上で前進し続ける為のエンジンは、プライドを磨き続けられるという希望なのです。それが断たれた時に、私たちは前進できなくなってしまいます。その時になにを選択するのか、これはとても難しいことです。この時代、私たちはかなり混沌とした社会性のなかで生かされていて、望まないとしても一人ではないのですから。プライドの高い魂は自分の選択に他人を巻き込むことをよしとしない傾向が強いですから。希望を絶たれるとどうしようもなくなる場合が多いと思います。こういう煮詰まり方をするのは日本人の特性で、他の国家、民族にはあまりみられない傾向です。

人生は日々ま〜るくなる為の修行なのか

IMG 6977
人生という修行のスタイルは、個々の魂においてかなり違います。
多くの人が「人間関係」のなかでもまれ、そして磨かれていきます。

でも、ある人達は人間関係のなかで葛藤したり、苦しんだりということを通して学ぶ方向性を持たずに生まれてきています。こういうタイプの魂は、人と接することでけして悩んだりしないのですね。悩むことはあっても深くひきずることはない。そうはいっても現実にはいろいろな問題が日々浮上するわけですけれども、そこにとらわれていると、ただひたすら虚しくなる…。自分はなにをやっているのだろう、と感じる傾向が強いのです。

一方で、大多数の人は、人間関係のなかでおおいにもまれ、翻弄されながら、カドがとれていくものです。魂はカドがとれていくほど丸みをおびて、しだいに美しく輝きを放つようになります。カドがあってギラギラしているのはまだまだなのかもしれません。

知里幸恵さん:神々の世界への架け橋となった命

わたしが心から敬愛する一人の女性が残した文章のなかに次のような表現があるのです。
「今の私たちはなんという悲しい名前をもっているのでしょう」

この悲しい名前とはなんのことなのか。

「その眼からは一挙一動宗教的感ママ念に支配されてゐた昔の人の美しい魂の輝きは失はれて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行方も行方も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おゝ亡びゆくもの………」

亡んでいこうとする民族の心を憂いた若き知里幸恵さんの言葉なのです。

我が同胞が亡んでいく。今自分が命をけずって民族の誇りである「言葉」を残さないでいられない。
病める体をいたわることなく、幸恵さんはアイヌ神謡集を書き上げた。そのおかげで日本語しか知らない私たちははじめてアイヌの神々への心を学び橋を渡れることになったのです。

ひとりでも多くの人に、幸恵さんがかけてくれた橋をわたって欲しい。

橋をわたったむこうには神々の光の滴(しずく)がふりそそぐ世界があるのですから。

◯知里幸恵記念館
http://www9.plala.or.jp/shirokanipe/
道内の方も、道外の方も一生に一度は是非。

土に還る。そのすべてが美しい。

写真 2
札幌芸術祭がはじまる。アイヌ文化がクローズアップされていて、とてもよかったと思う。ビッキさんの心が、みなに伝わるように願い、祈ってます。アイヌ文化をここまで取り上げてもらえるのも、坂本教授の尽力があったのでしょうね。感謝。ご病気静養中だそうですがご回復を願ってます。

北海道は自然がゆたか。というけれど、自然の豊かさの本質はなんだろうと考えると、ただ綺麗なものだけではなく、自然がそのまま息づいている、そのすべてがあるがままの姿を見せてくれるところが「ゆたかさ」だと思う。だから、北海道の冬を知ってほしい。山も知ってほしい。文明が存在しなかった頃からそこに定住していた人達の本当の姿を知ってほしいと思う。ただ、自然は厳しいから。あるがままを体験することは難しい。うわべだけの知識が伝わっても、そこにある本当の雄大さや美しさがすっかり伝わるとは考えにくい。それでも、一人でも多くの人につながろうとすること、広げていこうとする姿勢を私達は持ち続ける必要があるだろう。人の力を借りずにそれができるようになればいい。でも、時に大きな人の力を借りるのもいいだろう。これが続いていく流れになるのならば。

人間が作るアートも素晴らしいものがある。けれど、神々がつくられた自然というアートがあれば、わたしはもうそれ以上なにもなくてもいいとすら思う。人として創造し表現することもいい。けれど、なにもしないで自然のあるがままをただ見つめ、味わい、包まれているだけでもいい。

わたしも土に還る。あなたも。皆。すべてのものが必ず土に還る。

でも、わたしはまた土から生まれいづる。願うならばあなたもまた土から生まれいづる。命は還せば、また授けていただける。けれど、わたしたちはずいぶん、たくさんの命を奪い続けているようだから、容易には再び土から生まれいづる機会を受け取れないかもしれない。アイヌほどに自然をいたわってはいないのだから。土に還りつつあるビッキさんの心に触れることができるのは、今の私達の世代だけ。なにかを感じ取り、次の世代につたえていきたい。あらためてビッキさんの思いが次の世代に受け継がれますように祈ります。

※音威子府という地名の由来=「オ・トイネ・プ」(河口・土で汚れている・もの)

ainuitak e=eraman ya?(アイヌイタク エエラマン ヤ?)

プレリュードとフーガに思う

写真
昨日は、高橋全(あきら)さんと、小田原真理子さんのライブ。自由自在でハイレベルな二人のパフォーマンスと久々の高橋さんのピアノをじっくり堪能しました。

高橋さんとは実際に会うのは、前回の北海道入りの時以来・・・ということで、十年以上前のことになってしまいますが。なんにもかわっていない高橋さんと、ついこないだ会ったばかりのような感覚での再会。それもこの時代ならでは、でしょうね。やはりネットの力は絶大です。実は高橋さんのピアノソロを生でじっくり聴かせてもらうのははじめて。いつも録音で聴かせてもらってはいても、実際に生で体感させてもらうとすべてが新鮮です。やっぱり生演奏はいいな、と人の演奏をきいて実感します。

多分、わたしの演奏もほんとに生で聴いてもらって、やっとなにかがしっかり通じるのではないかな、という気がします。

高橋さんとは、ウォンさんを通じてつながったのですが、瞑想、音楽、ピアノのテクニック、録音技術など精神的なことやスピリチュアルなこと、さらに演奏技術、録音技術にいたるまでお互いの活動のかなりの部分が重なりあっていて、知り合っていらいかなりの情報を共有させてもらっています。ありがたいことです。また高橋さんはぴっくりするぐらいセラピストさんからも人気のある方で、スピリチュアルな方面もふくめてセラピストさんが企画したCDには、たいてい彼が関わっているのじゃないか?と思うほど。そしてベースにはバロック時代からの古典も含めクラシック音楽の素養があるので、ものすごい安定感のある音楽をつくり、奏でる方だなと思っています。

個人的には高橋さんのバッハがとても好きで、昨日もプログラムにプレリュードとフーガが2曲ずつ組まれていたので、とても楽しめました。バッハの音楽性を少し深く理解できるようになった気がします。

彼の活動の幅広さ、奥深さは枚挙に暇がないのですが、そんな高橋さんがなかなか北海道にきてくださらない、という現状はなんとかしたいとかねがねおもっているのです。毎年、お呼びしたい…。でもわたしにはその力がない。あぁ残念無念。Please help us.
※写真はリハーサル時のスナップです。

最近のヒーリングのこと

RIMG0161
この春ぐらいからヒーリングに意識的にしっかり取り組んでいます。結果がしっかり出ています。体調がぐんぐんよくなる方、心がすっきりと明るく前向きになる方、難しい病が改善していく方などなど、とにかく確実に良い変化が起きています。しかも年齢もあまり関係ないんですね。今のところ女性の方が多いですが、男性の方も増えていくといいなと思います。

なぜこのタイミングでヒーリングに力をいれているのか、どうしてこんなに結果がでるようになったのか…なんですが。

わたしが今回、改めて意識するようになったのは、すごく簡単でシンプルなことなんです。それは、ただその方の人生によりそう、そういう姿勢で取り組ませていただいているんです。すると、その人自身の体が、心が、内側から自然に変化し、回復していきます。あるがままで生きるだけで人は自分を治せるんです。

でも、体も心も、そして潜在意識も、もっといえば魂も、肉体をとおしてひとつにつながっています。それらすべてをバランスよく感じ、受け止め、よりそうのはあまりにも難しいことです…。正直な気持ちでいえば、こんなことは容易にできるようにならないだろうし、教えることもできないだろうなという気がしています。わたしは当初より、その人の魂の本来の姿がみえていますし、心の奥に隠された様々な抑圧もなにもかも感じてしまいます。若い頃はこの感受性の深さが重すぎて、生きるのがつらすぎたのです。今は、この感覚がなければ癒せないのならば、誰しもが癒し手になれないことになってしまい、そこが壁になっています。教えたくても教えられない領域があるのです。ある一線をこえた先は限られた人しか行うことができないものがある。ただ、ほとんどの方の場合は、肉体とこころの調和を取り戻すことで、ほぼ健康で元気に生きられるようになるかと思います。難しいのは、魂がもってうまれた葛藤が深い方の場合です。そこも含めて矯正していくのは、命題が深すぎて大変です。それはもはやヒーリングという領域ではないような気がします。人生の命題そのものを整理して立て直す作業です。それにしても、やはり「よりそう」という姿勢は同じです。どこまでも、ただ相手のあるがままの本来の姿を感じ取りながら、よりそっていくのみ。

もしかすると、ヒーリングもカウンセリングも演奏も、すべて同じことなのかもしれませんね。わたしのやっていることは…。

今日の徒然>一瞬だけ人生をふりかえってみること。

P1060887s
台風は北海道をかわしていったようで、風がやや強いですが過ごしやすい夏の日。そんな日はなぜか人生をちょっとだけ振り返ってみたくなったりしました。

ポートレートをあまり載せていないので、たまには自分の近影を。

年のわりには若いといわれることが多い気がしますが、もはやシルバーエイジ?に近づきつつあるお年ごろです。でもあんまり年は気にしていないです。でも寿命は気になっているというか、いつかこの肉体とさよならする日が確実にやってくるわけで、時間は限られているという感覚は近年とてもはっきりしてきました。若い頃は、いつまで生きるの?まだまだ先があるの?といった感覚のほうが強くて、若くして生きることに息切れしていた状態でしたが、やっと呼吸も落ち着いてきて割としっかり生きられるようになってきたと思ったらもう結構な年になっちゃいました。ただ、有限の命のなかでこそ学べること、理解できることってものすごくたくさんあるんだと、だんだんわかってきました。今、命あるうちに学べることをたくさん学びおえてから、あっちの世界に戻りたいものだな、と思います。

おかげさまで大きな病気をするとか、大変なケガをすることもなく、若い頃に苦労した分、ここ最近はわりと平穏無事な日常です。そして苦労したことが確実に活かされているなぁと感じます。もっぱら精神と体の不調が辛かった経験が、今となってはなによりも自信につながっているという人生の不思議。

最近はヒーリングの効果がめざましくて、どんどん結果が出てきました。治療家としてもけっこう実績がでてきたのですが、すると今度はもっと教えたくなるんですね。カウンセリングのことも教えたいですが、ヒーリングもしっかり教えたくなってきた…。単に教えたいという気持ちではなく、教えられることがあってそれを伝えなければいけないのだから、なすべきことをなしとげないうちは死んでなんかいられないとう気持ちですね。役目がひとくぎりつかないうちは生かしていただけるかと思うので、気ままに生きていきましょうか。

若い頃は生きることがあんなに大変だったのに変わるものだなぁとしみじみ今日の青空をみあげて思っております。だから、若い人も、シルバーの人も、苦しんでいる人達をどんどん楽にしてあげたい。同じことができる人もたくさん増やしたい。

さて、一日一歩、今日のお仕事もがんばります。

崩壊する縦の関係と、再生する横の関係。

IMG 6922
権威の失墜により、縦社会は崩壊していく一方です。個人の関係性においても、組織の中においても、縦の関係性は根幹から揺さぶられています。容易に変わらない組織もたくさんあるので、揺さぶられながらもやむを得ず体裁を保ちつづけていくよりない、そういう世界では引き続き表面上の権威も保たれていくでしょう。しかし、それははりぼてにしか過ぎず、実のところは抜け殻になっていくことでしょう。

一方で、横の関係は新たな再構築がはじまり、どんどん密になっていき、年月とともに堅固さを増していきます。いかなる権力もそれを無視することはできなくなり、実質的に権力そのものが分散化し、小さな集団でもそれなりの権限をもって機能できるようになっていきます。もっとも責任も同時に発生します。それはプラスに作用し、自浄効果になりますので、組織が腐敗する可能性はとても小さくなります。
新しい時代の横の関係においては、立場、役目、年代、性別の障壁はありません。個々が自発的に自分に最適の役割を担うようになります。誰も支配しませんし、管理しません。それでも全体が有機的に機能できます。それぞれは単細胞生物のように、実にシンプルに行動するだけなのですが、不思議と全体が調和してひとつの生命体であるかのように機能します。魂というのはもとより調和した世界に存在しているので、そういうことは原初から可能なのですが、人類がつくりあげた歪んだ文明と低い精神性が、私達の本来の可能性を歪め、封印してしまっていたのですね。その封印が解かれ、本来人間が持っている、あるがままですべて調和していく能力を発揮できる時代になったのです。

その為には、ひとりひとりが自然体であるがままの自分らしい生き方を一日も早く、実現することが大切です。自分が変われば未来が変わる、ということです。誰かが変えてくれるのを待っていたり、誰かが始めたら自分もはじめようではだめで、自分らしい生き方を見つけ今すぐに始めることが大切です。皆それぞれ持ってうまれた資質も、魂が望む方向性も違うのですから、最初は皆がてんでばらばらになり、右往左往することでしょう。混乱でというより混沌がすべてをうめつくします。しかし、混沌は本来は完璧な秩序でもあります。すべては元々法則性があり、大いなる摂理のもとに動かされているので、私達それぞれが自我を超越し、真理と一体になる真我の境地に至れば自ずとすべて調和していくでしょう。

あまり理屈っぽいことばかり書いていると、頭でっかちになってしまいそうでいけませんね。自分はどうすればいいのだろう、と考えてはいけません(笑)。

あるがまま、自然体の自分で生きる、というのは考えることではなく(少しは考えたほうがいいですが、なにごとも過ぎるのはよくありませんから)、そのまま「生きること」です。生きる、というのは食べることであり、寝ることであり、作ることであり、保つことであり、壊すことであり、楽しむことであり、悲しむことであり、失うことであり、得ることであります。失望することでもあり、希望を得ることでもあります。未来を見失うことでもあり、光を見つけることでもあります。そして、これらは一人ではむずかしいことばかりです。これからの時代は一人でいることが一番、不調和になるかもしれません。

一人でいる時間が長すぎる方は、一日もはやく助けをもとめましょう。また、もしもあなたの周囲に孤立している人がいれば、声をかけてあげてください。そうやって少しずつ、つながりましょう。つながってさえいればいいのです。整然と倫理的につながろうとする必要はありません。私達は元来、誰とでも手をつなぐことができます。つながり続けることが大切なんです。あきらめず、ねばりづよく、です。そうすれば、自然に秩序が生まれます。混沌はやがて美しいハーモニーとなり、すばらしい交響楽が地球から宇宙全体に発信されるようになるでしょう。地球が宇宙の中心になれるかもしれません。