人生は日々ま〜るくなる為の修行なのか
人生という修行のスタイルは、個々の魂においてかなり違います。
多くの人が「人間関係」のなかでもまれ、そして磨かれていきます。
でも、ある人達は人間関係のなかで葛藤したり、苦しんだりということを通して学ぶ方向性を持たずに生まれてきています。こういうタイプの魂は、人と接することでけして悩んだりしないのですね。悩むことはあっても深くひきずることはない。そうはいっても現実にはいろいろな問題が日々浮上するわけですけれども、そこにとらわれていると、ただひたすら虚しくなる…。自分はなにをやっているのだろう、と感じる傾向が強いのです。
一方で、大多数の人は、人間関係のなかでおおいにもまれ、翻弄されながら、カドがとれていくものです。魂はカドがとれていくほど丸みをおびて、しだいに美しく輝きを放つようになります。カドがあってギラギラしているのはまだまだなのかもしれません。