誰かを幸せにしてあげられるけれど、自分は幸せになれない人生
自分は幸せになれるけど、誰かを幸せにはしてあげられるかどうかわからない人生
私たちは生まれる時に、一体どちらの人生を選んだのだろう。
誰かを幸せにしてあげられるけれど、自分は幸せになれない人生
自分は幸せになれるけど、誰かを幸せにはしてあげられるかどうかわからない人生
私たちは生まれる時に、一体どちらの人生を選んだのだろう。
今週末は結構楽しめそうです。
日が高くなってきました。
だいぶ角度が急なので、あまり見上げることがなくなります。
が、たまに空を見上げると、いいことがあります。
すごく天気が悪くて、こんな日は沼の底に沈んでいるかのような気分になります。
こんな天気の時、いつもこんな気分だったのだろうか。
ふと思い返す。
きっと子供時代は、田舎の漁村暮らしだったので、風の音、波の音、列車の音がちょっと耳を澄ませばしっかり聞こえていたし、天気が良くても悪くても、その日その日で何かしら、やるべきことを見つけては、没頭できていたような気がする。読みかけの本の続きだったり、飼っているアリがどこまで巣を広げたか確認することだったり。新聞折り込みの裏面が白い広告の紙いっぱいに、グルグル幾何学模様を書きなぐることだったり、ここに自分がいない感覚に没頭して違う次元にワープできていた。
天気が悪いぐらいで、何でこんなに目の前のことに打ち込めないのだろう。いつの間に、身体中に見えない電極を繋げられっぱなしで、外界の雑音がチリチリと電磁波のように侵入してくるような状態になってしまったんだろうか。この見えない電気ケーブルを片っぱしから、抜いていかないと、どんどん見えない沼にハマって、身動きとれそうにない感じになりそうだ。
これじゃいけないから、なんとかしよう
↑
というような意識を持つことがまずは大事かな、と思うのです。
春先ならではの空模様です。
光がくすんで、なんとなく落ち着かないものですね。
さて今日は人生の流れを変えることについての短いお話です。
煮詰まった時、どうするか。あるいは、かなりやっかいな問題に直面して、突破口がみつからない時、どうするか。
もがいても、工夫しても、努力しても、どうしようもないことが人生には時折りあります。人生とは、厄介な迷路なのです。迷路の中で迷ってしまった時、疲れて消耗しすぎると絶望という闇に襲われます。そうなる前に、進路を変える必要があります。
が、迷路の中にいては進路変更が難しい。そんな時は誰かに違う視点から、新たな進路を指し示してもらう必要があります。
人生という迷路を、全て自らの力で向き合い、乗り越えていくのは大変に難しいものです。それはほぼ不可能だと思います。なぜなら、運命というのはさほど柔軟に作られていない。それほど私たちの意識、心、そして時流というものにしなやかに寄り添ってくれはしないのです。
その理由は、私たちの意識のあり方にあります。時流は4次元的なものなので、刻々と変化していきます。その流れをつかむには「直感力」がとても重要です。が、直感という曖昧な情報に従って人生を変えるのは大きなリスクがあるので、意識はそれを怖れるのです。
しかし、どこかで私たちは「直感」を感じ取っていますから、なんとなくこのままでは先行きが見えない不安が募ります。直感がこのままではまずい、と黄色信号を出しているわけです。その感覚を大事にした方がいい場面があります。そんな時は、早めにその信号が正しいのかどうかを確認した方がいいと思います。
人生を変えるなんて、大袈裟に思うかもしれませんが、自分より少し先を歩んでいる人、少し視野の広い人に、出会い、当座のヒントを求めるだけのことで大きく流れを変えられることがあります。
どうも、時流は今、大きなうねりの中に入ったようですから、今日の天気のような「なんともスッキリしない」いまひとつな感覚がしばらく続くようです。あまり煮詰まってしまわないうちに、人生の迷宮に疲れ切ってしまわぬうちに、次なる人生のヒントを受け取っておくのがいいようです。
一昨日、満月のピークだったようです。
なんとも落ちつかない1月でした。少しずつ春めいてきましたので、しっかりと新しい一年に向けて整えたいものです。
今日は日中、かなり吹雪いていましたが森の中へ。
風を避けて大きな樹の下で一休みしていましたら、一瞬風がやみました。野鳥がたくさん集まってきました。しばらく野鳥がついばんでいる様子を見守っていましたら、とても大事なメッセージを伝えてくれたことに気づきました。
風さん、鳥さん、ありがとう。
そしてまた吹雪になりました。
たくさん森からパワーを受け取ってきました。
まだまだ年末の掃除もゆきとどかないサロンの日々です。次の満月をめざして片付けます。
さて、節目(ふしめ)とは誰でも知っている言葉ですが、節というのは二つのものにはさまれた境界のことです。楽譜にも小節線といって縦に一本線を引きます。これがないと音楽が成立しません。
音楽というのは時間にリニア(直線的)に、音符を並べていくことで成り立ちます。私たちの人生も、時の流れの上に真っ直ぐに、日々の出来事を並べていくわけですが、ちゃんと小節線を引いて区切っていかないと人生交響楽は完成しません。
でも私たちは案外、区切るのが苦手です。まだやり残したことがあると、どうしてもそこで立ち止まり逡巡し続けます。
しかし節目は大切です。たとえどんなに中途半端に感じていても、時がきたらしっかり区切る。なにがなんでも節目を超えて次にいく。
もっとも曲を作っている時も、後々見直していて、一小節丸ごと削除とかよくやります。イントロからエンディングまで、すんなり降りてくるなんてあり得ません。
油絵だって何度も塗りかさねることができます。ただし塗った絵の具が乾いてからです。時を経て、上塗りができるようになります。
いずれにしてもここは一旦、節目を迎えて次にいかなければならないのです。