神宮の桜は、少し開花していました。
カテゴリー: 今日のつぶやき
卯月一日の雑記:この春は手のひら日光浴で
もう気の早い桜が開花したようです。
それなのに雪がちらついたりしていますね。
新月も迎えたところなので、気持ちを切り替えて、といきたいところです。
だいぶ日が高くなってきました。
ですが、残念ながら外出がしにくい状況です。
そんな時におすすめは、「手のひら日光浴」です。
とっても簡単で。両手をひろげて、日光にあてるだけです。
室内でも、歩きながらでもできます。
その時のちょっとしたコツ。
手のひらの中心がじわじわっと温まるのを感じます。
それがお腹に伝わってくるのをイメージするんです。
交感神経にとてもよい感じですよ。
是非、お試しください!
ストレス発散、免疫力活性に、日光浴はとても大切です。
小さな工夫も積み重ねていけばそれなりの結果につながります。
弥生二十四日の雑記:こんな時だから
しっかり春は来ている、のだけれど気持ちがそこにない。
とても落ち着かない毎日です。
そんな時だけれど。
そんな時だからこそ、というお話。
これからどのようにして生きていくべきなのか。
根本の部分でもやもやしている自分がいる。
光のサロンには、人生の根幹の部分で悩んだり、葛藤したり、あるいは漠然とした違和感、焦燥感、コンプレックス、自己嫌悪、罪悪感を抱えている方からのご相談がとてもおおいです。
とても落ち着かない、生きづらい時代になってしまいました。
だからこそ、よりシンプルにぶれない生き方を見つけたいものです。
その為の、しっかりしたお手伝いをしています。
根本になにがあるのかを掘り下げる。
そして、どうやって乗り越えればよいか、具体的な対策をお伝えする。
あとは結果がでるまで見守る。
それが私の仕事です。
サロンは光と風でひらかれている
弥生二十一日の雑記:雲を消す
春になると、先達と修行と称した山菜採りにいったことを思い出します。
先生はやまほどタケノコを採ってくる。もはや仙人としか思えなような早業だったなあと懐かしむことがあります。
あれからもう長い歳月が過ぎましたが、いまだ先達の残した宿題で解けない難問がありました。
それは「雲を消す」ことでした。
タケノコの下処理をしながら不意に
「あの雲、消せるか?」と。
もちろん「いや、そんなこと、できません(それにやり方、教わってませんけど)」と即答。
当時の自分は雲を消すという発想そのものが驚きだったし、まして、消してみろと言われることも驚き。
ただ、なんでもお見通しの人だったので、意味のないことは言わない。
師はおそらく私ならできるはず、と思ったのでしょう。
しかしながら、不肖なあなたの弟子は、いまだに習得できずにいました。
が、先日、不意にわかったのです。雲を消す方法が。
25年もかかってしまいましたが。
あらためて空の上の恩師に感謝しました。
雲を消すこつは、心のあり方にあるのです。
この世界にあるものは、すべて意味があって存在しています。
意味あるものを消そうとしてはいけない。
あるがまま、なすがまま、の境地に至った時、
おのずと闇は消え、雲は晴れ、そこに広大無限の光が満ちた世界があります。
私は雲を消すことにとらわれていました。
が、今は、消すのではなく、
いずれ消えるのだ、ということがわかります。
そういう心の目で世界をみますと、
泥(カオス)のなかに光が見えてくるのです。
雲(闇)は消えるのを待つ。それだけでよいのです。
(あなたはこんな日がくるのをとっくにご存知だったのでしょうね。と、心のなかで呼びかけてみるのでした。)
光の羽
私が空をとべるなら、
いますぐあなたのそばにいき、その悩める心の闇を解き放ってあげられるのに
私が風になれるのなら
あなたの願いをききとどけて、神々に伝えてあげられるのに
神様は私に天使の羽を与えてはくださらなかった
私が神様から授かったもの
それはあなたを思う心ひとつ
私にはあなたの苦しみがわかる
私一人を犠牲にすることが許されるなら、
あなたの闇をすべて引き受けてあげられるのに
いまの私はたくさんの人の為に生きなければならない
けれど、私は今こそ、光の羽がほしい
その羽をまとい、あなたのもとに、いますぐかけつけ、こう伝えたい
大丈夫
わたしが守るから
あなたのことも、あなたの大切な人たちも、必ず守りとおすから
どうか安心して日々を過ごしなさい
明日は必ずやってくる
そして、青空があなたの上にどこまでも広がる未来は必ずある
だからあきらめず、へこたれず、今日を生きていこう
今を生き抜けば、明日が一日、近づいてくる
素晴らしい未来はあるのだから
だから希望をけして見失わずに生きていこう
わたしがずっとそばにいるから
あなたは大丈夫
弥生十八日の雑記:未来は螺旋の渦のなかにある
歴史を振り返ると本当にたくさんの出来事があって、先人たちは苦しみながら乗り越えてきたのでしょう。
歴史を情報として知ることはできても、当時の人々が実際にいかほど悩み、苦しんだのか、おしはかる術はありません。が、その苦しみを乗り越えたという誇りは私達の血のなかにしっかり先人たちから受け継がれています。
それは、愚かなことは二度は繰り返さないという誇りです。
しかし、未知の事態に遭遇した時に過去の経験則が通用しないわけですから、おおいに混乱することはあり得ます。まさに今、私達はどうしていいかわからない混乱の渦中にあるのでしょう。けれど私達は本当に無知で、成すすべを持たないのでしょうか。
人生は成長の糧とすべくあるのですから、日々、なにを成すのかによって未来を作り上げることができます。
混乱のなかにあっても、穏やかに、日々をしっかりと過ごしていくことがとても大事な時期だと思います。
生きてさえいれば、未来は必ずやってきます。