2022-08-31の雑記:8月も最終日となりました
10月のピアノ公演の準備に入っています。
とはいっても、ウォーキング、ヨガが中心。
音楽を奏でるのは体。体という楽器を通して、現れてくるものが、たまたまピアノと共鳴するだけ。
ピアノは弾くものではなくて、ピアノが共鳴して手伝ってくれるだけのこと。演奏するのは自分の体です。
そこをしっかり整えておかないと、思ったような音楽を表すことができない。
音楽をやるのですが、今回は祓い清めを狙っています。
音楽会というのは名ばかり、実質的には加持祈祷でしょうね。
でも、ピアノを弾くのに真言密教を語るのもナンセンス。
音楽は音楽として成立していないとつまらないし、色気もない。
だから、あくまで体裁は音楽会。
それはさておき、今日はパソコンの断捨離。
8月も終わり。いよいよ9月に入りますね。
西暦はあまり気にしないことにしている、のではなく、とらわれたくないだけ。
でも今日(8月末)と明日(9月1日)で何かが変わります。
何か、としか言えませんが。
写真は15年も使っていたMac。ずっと前に現役引退させましたが、最後のお役目を果たすべく、少し前からデスク脇にセットアップ。当時の書類で、このMacでしか読み出せないものがたくさん残っていたのです。ハードディスクに埋もれていたデータを一旦この古いMacに転送。互換性の高いフォーマットに変換。そしてまた取り出す。この作業を延々と繰り返していました。
昨日ついに全ての変換が終わり、役目が終了したところで廃棄の手順へ。内蔵HDDの初期化です。ゼロデータの書き込みを3回繰り返します。その作業に入った途端、エラーが発生。カーネル(裏でこっそり動いている仕組み)が吐き出す見たことのないエラーメッセージ。これは致命的な故障が発生した症状です。初期化はあきらめて、中のHDDは蓋を開けて取り出して別途、消去して処分することにします。個人情報が残っているHDDなので、そのまま手放すわけにはいかないんですよね。
パソコンは精密機械だし、ミクロの世界で電子が高速で飛び交ってます。人間の神経系のような作りになっているので、私たちの精神状態と共鳴しやすいです。いわばパソコンの調子は、使う人の意識だったりストレス度合いで変わります。
このMac君、いや、Mac姫(女性形)、もう力尽きてもいいと悟ったのでしょう。(ちなみにモノには性別もあります。)
このことからふと思ったのです。
普通ならとっくに寿命を迎えていたはずのパソコンがなぜここまで延命できたのかといえば、自分の意識がどこかで「まだ最後の仕事を終えるまでいかないでくれ」と引き留めていたからに相違ありません。
所詮は機械、とはいえ人の想念と深く結びついているものなのでしょう。
人間同士の関係とあまり変わらないかもしれません。
このMacは、このあとはリサイクルにだしてSDGsに貢献させます。