2023-06-20(皐月三日):新月、そして時は一瞬で過ぎ去っていく
今はまた新たな月のサイクル(新月)です。
新月は人生で何回あるのか? およそ千回ぐらいです。もっと多い人、少ない人、それぞれです。でも、実際のところはどうでしょう。ああ、新月になったな、今月はどんな月になるだろう。そこを意識して暮らしている人はかなり少ないでしょう。新月が千回巡ったことを意識して人生を送れるのなら、とても素晴らしい霊性を得ることができます。もし、今回の新月も、前回も、いつが新月なのか満月なのか意識せずに暮らしていると、よくて五百回分、もしかするとその半分の比重でしか霊性を高められないかもしれません。
人生は概ね18歳でスタートします。そこから霊性は目覚め、成長をし始めます。そこから還暦(60歳)になる間に、新月は五百回巡るんです。そこで半分です。残りの五百回のうち二百回は18歳で覚醒するまでに大人に保護されて過ごす期間、いわば幼虫〜サナギの時代です。成虫になってから五百回を霊性を磨くことに費やせば、おおよそ人生は完了です。
そこから先の人生は惰性のようなものです。でも、うまく霊性を磨き上げた人はその勢いで残された数百回の新月を大切に生き続けることができます。還暦を越え、霊性が輝き始めた人は新月の度に新たに脱皮し、満月の度に清らかな波動で満たされていくようになるでしょう。自ずと、穏やかで静寂に満ちたオーラを放つようになり、周囲の人を導くような存在になっていくでしょう。
今、還暦をすぎた人、すぎつつある人もいます。あと数年という人、あと10年という人、まだまだ先という人。いろいろだと思います。
でも重要なのは年齢ではなく、いかに生きたか、そしていかに霊性を磨いたか、その密度です。
私たちは過去を自ら検証することができません。いかほど霊性を磨くことができたのかを計れません。振り返る意味はないのです。でも私たちの人生は過去でできています。過去とは、とらわれを生み出します。もう、概ね霊性を磨く段階は終了だとしても、まだ自分のミッションは終わっていないと信じてしまう。戦争が終わっても、何十年も原生林に隠れている兵隊のようです。人生のミッションは終わったよ、と誰も教えてくれません。そこがこの世の難しく、厄介なところです。
生き方に戸惑いが生まれるのは、霊性の進化が止まっているからかもしれません。霊的な進化がなくなると、私たちは大きな虚無感を抱くようになり、混乱し、未来を怖れるようになります。しかも明確な理由もないので、精神はパニック状態に堕ちっていきます。
もしこのような戸惑いがあっても、迷ったり悩んだり新たな進路を模索する必要はありません。霊性のゆらぎを自らコントロールできる人はいません。それはできないようになっているからです。それが私たちの最も残念で辛い宿命です。
この記事が何を意味しているかわからない人も多いと思います。
ですが、この場でこれ以上、具体的なことを書くことができません。
それは一人一人事情が違うからです。私たちは自分の過去に囚われていきています。あなたの思考は過去のとらわれなのだ、と言ったところで、とらわれた状態の思考で理解しようすることが無駄な努力です。まして、そこから自ら脱却するブレークスルーを見つけることは高難度でしょう。
でも一言だけ付け足しておくならば、「brake your dignity」。
変な英語です。でも直訳した日本語があなたの霊性にはひびくかもしれません。
できるだけ多くの方に、このような時代を生き抜くヒントにでもなればと思って書いているブログです。明快な答えは書けません。特定の人にだけフィットする言葉遣いも表現もできません。
でも、私は私なりに、ギリギリまであゆみよっています。あとはみなさん次第です。
けれど、もう少しだけ付け足しておきます。
今、すごく疲れている、頑張れない、でもなんとかしたい、と思っている方へ。
どうかもう頑張らないでください。いったん、頑張ることを手放してください。絶望するかもしれませんが絶望は存在しません。でも、手放してみないと絶望しないことに気づけません。勇気が必要ですが、手放すしかありません。
brake your dignity.
その向こう側でお会いしましょう。