最善であるかどうかの判断は難しい

人生のいろいろな選択において、すべてを「最善でありたい」というのは誰しもが同じ。でも、実際のところはとてもむずかしい。いくら調べても、学んでも、相談しても「これが最善である」という状況にならないことが多い。しっかり見極め、判断したくても、実際のところは見切る、ということが必要になります。

レイキを学ぼうと思った時、何度も踏み出しそうになりながら、今が最善の時ではないと思いとどまったのですが。何度目かのタイミングで、今しかないと見きったわけです。それから十数年たって、今では最善のタイミングだったと思えます。

人生は有限なので、なにか手段を選びたいと考えるとき、どうしてもどこかで見切る必要があります。その判断は本当に重要です。

今日の徒然:ヒーリングの研鑽を重ねております

現在、体験ヒーリングを受け付けていて、もっぱら体調が気になる方にご来訪いただいています。これまでは生徒さんに指導する、という立場でヒーリングを一緒に実践し、伝えてきました。が、今回あらためて純粋にヒーラーとしてクライアントさんと向き合うことによって、ぐんとヒーリングの技法を磨くことができつつあります。新しいテクニックもいくつか身につけて実践しています。最近は医学書を読むことも増えましたので積み重ねた知識もすこし役にたつようになってきたなと感じてます。

レイキを通して重篤な病であるとか、重い精神や心の不調に、いかに取り組み得るのか、ということは長年の課題だったのですが、ひたすら日々取り組む。それしか前進する術はないのだと思い至りました。ひきつづき精進してまいります。

今日の徒然:見返りについて考える…

「自分は人を支えている」という自負があると、少しは見返りがあってもいいだろう、と考え始めます。逆に「自分は人を支えるどころか、負担をかけているのではないか」という負い目があると、見返りを受け取れず拒絶してしまいます。

本当に人を支えているのなら、見返りはちゃんとかえってきます。
そして、人に負担をかけているのなら、拒絶せずとも見返りはないのです。

私達の心は「努力をしてすこし疲れると、見返りを受け取りたいという欲求が高まる」ように、つくられているようです。もし、その場合、周囲に対して十分な奉仕ができていないと、因果応報の法則からすると単なるわがままを言うことになってしまいます。

自分は人を支えている、と思っていても、見返りを受け取れるレベルなのかどうか、自分では定かにわかるものではありません。逆も真なりで、見返りを拒絶ばかりしていると、もうとっくに受け取ってもよい見返りをもらい損ねることもあり得ます。

受け取っていいのかな、返したほうがいいのかな、そんなふうに悩むことって、日々たくさんあるかもしれませんね。

今日の徒然:考え方を変えることすらも、もはや古いのかもしれない。

価値観がかわってきましたよ、だから考え方を変えていきましょう。なにごとも変化することが大事です。

こういった表現に、なんとなくうなづいてしまうのが、スピリチュアル世代の癖です。でも、もはや考え方を変えるだけでは、この時代の変化にはついていけない、というより、世の中の変化はそういう次元ではないのですね。じゃぁどうすればいいのか? と考えてしまう傾向そのものを根本から根こそぎ変えていかなければいけない。でも、こうなると言葉で伝えることの意味はあるだろうか?という気さえしてきます。

これからはどういう手段を使っていくべきなのか、変化がもはや始まったというレベルでなく、すでにそのまっただ中である、というのならひたすら結果がでる実践的な「なにか」を続けていくべきなのですね。さあ変わりましょう、という言い方をするだけでは結果がだせないから、もうそういった啓発はやめようとすら思います。(でも、ある程度はやっていくことになるのでしょうけれど)

さてさて、秋はきたれり。いろんな学びの季節だし、と思っていましたが北海道は食の季節。楽しむことから、はじめてもいいかな? これまではそれこそ、学びがあってご褒美にお楽しみがあったわけですが。お楽しみがあって、おまけで学びもあり、ぐらいが丁度いいのではないでしょうか。

秋空をみあげながら、そんなことをつらつらと考えていました。

今お伝えしたいこと:人生の基盤は過去にあること。

日本はいよいよ消費税アップの方向にかじを切りました。まだ復興がこれからという地域の人たちは少なからず力を落とされていないか心配です。政治家は政治をする人であって、心配りをする人たちではないことが本当にはっきりしました。他人を頼らないで心配りは私達がやればいい。できるだけ、人に親切に生きるありかたを探っていこうではありませんか。

でも、みなさんそれぞれに知っておいてほしいのですが、けして世のため人のため、という意識から慌てたり、先走ったりする必要はない、ということです。もっといえば、なにか人生において人を支えられるぐらいのあり方を具現化するには「過去」が大切なんです。私達は過去を生きている存在です。自然の獣たちは、過去をひきづっているようには思えないのですが、私達の本質は「魂」です。だからこそ、生まれながらにして、多くの癖や傾向をしっかり持ったまま生まれかわってきます。親が「自分の子なのに、そうとは思えない」ほど、天才的だったり個性的だったりするのは、ごく当然です。そんな私達ですから、過去(今生のみならず前世も含め)はとても大切な資産です。

ところが、そんな資産もけして「貯金」ばかりではありません。「借金」もそれなりに増えています。たくさんの経験値があればあるほど、それなりに「借金」つまり、マイナスの経験をしているものです。魂が抱えているトラウマといっていいでしょう。前世からの因縁という言い方もできると思います。その因縁の表出のしかたは千差万別、みな違います。ですから、それぞれの過去の因縁が「どのように人生に影響を与えているのか」をしっかり見極めること、そしてその負の資産をどうやったらゼロにできるのか、具体的な取り組み方をみつけ、そしてゼロに戻す努力を始めることが大切です。そうすれば人生の基盤は安定し、自然体で世のため、人のため、ひいては地球のためになる生き方を形づくることができます。

今お伝えしたいこと:父性社会は崩壊しはじめました。

私達の意識は、父性と母性でできています。そのうち、父性が行き場を失いはじめています。父性はとても対立しやすく、ネガティブになると、とても攻撃的になります。勝利すると、ものすごく輝きます。父性を支えているのは、母性です。それぞれの家庭のなかにおいても、社会のなかにおいても、これまではこの2つの陰と陽の意識がバランスを保っていました。でも、これからは父性意識が必要とされなくなります。その為、父性意識の強いひとから順番に、バランスが崩れていきます。それを支える役割(母性)が急速に求められ始めています。

私達の身の周りの至るところで、その変化は起き始めています。日々、ニュースに流れる多くの出来事もつきつめれば人のなせること。人がなぜトラブルを引き起こすのかといえば、疲れているからです。もうがんばれない。そういうところまで追い詰められてしまっています。政治も行政も、個々の生き方、考え方に踏み込むことはありません。どうすればいいのか、理性で考えてわかることではないのです。

これからは「こころ」の時代です。感じることを大切にして、行動をしなければいけません。

今お伝えしたいこと:理性から感性の時代へ

日々、世の中での出来事をみるにつけ、もう理性の時代は終わりを告げていると感じます。これからは感性の時代。なんでも理屈でかたづけようとする人、組織、政治には誰もついていかなくなります。感性を大事にできる人こそ、求められる時代です。

感性を磨き、感性を通して人に尽くすというのは、とてもむずかしいことです。なぜなら、そういう感覚を学校で学ぶことができないからです。これまでの日本社会は理性を磨くには最適だったのですが、感性を磨こうと思うと、実はあまり良い学び舎ではありません。日本人は、もともと情感の豊かな、和を大切にする民族でした。でも、その精神はいつの頃からから失われてしまいました。失われた時代に、ものすごくたくさんの抑圧があったのです(もっとも、それは日本だけに限りませんが)。その抑圧を取り払うことも、重要です。それらはもっぱら先祖の意識ですから、潜在的な抑圧ということになります。このことも、またいつか機会があればお話したいとおもいます。

感性を磨く、とてもよい方法は子供と接することですね。彼らはとてもよい先生です。大人は子供からたくさん学びましょう。

今お伝えしたいこと:がんばってはいけない時代に突入したようです

体調をくずす人がこの頃、増えているようです。小さな変調から、かなり深刻なものまで。段階はさまざまだけれど、原因はおそらくひとつ。

がんばらない生き方を実現しなければならない時代に、すでに突入しました。がんばって生きていると、体にでます。病気で倒れてしまわないように、がんばらない生き方をつかみとってください。

一歩先んじてがんばらない生き方ができるようになった人は、がんばって疲れた人を癒してあげてください。自分だけ助かればいいという考え方は変えざるを得なくなっていきます。

今お伝えしたいこと:無力であることを認めることも大切

本当に、時代は大きく方向転換をし始めたと思います。流れが変わっていることを理解できると、地獄のような苦しみから解放されることもあります。

老いや、重い疾患は、避けがたい天変地異のようなもの。いかなる努力を持ってしてもその苦しみ、葛藤から簡単に逃れられません。多くの人がそこで力んでしまいます。背負ってしまう、といってもいい。なにがなんでもがんばるしかないから、力んでしまう。そうするよりないのだから、というのがその時の心持ちだと思います。運命だから、肉親だから、家族だから、私しか支えられる人はいないか…いろいろな表現がありますが、どれも「がんばるしかない」という力みがあります。その結果、自分も疲れ、みんな疲れていきます。

がんばることで魂が磨かれることもあります。逆に「無力な自分を認める」ことで、魂が変化成長を遂げられることもあります。もしも「自分はもはや無力であり、なんの役にも立てない」ことを理解し、受け入れることができれば「なにもする必要もない、なにも考えることすら不要になる」ことがあるのです。当然、力みも抜けます。拍子抜けするぐらい、肩の荷が軽くなることがあります。そして、もっと自分の為に、周囲の為に、意義のある生き方が形にできるようになる。

時に私達は自分本位になりすぎます。そんな時は自我をすっかり捨ててみる。自分を外から見てみる。そして、小さなこだわりを捨ててみる。すると、まったく違う選択があり、そのほうがより自分の為であり皆の為であることに気づくことがあります。

しかし、苦しい時、悩める時、私達はその重さ故に、どうしても客観的になれないものです。そして、そのまま無為に時が過ぎていく…それはすくなからず残念なことです。

今おつたえしたいこと:男性の多い職場の問題について

JRさんは今、とても苦境にあります。今はじまった事ではなく、少し前にとても悲しい出来事があったことを私達は忘れないほうがいいでしょう。当時の社長さんが行方不明になったという報道をきいた時、私は一生懸命に祈りました。どこでどうしているにせよ、とにかくただ安らかであって欲しいと祈りました。結果はとても残念でした。そんなことがあっても尚、事態は悪化しているようにみえます。

でも、これはJRさんだけの問題ではありません。ほんの氷山の一角。男性が多い、しかも古い歴史のある職場でしたら、どこでも起きている、あるいはこれから起きていくことです。ただ、JRというのは本当にすべての人の生活に影響を及ぼす、文字通りの大動脈なので、まっさきに問題が浮上しやすい。それだけのことです。水面下では、それぞれの身近でさまざまな問題が浮上し、現場は混乱し、そして誰かが疲れ果て、倒れていく。そんなことがすでに起きているし、これからも続いていきます。そうですね、最低でもあと10年から15年はこういった混乱が止まないでしょう。

じゃあどうすればいいのでしょうか。そこをみんなで考えて欲しいのです。なにが起きているのか?誰が悪いのか? そういう方向ではなく。原因を追求し、問題の芽を摘む、そういう考え方ではなく。どこかで誰かが今日も疲れ果て、生きる目的を見失い、倒れていく。そこでなにをすべきか、考えてみる。そんな人達の為に、ひとりひとりがどう動くべきなのかを心で考えてみる。頭で、理性で、常識で考えるのではなく。「内なる気持ちのなかにある、純粋な動機」がどう動きだすのか、あるがままに感じながら、動いてみる。

それができるひとと、できない人でこれからの時代は二分されていきます。生きがいを感じて元気にやっていける人と、混乱のなかで生きる意味を見失い続けていく人に、です。どちらを選ぶか、という自由意思の問題ではなく、時代の強引な流れに二分されていく、ということです。この流れに逆らえる人はいないでしょう。