内なるハーモニー

なんども失敗をくりかえし、
なんども失意のどん底に落ちても、
わたしのなかの光は消えない。

もはや生きていることもできないほどに苦しみにとらわれても尚、
わたしのなかに光は降り注ぐ。

気づけば私は再び、歩き始めている。
なんども挫折した道を、あきることなく歩んでいる。
しかし、今度はいままでとは違う方向に向け進もうとする。

私を導くものがなんなのか、わたしは知らない。
けれど、私のなかにあるものをわたしは信じている。
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あなたが百万回、あきらめても、
私はあなたが無限に再生することを知っている。

あなたが百万枚、絶望しても、
私はあなたに無限の希望が降り注ぐ日を待ち続ける。

あなたが百万回、憎んでも、
私はあなたを永遠に愛し続ける。

あなたが百万回、死を望んでも、
私はあなたを地獄の淵で待っている。

あなたがいつか必ず、自分を信じ、希望をつかみ、
光に還るその日まで、
私はあなたのそばに居続けるだろう。
あなたの風となり、光となり、影となり、
あなたを守り、導き、その未来を栄光へとつなぐだろう。

あなたなのなかのハーモニー
永遠にやまない光のハーモニー

いつまでも宇宙に響きわたる永遠の調和の響き

あなたの未来に光あれ

あなたのなかの私

あなたのことは私が守ります。
あなたの大切な命、大切な友人、大切な場所、すべて私が見守っています。
だから安心してください。
いつも安らかな心を保っていてください。
そうすれば私とあなたは「ひとつ」でいられます。

私はあなたです。

あなたのなかに神があることをいつも忘れないでいてください。
それだけで、私はあなたを守れるのですから。

龍が如く立ち昇ること

もうかれこれ100年ぐらいになるのでしょう。私の先祖が月山のふもとから道南に入植して寺をひらいた。どういういわくがあるのかわかりませんが禅宗のお寺なのに、龍神が祀られていました。どうしても一度、そこを訪問したくて親族にお願いして建物に入らせてもらいました。誰にも受け継がれなかったご神体に出会いました。

その数年後、導かれるように月山(出羽三山)で修行された先達とのご縁があり、瞑想、加持祈祷、護摩祈祷を学び、滝行に取り組みました。数年の修行の後、さまざまな潜在能力が開花し、人生が本当に素晴らしい方向にいっきに好転しました。それから今に至るまで、たくさんの良いご縁、お導きを受け取ることができています。

たくさんの神仏のご加護をいただいてきました。そしてもうひとつ、私にとって欠かせない、大切な力。それは龍神さんの存在です。この世界でこの人生を歩む上で、血であり肉であり命そのもの。これらすべての源です。いくら言葉にしても簡単にお伝えできる話しではありませんが、この宇宙は神仏の世界ではありますが、この地上の命はすべて龍神さんに属しております。

私の魂のルーツのなかに長く自然神と向き合いながら祈りや病気治療に関わっていた時代もあり、見えないエネルギーの世界や高次元の世界を、自然に属するもの、高次元の光に属するものという二面的にとらえています。あちらとこちら、上と下、眉間とハラ、という対比でしょうか(全然違うような気もしますが、表現しきれる話しではないので単なる例えにしか過ぎません)。
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魂が健全であろうとするなら、前世より持ち越したあらゆる因縁の解消が必須。また精神と心が健全であろうとするなら、血に受け継いだ先祖の因縁の解消が必須。それにより現世の荒波を乗り越える準備が整う。また、自らの血と肉の源流である自然神に帰依し、調和のある行いを積み重ねること。これらすべてが滞りなく実現されるなら、この世のあらゆる穢れ、災いにとらわれることなく、あるがままの自然体で輝き、調和と発展の方向へと人生はおのずと好転していく。

といったような不文律が私のなかにあるのです。
人よりもすごくスローペースに見られたり、怠惰にみられたり、マイペースにみられたり(自分でも困ったものだと思うことしばし)。それも、魂や精神のリズムではなく、自然神が支配しているこの地上世界の根源のリズムに乗っ取らざるを得ないからなんです。

そんな私が言うのですから、相当にこれは意味があることです。

今年は地球が変わります。日本も変わります。北海道の大地も変わります。皆さんの環境、体、心、精神、すべてが変わります。つまり魂にとっては素晴らしいチャンスなんです。

今、取り組むべきことにしっかり取り組み、上昇の運気をつかんでください。最善を尽くしてサポートいたします。

光の種を蒔き続けること

森に出向いても、まだまだ春は遠いようにみえます。緑のない世界しか目にはいらないとしても、未来は必ずやってきます。そしていつか、素晴らしい世界が開花します。この世界には、闇と光がしっかりバランスよく存在しているのですから、どんなに地の底に落ちたとしても、必ず這い上がれます。

年末、救急搬送された時、本当に苦しい症状が数時間続いていて、いったい何故このような試練をお与えになるのかと神様についつい訴えてしまいました。やがて観音様が現れました。その後、しばらくして少しずつですが症状が収まっていったのです。もっとも、一方ではCTを受けさせられたりしてそれはそれでなかなか苦痛ではありましたが…。

いついかなる時でも神仏は見守ってくださる。そのことを改めて理解できた体験でした。

人間、日々辛いこと、苦しいこと、不安なことがない日がありません。物心ついて、やがて大人になっていくにつれ、物事が本当に重く、しんどく感じられることのほうが多いものです。そこに気づきもあり、成長もあり、救いもあります。

これからの時代は間違いなく試練の時代です。だからこそ、そこに光が宿ります。皆の心のなかに、体のなかに、光がともり、お互いを明るく照らすことができます。すべてが光に充ちた世界は実現するのです。そのようにひとりひとりが自由意思で選択していけばよいのです。

苦しいなぁと思う時、苦しい生き方の意味を私達は真剣に考え、向き合います。でもそれ以上、苦悩のなかに気づきも成長もないとわかった時、もう苦しまないという選択ができます。

今日から苦しい生き方を選ばない。そのように皆さんそれぞれの自由意思で選択してください。それが地球を救う未来につながります。皆さんの明日を皆さん自身で変えていきましょう。
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それぞれの天命を知り、あるがままの人生を生きるお手伝い

これからの時代、盤石なものがすべて崩壊していきます。
これはあまりにも無情という他はないのですが、この時代の定めです。避けられません。

この無常な宿命にいつ気づいていたかというと、私は生まれつき物事に悲観的で、いつか世界は滅びるかもしれない、という幻想にずっととらわれていました。それは単に自分が誰よりも神経質で、すべてにおいて過敏な性格故だと思っていました。(もっとも実際、かなり神経過敏ではありますが、それはそれ。) スピリチュアルな世界で自分と向き合い、歳月を重ねてきて、この幻想が自分だけの妄想ではないということがはっきりしてきました。

ものを言う時はそれが正しくなければいけません。

私は見えない世界にどっぷり浸って、それでいて「正しいことだけ伝える」ということに執着してきました。霊感を持ってはいますが、自分の感覚をすべて正しいなどと信じてはいません。常に疑っています。感覚などというものは日々揺れ動き、変動するものです。かといって機械で測ることができない。であるとしても「検証」し続けることは非常に大切です。自分だけの感覚ではなく、他者の見識を求め、自分の感覚と符合しなければ、自分は正しくないかもしれません。ずっとそうやって自分だけが見えている、感じているのではなく、宇宙の真理として正しいとわかったことだけお伝えするようにしてきました。
だから、なにごとにも時間がかかり、待ちきれない人達はどんどん離れていきました。それでもいいんです。

私は誤ったことを伝えて人を惑わせ、人生を遠回りさせるような導きを与えるぐらいなら、自分を消したいと思う性質なのです。

そんな私が確信を持って伝え、行い、共に進みましょうということは間違いなく正しい。それは私の生き様を少しでも知っている方ならご理解いただけることでしょう。

幸か不幸かなんともいえませんが、私が昔から妄想だと思っていたことは、単なる妄想ではありませんでした。

これから時代は大きく変わります。すでに舵はきられた。地球という大きな船の進路が変わったのです。あとはどこまでもこの変化は次第に大きくなっていくばかりで、止むことはありません。

すべてが変わります。

小さなことから巨大なことまで。

精神的なことから、現実的なことまで。

個々のパーソナルな内にひめたことから、世の誰でもが関わる仕組みに至るまで。

あらゆるものが同時に変化していきます。

昨日まで盤石だったものが壊れていく。どうしようもない流れが始まりました。

さて、私達はいかにして向き合えばよいのでしょうか。
その方法をまず、心をひらいてくださった方に順次、お話していきます。

神仏はこの時代に、さらにますますその加護のパワーを強めておられます。
ひとりひとりに必ず導きがあります。私はその橋渡しをさせていただくだけです。

あなたにとってのあるがままの生き方とはなにか。
あなたにとっての天命を受け入れた生き方を具現化する道とは、いずれか。

私はそれをお伝えしていきます。
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神無月二十四日の雑記:ミカエルと共に

長崎を訪問している知人から素晴らしい画像が届いたのでおすそわけです。ミカエル天主堂の本日の空模様。この空のエネルギーがとても清々しく感じられました。

ミカエルの名を冠した建物といえばモン・サン・ミッシェルが有名です。長崎の、しかも小さな島にこのような建物があるのは不思議です。強い信仰をもつ人達がそこに集まったのは、いかなる輪廻のいきさつがあったことでしょう。時空をこえたドラマがかいま見えるようです。

魂は生まれかわっても、前世で持っていた信仰を失うことはありません、それどころか、より強め、深めていきます。信仰が強くなればなるほどその人達の祈りは清められ、光の波動と共鳴しはじめます。そのような土地、建物には本当に真実の光が宿りますし、訪れる人々を導く、高次元との通信施設のような役目を担うようになります。ここもしだいにそのような波動を放ちはじめるのでしょうね。

その為に、多くの人達の無償の行いの積み重ねがあったのです。みなさん、本当にごくろうさまです。おかげで私達は今こうして高次元の光を地上に広げゆく一端を担うことができています。

これからも光とともに歩んでいきたいと思います。
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高くて遠い青い空の下で生かされている私達

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空をみても、心が晴れない。そんな日々が続きます。
こんなに青いのに、こんなに広いのに。自分の心はそうじゃない。頭上に広がっているのに、すごく高くて遠い青空。

なぜみんなの心が晴れないのかなぁと、毎日そればかり考えています。
自分になにができるのかなぁと。

でも答えはみつからない。
きっと、特効薬はないんだと思います。

だってひとりひとりの悩みはみな違うのだし、
心は目に見えない形のないものだし、日々の生き方でどんどん変化していってしまう。
外から直接ふれてあげられない。

たとえ自分がひろくておおきな青い空のようになって包んであげることができたとしても、
やっぱりその人の心は晴れないのだろう。

神様にもできないことがあるんだと思う。
だから、みんな神様に見離されたような気持ちになっているのかもしれない。

この地上が楽園になる日はずっとこないかもしれない。
でも生きていかなきゃいけないから。

雑草のような強さが欲しいよね。

Quantum nonlocality〜「祈りの力」

誰かの為に祈ることで、その人の人生を変えられる。

そのことを知っていますか?

こんなことをいうと、スピリチュアルはお気楽主義などといわれそうです。
でも、これは最先端の量子力学で現象として確認されつつあり、いずれ祈りの力が実証される日がくるかもしれません。

自分が思えば未来は変化する。誰かのことを思えばその人の意識や行動が変わるのです。
ということは、私たちは日々、誰かの強いエゴに思考をコントロールされている可能性もあります。
瞑想を通して雑念をふりはらい、良い思考だけを維持することで人生が好転することを瞑想を続けている人達は気づいています。
昨日までは運命は宗教が神の教えとして説いていたことですが、いずれ科学者が運命論を語る時代にシフトしていくことでしょう。

ちなみにこの原理を提唱したのはアインシュタインです(Quantum nonlocality)。

夢見

悪い夢を見た、というご相談がたくさんいただくのですが、今まで鑑定してきた経験からいえば実際のところ、悪い夢というのはあまりないようです。
夢は、自分の心が見せるもので、本当に邪悪なものが近づいていたり、取り憑いていたり、などということは一般の方にはまず起きないといっていいでしょう。もし本当に悪いものが憑いているのなら夢どころではないはずですし。

それより、夢というのは自分で理解できるようになるものなのです。一番の近道は夢日記をつけること。そこから始めてみましょう。自分の心と向き合う為には、とてもよい方法です。ただ飽きっぽい人にはむかないかもしれません。なにごとも地道に取り組むことが大切です。

14回目の秋

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先月は、神様に呼ばれてあちらこちらの山や森へでかけていました。たくさんのメッセージとエネルギーを頂いてきました。まだまだ消化しきれていないのですが、これからの糧をしっかり受け取りました。ちょっと大変な役目だけれど、気負わずに淡々とやっていきましょうか。

わたしの魂は、元来がメッセンジャーでもあるけれど、シャーマンでもあるのですが、もうあまり言葉で難しい説明をするのは無理があるなぁと感じています。ブログやメルマガで、なにかすごい情報を期待している方には申し訳ないんですが、もうあまり書いたり、話したりはしないようにしようと思います。長年、この仕事をしてきましたが、神様が考えていることを説明すればするほど、宗教っぽくなってしまいます。それはまったく望んでいないことなので。

誰の人生でも等しく私たちには気づきを受け取れるチャンスで満たされています。そのことだけわかっていれば、魂を磨くことは、どこでなにをしていても可能なんです。

それぞれのあり方をただ掘り下げていけばいいのだと思います。その為のほんの小さなおせっかいを、わたしはここでこれからも続けていこうかなと思っているだけなんです。

光のサロンがここに根ざしたのは13年前の秋でした。いよいよ14年目にはいります。わたしの人生の旅はまだまだおわらない・・・。