自分はほんとうになまけ者なのだろうか

働かざるもの食うべからずともいう。

「なまけてないで、もっとしっかりがんばりなさい」と他人に言われることがある。
人は自分の鏡、ともいう。
そうすると、
「あ〜、これは自分がなまけているのだな、もっとしっかり努力を積まねばならないという戒めなのだな、自分がだらだらしないように人様がいたらない自分の鏡になって叱咤激励してくださっているのだ、相手を憎まず、感謝して、そして一生懸命がんばるべきなのだ…。」
このように解釈すべきなのである。

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いや、でもなにかおかしい。
人から厳しくいわれる、叱咤される。
人は自分の鏡ともいう。そこでなにに気づくべきなのか。
「自分はなんてなまけものなんだ、どうしてもっと努力できないんだ、あ〜、自分はなんてダメな人間なんだ」
こう思っていると、そういう自我の鏡となるべく人から「そうだそうだ、おまえはなまけものだ、もっと努力をしなければ地獄に落ちるよ」と指摘される。

もしかしたら自分の意識が「自己否定」の方向に必要以上に傾いていて、そうならないようにニュートラルに戻しなさいよ。そのことを人様が鏡になって指摘してくださっているのかもしれないのだ。

そうすると、この場合は、
「ちょっと一休みしよう。そしてあまり自分に必要以上に厳しくなりすぎないように冷静に自分を見つめてみよう。」
こう解釈すべきなのではないか。

自分のこころの底を自分で見通すことはなかなか難しい。