情報の取り扱い。
情報は所詮、情報でしかなくて、人生を変えるのはその人の生きる力です。情報をどんなに受け取っても力にはなりません。もし、情報が過ぎてかえって生きる力を奪うのなら、そのような情報は与えられるべきではないのです。過ぎれば毒にもなる。なにごともほどほどがよいのです。
情報が怖いのは、それ自体は時間の流れにさからって私たちの概念を固定化してしまうことです。固定化した概念は記憶にパターンとして残ります。更にあたらしいパターンが繰り返しインプットされて新陳代謝が活発であればパターンも多様化し、選択の幅もひろがるでしょうし精神の自由は奪われないかもしれません。でも、体力気力が低下していると新しい情報のパターンを広げることが難しくなり、固定化された概念にいつまでもとらわれてしまうことになりかねません。
情報を受取ることに対する免疫ができれば問題はさほど大きくならないのでしょう。免疫をつけることもひとつのトレーニングなのかもしれませんが、そういう余裕を人生で持てる人とそうでない人がありますから、情報を提供する時はよほど慎重な判断が求められます。受け取るほうもリスクですが、与えるほうは倍のリスクを背負います。どんなに愛があっても崇高な行いであっても結果がNGなら罪は罪です。