誰が誰を支えるべきなのか
今日は風が強かった。
交差点を横切ろうとしたら、傘を飛ばされた女性がいたので追いかけてキャッチしてあげた。小さい子供の手を引いていたので、駆け出して傘を追いかけるわけには行かなかったのだろう。
一番、近くにいてスタートダッシュできる人が傘を捕まえてあげればいい。
ショッピングセンターの前で杖をついた年配の方が滑らないようそろりと歩いている。タクシーの運転手が早めに降りてきてドアを開けて誘導してあげていた。運転手さん、慣れてます。
続いて、スタバの前を通りかかる。
駐車場の一番手前はハンディキャップ専用スペース。
丁度、車椅子の女性が自力で乗り込もうとしているところだった。風が強いので、相手の視界に入らないところから少しの間、見守っていた。女性は難なく乗り込んでいった。毎日のことだからすっかり慣れているのだろう。そんなところで善意の出番はないのだね。
日々、生きていると、唐突に誰かを支えざるを得ない場面に遭遇する。
社会が想定していなかったことがこれから起きるかもしれない。
過去の出来事は忘れてはいけないのだけれど、かといってとらわれすぎてもいけない。
被災者や弱者を守る仕組みはこれからも磨きあげていくべきなのだけれど、必ずしもハンディを背負っている人が常に周囲の支えが必要とも限らない。
私たちは、いつどのようにして支え合っていけばいいのか。
その答えは簡単に出せることではないのだろう。
まずじぶんのために祈ろう。
自分が誰かのために役に立てる場面があるのかないのか、わからない。
わからないから、あとは天の意思に委ねよう。
天よ、私の手が空いている時は、あなたの意思に委ねます。
どうぞ困っている人に差し伸べる手としてお使いください。