森を歩いていると、よく道に迷いそうになる。
同じ場所で迷った人はきっと自分だけではないはず。
迷う人が多い場所は踏み跡があり、そこをたどる。でもそこは多分、行き止まり。
冬は入れなくなる道もあれば、夏にしか入れない道もある。
普段はなんでもなくても、スズメバチに遭遇して引き返さなければいけなくなることもある。
自分が迷っても道を踏みはすすし、迷わなくても大きな力で閉ざされる道もある。
この世を生きるってそういうことかな、と思います。
3年ぶりの閏月。まだ皐月なんだな、と思うとこの肌寒さもありかな。それにしてもこんなに寒い6月(西洋暦)は初めてです。今月、何回か暖房つけましたから。
人生はいつか終わる。日本はガンで亡くなる方も多いし、お年寄りも多いから。お弔いも多くなる。お祝い事よりもずっと多いかもしれない。人生には残念なこともあるけれど、生きていれば意味のあることもたくさん体験できる。どんな世の中であっても、自分らしい生き方を掘り下げていくことは必ずできる。
でも日本はすごく変化しているし、大きな流れの中にありただじっとしていると、どんどん流されてしまいそう。世の中がこうだから、みんながそうだから、というのは置いといて。今までのことも置いといて。今、何をするか。明日、何を選ぶか。そうやって一日一日を自分らしく歩んでいくことに集中できれば、それなりの人生にはきっとなるはず。
この世は色々あるけど。それがこの世だから。適当に受け流していこうじゃありませんか。工夫すれば案外すんなり向かい風は止むもんです。
おまつりですね。神宮はとても賑わっています。気温がなんだか低めなのが気になります。地球全体のリズムが変動しているようです。こんな時は今まで起きたことのない変化、変調が起きるかもしれないので、留意していただきたいです。
光のサロンでは、この春からいままで企画したことのない本格的なカウンラー講座をはじめました(すでにお申込みは締めきっていますので、お問い合わせはご遠慮くださいね)。予想以上のお申込みがあり、正直驚きました。なぜって、人の苦悩の本質が奥が深く、学んでも学んでも終わりということがありません。いわば一生かけて学ぶようなスケールの命題なので、そんなに人が集まるとは思わなかったんです。でも、なにか人の為になることをしたい、という気持ちは皆さんそれぞれお持ちですよね。その人なりのスケールで取り組めばよいことです。受講者一人一人にみあったカウンセリングの形が具体化してくことでしょう。
なんにせよ長年の積み重ねから得たノウハウをお分けできる機会に恵まれたことは、とても有り難いことです。またそれぞれの地域に根ざしたカウンセラーが一人でも増えることは、社会の調和と発展の為に少なからず貢献できるでしょう。よかった。
でも大変なことだと思います。カウンセラーといえども人ですから。人の悩みと向き合う以前に、自分の問題だってなにかしら浮上しますし。こんな時代だから、日々乗り越えるのもいろいろと工夫が必要。なので、こういう時代と向き合う術だったり、自分の不調を改善するコツだったりをしっかり覚えてもらうことも重視しています。
それにしても、光のサロンもだいぶ年月が経過しました。室内の壁紙がところどころ浮いてきて補修が必要になってきたりしています。年月って経ってみると早いと思うし、先のことを考えると長いと思う。たぶん折り返しは過ぎたと思います。あとはできることだけ確実にこなしていく。そんな感じで日々を過ごしています。
おかげさまで結果だけはしっかりと出ています。多くの方にとっては深刻な問題でも解決できることが多いです。少しでも事例をご紹介できるといいのですが。公開すると反響が大きくなってしまうので最小限にしか出せませんが、あとは日々の時間との兼ね合いをはかっています。
今は便利な時代になりましたね。
貴重な音源をシェアすることもできる。私たちの遠い記憶に響く言葉がある。
忘れてはいけないものがもう失われつつあることも知っておいて欲しい。
ひとつの言語が消えていくってどういうことなんだろう。
でもこの世界は生まれては消えていく。それを何度も繰り返している。
私たちはここから未来へ進むしかないんだけれど、「ここ」がどこから来たのかをわかっておいたほうが、自分らしく生きられると思う。
だから過去になりつつあるものたちへ、愛と敬意をあらわしておくことは、とっても重要なんだよ。
先住民は神様そのものなんだから。
森のグリーンと、空のブルーの対比がとても美しい季節。
北海道はこの時期がとても過ごしやすくていいですね。
サロンは日中は、鳥のさえずりがよく聴こえて、ヒーリング中は森林浴をしているような空気で満ちています。ヒーリングしているほうも心地よくなってしまいます・・・。いえ、けして居眠りはいたしません(笑)
以下、ITのコラムです。ちょっとだけ専門的。
Pythonという言語があります。とても馴染むので、ちょっとだけ仕事で使っています。(Webサイトのデータをバックアップする時に手順をちょっと自動化したのです)
これでも20代前半、昼夜をとわずほとんどプログラミングをしていましたので。ちょっとぐらいならコードを書くこともできます。ほんの少しのスキルがあれば作業をものすごく効率化できる。コンピューターは指示さえ与えれば疲れず間違えず愚痴もこぼさず淡々と作業をこなします。
日本のコンピューターの普及率をみると、スマホやタブレットほど浸透していないというデータがあります。家庭でもそうですし学校でも同様。学校でネットに接続されているコンピューターを使える環境は更に比率が低くなります。プログラミングを学ぶ環境は、やはりスマホやタブレットではなくコンピューター(しかもネットに接続されている)のほうが向いています。環境が整っていないということは、学生(できれば高校まで)のうちになんらかの言語を習得できる機会が少ないといえます。
コンピューターを自由に使いこなせるスキルはできるだけ早い時期に身につけさせたい。キー入力をブラインドタッチでできることもそうですし、インターネットから情報を引き出せたり、さまざまなデータをダウンロードしてきたり、SNSで情報交換ができたり。あとは最低限、英語の資料も読みこなせる能力も高めたい。
ネット環境とコンピューターがあればPythonはすぐ学ぶことができます。
この記事でも言及している日本のコンピューターの普及率のグラフを書くぐらいなら、中学生が夏休みの自由研究でゼロから取り組んでも数日で完成できるでしょう。
Pythonでネットにある無限のデータをダウンロードしてグラフ化できるスキルがあれば、どの企業のどの部署でも仕事をこなせる。もしかしたら肩書ばかりの管理職より初年度からレベルの高い仕事ができるかもしれない。発達しょうがいを持っている子達は、目的が明確であれば集中力を発揮できることがあり、プログラミングが向いているかもしれない。
実際、コンピューターの環境が整っている比率が抜群に高い英国では、一般企業で発達しょうがいを持つ人を積極的に雇用している。日本はなかなか追いつけないかもしれない。
若い子には、ネットに自由に接続できるコンピューターに自由に触れるように環境を整えてあげて欲しい。若いうちにしか身につけられないスキルもある。専門学校や大学に進んでからではちょっと遅いぐらい。まして就職してから研修を受けて、というのではあまりにも遅すぎると思う。
Pythonが書ければとりあえずこれからの時代、食べていけるだけの仕事にありつけるだろう。
※Python=パイソンと読みます。コンピューター言語のひとつ。たくさんある言語のなかで、もっともデータ処理の分野で活用しやすい。一般的な事務処理、統計処理に活用するとすべての仕組みが効率化できるといっても過言ではないほど応用範囲が広い、とても柔軟な言語です。(無数のライブラリを統合できる仕組みも素晴らしい。)
今日はとても肌寒いです。我慢せず暖房をいれてます。
よく身体の声をきこう、というお話をします。私たちは精神的な存在なので、身体の都合を軽視しがちです。身体の声をきくことができれば病気にはなりません。いや、病気は身体からのサインともいえます。病気をしたら、身体の声をきいていれば自然治癒しますね。
精神と心はまた別ものです。心の声をきくことも大切。心が揺れている時はあまり無理をしないほうがよい。心のゆらぎは、そのまま自律神経への負担となります。そこから身体の変調につながっていく。精神、心、身体。この3つの相関関係からくる不調和は少しやっかいです。
心の状態を無視していると、身体に出ます。身体に出ても無視していると日常が思うようにおくれなくなるほどペースが落ちてしまいます。最悪はなにもできなくなってしまうかもしれません。
なにごとも自分に無理強いをしすぎないよう心がけたいものです。特に季節の変わり目には少しゆっくりペースで過ごすようにしたほうがいいでしょうね。
そして不調かな、と思ったら早めに第三者にみてもらうことも心がけてください。
西洋医学は対症療法ですから、とりあえず身体の症状は緩和できるかもしれませんが、心の問題、精神とのギャップにまで踏み込んではくれません。皆さんの心、身体、は皆さんの精神(意識)とは意見が違うことが多いものです。
北海道はいたるところに縄文遺跡があります。埋もれたままになっていて、掘り下げたらもっとたくさん遺跡がそこら中から出てくるかもしれません。
子どもの頃、近所の畑にいくといくらでも縄文土器のかけらが落ちていました。
今も年に数回は遺跡のあった場所に出向きます。しばらく瞑想していると、そこでどんな人達がどのように生活していたのか伝わってきます。遺跡毎にまったく違う情報が降りてくるのが不思議です。
今でも古代のシャーマン達が祈りを捧げ続けていることもあるし丁寧に挨拶をして出迎えてもらえることもある。
ここは年に一度、こっそり訪れる古い遺跡。数千年、手付かずの原野のまま放置されている。
でも、ここにくると記憶がリアルによみがえる。
一年前にここを訪れた時の意識もすっかりよみがえった。過去にワープしたようにすら感じたほど。来年、またここにきたら同じように感じるだろうか。この場所にくるとなぜか情報が時空をこえて刻まれていることがはっきりわかるような気がする。
北海道、不思議な土地だ。半世紀以上この大地の上で生きているのに、まだ知らないことのほうが多い。