今日の徒然:それぞれの一人舞台

最近はネットでなんでもみれるよね。昔は映像というのはVHSテープという大きな箱に記録するもので、それも2時間しかはいらないし、画質もよくないし…。それでも好きなアーティストのレコードやビデオを一生賢明集めたりしていたものです。今はほんとうにあっけなく、なんでも手にはいる。見たい映像や音楽に浸っていたら、本当に時間が幾らあっても足りない。これはまずいよね。ネット中毒になっても、自覚できない。いや、すでに中毒なんだ(笑)

しかし、皆さん、怖れるなかれです。私なんか、インターネットの黎明期からソーシャルネットにはまっていましたから。基本的に、人が潜在的に求めているものは時代を経ても本質的には変わらない。人は、誰かとつながっていたいものなんです。それはさておき。

昔、よくライブをみにいったアーティストの最新のライブ映像をみたりすると、みんなそれなりにお年を重ねられているけれど、まだまだ現役でライブをやっていたりするんですよね。音楽をやっている人は、年をとらないね。それどころか、音楽はますますパワーアップしていたりして。すごいなぁと感心します。

はじめて人前で楽器を演奏してから、もうかれこれ35年ぐらい経っちゃったかな…。別に目立ちたかったわけではないけれど、なんとなく人前でキーボードを弾くことが増えていって…。小さいライブもあれば、それなりにたくさんの人が集まっているイベント会場なんかでも弾かせてもらったり。でも、だんだん人並みの音楽をやっていることがつまらなくなったり、バンドのメンバーがどんどん地元を離れて誰もいなくなってしまって…。そんな事情もあって、ソロで活動をするようになった。そこが自分の音楽の原点。でも、学生を辞めて就職してしまったので、しばらく音楽から遠ざかってしまった。十数年のブランクを経て、ふたたびピアノソロで活動を数年間やっているうちに、今度は会社をやめて、サロンを立ち上げたので、またしても音楽活動から遠ざかってしまった。いつも頭のなかには新しい音楽のイメージが聞こえているので、なにか形にしていきたいなぁと思っているのですが。毎日、セッションがおわり残務整理をして、ちょっとブログを書いたりしてると…もう一日は終わり。気づけばもう今年も半分おわり。年月は短すぎる。

なにをいいたいかというと。

いろんな形で、様々な舞台に立ってきたけど。ひとことでいえば、舞台に立つのは気持ちいい。ただ、そこにいくまで地獄のような努力が必要。楽器だったら、一心不乱に練習する年月が必須。どんなパフォーマンスでも、10年は修行しないと。はじめてプロのミュージシャンの人達と同じステージにたった時に、リーダーにそんなふうに諭されたなぁ。あれはとてもいい意味での励ましだったんだと、今になってよくわかるんです。その時はあまりに若かったから。ちょっとカチンときたけどね。でも、多少の年月しか経っていないとしても、チャンスがあったら、どんどん舞台には立ってみたほうがいい。それはとても素晴らしい体験だからね。そして、やがてはソロで舞台にたつ日だってくるかもしれない。これはもう、永遠に忘れられない体験ができる。

たとえ、アーティストとしてじゃなくても。それぞれの舞台というのは、きっと一生に一度は用意されていると思う。チャンスがあったら是非とも、思いきってそこに立ってみてほしい。もっと多くの人がそれぞれの晴れ舞台に立ち、たくさんのスポットを浴び、祝福されることを願っています。

そして、もしかすると同じ舞台に立ってくれる仲間が見いだせるかもしれない。自分が主役であろうとも、サポートする役目であろうとも、それぞれの舞台に立てる機会が巡ってくるというのは、本当に素敵なことなんです。

でも、みんな引っ込み思案だよね。もっと自信をもとう。その為には日々の努力を忘れないこと。積み重ねたもの以外に、多くの人の目にさらされる緊張から自分を解放する手段はないのだから。

どうしたら新しい自分なりの取り組みが形にできるのか

たとえば、なにか資格を取った。無事に取れた。そこからどうするか。腕組みをしてしまっている。とか。

なにかを始めたい。いろいろな人に会ってみている。だが、これといって定まらない。とか。

そもそも自分がなにかを始めたとして、果たして「やっていけるのだろうか?」とつい考えこんでしまう。
その気持ち、すごくよくわかります。なぜって、2001年からの数年間、まさしく自分はそんな状態でしたから。

当時はスマホの存在すらなく、パソコンも普及しているようないないような。ずいぶん不自由な時代でした。それから、なんの資格も経験もない自分が、誰を頼るでもなく一人でサロン作っちゃって、具体的にビジネスプランがあるわけでもない。本当に突然、唐突になんの保証もなく、定収入もない自営業になっちゃった(その年の春先まで普通の会社員だった)。まさしく右往左往、という状況。精神的にも、まったく寄る辺ない感じ。それに加えて、現実的にやっていけるメドがたつどころか、まさしくカオス(混沌)。なにをどうすればいいのか、さっぱりわからないまま、ひたすら突っ走っていました。

日々、それなりになにかかにかやっていたんだろうなぁ。あまり当時の記憶がないんです。それに、ブログもまだ黎明期で、なにか書きためたものがあるような、ないような。メルマガは発行していたので、それが少し残っているかな。メルマガといったって、読者さんはそれこそ日本中に散らばっていて、相手の顔もみえないのですから。よくまぁそんな状況から、ここまでやってこれたものだと思います。先見の明があったんでしょうか。マグレといいますか。まさしく博打打ちの人生です。失敗したらどうするつもりだったんでしょうか(笑) もっとも、今が成功している状態といえるかどうかもわかりません。明日をも知れぬ我が身です。でも自分でお仕事をしている人はみんなそうなんです。長い会社員生活を離れて、もうすでに13年目なので、こんなに違うんだということが骨身にしみます。農家さんでも、経営者さんでも、自分の身ひとつで暮らしを守っている人の立場と、公務員や会社員の立場はまったく違います。見える世界も、背中で感じる重さもまったく違います。どっちがいいということじゃなくて、ただまったく違うということはいえます。両方を体験してみて、どっちもいいし、どっちも大変。簡単な話じゃありません。

がちがちの公務員の方とか、団体職員の方とか。立場的にしっかりした位置にいらっしゃる人達にとっても、自分なりの取り組みを形にするのは大変だし難しいです。そもそも副業がダメな場合も多いですから。

そして、自分でお仕事をしている方にとっても、新機軸を打ち出していくのは、本当に大変。特にこれまでの自分にはなかった、まったく新しい取り組みに挑んでみようという方にとっては、未来の敷居はとても高いものです。

自分の場合を振り返り、なぜここまで無謀な冒険ができたのかな、と考えるとですね。

「そこにしか自分の進むべき未来を見いだせなかった」からなんです。
言いかえれば、もしそこに自分の新しい未来を構築できれば、思い切りシフトアップできるに違いない、というイメージが持てたんです。例えば、山登りが好きだとして。しょっちゅう樽前山とか登っていい眺めを楽しんでいたレベルの自分が、です。おもいきってヒマラヤに挑むようなものです。いったいどうやれば登頂できるのか、まったくわからない。わからないけれど、もし踏破できたら自分はすごく変われるに違いない。そして、心の深いところに是非、そこに到達してみたいという願望があるのに気付いてしまった。そんな感じでした。

自分が自立するきっかけになったもの。それは深い気付きだったんです。

自分はなんの為に生まれてきたのか。そこを掘り下げる時間がすごくありました。会社を辞める数年前からはじまり、サロンを作ってからの数年も合わせて。ものすごく長い時間、深く自分と向き合っていました。その年月はざっと7〜8年ぐらいです。瞑想ものべにするとものすごい時間取り組みました。かなり苦行もしました。荒行といえるレベルでやりましたので、かなり危険もありましたし…。そんななかで、だんだんぶれることがなくなっていったんです。やっぱり、やりたいようにやらないと悔いが残るのだろうな、と。その感覚はすごくはっきりしてきた。そうなると、もう自分を偽ることができない。

私達は現実を生きているようでいてそうではない。実際には真実の自分を体験しています。つまり、現実に自分が体験することはすべて自分の魂が学びを受け取る為に、現実という仮想の世界に投影されたドラマにしか過ぎない、ということです。この現実の世界は私達が肉体という殻を脱ぎ捨てた瞬間、幻のように過去のなかに流れ、消え去ってしまうのです。

皆さんが、どのような束縛のなかにあり、どのような苦悩や葛藤のなかにあっても、それらはすべて幻想であり、一時のドラマのなかにいて「あなた」という役を演じさせられているに過ぎないのです。あなたの周りにいる人もすべてそれぞれの役を演じているだけです。肉体を離脱すれば、本来の姿に戻ります。その時になれば、ああこういう事だったのか、それならもっとああすればよかった、こうすればよかった、とらわれる必要はなかったのだとわかります。でも、それでは遅いのです。未来を先取りして、その感覚を味わうことはできない。けれど、内観をしていくことで、現実のとらわれを軽減できます。そして、しっかりと魂が携えてきた、前世から今世への大事な魂の課題が浮上します。

まず、自分を知ることです。自分の過去を知り、現在を知り、未来を知ること。魂は普遍性を持っています。前世から、今世を経て来世までどこまでも突っ走っていくのです。

あなたが、なにかにとらわれているのなら、自分で取り組むのもよし。誰かの力を借りて、どう取り組むのが最短ルートなのか道標を得るのもよし。目指す山頂が高ければ高いほど、道は険しくなります。特殊な経験をもつガイドが必要になるでしょう。

私は、おそらくこれを読んでいる皆さんの、もっとも高度の高い山頂を目指す時、その頂上の直下まで同伴できる人間です。でも、ピーク(山頂)を踏むのはあなた自身です。自らの意思で、自らの努力と精進によって、そこを目指してください。必要ならば、必要なだけ、サポートできます。

今日の徒然:来世をあかるく生きる為に。

今日は雨。参院選も近い。今夜は異業種交流会。そんな6月もまもなく晦日(月末)だ。

もうずいぶん昔のこと。ある交流会で初めての方と席が隣り合わせになり、しばし歓談していた。同席していた数名とはスピリチュアルな話題でもりあがるのだが、その方は見えない世界のお話は、一切ノーと拒絶なさっていた。やんわり受け流せばよいのに、とにかくノーという意思表示を何回もなさっていた。人それぞれでいい。その後、二度とその方にお会いすることはなかったし、これからもなさそうだ。

この世の形あるもの、一切すべては実体ではない。私達がそこに「ある」と信じているものは、実は不確実なものだ。あるようでいてない。ないようでいてある。そういったようなものだ。そもそも物理学の世界では、この世界が「なんでできているのか」まだよくわからないままだ。私達が中学生の頃、この世のすべては原子でできていると言われていた。今はもう違う。もっと細かい粒子があるとわかってきた。だが、その根本ですら年々変化し、いまだ定まらないでいる。結局のところ、私達は自分が「なんでできているのか」すら把握できないでいるのだから。そこになにがあるとか、ないとかいう議論すら虚しい。結局、答えなどない。

だから、この世に「ある」とされている一切のものごとにとらわれないほうがいい。

しかしながら、私達はいつもなにかにとらわれている。こだわっている。離れられないでいる。でも、それはいつか手放すべきものであり、離脱すべきものであり、そこから自らを解き放つべきなのだろう。

残念なことに、日々、私達はおおくの苦悩を抱えていかざるをえない。自分のことだけならまだしも、自分の周囲、世の中を見渡せば不協和音以外きこえてこない。それでも日本は、北海道は、まだ穏やかなのではないか(ときおり演習地から聞こえる砲弾の地響きを除けば…)。

あなたが「苦しい」というのなら、その苦しみはあるといえばあるが、ないといえばない。どちらが真実なのかは肉体を離脱する瞬間にわかること。だから、いずれは答えがわかる。

いつか未来、寿命が尽きるその日に「こんなことなら、ああすればよかった、こうすればよかった」と多くの人は思うのだ。一生を、刹那ですべて振り返り、後悔する。これが死の瞬間にすべての人が体験することなのだ。なぜ一瞬で振り返ることができるのか。それは人生の最後の日にむかって、日々、蓄積されている意識のどこかに「いつも悔いを残しながら暮らしている」からなのだ。肉体を離脱する瞬間に、日々積み重なった「悔い」という意識のベールをするりとすべて脱ぎすてる。だから、一瞬という感触なのだ。ああ、こんなに幾重にも自分は悔いを重ねてきたのだな、と思う。そのざらっとした切ない感触を、魂は永遠に忘れない。

あなたが過去に味わったあの「悔い」を、繰り返すまい。そう願って、今生がある。今生でも脱ぎ去りきれなかった悔いを来世に持っていく。ただそれだけのことだ。

日々、ひとつでもふたつでもいい。悔いなく生きようではないか。そうすれば来世はあかるい。

北海道でビジネスをしていくうえで本当に大切なもの

少しずつ経営に関するご相談が増えてきました。その度に思うことがあるので、今日は少し経営について考えてみました。

業種や形態を問わず、お仕事をする上で大事なのは「コンセプト」です。外来語が嫌な方もいらっしゃるようなので、そういう方の為には日本語で「方針」と書いておきますね。でも、すでに時代は変わってきたので、外来語で通します。

コンセプトは、できるだけシンプルで、そして普遍的、なおかつ魅力的でなければなりません。しかしながら、時代はどんどん変わっていきます。たとえば健康に関することであれば、ここ最近の風潮としては食に関すること、そして心との関係性が浮上してきています。もっと広くとらえるとそこには「生き方」や「死に方」に関することも含まれます。そうすると、ますます時代背景がからんできます。経済状況などもすごく関係します。だから、普遍的、魅力的であるだけではだめで、時に「柔軟」でなければなりません。

昨日まで魅力的だったコンプセトが一夜にして、精彩を欠くこともあり得ます。それぐらい、今は世の中が移り変わっています。ただ、私達の多くは流されてしまっているので(いいことではありません)、いったいなにが自分たちの暮らしにとって魅力なのか、よくわからないのです。やはりメディアの力は絶大です。そんななか流行を追いかける生き方はとても疲れます。できれば、そういうビジネスはよしませんか? 時代の流れを追うことが国をつくり、暮らしを豊かにすることもあるけれど。今はけしてそういう時代ではない。流行はおそらく、本質的に私達が進むべき進路の真逆を指します。

これからの時代のコンセプトが潜在的に宿していなければならない魅力の根底には、普遍的な真実が求められます。未来永劫ゆらがないほど、芯のあるものです。

そういう普遍性というのは、もともと北海道にはあると思うのです。そう、北海道のネイティブな精神のなかに、です。

いつもこの話になって恐縮ですが。先住民族の姿のなかに、学ぶべきものを見いだせないと北海道でビジネスを行なっていくのなら本当の成功にはたどり着けないと思います。

具体的になにをどうすればいいのかは、各自が考えて、行動してみてください。

もちろん、現実的なサポートは、こちらでお仕事として承ります。また、ひとまず光のサロンへビジネスのご相談でご来訪いただいてもOKです。

願掛け

日本人は全般的に、ものごとに対して真摯であり、実直であると思う。でも、過ぎればなんとやら。こと、願掛けにおいては真摯で実直であればよいのか、というとそうでもない。

心と魂は別もの。心の底から願うことと、魂が願うことは同じではない。まったく違うということもないけれど、同じとも言えない。

人生で本当に大切なことを願う為には、心が静まっていること(できれば眠っていること)が望ましい。心をしずめ、静寂のなかにあって、それでも尚しっかりと見上げる高みにこそ、魂が願う「自分の未来の姿」が浮かび上がってくる。今はそれが霧でおおわれ、見えないとしても。見つめつづけていればいつか霧は晴れる。人生、時にねばりも大事。

今日の徒然:2020年までの流れはどうなるのだろう

夏至がすぎ、日々、夜明けの時間が遅くなるサイクルに入りました。次の折り返しの冬至にむかって太陽のエネルギーは少しずつ減っていくのです。いまのうちに十分に日光浴をしておくといいと思います。

スーパームーンはいかがでしたか。まだまだ余韻が残っています。月の光は、私達の心をゆさぶります。でも、ゆさぶられることで自分の内面を見つめるきっかけになるのです。ということは・・・こんな機会はもう滅多にやってこないということ。受け身にならず積極的に心のお掃除を心がけないと、気付きを受け取りにくいサイクルにはいりますから注意してほしいのです。

スーパームーンを過ぎてから、つらつらとこれから先、数年間の時の流れについて考えていました。時間があれば2020年ぐらいまでの地球の流れを考察してみたいものです。時間があれば…ですが。

今は、緊急のご相談にもなんとかお応えできている状況です。日中のセッションを終えて、夜の休息もとらずお電話でのご相談に応じるのは、体力的にもそろそろ限界かもしれません。ただ、代わってくれる人がいるわけではないので、できるところまでがんばってみます。が、私にも寿命もあり、体力も有限。そんななかで、自分の仕事にむけられるエネルギーをどこにどう配分のするのが最善なのか。日々、皆さんを支える役目にも充実感はある。でも、これで終わってしまうようなことはしたくない。できれば、組織的に、しっかりと、そしてより多くの人をサポートできるような仕組みを作ってから、人生を終えたい。どうすればそんなことができるのでしょうか。より多くの人に、スピリチュアルな世界にはいってきてもらう。そして「こちら側」の人になってもらう必要があります。

若い頃、見えない世界のことがわかる人ってすごいなぁと思っていました。自分にはそんな能力はかけらもないだろうなぁ、と。どうして自分にはあんな能力がないのかなぁ。そんなふうにばかり考えていて、自分をまっすぐに見つめるということをしなかった。だから、気づかなったんです。小さい頃から自分のなかにあった、ごく当たり前のものが、実は様々な情報ソースにつながる受信機の回路だったということに…。

人は自分の姿がみえないもの。鏡になる人が現れない限り。幸いなことに私も鏡になってくれる人との出会いがあって、能力を開花させられました。

これまでも、それなりの数の人たちに潜在能力があることをお伝えしてきたのですが…それをどう活かすも、活かさないもその人の人生。でも、あとで悔いることのない選択をしていただきたいな、と願っています。来世もスピリチュアルな資質を持って生まれ変われるとは限らないのですから。

今日の徒然:あるがままに生きる、ということ。

周りを心配させまいとして、本意ではない選択をしてしまう人がいる。その時はそれでいい、と自分を納得させることができるかもしれない。

でも、ずっと後になって。本当にそれでよかったのかと疑問が頭をもたげる。それに気づいた人達から今度は「本当のことを言ってくれたら応援してあげられたのに…」と、反対の選択をすればよかったのに、というようなことをいわれる。

人の為に、という生き方が本当に人の為になるかどうかはわからないもの。でも、その時の自分の「こころの枠」で人は選択をするしかない。ずっと未来になって、どうなのか、ということは考えても仕方がないのである。

人は不完全な生き物だ。だから、あるがままに生きるよりない。日々、なにかを選び、行動することができる。そのように日々を生かされていることに気づくだけでも、この世には慈愛があふれていることに気づけるだろう。

今日の徒然:本日は十三夜

明後日は満月です。この時期、このタイミングでいろんなことが起きます。それぞれ、無理なさいませんように。それから、どうしてもお気持ちがしずまらない時は、早めに気分転換をしましょう。自分の「こころ」を守ってあげられるのは、自分だけですよ。

今日の徒然:登校拒否やひきこもりなどのご相談

お子さんの登校拒否、ひきこもりのご相談を親御さんからお受けすることが多いです。最近は、医療機関での対応に違和感を感じておられる方が増えているように感じます。投薬治療をはじめとする現在の精神医療ではなく、別の取り組みを視野に入れる方が増えてきたのは間違いないでしょう。これも時代の流れなのでしょう。

子供たちのことが心配です。かれらが心の健康を保つには、親御さんのしっかりした支援が必要です。子供たち自身は必要な手段を選びようがないですから。できるだけの応援をしていきたいです。こころをサポートするお仕事をしている人達との接点もふえてきました。みんなで共に学ぶ機会をもてるといいなと願っています。

私はもともと医者になりかたったし、精神医療にもすごく興味があったから心理カウンセラーにもなってみたかった。でも、成績にムラがあって音楽にもはまってしまったし、結果的に学業や資格を取ることには縁がなかった。学歴も資格もろくなものがないのですが、その分、現場で叩き上げです。日々、しっかり修行させていただいている、それもこれも日々ご来訪くださる皆さんの、本当におかげさま、です。こうしていろいろ学ばせたもらった人生の光と闇について、学びたい方にはどんどんお伝えしていきたい。

こんな言い方をすると、おごっているように思われてしまうでしょう。でも、心の病は、本当は薬でなおらないのではないでしょうか*。学術的な知識をもとにした判断が誤っていることもあるのではないでしょうか**。心の病とはなんなのか。私にとっては、それはオーラの不調和です。オーラの不調和は、その人の日々の生活環境や人間関係からうまれます。現在の環境は、その人のこれまでの行いによって引き寄せられたものです。そして私達は三世にわたって魂を磨き続ける修行僧のような存在です。どちらかといえば、仏教の智恵のほうが的をえているように感じます。ただ、残念ながら真理にもとづく智恵であっても、個々の事例にどうあてはめればよいのかを知っている仏道の方がいらっしゃらない。それに私達は宗教の名を借りたいとはまったく思わない。医学、心理学、宗教、これらと縁のないところで生きてきました。私はいったいどこにいてなにをしているのか?と思わない日はないのですが。それでも、日々頼りにしてくださる方がいます。ありがたいです。自分がなにをしているのか、どうして人様を支える役割を担っていられるのか。本当の理由はよくわかりません。私はただ、世の中がよくなればいい。シンプルにいつもそう思っているので、ただ自分がやれるところから取り組んでいるだけです。でも、思うような未来になるには、それこそ三世に渡って努力をしていかなければならないような気がしてきました。まだ先はあるとはいえ、今の子供たちが自分の年齢になるまでの寿命はないのです。でも、その先のこともすごく気になります。だから、きっとまたここに生まれ変わってきます。でも、子孫が産まれ増えないことにはその機会も得られないですから。昨今の出産数が減っている傾向、若者たちの死因のかなりの比重を自殺が占めている現状がうらめしくもあり、なんとかできないものかと思う日々です。

*対症療法としての投薬の必要性はあるだろうし、精神医療があって救われている人はたくさんいらっしゃいます。けして否定はしません。自分も長い年月、お世話になりましたから。でも、副作用についてもっと知られるべきだと思うし、本当に必要なのかどうか、よくよく考えて続けてほしい。それに民間療法も選択肢が増えているし、効果が期待できるものもあるのですから。
**精神科の医師の判断に違和感を感じた方から、ご相談をいただくことも増えました。スピリチュアルな観点からお伝えしたアドバイスにある程度、納得いただけていると感じています。

メール復旧しました

ご迷惑をおかけしましたが、現在は無事に復旧しています。
LINEのほうが、よほどしっかりしてるじゃん。バックアップに使えますね。LINEでご連絡くださった方、今後もLINEでOKです。(LINEでまだつながってない方、こちらで携帯の番号を登録するとみえるようになるんです。ご一報ください。そもそもLINEって何?という方、身近なスマホユーザーの方にお尋ねください。)