子供は意外と大人?

子供の気持ちを汲み取るのは、親でも難しいことがあります。子供ってなにを考えているんだろうか? その態度や表情だけでは読み取れない内面性を持っているものです。よくあるのが、親に対する気配り、思いやりを表している場合です。小さな子供でも、親を大切にしたい、孝行したい、そういう意識はしっかり持っているものです。それが強い子は、なんらかの表現をします。ただ、それを上手に表現する術をなにも持たないですし、どうやったら喜んでもらえるのか知っているわけでもありません。だから、結局はひとりよがりな表現で終わってしまうものなのです。親からすれば、なにを言いたいのかな? もしかしたら、なにか不満があるのかな? 勘違いをしてしまうのです。

子供にも、大人とかわらない思いやる気持ちが備わっているというお話でした。

どうしたら新しい自分なりの取り組みが形にできるのか

たとえば、なにか資格を取った。無事に取れた。そこからどうするか。腕組みをしてしまっている。とか。

なにかを始めたい。いろいろな人に会ってみている。だが、これといって定まらない。とか。

そもそも自分がなにかを始めたとして、果たして「やっていけるのだろうか?」とつい考えこんでしまう。
その気持ち、すごくよくわかります。なぜって、2001年からの数年間、まさしく自分はそんな状態でしたから。

当時はスマホの存在すらなく、パソコンも普及しているようないないような。ずいぶん不自由な時代でした。それから、なんの資格も経験もない自分が、誰を頼るでもなく一人でサロン作っちゃって、具体的にビジネスプランがあるわけでもない。本当に突然、唐突になんの保証もなく、定収入もない自営業になっちゃった(その年の春先まで普通の会社員だった)。まさしく右往左往、という状況。精神的にも、まったく寄る辺ない感じ。それに加えて、現実的にやっていけるメドがたつどころか、まさしくカオス(混沌)。なにをどうすればいいのか、さっぱりわからないまま、ひたすら突っ走っていました。

日々、それなりになにかかにかやっていたんだろうなぁ。あまり当時の記憶がないんです。それに、ブログもまだ黎明期で、なにか書きためたものがあるような、ないような。メルマガは発行していたので、それが少し残っているかな。メルマガといったって、読者さんはそれこそ日本中に散らばっていて、相手の顔もみえないのですから。よくまぁそんな状況から、ここまでやってこれたものだと思います。先見の明があったんでしょうか。マグレといいますか。まさしく博打打ちの人生です。失敗したらどうするつもりだったんでしょうか(笑) もっとも、今が成功している状態といえるかどうかもわかりません。明日をも知れぬ我が身です。でも自分でお仕事をしている人はみんなそうなんです。長い会社員生活を離れて、もうすでに13年目なので、こんなに違うんだということが骨身にしみます。農家さんでも、経営者さんでも、自分の身ひとつで暮らしを守っている人の立場と、公務員や会社員の立場はまったく違います。見える世界も、背中で感じる重さもまったく違います。どっちがいいということじゃなくて、ただまったく違うということはいえます。両方を体験してみて、どっちもいいし、どっちも大変。簡単な話じゃありません。

がちがちの公務員の方とか、団体職員の方とか。立場的にしっかりした位置にいらっしゃる人達にとっても、自分なりの取り組みを形にするのは大変だし難しいです。そもそも副業がダメな場合も多いですから。

そして、自分でお仕事をしている方にとっても、新機軸を打ち出していくのは、本当に大変。特にこれまでの自分にはなかった、まったく新しい取り組みに挑んでみようという方にとっては、未来の敷居はとても高いものです。

自分の場合を振り返り、なぜここまで無謀な冒険ができたのかな、と考えるとですね。

「そこにしか自分の進むべき未来を見いだせなかった」からなんです。
言いかえれば、もしそこに自分の新しい未来を構築できれば、思い切りシフトアップできるに違いない、というイメージが持てたんです。例えば、山登りが好きだとして。しょっちゅう樽前山とか登っていい眺めを楽しんでいたレベルの自分が、です。おもいきってヒマラヤに挑むようなものです。いったいどうやれば登頂できるのか、まったくわからない。わからないけれど、もし踏破できたら自分はすごく変われるに違いない。そして、心の深いところに是非、そこに到達してみたいという願望があるのに気付いてしまった。そんな感じでした。

自分が自立するきっかけになったもの。それは深い気付きだったんです。

自分はなんの為に生まれてきたのか。そこを掘り下げる時間がすごくありました。会社を辞める数年前からはじまり、サロンを作ってからの数年も合わせて。ものすごく長い時間、深く自分と向き合っていました。その年月はざっと7〜8年ぐらいです。瞑想ものべにするとものすごい時間取り組みました。かなり苦行もしました。荒行といえるレベルでやりましたので、かなり危険もありましたし…。そんななかで、だんだんぶれることがなくなっていったんです。やっぱり、やりたいようにやらないと悔いが残るのだろうな、と。その感覚はすごくはっきりしてきた。そうなると、もう自分を偽ることができない。

私達は現実を生きているようでいてそうではない。実際には真実の自分を体験しています。つまり、現実に自分が体験することはすべて自分の魂が学びを受け取る為に、現実という仮想の世界に投影されたドラマにしか過ぎない、ということです。この現実の世界は私達が肉体という殻を脱ぎ捨てた瞬間、幻のように過去のなかに流れ、消え去ってしまうのです。

皆さんが、どのような束縛のなかにあり、どのような苦悩や葛藤のなかにあっても、それらはすべて幻想であり、一時のドラマのなかにいて「あなた」という役を演じさせられているに過ぎないのです。あなたの周りにいる人もすべてそれぞれの役を演じているだけです。肉体を離脱すれば、本来の姿に戻ります。その時になれば、ああこういう事だったのか、それならもっとああすればよかった、こうすればよかった、とらわれる必要はなかったのだとわかります。でも、それでは遅いのです。未来を先取りして、その感覚を味わうことはできない。けれど、内観をしていくことで、現実のとらわれを軽減できます。そして、しっかりと魂が携えてきた、前世から今世への大事な魂の課題が浮上します。

まず、自分を知ることです。自分の過去を知り、現在を知り、未来を知ること。魂は普遍性を持っています。前世から、今世を経て来世までどこまでも突っ走っていくのです。

あなたが、なにかにとらわれているのなら、自分で取り組むのもよし。誰かの力を借りて、どう取り組むのが最短ルートなのか道標を得るのもよし。目指す山頂が高ければ高いほど、道は険しくなります。特殊な経験をもつガイドが必要になるでしょう。

私は、おそらくこれを読んでいる皆さんの、もっとも高度の高い山頂を目指す時、その頂上の直下まで同伴できる人間です。でも、ピーク(山頂)を踏むのはあなた自身です。自らの意思で、自らの努力と精進によって、そこを目指してください。必要ならば、必要なだけ、サポートできます。

モノ言わぬ人々(2)

モノ言わぬ人々は、なぜ言葉で語らないのか。

それは言葉がとても不完全だということを知っているから。
言葉が持っている意味は人によって違う。誤解が生じる。そして、どちらかが、あるいはお互いが傷つく。

モノ言わぬ人々は、以心伝心、テレパシーで他人の心を読み取れる。だから、自分の言葉でもし相手が傷ついてしまうと、その刹那、罪悪感を感じ、もう会話を続けられなくなる。なんとかその場を収束する為に、自らが悪役を引き受けることになる。罪のない罪を認めてしまえば、それ以上誰も傷つかなくなる。その場をとりつくろったり、みえすいた嘘を言ってしまう。それは「そうするのが最善だ」という感覚がある。選択することができず、ただそうするしかない。もの言わぬ人々はそうやって生きている。

人の心は読めても、自分の心を読んでくれる人がほとんどいない。だから、とても孤独だ。

でも、もうすぐ…彼らの時代がやってくる。もうすぐ…(でも、それは何年、何十年、いや、もっと先なのかもしれないが…)

モノ言わぬ人々

ここ最近、とても増えた相談ごとというのが、「相手の考えていることがわからない」というもの。
この場合の相談者は女性。逆はほとんどない。

女性が、パートナーである男性(夫婦であったり、恋人であったり、恋人未満だったり関係性は様々)の考えが理解できなくて、どうすれば関係性が改善するのかとご相談にみえる。こういう場合の対応はたったひとつ。黙々と、男性側の考えていることを説明する。

長年の修行と経験の積み重ねの成果で、モノ言わぬ人達の内面になにがあるか、手にとるようにわかる。ただ、感情や価値観だけならまだしも…。こうと決め、けして人には見せないと定め持ったものがある。そこを説明して、受け止められる女性もいれば、そんなはずはないと否定してしまう方もあり…関係性がそこからどう発展するのかしないのか。実に様々。

ただ、ふと思うのだ。

そういう男性は以前からたくさんいたはず。なぜ最近、こういう相談が増えたのだろうか?

推測するに、女性側の意識が変わってきたのではないだろうか。言葉のない言葉を読みとり、感じ取ってあげたい。そこまでして歩み寄り、支えていきたいと考える女性が現れるようになった。そういうことだろう。

モノ言わぬ男性たちにとっては良い流れ。だが、モノ言わぬ男性の心に、どう歩み寄ればよいのか。試行錯誤がはじまった女性にしてみれば、苦難の時代のはじまりなのか? あるいは、心と心が言葉を超越して絆を深められる、波動の時代になったのか。

私達の未来の子孫は、もはや言葉を超越し、波動で会話する時代になるのだろう。それができるようになる人、いつまでもできない人で、住まう国家や地域を選ぶことになっていくのかもしれない。さて、日本はどちらにすすむのか。